その22-2 吠えるは双剣、阻むは向かい風


コルネット古城、王の間へ続く螺旋階段――

 

―上だ小僧、来てるぞ―


 時任の声に反応し、カッシーは頭上から飛び掛かってくる複数の影を視界の中央に捉える。

 和音に加え、共感覚による反応速度で機敏に反応した双剣が舞うようにして繰り出された。

 剣閃が闇に八重の残像を残し、一瞬にして群がった屍鬼グール達を黒い砂へと還す。

 奥義、八断跳はたんちょう

 眼にもとまらぬ大回転八回斬りを披露した少年と妖刀は、残心を欠かさずそのまま階段を駆け上がった。

 と、視界に広がる景色の変化に気づき、少年は眼を見開く。


 見えてきた――

 悍ましい奇声をあげてさらに襲い掛かってきた屍鬼グールの群れを走りざまに薙ぎ捨て、階上を見据えた彼の双眸に映ったのは、一際立派な黒い鉄扉。

 永遠に続くかと思われた螺旋階段はその手前で姿を消していた。

 

 あの先がきっと王の間だ――

 ラストスパートをかける様にカッシーは力を漲らせた。


 やにわにそれまで執拗に追いかけて来ていた屍鬼グール達の気配が、まるで潮が引くようにして遠ざかっていく。

 追ってこなくなった、何故? 背後から聞こえてきた悔しそうな猿叫に対し、カッシーは訝し気に眉を顰めた。


―ケケケ、中にいる奴が怖いんだろうよ―


 と、少年の疑問を察した妖刀が小気味良さげに笑って答える。

 中とは勿論見えてきた鉄扉の向こう側のことに他ならない。

 

「マダラメか?」

―いいやあいつとは違うな―


 探るようにその身を光らせながら、時任がさらに返答した。

 死神あいつの妖気はわかりやすい。周りに怯えるように、威圧するように妖気を常に放っている。

 だが今感じられる妖気は奴とは違う。


 静かに、そして冷たく渦を巻く旋じ風のように鋭い妖気。

 初めて感じる妖気、もしやこいつは――


 と、くぐもった唸り声をあげた時任と同時に、少年は最後の階段を一際大きな音を立てて上がり切る。

 弾む息をそのままに、カッシーは足を止めず鉄扉目掛けて駆けていった。

 躊躇してる時間はない。


「誰がいようとやる事は一つだろ」

―まあ違いねえ。けど油断はするなよ?―

「わかってる」


 返事と同時に道を阻むその扉を乱暴に蹴り開けて、我儘少年は滑り込むようにしてその中へ身を躍らせた。

 蹴り開けた扉の衝撃音が、わんわんと木霊しながら響き渡る。

 入ってすぐに目についた正面奥の古びた玉座が、ここがどこであるかを物語っていた。

 

 予想通り、王の間。

 ついた。なっちゃんはどこだ?!――呼吸を整えながら油断なく二刀を構え、カッシーは王の間を一望する。


 と――


 部屋の中央、丁度玉座へと真っ直ぐに敷かれたくすんだ紅い絨毯上に佇む人影に気づき、彼の表情はみるみるうちに剣呑の色を浮かべた。

 違う、あの子じゃない。あのシルエットは彼女じゃない。

 というか、

 どこから現れたのか全く分からなかった。まるで別空間から飛び出して来たかのように突然現れた。

 いや、もしや最初からいたのかもしれない。ナマクラは気配を察しているようだった。

 だとしたら何者だ――

 

 刹那、大きな窓から差し込む月光の中に人影が足を踏み入れる。

 それは整った顔立ちの美青年だった。

 黒い髪、黒い瞳、浅黒い肌、黒い服、そして黒の胸当てブレストメイルに黒刃の三日月刀ファルシオン――

 足元の紅い絨毯をも闇に包むほどの『鴉の濡れ羽色』の剣士の姿が、そこにはあった。

 

「やはり来たか……」


 真っ黒な硝子玉のような双眸でカッシーを捉え、美青年は一言呟くように声を放つ。

 無機質で何の感情も籠っていない機械のような話ぶりだった。

 露になった人影の正体を凝視するように目を剥いて、カッシーは思わず呼吸を止める。

 見た事のある顔だった、ファゴットパート所属の後輩で、やたら喧嘩の強い三人組のリーダー格。

 そうか、こいつが噂の――


「風使いのオオウチ――」

「ほう……おまえもの名前を知っているのか。どうやら余程の有名人らしいな」


 と、呟くように名を呼んだカッシーをじっと見据え、美青年――風使いのオオウチは大して驚いた様子もなく、抑揚のない声色で返答する。

 気味の悪い奴だ。まるで人形のように表情を動かさない。

 顔はあいつにそっくりなのに中身はやっぱり別物だ――


 だが何にせよ、こいつに構ってる暇はない。

 見た限り毒舌少女の姿はここにはいないようだ。

 それどころか変態ストーカーマダラメらしき影も見えない。

 止めていた息を大きく吐き出すと、我儘少年は油断なくオオウチを見据えた。

 

「おい、なっちゃんはどこだっ!」

「……」

「聞いてんだ、答えろよっ!」


 必然的に声が荒くなる。

 それは焦りによるものか、はたまた目の前の風使いから漂ってくる、得体の知れない威圧に対してか。

 カッシーは苛立つように喉奥で唸りつつ、オオウチの返答を待った。

 

 と、オオウチは視線を少年から逸らさぬままゆっくりと右手を挙げてある一点を指す。

 視線の端で風使いの指を追い、カッシーは向かって左側、そこに見えた小さな扉に気づくと訝し気に表情を曇らせた。


「扉?」

「この上の塔に続く扉だ。お前が探している器は、既に我が主が連れ去った」

「マダラメが?」

―ケケケ、やけに素直じゃねえか風使い。一体何考えてやがる?―


 手の内をあっさりと明かしたオオウチに向けて今度は時任が尋ねる。

 喋り出した刀にやはり驚く様子も見せず、オオウチは右手を降ろすとその双眸に僅かではあるが余裕の色を灯した。

 

「もう手遅れだからだ」

「あ?」

「半転生の法はもうすぐ終わる」

「んなもん、ぶっ壊して絶対止めてやる!」

「だからそれが無理だと言っているのだ――」

 

 そう言ってオオウチは腰に携えていた三日月刀を音もなく抜き取ると、その切っ先をゆっくりとカッシーへと向ける。

 途端その身の周りに風が巻き起こりはじめた。


「セキネを倒したのはおまえだな?」

「だったらなんだっつの!」

「仇討ちなど柄ではないのだが、結果的にそうなるか。まあいい……お前は俺が殺す。諦めろ少年、器は助からん」


 これ以上足掻いても無駄だ。ここから先にお前はいけない――

 月光を反射して鈍く光る黒刃の切っ先を肩越しに構え、オオウチは構えた。

 だがしかし。


「ふ ざ け ん な ! うちのチェリストに指一本触れてみろ? ただじゃおかねーぞこのむっつりスカシ野郎!」


 吹き付けてきた冷徹な風に目を細め、しかしカッシーは負けじと二刀をハの字に構えて応戦の態勢をとる。

 鎧袖一触。

 二人の剣士は数間の距離を挟んで対峙した。


 

 と――



「柏木君っ!」


 王の間の扉を潜って弾む息と共に中に入って来た少女の声が背中から聞こえてくる。

 振り返らずとも誰かわかった。ついでにその後に続いてやってくる複数の足音も。


「ムフン、トーチャーク!」

「おーい、派手にやったなカッシー? なんだありゃ、化け物がそこら中に倒れてたぜ?」

「おせーっつの、おめーらっ!」


 はたして、どやどやと追いついてきた東山さん、こーへい、かのーに向けて、カッシーは油断なくオオウチを睨みつつ返事をする。

 と、そこで三人も少年と対峙する漆黒の剣士の姿に気づいたようだ。


「っ……? って、誰あいつ?」


 一人勝手に突撃した我儘少年に一言文句を言ってやろうと口を開きかけた東山さんが、やにわに口を噤んで詰まらせたように吐息を漏らす音が聞こえて来て、カッシーは苦笑を浮かべた。

 

「風使いのオオウチ」

「……嘘、あいつが?」

「おーい、マジか。てか本当にそっくりだなー?」

「ドゥッフ、ホンモノと一緒でムッツリそうディスネ」

「んなこと言ってる場合か、真面目にやれっつの!」


 毎度の事だが本当にまとまりがないなこいつら――

 しげしげと風使いを凝視して、各々好き勝手な感想を漏らした三人に対し、カッシーはやれやれと苛立たし気に溜息を吐く。

 だがツッコミを入れている時間も惜しいと直ぐに気を取り直し、少年は口早に話を続けた。

 

「聞いてくれ、あんまり時間がないんだ。なっちゃんはこの上の塔にいるらしい、マダラメも一緒だ。そこの左手にある扉から行ける」

「って、まだ上アルノー? マタ階段ナノー?」


 もううんざりといった様子でぼやいたかのーの頭を素早くはたき、東山さんは眉間にシワを寄せて扉を見据えた。

 だがすぐに視線を戻すと、東山さんは我儘少年の背中を見つめその先を確認するように促す。

 そう、確認するように。

 

「私達に先にいけってこと?」


 ――と。

 少年の言葉には迷いがなかった。

 目の間に敵がいるというのに、それを無視して開口一番、自分達にしるべを告げた。

 それが何を意味するか薄々感じ取っていた東山さんは、既に諦観と呆れがありありとわかる口調で先を促していたが。

 

 はたして、少女の予想通り。

 我儘少年は小さく頷いてその問いかけに応えると、にへらと笑って見せた。

 

「話が早くて助かるぜ委員長」

「一応聞くけど、あいつはどうするの?」

「俺が相手する」

「おーい、マジか?」

 

 女神様は目の前の黒ずくめの男に対し、さっきから警鐘を鳴らしている。

 さっき会った仮面の男と同様、やばい奴だ――と。

 だが、俄然やる気で剣を構えたこの少年が、言いだしたら聞かない意地っぱりであることもよーく知っている。

 さてどうしたもんか――咥え煙草をプラプラさせながらこーへいは、困ったように浮かべていた猫口を歪ませる。


「さっきご指名されたんだよ。相手してやらなきゃ失礼だろ?」

「大鼠だってみんなで挑んでやっとだったの、わかってる?」

「ああ」

「あいつら相手によー、管国の兵隊さん達がどうなったか……ヒロシさんから聞いたよな?」

「……ああっ!」

「そんでもやる気ナノー? バカナノー? バカッシーナノー?」

「い い か ら い け っ て ん だ ボ ケ ッ !」


 有無を言わさぬ怒号をあげて、刹那カッシーは二刀を振り上げた。

 会話はそこまでだった。

 油断なく見据えていたオオウチの左腕が、不自然にこちら目掛けて翳されたかと思うと握られたのが見えたからだ。


 何かが迫って来る。見えない何かが風使いの手によって生まれ、こちらへと放たれたのがわかる――

 途端耳の奥がツンとなり、吹き上げる突風によって前髪が靡きだしたのに気づくと、東山さんは慌てて身を屈め防御の態勢をとった。


 だがしかし。


―ケケケ! いい反応だ小僧っ!―

「いいからぶった切れっ!」


 風使いのその攻撃に対し瞬時に反応していた我儘少年は、身を竦ませる三人の前に飛び出すと振り上げた双剣で虚空を薙いだ。

 和音の力を乗せ、十字を描いて振り下ろされた双剣は、迫りつつあった真空の刃を弾き飛ばすと、周囲に乾いた衝撃音を響かせた。

 弾けるような突風を肌で感じながら着地すると、カッシーは即座に踵を返しオオウチを睨みつける。

 ほう――と、小さく息を吐きオオウチは翳していた左手を降ろした。

 

「ボケッ、ご指名は俺だろ風使いっ!」

―ケケケ、慌てんな。今相手してやるからよ!―


 今のは真空だろうか? まったくわからなかった。

 話に聞いていた通り、厄介な相手だ――

 途端に額に吹き出した冷や汗をそのままに、東山さんは拳を握りしめる。


「柏木君、あなた……今の見えたの?」

「いや、何となくだ」


 和音による身体能力の向上のおかげだろう。

 空気の歪みが走ったのが見えただけだ。それも本当にぼんやりと。

 憮然とした表情でそう答え、カッシーは鼻を鳴らす。

 だがそれでも防げた。それでも見切れた。


 やるしかないんだ。行くぜ風使い?――

 

「なあ、俺等確かにただの高校生だけどさ……でも、決めたよな? みんなで日本に帰るんだって――」

「……カッシー」

「ならここは俺に任せてくれ、そん代わりなっちゃんは頼んだぜ?」


 やはり後ろは振り返らず、漲る闘志と共にオオウチを見据え、カッシーはそう告げると、にへらといつもの締まりない笑顔を浮かべる。


 と――

 やにわに乱暴に扉が開く音が王の間に木霊して、東山さんとこーへいは左手を向き直った。

 そこに見えたのはたった今蹴り開けたばかりの扉を背に、こちらに向かって胸を張るツンツン髪の少年の姿――

 

「ムフン、バカッシー」

「なんだよバカノー」

「シカタナイネー! 今回はお前のワガママに付き合ってやるディスヨー!」


 いや絶対嘘だな。あいつ今の攻撃見てビビったんだきっと――

 ケタケタと笑い声をあげ、逃げる様に扉の向こうへ消えていったバカ少年の姿を見送りながら、こーへいはやれやれと肩を竦める。


 だが、あいつの言うことに賛成するわけじゃないが、この賭けに乗ってみるのも面白そうだ。

 ああそうだよな女神さん。箱は開けてみなきゃわからねえもんな?――にんまりと笑みを浮かべこーへいは隣にいた少女を見下ろした。

 と、彼のその視線に気づいた音高無双の風紀委員長は、既に決意を固めた凛とした表情で、静かに頷いてみせる。

 

「柏木君、気を付けてね」

「まー、何とかなんだろ? すぐ来いよなー、待ってんぜ?」

「わかった」


 言うが早いが踵を返し、左手の通路へ駆けていく二人の気配を背中で感じながらカッシーは小さく息を吸う。

 対峙していた風使いは、その間微塵たりとも三人へと目を向けなかった。

 まるで一度定めた獲物を逃さぬ猛禽類のように、じっと三日月刀を構え黒い瞳で少年を見据えていたのだ。

 

―ケケケ、いいのか風使い? 余裕こいてあのガキども見逃してよ? それとも端から小僧狙いだったかよ―

「心配無用だ、あいつらも逃す気はない。十分間に合うさ」


 お前などすぐに片付けられる――暗にそう言っているのが、鈍感な少年にもよくわかった。

 変に三人にちょっかい出されずに済んで僥倖ではあったが、その余裕が気に入らない。

 途端額に青筋を浮かべ、カッシーはギロリと目に力を籠める。


「さて、始めようか少年」


 刹那、オオウチの周りで渦巻く風の勢いが増した。

 王の間に漂う空気が張り詰めたものへと変わる。


 広間で対峙した、ベルリオーズと名乗た仮面の男が放った桁違いの闘気とも違う。

 シンドーリのような威圧的な魔力とも違う。

 目の前の漆黒の剣士からひしひしと感じられるのは、闘志すら感じさせない『得体の知れない殺意』――

 底知れぬ不気味さを背筋に覚えながら、カッシーは低く咽奥で唸り双剣を構えた。


 目の奥がチリチリしてきた。

 喉はとっくのとうにカラカラだ。

 だが覚悟は決めた。生きて帰ると約束した――


「ナマクラっ――」

―あん?―

「――絶対勝ちたいっ!」


 振り絞るような声でそう呟いた少年に向かって、妖刀はケケケと笑う。

 そして一言頼もし気にこう言ったのだ。


―当たり前だ。この俺様がついていて負けると思ってんのか?―


 ――と。

 少年は、強張った笑みを口の端に浮かべてみせた。


「行くぜ風使いっ!」


 疾風迅雷。

 和音と共に妖刀の意思が四肢に漲るのを感じ取ると、カッシーは床を蹴って突撃を開始する。


 丁度その時であった。

 死の舞踏の旋律が城中に流れ始めたのは。


 その調べに乗って謳うように。そして踊るように。

 双剣使いと風使い。王の間の中央で激突した両名は火花を散らし、幾重もの剣戟の音色を響かせていった。

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