その19-3 仮面の男
身長およそ六尺三寸。腰に差した一対の剣から見るに、術士ではなく剣士の類か?
それも相当腕がたちそうだ。佇まいに隙がねえしな。黒の法衣の下は恐らく軽鎧か何かだろう。服の膨らみでなんとなくわかる。
不気味なのはあの仮面だ。眼の位置する場所に小さな穴が開いているのみで視界は悪そうだが……表情を捉えることはできねえ。
けど、一体何者だこいつは?――
出し抜けに場に現れた謎の男が放つ異様な気配に時任は思わず唸り声をあげる。
姿を現すまで気配を特定することができなかった。
いけ好かない夜叉のように妖気を自在に消す輩もいるが、目の前の男はそれともまた違う。
『混ざり過ぎている』――そんな表現がぴったりくる気配だったのだ。
男のその身から溢れ出す気配は、達人が持つ『錬気』であり、魔の眷属が帯びる『妖気』であり、そしてその妖気の裏に見え隠れする得体の知れない、さらに悍ましい何かの『力』だったのだ。
人の形をしているが人でなく、かといって魔の眷属の持つ妖気を放ちながらも
力量が計れない、こんな奴は初めてだ。
だが一つだけ言えることはある。
敵か味方かで判断すれば、こいつは『敵』だ――
未だかつて遭ったことのない存在を前に、妖刀の第六感は珍しく警戒を促しはじめた。
「さて困った。力を借りた悲願の研究がようやく実を付けたと連絡があって来てみれば、どうやら死神は先客の歓迎中らしいな」
そんな時任の困惑を余所に男は仮面の奥で不敵に笑うと、どうしたものかと思案するように顎に手を当てる。
と、男が発したその言葉に眠そうな瞼をゆっくりと見開き反応した人物が一人。
「もしや、貴方様はマダラメの手記にあった『協力者』でございますか?」
静かではあるが有無を言わさぬ口調で尋ねたサイコに対し、仮面の男は感心したようにほう――と吐息を漏らした。
「だとしたら?」
「であれば、禁呪とされた失われし文明の技法を知る貴方様は何者でございましょうか?」
「答える義務はない」
男は即答すると、またもや仮面の奥で不敵に笑う。
即座に唾棄する音がすぐ傍から聞こえてきた。
「協力者だぁ? なら敵って事じゃねーかっ!」
難しい話はちんぷんかんぷんだが、これだけはわかる。
このいけ好かねえ野郎は敵だ。敵に決まってんだろ!――
話を聞いていたヨシタケは、額に青筋を浮かべながらギロリと男を睨みつける。
やれやれ――と、敵意剥き出しの熱血青年を向き直り、仮面の男はおどける様に肩を竦めてみせた。
と、痺れを切らした
次の瞬間、乱暴に床を踏み鳴らしたその四肢により、周囲に地震と見紛う揺れが起こった。
まずい、このままでは挟撃だ――
カッシー達は慌てて背後を振り返り各々構える。
だがしかし。
仮面の男は唐突に東の通路目掛けて手を翳し、その身から威圧的な魔力を迸らせた。
突撃を開始しようとした
「少し時間をくれないか不死者達よ。彼等は今、私と話し中だ」
口調は穏やかであるが、それは有無を言わせぬ『命令』であった。
はたして男のその言を受け、今にも生ある者に襲い掛からんとしていた
殺気、怒気、そして負の感情の籠められた魔の眷属に対する絶対的な『威厳』。
やはり只者ではなさそうだ――途端男の身から溢れ出した、肌が痺れる程の威圧を感じ、ヒロシは耐える様にして歯を食いしばった。
彼だけではない。とびっきりの警鐘を鳴らし続ける自分の勘を必死に宥め、こーへいも思わず眉根を寄せる。
やがて大人しくなった
「誤解があるようなので一応弁解させてもらおう。私はあの死神に手を貸しただけであって、
「まだ――とは?」
「今思案中だ。死神に協力すると約束したのは
ピクリと眉を吊り上げ、しかし表情一つ変えずに尋ね返したサイコに対し、仮面の男は渋い声で答える。
「まあここでお前達を片付けて、さらに死神に恩を売るのもいいかもしれんが、正直あの偏執狂は私もあまり好きではないのでね。手を貸したのも利害の一致から――」
そう言いながら男は、その場に居並ぶ『生ある者』をまるで品定めするように一瞥した。
と――
「ん? おまえ……似ているな」
それまでより一段トーンの低い、僅かであるが驚きの混じった声色。
端から順に一行を眺めていた男は、やがてその中の一人に視線を定めてそう呟くと意外そうに唸り声をあげる。
似ている? 誰に?――
白い仮面の向こう側から妙な視線を感じ、日笠さんは思わず身を竦ませながら目をぱちくりとさせた。
だがそんな彼女を庇うように間に割って入った我儘少年が、負けじと眼光鋭く男を睨み返す。
「……いやはや驚いた。お前もか」
「は? 何言ってんだ?」
「何とも奇妙な気分だ。その出で立ち、ヴァイオリンの騎士か?」
「だったら何だっつの!」
と、今度は声のトーンを一段上げて尋ねた男に対し、カッシーは口角泡を飛ばして怒鳴り返した。
「クック……威勢のいい奴だ。面白い、いいだろう」
そう言って苦笑すると、男はやにわに腰に差していた一対の剣を抜き放つ。
涼しい音色を響かせて黒い刀身を露にした双剣が満月の光を反射して鈍く輝いた。
「感じるぞ少年。おまえ私が気に入らんのだろう?」
ゆっくりと手にした双剣のうちの一振りをカッシーへと向け、仮面の男は尋ねた。
黒い切っ先の向こう側に見える白い仮面を真っ直ぐに見据え、我儘少年は下唇を突き出しながら頷いてみせる。
「奇遇だな、私もお前が気に入らない。だから相手をしてやろう」
手にした双剣を胸の前で十字に重ねて男が構えると、それに呼応するように周囲の空気が重苦しく濁りだした。
刹那、男の身体から迸り始めた闘気がまるで嵐のように吹きつけてくる錯覚に囚われ、一同は思わず身を竦ませる。
格が違う――
経験や実力がなくても、眼前に現れたこの男が明らかに異常な力を持っていることは、その場にいる全員が等しく感じ取ることができた。
だがそんな中。
剣呑な表情を浮かべつつ、意を決した我儘少年は男の放つ黒い威圧に耐えながら妖刀を正眼に構える。
そうこなくては――男はくぐもった笑い声を仮面の奥であげた。
「……カッシー?!」
日笠さんは目を剥いて少年の名を呼ぶ。
駄目だ。止めなきゃ。あの男は今までと違う。
死んじゃう。カッシーが死んじゃう!――
涙目になりつつ、日笠さんは必死の形相でカッシーの服を掴んだ。
「相手しちゃだめ! 絶対だめ! やるならみんなで――」
「待たせたな不死者達よ、この少年は私が相手をする。それ以外は好きにしていいぞ」
刹那。
喉奥から振り絞られた少女の言葉を遮るように男の『許可』が下りる。
お預けを食らい、今か今かと待ち構えていた
最悪だ。東からは不死者の大群、西で待ち構えるは謎に包まれた仮面の男。
はたしてどちらを相手に……いや、どちらも相手にせねばならない。
だがどうやって――男と対峙していた一同は各々苦渋の表情を顔に浮かべつつ構える。
と――
「あいつは俺が相手する」
我儘少年はそう言って仮面の男へ向かって一歩前へ出た。
自然と掴んでいた服が手から抜けて、思わず日笠さんはあっ――と、吐息を漏らす。
「カッシー待って! お願い!」
「あいつのせいだろ」
「……カッシー」
「あいつがこの騒動の原因作ったようなもんじゃねーか」
ぼそりと呟くようにそう放たれた少年の言葉は、何故か不死者達が放つ怒号の中でもはっきりと皆の耳に聞こえていた。
はっとして言葉を噤んだ日笠さんだけでなく、皆が彼に傾注する中カッシーは言葉を続ける。
「こいつがマダラメに協力しなきゃ、ホルン村が襲われることもなかった。なつき達があんなに悩む必要もなかった。なっちゃんが狙われることもなかった……人もたくさん死なずに済んだ!」
なのにこいつはこの状況を外側から傍観しようとしている。
あからさまにこの状況を楽しもうとしている。
こいつの、その余裕ぶった態度が気に入らない。
何より、上手く言えないが無性に癇に障るのだ。
「……カッシー」
「みんなは後ろ、頼んだぜ」
有無を言わせぬ口調だった。
ただそれは、先刻男が不死者達に向けて放った、威圧と畏怖による『命令』ではなく。
一度決めたら頑として曲げない、強情張りで頑固者の意地による、単なる『我儘』であったが。
―ケケケ、まったく実力もねえくせに、どうしてそこまで言い切れるかねこの小僧は―
「うるせえナマクラ!」
―本気でやる気か小僧? おまえとあいつじゃ雲泥の差だぞ?―
「わかってんだよそんなこと、でもやるしかねーだろ。いいから付き合え!」
どう贔屓目にみても相手の方が実力が上なのは自分が一番感じている。
だが楽観してるわけじゃない。捨て鉢になったわけではない、自棄になったわけでもない。
ただただ、皆が生き残れる道を進もうとしただけだ。
少しでも可能性があるなら前に進んでやる。足掻いてやる――
カッシーは男を威嚇するように、久々に『い゛っ』と歯を剥き出し時任を握る両手に力を籠めた。
かくして、少年のその構えと共に方針は確定する。
本領を発揮した我儘少年に対し、呆れる様に溜息を吐きつつも一同は意を決して踵を返していた。
かたや、黒い法衣をなびかせ、豹の如くしなやかに黒い双剣を構える仮面の男に向けて。
かたや咆哮をあげて迫りくる不死者の群れに向けて。
無謀ともいえる生ある者達の足掻きが始まる
かに見えた――
気合いと共に踏み出されたカッシーの足が不意に止まる。
突如として大きく揺れ始めた大広間を見上げて。
「おーい、なんだ一体?」
「……地震?」
一体何が起こっている?――
生ある者達だけでなく、仮面の男も不死者達も、戸惑うように動きを止め周囲の様子を窺っていた。
刹那。
広間の窓が一斉に砕け散り、無数の硝子の破片を内側へと降り注ぐ。
何事か?――思わず身を竦ませながら、一同が見上げた先に見えたものは――
大爆音と共に、昼間の如く夜空を照らす深紅の光であった。
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