第八章 時間を止めずに駆けてゆけ

その21-1 レッドアイ

コルネット古城 王の間――


 空を覆っていた紅い閃光はやがて収まり、闇夜が戻ってくる。

 思わず身を竦ませるような凄まじい衝撃音と激しい揺れも、全てが幻であったかのように消え去り、王の間は再び静寂に包まれていた。


 その場に座り込み、呆然とその閃光を眺めていたなっちゃんはゆっくりと立ち上がる。

 そして恐る恐る窓辺に歩み寄ると外の様子を窺った。

 閃光の影響か僅かに残っていた雲も霧散し、見事に晴れ渡った夜空には、古城に伸し掛かるかのようにして煌々と光る満月の姿が見える。

 その月が妙に紅く感じられて、少女の胸は不安に締め付けられた。


 今の光は一体なんだったのか。

 もしやカッシー達が?――


 そっと窓に触れてみる。

 硝子は紅い閃光の余韻を残すかのように仄かに熱を帯びていた。


 と――


「お待たせレナ。準備は整った――」


 不意に耳元で囁くように聞こえた悍ましい声に、なっちゃんは短い悲鳴をあげて息を呑む。

 意を決して振り返った少女のすぐ目の前で、その声の主である死神は歓喜と期待でいびつに顔を歪ませていた。

 

「今行くよ。器を持って君を迎えに行くよ! クキキ……クキケケケケ!」


 金色に輝く瞳を狂気に染めながら悍ましき笑い声を響かせると、マダラメは法衣を翻した。

 凍りつくようにその場に立ち尽くしていた少女の視界がその法衣によって覆われる。

 

 刹那、彼女の意識は闇に呑みこまれた。

 

 

♪♪♪♪

 

 

 同時刻。

 コルネット古城、大広間――


「おーい、なんだ今の光は?」


 時間にして、ものの数十秒程だったであろう。

 敵も味方も戦いを忘れ、ただただ呆然と見上げていた紅い閃光が消え去ると、開口一番こーへいは呟いた。


 んなもんこっちが聞きたいくらいだっつの――

 同じく有り得ない光景を目の当たりにして動きを止めていたカッシーは、聞こえてきたクマ少年のその呟きで我に返ると、心の中で突っ込む。


 だが何かが起こっている。それだけは分かる。

 マダラメか? それとも三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズか? はたまた未だ姿が見えないあの二人か?

 いずれにせよ少年の脳裏に浮かぶのは吉兆ではなく、妙に胸騒ぎのするよからぬ顛末であったが。


「クックック――」


 と、やにわに籠った含み笑いが聞こえてきて、カッシーは息を呑みつつ正面を向き直る。

 はたして見据えた先で、仮面の男が俯き気味に肩を揺らし、至極満足そうに笑っているのが見えて、我儘少年は不可解そうに眉根を寄せた。


「ボケッ! 何笑ってんだ!?」

「まさかこんな所でレッドアイの所有者を発見できようとは……これは死神に礼を言わねばならん」

「何言ってんだよおまえっ!?」

「少年、すまないが用事ができた。勝負はお預けとしよう」

「……はあ!?」


 ちょっと待て、いきなり何言ってんだこいつ?――

 唐突な男の宣言に思わず動きを止め、カッシーはやにわに素っ頓狂な声をあげる。

 だがそんな我儘少年になんら構わず、仮面の男は構えを解くと涼しい音を立てて双剣を鞘に収め、踵を返した。

 その身から迸っていた威圧的な闘気が消えてゆく。

 と、一歩踏み出そうとした足を止め、男は上半身をカッシーへと向けた。

 

「少年、名を聞いておこう」

「ざけんなボケッ! 人の名前を聞きたきゃ自分が先になのれっ!」

「……威勢のいい奴だ、まあいい。私の名はベルリオーズ」


 呆れたように仮面の奥で苦笑して男は名乗る。

 また音楽に関係あるのかよ、いい加減もう慣れたけどさ――偉大な作曲家の名を口にした男に対し、カッシーは辟易したように喉奥で唸った。


「で、お前の名前はなんという?」

「……柏木悠一」

「ほう――これは一体何の因果か」

「?」


 一瞬であるが当惑の様子を見せたベルリオーズを、カッシーはうさん臭そうに睨みつける。

 しかし仮面の男はすぐに元の佇まいに戻ると、少年に背中を向けて歩き出した。


「まあいい、また会おうユーイチ=カシワギ」

「おい待て、どこ行く気だ!」

「答える義務はない」


 その言葉を最後に、仮面の男ベルリオーズの姿は闇に溶けるようにして大広間から消え去る。

 嵐のような驚異が完全に姿を消すと、カッシーは知らぬ間に額に吹き出ていた汗を拭って、大きく息を吐いた。


 助かった――って言っていいのだろうか。正直言えばほっとした。

 しかし、なんなんだよあいつ。勝手に絡んで来て勝手に去っていった。

 人を食うにもほどがあるだろ――

 と、相手の行動を思い返して途端怒りが込み上げてきた我儘少年は不機嫌そうに口をへの字に曲げる。

 

「なんつー我儘な奴だ」

「おーい、それお前が言うのか?」


 思わず本音を漏らした少年に対し、傍らにいたこーへいが即座に突っ込んだ。

 

「けどよー? あいつなんだか急に様子が変わったよなー?」

「……なんだよレッドアイって?」


 こんな所でレッドアイの所有者を発見できようとは――

 確かあいつはそう言っていた。そして急に態度が変わったのだ。

 憮然とした表情でベルリオーズが消えていった空間を見据え、カッシーは誰にともなく呟いた。


「恐らくは王女のことかと――」


 と、その呟きに反応して戻って来た声に、カッシーは意外そうに振り返る。

 常に眠そうに半目をしていた放任主義の教育係のその顔は、珍しく焦るようにして剣呑な表情を浮かべていた。

 何だよその顔――カッシーは意外な表情を浮かべていたサイコを見つめ、眉を顰める。


「サイコさん?」

「いかん、来るぞ!」


 と、同時にヒロシの切羽詰まった声が皆に警戒を促し、刹那、大広間に壊れたチューバの大合奏が再び轟いた。

 一難去ってまた一難。紅い閃光を惚けるようにして見上げていた不死者アンデッド達が、その活動を再会し、こちらへ大挙して押し寄せてくるのが見えて、カッシー達は表情を強張らせる。

 

「致し方なしか……いくぞヨシタケ」

「上等よ! 逃げてばっかでイライラしてたんだ、派手に行くぜぇ!」


 やるより道はない――意を決して各々構えると、ヒロシとヨシタケは不死者の大群へ突撃を開始した。

 彼等に続いて迎撃に加わろうと腰に差していたヌンチャクを引き抜いて東山さんは足を踏み出す。

 だが、そんな少女の前に手を差し出し、その突撃を制する人物が一人――


「なりません、加勢は無用でございます」


 それまで聞いた事のない厳しい口調で少女を制し、サイコは首を振ってみせた。

 何故止める?!――刹那戦闘を開始したヒロシとヨシタケを見つめた後、目の前に差し出されたその手を辿って、もどかしそうにサイコを向き直ると、東山さんは眉間にシワを寄せる。

 だがサイコはそんな少女の視線を真っ直ぐに受け止めて、諭すようにもう一度首を振った。


「あなた達には他にすべき事があるのでございます」

「すべき事?」


 と、言葉を繰り返した日笠さんに向かって一度頷き、サイコは神妙な顔つきで大階段を振り返る。

 そしてその先に見えた両開きの扉を見上げ双眸を細めると、意を決したように話を続けた。

 

「――作戦変更です」

「え……?」

「ここは私どもで食い止めます故、あなた達は王の間へ向かうのでございます」

 

 作戦変更。そう前置きをして彼女が言い放った言葉を聞き、神器の使い手達は一様にきょとんとする。

 彼女は今なんて言った?――と。


「待ってくれサイコさん、王の間へ向かえって――」

「まだ王女さん達が来てねーだろ?」


 そうだ。まだ北の物見塔へ向かったエリコ達の姿が見えない。

 それどころか死の舞踏すら始まっていないのに、作戦の中核をすっ飛ばして王の間へ迎えってどういうことだ?

 作戦変更の意図がわからず、カッシーとこーへいは口々にサイコへ反論した。

 しかしそれでもサイコは表情一つ変えず、凝視していた階段上の両扉から二人へと視線を戻すと、じっと彼等を見据える。

 

「恐らく王女とミヤノ宰相補佐は間に合いません」

「なんでそんな事が分かるんですか?」

「先程の紅い閃光、レッドアイでございます」

「レッドアイ……?」


 と、またもや繰り返した日笠さんに向かってサイコは再び頷いてみせた。

 だが剣呑な表情を顔に浮かべ話を聞いていたカッシーが口開き会話に割って入る。


「さっきのあいつも言ってたけど、なんなんだよレッドアイって」

「貴方様も何度かご覧になったことがございましょう。王女の瞳が、時々紅く光る光景を」

「ああ、そりゃあ何度か――って、ちょっと待て! まさか――」


 もしや?と、ピンときた我儘少年は目を見開いて言葉を詰まらせた。

 はたして、サイコはその通りと肯定するようにピースマークを突き出す。

 

「レッドアイとは、王女の身体の中に眠る大いなる『紅き魔の力』のことでございます」

「おーい、マジか。んじゃさっきの紅い閃光は王女さんが?」

「さようで」

「ドゥッフ、ウソデショー? あのチンチクリン、そんなパワーもってタノー?」

「普段は暴走しないよう制御しておりますので」

「制御?」

「レッドアイは諸刃の剣、使い方を誤れば全てを壊す破滅の力になりかねません。故に私の師が封印したのですが――」


 封印は自己暗示に近いものだ。所謂、精神防壁処置――表層意識下でレッドアイの力を暴走させないよう抑止する封印だった。

 それでも感情の昂ぶりに反応し、時折その大いなる紅き力は表に現れて、彼女の目をルビーのように輝かせるのである。


「封印は完璧ではないのでございます。王女が生命の危機に瀕したり、極端に感情が昂ぶったりした時に沸き起こる本能的衝動は封じる事ができません」

「じゃあつまり、さっきレッドアイが発動したということは――」


 顎に指をあて思考を巡らせていた東山さんがはっとしたように尋ねる。

 と、サイコは小さく顎を引いて頷くと、珍しく憂う様に双眸を細めた。


「恐らくは、窮地に陥っているのかと――」

「そんな……」


 予想していた言葉が彼女の口から聞こえて、音高無双の少女は眉間のシワを深く刻む。

 初耳だった。あのお騒がせ王女がそんな力を持っていたなんて。でも何故、彼女はそんな力を持っているのだろう――

 と、二の句が継げず静まり返った一同を、骨龍ボーンドラゴンの咆哮が襲った。

 はっとしながら一斉に向き直った少年少女達の視界に、その咆哮に怯まず、逆に鬨の声をあげてドラゴンに飛び掛かるヒロシの姿が写り込む。

  

「もう一度言うのでございます皆さん――王女を待っていては間に合いません。貴方様方は先に王の間へとお向かいください」

「おーいマジか? 俺達だけでかよ?」

「さようでございます」


 苦渋の決断。しかし現状囚われた少女を助けるにはもはやこれしかない。

 有無を言わせぬ決意を秘めた口調で、サイコは敢えてゆっくりと言葉を紡ぎ、少年少女達を一瞥した。


 拳を握りしめ、我儘少年は両扉を見上げる。

 先刻と変わらぬ禍々しい妖気を内側から漂わせながらそれは佇んでいた。


 頼り甲斐のある英雄二人はここにいない。

 起死回生の死の舞踏の援護も見込めない。


 それでも目的を果たすには進まねばならない。 

 時刻は既に十一時を回っている。残された猶予は少ない。

 深夜零時を回れば、全ては取り返しのつかない事態となるのだ。


 口をへの字に曲げ、じっと扉を凝視していたカッシーはやがてぽりぽりと頭を掻く。

 そして深い溜息を一度吐くと、その足を一歩階段へと踏み出した。

 覚悟を決めた眼差しと共に。


 と――

  

「待ってください――」


 背後から聞こえてきた、戸惑いが感じられるその声にカッシーは足を止める。

 少年が振り返った先では、皆のまとめ役である少女が手にした樫の杖を握りしめ、サイコを見据えていた。 

 一同が注目する中、未だ迷う様に薄い唇を噛み締めていた日笠さんは、やがて意を決したように言葉を紡ぐ。



「私は……反対です」



 ――と。

 その瞳は憂慮と葛藤の入り混じった複雑な光を灯していた。

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