その22-3 交響詩『死の舞踏』

 その曲は、深夜零時を告げる時計の音から始まる。

 本来はハープが奏でるの音を、代わりに古城の上空へと放つのは柿原のチェロだ。

 

 シャルル・カミーユ・サン=サーンス 作曲 交響詩『死の舞踏』――


 不気味な静けさの中、十二度ほど鳴り渡ったピチカートが深夜の訪れを告げると、阿部が弾くコントラバスの弦が、集い始める死者の足音を表現するようにピチカートを八度――


 さあ、役者は揃った。

 ジグ、ジグ、ジグ。

 今宵も奏でよう、舞踏の調べを!

 

 月夜の墓場で死神が告げた宵闇の訪れを合図に、その死人の宴は幕を開けるのだ。

 

 刹那、シンドーリが指揮する四分の三拍子のリズムに乗って、古城を望むように佇んでいたなつきは謡うように独奏を開始する。

 この曲のメインとも言える『死神の独奏』。あえて変則調弦スコルダトゥーラで合わせた不協和音を響かせ、最凶のコンミスが奏でるヴァイオリンは不気味な主旋律を古城全体へと響かせていった。


 やがてその集中力と高い技術力で、魔曲の効果をあっという間に具現化させたなつきを筆頭として、複雑な想いを抱き『死の舞踏』を演奏する四人の周囲に変化が訪れる。


 彼等を囲むようにして出現したのは淡い光を放つ奏者達。

 それは、神器の使い手達が高い集中によって自動演奏状態シンクロに入った時のみ現れる現象だった。

 

 オーボエ、フルート、クラリネット、そしてトランペット、ホルン、トロンボーン、etc.――次々と死人の宴に加わっていく音色と奏者に、シンドーリは驚駭の溜息を漏らす。

 だが幾重もの音が重なってゆき、四重奏カルテットから管弦楽オーケストラへと昇華したその演奏を目の当たりにすると、彼は興奮気味に犬歯を覗かせ、舞うようにして指揮棒を振るっていった。

 

 やがてフルートを起点として始まった『骸骨のワルツ』を弦全体が奏でだすと。

 魔曲『死の舞踏』の効果は瞬く間に古城全域を支配する。

 

 彼等が曲に籠めし感情はたった一つ。

 即ち『復讐』。


 さあ踊れ不死者アンデッド達。その躯が朽ち果てるまで。

 さあ憎み合え不死者アンデッド達。多くの命を奪ったその咎を身をもって償え。

 我らの怨嗟を思い知れ!――と。


 

♪♪♪♪



コルネット古城、一階大広間――


 手にした剣を振りかぶり、今にも襲い掛かろうとしていた骸骨兵スケルトンが動きを止める。

 やにわに苦悩するようにカタカタと顎を鳴らし始めたその躯は、踵を返すと傍らにいた仲間スケルトンの頭蓋目掛けて掲げた剣を振り下ろした。

 陶器が割れるような音と共に頭蓋を割られたその骸骨兵スケルトンが大の字に床に倒れたのを合図に、骸骨兵スケルトン達は一斉に同士討ちを始める。

 と、地鳴りをあげて骨龍ボーンドラゴンが通過していくと、一際大きな咆哮をあげて骸骨兵スケルトンの群れへと突っ込んでいった。

 それはまさに『死』の舞踏。


 いよいよ潮時か――と、覚悟を決めて特攻を開始しようとしていたヨシタケは、突如争い始めた不死者アンデッド達を前にして、狐につままれたような表情を浮かべながら、その場に立ち尽くしていた。

 だがすぐに広間に響きだした聞き覚えのある弦の調べに気づくと、彼はぱっとを顔を明るくする。

 忘れるものかこの曲を、この調べを。

 毎夜の如く村を襲う不死者アンデッド達を退けてきた『希望の曲』だ。

 

「うおおおおーっ! 始まった! おっしゃあ! やるじゃねえかナツキちゃん!」


 感極まった雄たけびを広間に放ち、熱血漢は天を仰ぐ。

 満身創痍になりながら戦い続けていたヒロシも、不器用に笑みを零しながら礼拝堂の方角を向き直った。


「何とか間に合ったようでございますね――」


 王女よ、よくぞやってくれました――

 と、いつも通りの眠そうな顔のまま、やれやれと溜息を吐いたサイコも服はボロボロ、顔は汗と汚れで真っ黒だ。

 ともかくギリギリではあったが起死回生の死の舞踏秘策は発動した。

 あとはこの機を逃さず、マダラメのもとまで一気に駆け上るのみだ。


「さて、ここからが正念場でございます」

「うむ、今こそ好機――」

「よっしゃあああっ! 漲ってきたぜぇぇ!」


 大暴れする骨龍ボーンドラゴンに群がる骸骨兵スケルトン達を余所目に、三人はお互いを見合って頷いた後、王の間へと続く扉へ駆けていった。



♪♪♪♪



 何だこの『音』は?


 コルネット古城、祭壇の塔――


 『音楽』を知らない死神は、途端に響き始めた死の舞踏の調べを『音』と定義し、隠すことなく不快感を露にする。

 儀式は終盤に差し掛かっていた。あとは満月が高みに昇り詰めるのを待って魔力を注ぎ込むのみだった。


 にも拘らず、我が悲願を邪魔するように心を掻き乱し始めたこの不快な音。

 それは全ての不死者アンデッドが平等に持つ、偽りの魂にこう訴えかけるのだ。


 自然の理に背き、この地に居座る魂へ罰を。

 灰に帰れ。報いを受けよ。

 今すぐその身を地獄へ落とせ!――と。


 途端、眩暈を覚える程にチカチカと光りだした視界と、頭蓋に割るように起こり始めた頭痛に、マダラメは思わず儀式を中断してよろめく。

 だが祭壇に横たわるなっちゃんを、囲むようにして迸っていた黒い炎が勢いを弱めたのに気づき、彼は慌てて手を翳すと意識を集中させた。

 僅かに和らいだ微笑みの少女の表情が、再び苦悶へと変貌する。


「おのれ、なんだこの音は!? どこから聞こえてくる!」


 三日月をした瞳孔を広げ、口角泡を飛ばしながらマダラメは吠えた。

 と――

 

―ここだ死神リッチの若造―


 耳元で囁かれるように聞こえてきた男の声に、死神はさらに目を剥いて塔の端へと歩み寄る。 

 そして眼下に見えた礼拝堂の頂きより、優雅に指揮棒タクトを振りながらこちらを見上げる長身の人物に気づくと、唸るようにして怒号をあげた。

 

「音の魔法だと!? 誰だお前は?」

―一月ほど前からここにいるが、やはり気づいていなかったか、愚かなほどに蒙昧な死神よ。では、お初お目にかかると言った方がいいかな? 我が名は、ジョージ=シンドーリ=フィス=コルネット。この城の城主を務める吸血鬼ノスフェラトゥだ―

「吸血鬼?! 馬鹿な、何故魔の眷属が人間の味方をする?!」

―私は私の感情を色艶やかに染める者の味方なのだよ―

「なんだと?」

―ついでに言えば、そうだな……お前が気に入らないのも理由の一つだ―


 己の欲望に対し忠実に振る舞い、弱者の命を無慈悲に奪い尽くすその行動理念は魔の眷属としては満点だ。

 だがしかし。

 決定的なまでに美意識が足りない。節操もない。風格もない。

 お前には美学がないのだ――二千年という時を過ごしてきた高潔な吸血鬼は死神を一笑に付すと、そう付け加えた。


―ところでこの曲は気に入ってもらえたかな? 中々に高揚する『調べ』だろう? 異世界の巨匠が生み出した死人の踊りを彩る曲だ―

「ふうぅぅぅざぁぁぁけぇぇるぅぅぅなぁぁぁぁぁ!」 


 頭の奥が疼く。吐き気が込みあげてくる。

 『調べ』? 何を言っている! 不安を胸に沸き起こす不快極まりないただの耳障りな『音』だろう!――

 途端狂気じみた奇声をあげて、マダラメは額を押さえる。

 

「今すぐこの音を止めろ吸血鬼ィ! でなくば貴様を切り刻んで肉片に変えたうえで、未来永劫結界に封じてやるぞ!」

―クック、下種の極みだな死神よ。やはり相容れん……では、そろそろこの城の『闇』を返してもらうとしようか―

 

 と、黒い外套を翻し、シンドーリは犬歯を覗かせながら勢いよく指揮棒を振り下ろした。

 四人の神器の使い手達が奏でる『骸骨のワルツ』が盛り上がりを見せる。


「やめろ! やめろやめロ、ヤめロぉぉぉぉォォォ!」


 気合と共に身に絡んでくる『死の舞踏』の効果を振り払うと、マダラメは踵を返し、頭上を漂っていた光の珠を庇うようにして手を翳した。


 嗚呼、レナ! レナ! レナ!

 私の悲願達成の邪魔は誰にもさせぬ!

 今すぐ消えろ吸血鬼!

 今すぐ消えろ人間虫けらども!――


「じゃああぁぁぁまああぁぁをぉぉぉするなぁぁぁぁ!」


 虫の羽音のような怒り声をあげて再び踵を返すと、マダラメは両掌を礼拝堂の頂へと向ける。

 その掌に急激に集まり始めたどす黒い魔力は、肉眼でもはっきりとわかるほどの禍々しさを周囲へと放っていた。

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