その23-2 だから鴉は嫌いだぜ
コルネット古城、祭壇の塔頂上――
「虫けらがぁ! おのれっ! おのれっ! おのれぇぇぇ!」
見開いた金色の瞳から溢れんばかりの狂気を放ち、マダラメは眼下で演奏を続ける神器の使い手達を睨みつける。
噛み千切らんほどに食いしばった下唇から淀んだ黒い血が滴り魔法陣に落ちた。
途端、どす黒い魔力が死神の両掌の間で増幅していく。
それは六百年という歳月が、歪ませ、
私がどれほど待ち焦がれたと思うのだ。
私がどれほどの時間を費やしたと思うのだ。
所詮実験の糧に過ぎない哀れな材料の癖に。
どうせ私の下僕になる運命だというのに。
その蛆よりも矮小な存在の『人間』如きが――
「じゃああぁぁぁまああぁぁをぉぉぉするなぁぁぁぁ!」
彼の発した虫の羽音にも似た絶叫と共に、その凝縮された『執念』は一気に弾け散る。
刹那、塔の頂から黒き波動となって迸った瘴気が、瞬く間に古城を包み込んでいった。
「……っ!?」
重く、そして淀んだ魔の力に支配された
やにわに喉の奥から殺すような吐息を漏らし、祭壇上の横たわるなっちゃんは全身をじわじわを蝕む苦痛によってさらに顔を歪ませた。
同時にそれまで古城に響き渡っていた『死の舞踏』の調べにも変化が起こる。
なんだこれ?――
途端、全身を包みだした気分を悪くするほどの倦怠感に、堪らなくなって柿原は目を開ける。
急に弓が重くなった。まるで水の中で重石を付けられたかのように、腕が思うように動かない。
ふと隣で演奏を続ける阿部と目が合った。
やはり彼も違和感を感じているようだ。元々身体が丈夫ではない彼の顔色は既に死人のように真っ白で、汗をびっしょりと吹き出している。
対面に座って演奏を続けている亜衣もまるで同パートの頼れる先輩のように眉間にシワを寄せ、玉のような汗を額にかきながら、うんうんと唸りを声をあげていた。
場違いにも流石我が妹、うなされる姿も可愛いなあ♪――と、思ってしまったのは内緒だ。
最後に最凶のコンミスを見上げると、彼女は依然変わらず、目を閉じ、深く集中して独奏を続けているようだった。
だがその眉間には僅かであるが不快そうなシワが寄せられていたし、やはりうっすらと汗をかき始めている。
明らかにおかしい。一体何が起こっているのだろう――
と、またもや身体全体に圧し掛かって来た、吐き気をもよおすような
彼だけでなく四人誰もが急に起こり始めた異変に気づき、狼狽の色を顔に浮かべる。
だがとうに
ただただ弾き続けるよりほかに術はなかったのだ。
一音を奏でるだけでも相当に負担がかかりはじめた異様な状況に、神器の使い手達の体力はあっという間に消耗していく。
徐々にではあるが、古城を支配していた死の舞踏の調べは、弱々しくそして歪んだものへと変貌していった。
♪♪♪♪
同時刻。
コルネット古城、王の間――
ハウリングを起こしたアンプのような、耳障りな鳴き声を王の間全体へと響かせて、巨大な怪鳥は
「くそっ、鼠の次は鴉かよ」
―ケケケ、こりゃやり応えのある相手だな―
勘弁してくれと言いたげに顔色を青くする少年と、負け惜しみのように軽い笑い声をあげる妖刀。
そんな二人に対して、さあ、すぐに楽にしてやるぞ少年――そう言わんがばかリに鴉は大きく一度羽搏いた。
瞬く間に王の間のあちこちで突風が巻き起こる。
吹き荒ぶ嵐のような風の群れによって、王の間を彩っていたステンドグラスと天窓が、一斉に音を立てて粉々に砕け散った。
―避けろ小僧!―
「わかってら!」
漲り始めた和音の力に合わせて、降り注ぐ硝子の破片を巧みに躱し、カッシーは大鴉の周りを弧を描くようにして左へと回り込む。
だが刹那、今度は幾つもの小さな竜巻が、狙いすましたかのように少年の足元から吹き出し始めた。
ボケッ、次から次へと!――詰まった
途端気合で補っていた体力が、悲鳴をあげだした。
その悲鳴が彼の心臓を握りしめ、気道を塞ぎ呼吸を乱し始める。
少年の意思に反して、その膝ががくんと崩れ落ちた。
床を蹴ったその足が虚しく宙を掻き、カッシーの身体は肩から勢いよく床に転倒する。
「ぐっ!」
―小僧っ?!―
しくじった――そう思うより早く、カッシーの身体は床から新たに生み出された竜巻によってふわりと宙へ浮き始めた。
とっさの判断で視界に見えた、傍の玉座にブロードソードを突き立てて、カッシーは抵抗を試みる。
上空へ飛ばされればそこは鴉の縄張りだ。そうなれば少年に回避する術はない。
後は煮るなり焼くなり、啄ばむなり、鴉の自由――
「冗談じゃないっつの、飛ばされてたまるかよっ!」
だがしかし。
―いや、飛ばされろ小僧―
意地を張って叫んだカッシーに対して、妖刀はすぐさま返答してその身を小刻みに光らせた。
そして、吹き荒れる竜巻の中、納得いかなそうに目を剥いた少年に向かって言葉を続ける。
―鴉が来てんぞ、
――と。
途端、風の向こう側から、ぞっとするほどの殺意と金色の光が近づいてくるのを感じ、カッシーは大慌てで玉座を蹴ってブロードソードを抜き取った。
支えを失った少年の身体は竜巻に呑まれ、たちまちのうちに王の間の上空へと放り出される。
一瞬の後に風を突き破って飛び出した大鴉の嘴が、まるで角砂糖を砕くかの如く玉座を粉々にするのが見えて、カッシーは息を呑んだ。
だが窮地は続く。
結局身動きの取れない宙へと吹き上げられたこの状況。
はたして下から聞こえてきた、耳朶を打つ猛禽の一鳴きに、カッシーは剣呑な表情を浮かべる。
案の定、真下に見えたのは、大きく羽ばたき自分目がけて上昇してくる大鴉の姿だ。
ぱっくりと開かれたその嘴の中から、鋭く唸りをあげる突風がまたもや生まれつつある。
やるしかない。このままじゃ絶好の的だ。
「ナマクラッ!」
―ケケケ、いいぜ。乗ってやるよ小僧!―
少年の思考を呼んだ時任が、面白そうだと笑いながら応える。
やにわに、近づいてきた王の間の頂点――天窓の残骸に向かって、巧みに身を捻って
行くぞ大鴉――
膝を曲げて天窓を蹴ると、カッシーは急降下を開始する。
同時にそれを待っていたかのようにして、大鴉の嘴から凝縮された風の刃が吐き出された。
と、時任が手繰る少年の身体は二刀を素早く鞘に収め、空中で居合の構えをとる。
風が来るのは重々承知よ、化け
どうせ空中では躱せぬ、そう思ってんだろ?
だが我は退魔の刀、その刃に斬れぬ『魔』はなし――
刹那、風の刃がまさに少年の身を両断しようと鼻先に迫るその際で、逆手に握られた二刀が同時に鞘から迸った。
奥義、
虚空を×の字に薙いだその斬撃によって風の刃を掻き消すと、カッシーはそこに生まれた
目指すは一つ、荒れ狂う狂風の向こう側で歪む、金色をした双眸の合間。
精神一到。機は恐らく一度のみ。
その機を求め、少年は二刀を構えた。
だがしかし。
やがて見えてきた天を覆う漆黒の翼を捉え、カッシーのその双眸は大きく見開かれる。
はたして、姿を現した大鴉は少年を迎えるかの如く、嗤うようにその嘴を歪ませ、宙に羽ばたいていた。
真下ではなく。
落下していく彼の真横にて――
「マジか!?」
―野郎、迂回してやがったか―
鼠と比べて頭の回るいけ好かない野郎だ。これだから鴉は嫌いだぜ――
負け惜しみのように軽口を叩くと、慌てて時任は少年の身体を防御の姿勢へと誘う。
だが時すでに遅し。
途端、勝ち誇った雄叫びを王の間へ轟かせ、大鴉はカッシーを鷲掴みにしようと鋭く尖った爪を大きく開いた。
落下する事しかできない絶好の獲物と化した我儘少年は、なすすべなくその迫りくる一対の爪をただただ見届けるしかなかった。
「――響け、自由の鐘よ!」
刹那、謡うように聞こえてきた詠唱と共に、猛禽を射落とさんと飛来した光の弾が、大鴉の胴体に命中する。悲鳴をあげて吹き飛ぶ大鴉の脇を通過し、間一髪難を逃れたカッシーはそのまま王の間へと落下していった。
これって――
意外そうに見下ろした少年の眼に映ったのは、
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