その22-1 もう泣かせたくない
「冥府の王よ、今ここに我は願い給う……闇を彷徨いし僧侶の魂をここへ――」
コルネット古城、祭壇の塔――
王の間よりさらに上、蛇のように周りに絡まる螺旋階段を上がった先に聳えていたその塔の頂上で、マダラメは天を仰ぎ祈りを捧げる。
僅かに残っていた雲も先刻の紅の閃光によって全て霧散し、夜空を支配するようにその身を輝かせる満月の姿を隠すものは何一つなかった。
その月が讃える月光の下、円形をした塔の頂きに描かれた魔法陣のそのまた中央。そこに造られた紅い布の敷かれた祭壇の上で、微笑みの少女は死人のように目を閉じ横たわっていた。
間もなく満月は夜空の頂へと昇りつめ、その力を祭壇へと注ぐだろう。
反魂樹の根のようにうねって伸びた前髪の奥で、金色に輝く三日月を輝かせながらマダラメは狂気を解放し、その両手に魔力を集めだした。
「我が求めに応じて開け冥府の門。集え亡者よ、今宵催すは死人の宴なり――」
翳していたマダラメの両手がやにわに禍々しい紅い光を帯び始める。
刹那、塔の頂上に描かれた魔法陣をなぞるようにして、黒い炎が噴き出した。
揺らめくその炎に浮かび上がったのは、苦悶の表情を浮かべ怨嗟の声をあげる亡者達の姿――
途端、横たわる少女の表情がうなされたように歪み、その額から汗が滲みだす。
「さあ器は用意できた。おいでレナ……クキキ、クキケケケケ!」
死神の期待に満ちた狂気の笑い声が、古城に木霊する。
と、その笑い声に誘われるようにして宵闇を照らす蛍の如く上空より現れたのは、青く淡い光を放つ小さな球であった。
♪♪♪♪
コルネット古城一階、王の間へ続く道――
それは、大きな円柱状の空洞だった。
採光用にくり抜いて開けられた穴より差し込む月の光によって見えたのは、その円柱状の壁に沿って敷かれた螺旋階段だ。
遥か頭上まで続くその階段を睨むようにして見上げ、少年は蒼い外套を靡かせながら足を止めた。
あの先に王の間が。待ってろよ、チェロトップ――
弾む息を整えながら大きく息を吸い、カッシーは目の前の階段を勢いよく駆け上がった。
―小僧、何を苛ついてる?―
と、全力疾走で走り出した少年の腰から妖刀が尋ねる。
時任は感じていた。この少年が今胸の中に抱いている珍しい感情をだ。
大鼠と戦った時とも、先程対峙した仮面の男と一触即発になった時とも異なる感情。
それは自戒のように自らに向けて抱いた『怒り』と『苛立ち』という感情だった。
「べつに――」
―じゃあ、何そんなにカリカリしてんだ?―
「うっさいな! 何か凄い腹立ったんだよ!」
―はあ?―
「いいだろもうっ!」
まさに我儘少年の本領発揮。逆ギレしながら話を強引に打ち切るとカッシーは拗ねる様に口を尖らせた。
他でもない、まとめ役の少女が放った一言だ。
私は誰も失いたくない――
そんなの、俺だって一緒だ。
いつだって全力で覚悟を決めて挑んできた。
だから悔しかった。
どうやら自分は、まだまだ頼りなくて、見てられない存在だったらしい。
そりゃまあ、自信もって言えるほど自分が強いとも思わない。
けどそのせいで、彼女をあんなに苦悩させていたなんて気づかなかった。
そういやパーカスでも言ってたな。
それでもし……あなたがいなくなったら私はどうしたらいいの?――
みんなが無事でも、そのせいでカッシーがいなくなるなんて嫌だよ――
――ってさ。
うっ、思い出してみると結構心配されてたんだな。
けどさ、俺っていう程そんな頼りないだろうか。
そりゃ、入部当初からあの部長にはいつも迷惑かけっぱなしだけどさ――
「でももう少し信頼してくれてもいいだろ!」
―はあ?―
思わず呟いたカッシーに向かって、時任が声をあげる。
だが少年は構わず大きな鼻息を一つ吐いていた。
意地っぱりで無鉄砲なのは、自分でもわかってる。
けど今更自分の生き方変えられるか。
結局、足りないのは力だ。
自分で自分を護れる力。みんなを護ることができる力。
もっと強くなれば、もうこれ以上彼女の泣き顔を見ないで済むだろうか。
やっぱ笑っててほしい。
あの子には笑ってて欲しい。
そのためにやれることはなんだってやってやる。
けどその前に。
まずは全員無事でこの城から脱出してやるんだっ!――
まとまりはないがやる事が決まれば行動は早いパーティ。
その中でも随一といえる行動力を持つ少年は、それ以上悩むのを止めると気合も新たに階段を上がるテンポをあげる。
と――
およそ三階分ほど階段を上ったころだろうか。
それまでとは異なる光景が視界に飛び込んできて、カッシーは剣呑な表情を顔に浮かべた。
壁に小さな光が混じりだしたのだ。
その光は壁の各所に所狭しと点在し、まるで星の如く不規則に点滅を繰り返していた。
なんだありゃ?――少年はその光を凝視する。
だがしかし。
その光の正体に気づくと、カッシーは舌打ちをしながら素早く腰の時任を抜き放っていた。
途端、妖刀が鞘を滑る音に反応し壁という壁に光が灯ると、それらは一斉に少年へと視線を送る。
光の正体――それは魔の眷属が持つ三日月型をした金色の瞳であった。
大きさは子供ほどで、金色の眼と耳元まで裂けた口、そしてやたら尖った長い鼻。全身に毛はなく爛れた紫色の皮膚が露になっており、背中には大きな瘤が一つ突起していた。
その両手の先に伸びた黒く鋭い鉤爪を壁の隙間にかけてぶら下がっているようだ。
何とも悍ましい容姿のその化け物は、壁という壁にびっしりと、まるで蜜蜂のように身を寄せ合って少年を見下ろしていたのである。
―屍鬼の群れだなこりゃ―
何とも嬉しそうにケケケと時任が笑う。
屍鬼、この大陸では『グール』と呼ばれる化け物達は、訪れた生ある者に気づくとやにわにざわつき始めた。
なんつー数だ。ここから上、これ全部化け物かよ――
見上げた壁が満天の星空のように金色の光を湛えるさまに、カッシーは思わず息を呑む。
と、猿のような咆哮が一度、螺旋階段に響き渡った。
その咆哮を皮切りに自分達の縄張りを訪れた生ある者に対して、
だが少年の足は止まらない。その闘志も微塵も衰えない。
押し通る覚悟は既にできている。
「ナマクラっ、和音使っていいぞっ!」
―ケケケ、いいのか小僧。あれだけ嫌がってたじゃねえか―
「時間がない。なっちゃんを助けたい。それに――」
―あん?―
みんなで帰るんだっ!
もう泣き顔は見たくないから!――
刹那。
それはまるで光の繭のように、少年の周りに弧を描いて現れると、あっという間に群がった化け物達の身体を切り伏せた。
数瞬後、退魔の刃によって黒い砂へと帰した
―急いでんだろ? 少し飛ばすぞっ!―
「ああっ!」
妖刀の意思と力が四肢に漲ってくるのがわかる。退魔の技法『和音』が発動したのだ。少年の意思を離れ動き出したその身体は、数倍に向上した身体能力によって縮地の勢いで走り出した。
と、またもや響き渡る猿叫。
先陣を切って襲い掛かった仲間が、あっという間に黒い砂へと帰した事に狼狽の色を浮かべていた
―もう後戻りはできねえぞ、いいんだな小僧?―
「何もできなくて失うよりましだ!」
歩みは止めない。迷っているうちに誰かを失うのは嫌だ。
後悔するのはもっと嫌だ。
だから、憂うな! 惑うな! 怯むな!――
不退転の闘志を燃やし、カッシーは未だ見えぬ階段の終着点を求め闇を睨みつけた。
―ケケケ、雑魚はすっこんでろ!―
「邪魔すんなっつのバカザルども!」
迫る
♪♪♪♪
同時刻、コルネット北の物見塔――
訂正しよう。
そこは北の物見塔
内堀の水は蒸発し、風化しかけていた連絡橋も、そして物見塔も、つい先刻空へと放たれた
禍々しき閃光の直撃を受けた氷の大蛇の姿など当然ながら跡形もなく、その瓦礫の山に動く者はただ一人――
即ち、
左足を引き摺り、右肩を押さえながらよろよろとエリコは一歩、また一歩と瓦礫を踏みしめる。
そのだらりと下がった右手には、親友より預かった銀の細剣が握りしめられていた。
一歩足を踏み出す度に脇腹から激痛が走る。それでも歯を食いしばり、彼女は黙々と歩いた。
やっとのことで到着した北の物見塔であった瓦礫の残骸を見上げると、エリコはその頂き目指して足を踏み出す。
だが踏み出して早々、瓦礫に足を取られ、彼女はもんどりうって転倒した。
息が苦しい。目が霞んできた。
それでも約束は守らなくてはならない――
「あーもう……恰好悪いったらありゃしない。アンタのせいだからね、覚えてなさいよチョク!」
一人恨めしそうにそう呟き、エリコは荒い息を何度も繰り返しながら這うようにして登っていく。
やがてその瓦礫の山の頂へと到達すると、彼女は握りしめた細剣を杖のようにして身体を支え立ち上がる。
思わず天を仰いだ。
解けてしまい肩まで下りた栗色の髪が風に靡く。
開放した紅い力の余韻で未だ爛々と紅く輝く瞳に映ったのは、既に天高く昇り、見る者に不安を抱かせる程に紅く染まった満月だった。
禍々しい月だ。でも綺麗……何故だろう、とても落ち着く色だ――
小さく息を吸いながらエリコは視線を降ろすと、古城を一望する。
中央に角のように伸びる塔の頂き――そこに集まり始めている魔力を感じ取り彼女は双眸を細めた。
風が止む。
右手に握りしめていた細剣をゆっくりと掲げると、エリコは最後の力を振り絞り頂きへと突き立てた。
「大分遅くなっちゃったわね……ごめんみんな……後は……任せたわ」
仄かに青白い光をその身に灯しだした細剣を満足気に見届けると、紅き鷹の王女はそう呟いて目を閉じる。
ゆらりと後方へと傾いた彼女の身体は、そのまま崩れ落ちると、滑るようにして瓦礫の山を転がっていった。
♪♪♪♪
コルネット古城一階、隠し礼拝堂――
亜衣の瞳が、青白い光を反射してキラキラと光る。
床に浮かぶ城の地図を祈る様に見つめ続けていた彼女は、やにわに北の物見塔の上に灯った仄かな光に気づくと、そのぱっちりした目をごしごしと擦って二度見していた。
やがて彼女は満面の笑みを浮かべながら先輩達を振り返る。
「ついた! つきましたっ!」
歓喜に満ちた後輩の声を聞き、まるで動物園の白熊のよう落ち着きなくパイプオルガンの前を往復してなつきは、飛ぶようにして地図へと駆け寄った。
そわそわと爪先で床をノックしながら座っていた阿部も、何度もチューニングをしながら気を紛らわせていた柿原も足早にやってくる。
そして一斉に亜衣の後ろから地図を覗き込むと、北の物見塔に浮かび上がった青い光を確認して顔を明るくした。
刹那、最凶のコンミスは踵を返すと、奏者席で足を組み物思いに耽る吸血鬼を振り返る。
「シンちゃん!」
「パーフェクトだ。それでは我らが魔曲を披露する
興奮気味のなつきの言葉を受け、シンドーリは黒い外套を翻しながら立ち上がると右手を掲げた。
パチンと彼の白く長い指が弾かれると、その指先から心臓の鼓動のような波紋が生まれ、それは瞬く間に城全体へと広がっていく。
「ナツキ君、それに皆もだ。祭壇にあがりたまえ、演奏用の椅子を忘れずにな?」
器用にウインクしながらそう言うと、やにわにシンドーリは掲げていた右手を勢いよく振り下ろした。
短い気合と共に床へと叩きつけられた吸血鬼の掌は、紅い魔力を迸らせながら一つの記号を生み出していく。
なにこれ、ト音記号? 確かこっちの世界じゃ宗教的な意味合いを持つ記号じゃないっけ? それを吸血鬼が描くってどういうことよ?――
はたして、それは元の世界で何度も見た事のあった音楽記号。紅い光で床に描かれたその記号を凝視して、なつきは息を呑んだ。
時間にしておよそ数十秒。やがて一陣の風と共に、床に描かれていた記号が姿を消す。
靡いていた黒い外套がゆっくりと床に舞い降りると、シンドーリはゆっくりと顔をあげた。
礼拝堂は以前と変わりない厳粛かつ壮言な静寂を取り戻す。
だがそこに漂う空気だけは、それまでとは異なっていた。
奇妙な程に張り詰め、そして澄み渡っている――
そんな表現がしっくりくる空気の質の変化を感じ取り、阿部は周囲を見渡しながらふむりと唸る。
「結界は張り終えた。さて諸君、幕を開けようか」
そう言って立ち上がった伯爵に誘われ、四人の奏者は無言で頷くと各々楽器をもって祭壇へと上がった。
と、神器の使い手達が準備を終えるのを確認すると、シンドーリはパイプオルガンに歩み寄る。
「シンちゃん? 何する気?」
訝し気に片眉をあげて尋ねたなつきに対し、銀髪の吸血鬼は不敵に笑うと鍵盤の脇にあったレバーを下げる。
そして鍵盤に指を添えたかと思うと、唐突に礼拝堂へとパイプオルガンの音色を放ったのだ。
響き渡ったのはCメジャー。その和音がまるで合図だったかのように――
刹那。四人を乗せた壇がゆっくりとせりあがっていく。
「何よこれ……ちょっとぉ、どうなってんの?!」
「せっかくの演奏なのだ。それなりの華がなくては寂しかろうよ」
興奮しながら尋ねたなつきに対し、シンドーリは口の端から尖った犬歯を覗かせながら微笑を浮かべてみせる。
歯車の音を立てながら、まるでリフトのように高所へと昇ってゆく祭壇をまじまじと見下ろし、柿原も亜衣もそして阿部も絶句していた。
やがてぱっくりと左右に開いた天窓の外まで昇り詰めると、祭壇は地鳴りのように一度その身を揺らした後に動きを止める。
と、何とも度肝を抜かれるギミックに呆然としていた四人は、やにわに視界に広がった光景にまたしても言葉を失い、感嘆の溜息を漏らした。
例えるならば、そこは空の
雲一つない夜空に浮かぶ満月の光によって照らされた、死の古城が一望できる礼拝堂の頂きであった。
「凄い……こんな仕掛けが礼拝堂に?」
「てかよくこんなギミック作ったねえ、これ伯爵が自分で?」
「フッ、それは親友からの粋な贈り物だ。で、気に入ってもらえただろうかナツキ君?」
「……ええ、超気に入ったわシンちゃん」
ぽかんとしながら視界一杯に広がる景色を眺めていたなつきは、聞こえてきたシンドーリの声に我に返ると、満足気に笑いながら振り返る。
それは恐悦至極だ、神器の使い手よ――仰々しく胸の前に手を添えながら銀髪の吸血鬼は彼女に向かって頭を垂れた。
と――
「先輩、あそこ!」
緊張した声色で皆を呼んだ亜衣に気づき、なつきは振り返る。
険しい表情を顔に浮かべ、一点を指差していた少女の視線を辿った彼女の眼に見えたのは、今いる祭壇よりもさらに天高く聳える塔の頂上だった。
距離にして直線でおよそ七十……いや八十メートル。その頂きで揺らめく黒い炎が見える。
間違いない。
あそこにマダラメが。
あそこになっちゃんがいる!――
途端、苛烈な怒りと復讐の光をその瞳に携え、なつきは弓を握る手に力を籠めた。
「リッチの若造め、いよいよ始めたか」
「なつき、うちらも早く始めよう♪」
「わかってるっての! まったく、散々っぱら待たせてくれたじゃないカッシー達さぁ」
チューニングはもう十分過ぎるくらい完了している。
促すようにそう告げた柿原に、いつも通りキレ気味に返事をすると、なつきは愛用のヴァイオリンを顎に挟み四本の弦にそっと弓を乗せた。
柿原と亜衣も椅子に腰かけ各々チェロとヴィオラに弓を添える。
最後に抱えるようにしてコントラバスを構えた阿部が目で合図を送ると、音高最凶のコンミスは強気な笑みを浮かべながらシンドーリを見上げた。
さあ
その視線を受けて、シンドーリは不敵に嗤う。
そして懐から柄の先に髑髏のついた
「ブリリアント! 月下の舞台は整った……それでは死人達の踊りを彩ろうか諸君」
刹那、銀髪の吸血鬼が振り下した
神器の使い手達が奏でる交響詩『死の舞踏』は、その調べを古城中へと響かせ始めたのであった。
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