その23-1 窮途末路

コルネット古城、王の間――


 月光に彩られたその空間で、両者は舞うようにして刃を交わす。

 片や運命に抗い闇夜に吠える双剣使いの少年、片やその抗いを拒む向かい風を吹かす漆黒の剣士。


「ふっ!」

 

 短い気合と共に、歴戦の侍が憑依した少年が繰り出した西洋剣ブロードソードと、退魔の刀時任は、二刀がそれぞれ別の生き物のように軌道を描きオオウチへと繰り出される。

 だが何の感情も灯さない『黒い硝子玉』で悠々とその二刀を追いながら、オオウチは最小限の動きで少年の攻撃を捌いてみせた。


 攻撃の手は止めない。反撃の暇は与えない。

 殺気もなければ何を考えてるかもわからない相手なら、攻め手を封じるに限る――

 

 歴戦の侍が操る自分の身体を通してその意思を悟ったカッシーは、呼吸を合わせるようにして弾かれた二刀を素早く手元に引き戻し、返す刀で再び攻撃に映った。

 途端、古城を包む『死の舞踏』の調べに乗って、二人が次々と生み出す剣戟の音色が、まるで歌のように王の間へと響き渡る。

 

 と、斬り交わすことおよそ数十合。

 一際大きな剣戟の音を木霊させて動きを止めると、両者は鍔迫り合いに雪崩れ込んだ。

 弾む吐息を必死に抑え、カッシーはオオウチを睨みつける。

 対して漆黒の剣士は戦闘が始まる前と変わらない、涼しい顔で彼を見下ろしていた。


「どうした? 息があがってきているぞ少年」

「余計な……お世話だっつの!」


 負けず嫌いの少年は、『い゛っ!』と歯を食いしばり、刃越しに顔を近づけてきた風使いへと怒鳴り返す。

 その額から汗が流れ落ち、鼻筋を通ってぽたりと床に垂れた。

 否が応にも肩が上下に揺れる。心臓の鼓動が煩いくらい体中へ響いて聞こえる。

 少し気負い過ぎただろうか。

 だが敵は待ってはくれない。

 元より加減して勝てる相手でないのは百も承知だ――

 カッシーは喉奥でくぐもった唸り声をあげた。

 

「どうした? これで終わりか?」

「うるせえっ! まだまだ……これからだ!」


 刹那、気合も新たにオオウチの剣を押し返し、懐に飛び込んだカッシーは気力を振り絞って再び連撃を開始した。

 オオウチは表情一つ変えず迫る二刀を冷静に視界の中心で捉え、最小限の動きで捌いていく。

 だがしかし。

 正攻法が通じないなら、搦め手でいくまでだ。

 喧嘩慣れした老獪な妖刀は、少年の身体を制止させる。

 と、やにわにリズムを変調させ、一挙動間を置いてから身を捻って跳躍すると、時任はその身で下から上へと斬り上げた。

 先刻までと異なる全身のバネを加えた重い一撃だ。

 捌こうとしたオオウチの三日月刀が剣戟の音色を生み出しながら上へと弾かれる。

 

―ケケケ、こいつはどうだ風使い?― 

 

 刀身を鈍く光らせながら、妖刀は笑った。

 その言葉に、オオウチは返事をする代わりに意外そうに吐息を漏らす。

 『黒い硝子玉』に見えたのは彼の首目掛けて左横薙ぎに迫るブロードソードだった。

 

  奥義 銀杏跳いちょうちょう

 初撃を出すと同時に、旋のようにさらに横方向へ身を捻って繰り出した間を開けない追撃だった。

 変則的に繰り出された二刀流ならではの双撃に、オオウチの三日月刀は捌ききれない。

 

 ――はずだった。


 迫るブロードソードの刃をあろうことか捨て置いて、風使いはその双眸を細めると左手をカッシーの眼前へと翳したのだ。

 ぞくりと少年の背筋に悪寒が走る。


「ナマクラっ!」

―ちいっ!―


 何かが来る?!――

 はたして途端にツンとなりだした耳の奥に、カッシーと妖刀は慌てて繰り出したブロードソードを手元に引き寄せ、防御の姿勢をとりながら後ろへと跳躍する。

 刹那、少年がいたその空間で空気が弾けた。

 幾重にも発生した真空の刃かまいたちが瞬く間に四散して、床に敷かれた絨毯が、窓を覆っていたカーテンが、鋭利な刃物で切り裂かれたかのように細切れになった。

 滑るようにして後方へ着地したカッシーは、残心を解かず二刀をハの字に構えてオオウチを睨みつける。

 ポタリ――と、少年が立っていた、白と黒のコントラストで散りばめられた床に紅い雫が落ちた。


―小僧……?―

「大丈夫だっつの! かすり傷だ!」


 辛うじて切り刻まれるのは回避できたが、全ては躱しきれなかったようだ。

 額を掠めた真空の刃によって流れ出た血をそのままに、カッシーは荒い息を繰り返しながら答える。


 傷は浅い。支障はない。

 だが肺が焼け付くように熱い。

 いくら呼吸を繰り返しても激しく鼓動を打つ心臓が静まらない――

 首筋を伝う汗を拭い、カッシーは思わず膝に手をついた。

 

 時任の奥義『和音』は、対象の脳内リミッターを一時的に解除して潜在能力を呼び起こす技法だ。

 普段は脳が意図的にセーブしてしてるものを強引に引き出すために、飛躍的な身体能力の向上を得ることができる。

 加えて時任自身との憑依操作によって繰り出される、縦横無尽の二刀剣技。その無双ぶりは既にパーカスで少年も経験済みだった。

 

 反面、その身体にかかる負担は大きい。翌日訪れる筋肉痛は言わずもがなだ。

 それに心肺機能までは向上できない。いくら筋力や瞬発力が超人なみになっても、体力はもとのままだ。

 自分より強大な敵に挑み続けるため、常に心身を鍛えている『退魔師』ならばともかく、それなりに運動神経は良いものの、つい一月半までただの高校生だった使い手には明らかなオーバーワーク。加えて螺旋階段で路を開くために屍鬼グールの大群を払い除け、今またここで敵に放った数々の連続攻撃により、我儘少年の体力は底をつこうとしている。


―ちっ、踏ん張れよ小僧!―

「わかってら……!」


 はっぱをかけるように激を飛ばした時任に対し、気合と根性、そして底なしの意地で身体を鞭打って、カッシーは再び闘志を燃やす。

 

「ほう、あれを避けたか。だがこの辺が限界のようだな」


 と、ゆっくりと翳していた手を降ろし、肩で息する少年を眺めながらオオウチは呟いた。

 途端悔し気に顔を歪め、カッシーは舌打ちする。


―ケケケ、厄介な野郎だ―


 時任も辟易したように軽口を叩いた。

 こちらの攻撃を冷静に三日月刀で捌き、風を自在に操って攻撃する。それが奴の戦い方のようだ。

 だが殺気がないので攻撃に転じる気配が全く読めないうえに、風による攻撃が肉眼で捉えにくい。

 回避を試みてもどうしても後手に回ってしまうのだ。

 

 決定的なのはその力量。

 あの仮面野郎ほどではないが、大した実力の持ち主だ。

 特に剣捌きは相当のもの。和音をもってしても奴の地力に何とか食い下がれるかという所だろう。

 まあ、これは小僧こいつの力不足もあるにはあるが。

 

 勝機があるとすれば、地道に攻撃を続け、固い防御の隙をついていくしかないが、長引けば小僧の体力は尽きる。

 ついでに言えば時間もないときたもんだ。

 こりゃ面倒臭い相手だぜ――


「くそっ、ナマクラどうなってんだよ? 和音っての、ちゃんと使ってんのか?!」

―阿呆、効いてるかどうかはお前が一番わかるだろ? とっくのとうに使ってるぜ―


 心配しなくとも明日はきっちり激痛に苦しむことになるだろうよ――

 どうしたものかと思案していた時任は、もどかしそうに食って掛かって来たカッシーに対し、ケケケと笑いながら返答する。

 

「もっと強くすることはできねーのか?」

―今のお前じゃあこれが限界だ。まあできなくもないが……―

「なら――」

―身体がついていけなくなってまず死ぬぜ? それでもいいか?―


 和音は諸刃の剣。錬気を誤って全ての潜在能力を解放してしまえば、肉体がついて行けず、熟練した退魔師でも自滅しかねない技だ。

 時任はカッシーの身体能力を鑑みて、引き出す潜在能力を巧みに調整し、肉体が崩壊しない程度に抑えて発動している。

 基礎体力もてんでない今の少年の身体では、引き出せてせいぜい潜在能力の二割程度が限界だった。

 それ以上の力を引き出そうとさらに和音を使えば、恐らく彼の身体は廃人同然になるだろう。


―分不相応な力を求めるのはやめておけ小僧。相打ちは勝ちとはいえねえよ―

「ぐっ……」


 腕は未熟だが久々の使い手だ。使い物にならなくなって手放すのは惜しい。

 老婆心で忠告するように時任は告げる。


 じゃあどうすればいい?

 切り札を用いても、互角……いや悔しいがそろそろ体力が限界だ。

 何とかしなくては――苛立ちを隠さず顔に浮かべ、カッシーは口をへの字に曲げた。


 と――


「失望したぞ少年、この程度とは――」

「うるせえなあっ、今考えてんだよ! ちょっと待ってろこのむっつり!」

「敵に懇願か? どうやらもう奥の手もないようだな」


 僅かではあるが物足りなさを顔に浮かべ、オオウチは三日月刀を鞘に収めると天窓の奥を見上げる。

 王の間より続く塔の外側――まるで蛇のように螺旋を描いて敷かれている階段を、何人かの人影が上がっていくのがみえて、彼は双眸を細めた。


 そろそろ時間か。

 それに先刻より城全体に響き渡るこの不快な『音』、我が内に眠る不死者の魂に訴えかける酷く心地の悪いこの音。

 完全なる不死者でない自分ですら心を掻き乱される嫌な音だ。我が主の様子が心配でもある――


「少年、この音がおまえ達の切り札か?」

「教えてやるかボケッ!」

「まあいい、ここまでだ。残った奴等も始末せねばならんしな」


 時間切れだ。

 そう言わんがばかリに、風使いは右手を天に翳す。

 刹那、大きな旋風が足元から生まれたかと思うと一瞬にしてオオウチを包みその姿を風の奥へと消し去った。


「一瞬で終わらせてやろう。心配するな、お前の仲間もすぐに後を追わせてやる」

「っ?!」


 王の間に所狭しと吹き荒れ始めた風に思わず双眸を細めたカッシーに向かって、風の向こう側からオオウチの声が投げかけられる。

 それが、風使いと少年が交わした最後の会話となった。


 やにわに心臓の鼓動のような空気の振動が一度、少年の身体を襲う。

 同時に何とも言えない、嫌な威圧が荒れ狂う旋風の向こう側から漂い出して、カッシーは思わず顔を強張らせた。

 なんだこりゃ? おい、ちょっと待て。

 この雰囲気、少し前も似たようなことあったよな?

 確かこれって――


―ケケケ、こりゃまずい―

「そんなのみりゃわかる!」

―妖気が跳ね上がった。鼠の時と一緒だ。こりゃあ褌締めてかからねえとなあ―

「鼠?!……って、マジか!? それじゃ――」


 と、なんとも嬉しそうに呟いた時任に対し、カッシーは剣呑な表情を顔に浮かべつつ尋ねた時であった。

 風の向こう側から、低く鋭い猛禽の嘶きが轟く。

 刹那、王の間の半分を覆うまでに大きくなった旋風を突き破り、上空へと姿を現した漆黒の影が、大きく一度羽ばたいて四方八方に新たな風を巻き起こした。


「冗談きついぜ……」


 またかよ――と。

 吹き付ける風から顔を護るように腕で覆い、王の間を仰いだカッシーは辟易した様子で呟く。

 旋風の『卵』を突き破って姿を現した黒き影は、金色に輝く目で少年を見下ろすと、さらに一度威嚇するように鋭く嘶いた。

 


 黒き影の正体、それは――

 天を覆わんがばかりに漆黒の翼を広げる、巨大な鴉であった。

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