その19-2 招かざる客達

コルネット古城一階大広間――


 かつて訪れた蒼き騎士の国の城には劣るものの、そこには訪れた者に敬意と畏怖を抱かせる巨大な空間が広がっている。

 燭台、タペストリ、絨毯、肖像画。大窓から差し込む冷たい月光が照らすそれら装飾品は、もう随分と長い間人の手が入っていないことを物語るように朽ち掛け、あるいは色褪せていた。

 その部屋の中央より、真っ直ぐに伸びる大階段の初段に腰かけていた我儘少年は、徐に立ち上がると浮かない表情で階段の先を見上げる。

 三階ほど貫いて掛けられた大階段の終点には、両開きの扉が存在していた。何者の侵入も拒むように閉じられたその扉の先からは、素人である少年の目にも判るほどに禍々しくそして重苦しい空気が漏れ出している。


 あの先にいる。死神がいる。囚われた仲間がいる――

 今すぐにでも扉を開けて飛び込みたいという衝動を抑えカッシーは拳を握りしめた。


「カッシー?」


 と、そんな自分を諫める様に投げ掛けられた呼び声に反応しカッシーは踵を返す。

 そして傍らに腰かけていたその声の主を見下ろした。


「日笠さん、今何時かわかるか?」

「また? これで四度目だよ?」

「いいから教えてくれ」


 被せ気味に先を促した我儘少年に対し呆れたように眉根を寄せると、仕方なく日笠さんは右手に付けていた腕時計へ目を落とす。


「……十時四十分」


 時計の針がさしていた時刻を告げると、すぐさま苛立ちを含んだ唸り声が頭上から聞こえてきた。

 日笠さんはやれやれと溜息を吐きカッシーを見上げる。


「少しは落ち着いたら? さっきも聞かれたけど、あれから十分も経ってないでしょ?」

「あいつら何やってんだ? いくらなんでも遅すぎだろ!」

「カッシー、声が大きい」


 と、声を荒げた少年に対し、日笠さんはしずかに――と口に指をあてた。

 うっ、となりながらカッシーは慌てて口を閉ざす。そして日笠さんの膝元に横たわって眠る音高無双の少女の様子を、探るようにしてそっと覗き込んだ。

 どうやら目を覚ました様子はないようだ。

 小さな寝息を立てながら胸元を上下させる東山さんの姿が見えてカッシーはほっと安堵の吐息を漏らす。

 そんな彼の視線を追って同じく見下ろした日笠さんは優しく微笑むと、そっと東山さんの頭を撫でた。

 そして懸念するように表情を曇らせ、じっと大広間の様子を窺うように一瞥する。

 

「でも確かに遅すぎるよね……」

 

 初めにここについたのが、こーへいとサイコの北西の角組。特に何の問題もなく無難に支柱を完成させたようだ。

 次に到着したのが自分とカッシーの南西の角組だった。

 それからしばらく間が空いて、南東の角組であるヒロシが気を失った東山さんを背負ってやってきたのがつい先刻。

 広間に到着したのは以上三組。作戦開始から既にかなりの時間が経過しているにも拘らず、まだ到着していない組がいるのだ。

 彼の焦りもわからないわけではない――日笠さんは焦る少年に向けて宥めるように首を傾げてみせた。


「かのーとヨシタケさんはともかくよー、エリコ王女とチョクさんまで遅いのはちょっと気になるよなー?」


 階段から少し離れた床に胡坐を掻き、暇を潰すように煙草を吸っていたこーへいが、日笠さんの後に言葉を続ける。

 と、カッシー達のやや上段に腰を降ろしていたサイコも、読んでいた本を閉じ同意するように頷いてみせた。


「道に迷って遅れているとは考えづらいのでございます。昼間と比べ不死者アンデッドの動きが活発になっているようです。足止めを喰っていると考えるのが妥当かと」


 確かに彼女の言う通り、昼間と比べて不死者アンデッドの挙動が変わっていることはカッシーも感じている。

 まるで自分達を捜しているような動きが見て取れるのだ。事実、この大広間にもおよそ三回ほど骸骨兵スケルトンの一部隊が巡回するようにやって来ていた。

 時任の感知能力によって先手を打てたこともあり、危なげなく迎撃することに成功していたが、更なる襲撃がないとも言い切れない。いつまでもこの大広間に待機しているのは得策とはいえないだろう。

 

「二組とも無事だといいのだけれど」

「んー、どうする? 様子を見に行ってみっか?」

「反対でございます。下手に動いて行き違いになっては元も子もありません。それに移動には敵に発見されるリスクもあります故」


 信じて待つのが良策――そう付け加え、サイコはゆっくりとピースマークを作った。

 彼女の言葉を受け、日笠さんとこーへいはお互いを見合うと残念そうに小さな溜息を漏らした。


 引き続き待機しかないようだ。やはり戦力を分散させたのは間違いだったのだろうか――

 作戦起案者である少年は腕を組み苦虫を噛み潰したような表情を顔に浮かべる。

 

 と――

 悪霊魂レイスに奪われた体力を回復させるため、瞑想するように目を閉じ胡坐を掻いていたヒロシがやにわに目を開き身を起こした。そして鋭い眼光を東に通じる通路へと向け、その身に闘志を漲らせ始める。

 突然立ち上がった彼を見上げ、日笠さんは目をぱちくりさせた。

 

「ヒロシさん?」

「何か来る」


 一言、呟くようにそう言った彼の視線を追って、一同は東の通路に注意を向ける。

 

「敵ですか?」

「わからん、足音が聞こえた。油断するな」


 研ぎ澄ました五感が捉えた微かな足音。

 剣呑な表情を顔に浮かべつつ尋ねた日笠さんに対し、ヒロシはそう答えると皆を庇うようにして階段の前にその身を移した。

 はたして。

 深い闇の支配する通路の奥から、彼の言う通り誰かが駆けてくる足音が聞こえ始める。


 途端、一同の間に緊張が走った。

 時任を抜いたカッシーが後を追うようにしてヒロシの傍らに構えると、同じくやってきたこーへいが手にしたカンテラを通路に向けて翳す。

 徐々に鮮明に、そして徐々に大きくなる足音に、日笠さんは息を呑むと自らの膝元で眠る東山さんを庇うように抱きしめた。

 戦闘はできるだけ避けて余力を残しておきたい。あの扉の先にまだどれほどの敵が潜んでいるのかもわからないのだ。

 とはいえど、やむを得ないこの状況。苛立ちを、焦りを、隠すことなく露にしながらも、カッシーは時任を握る手に力を籠め通路の奥を見据える。

 だが――

 

―小僧、ありゃ敵じゃねえよ―

「ナマクラ?」

―妖気を感じねえ、恐らく人間だ―

「人間?!」


 拍子抜けした様子でそう言った手元の妖刀へ、カッシーは憮然とした表情と共に視線を落とした。

 刹那。通路から影が躍り出たかと思うと、それは回転を伴いながら宙を舞い、一瞬にして間合いを詰めて我儘少年達の前に着地する。



「ドゥフォフォフォフォー! ゴォール!」


 と、人を小馬鹿にしたようなケタケタ笑いと共に。



『か、かのー?!』

「ムフン、お待たせエブリワン」


 聞こえてきた笑い声にはっとなりながら、カッシーは反射的に振り降ろしてしまった時任を慌てて制止させ、その影を凝視した。

 見えたのは案の定、ガッツポーズを決めるツンツン髪のバカ少年の姿――

 襲ってくる脱力感を必死に抑え、皆は一様に深い溜息を吐きながら肩を落とす。

 

「お待たせじゃねーっつの! ビビらせんなこのバカッ!」

「かのー結界は? 剣は刺してきた?」

「ムフン、ちゃんと刺シテキタヨー! ホメテホメテ」


 心配そうに結果を確認した日笠さんに対し、かのーはドヤ顔と共にサムズアップしてみせた。

 よかった、とりあえずちゃんと目的は果たしてきたようだ――

 そもそもこのバカ少年がきちんと作戦を理解しているかが不安だった日笠さんはほっと胸を撫でおろす。

 

「でもよー、時間かかり過ぎじゃね? 何してたんだおまえ?」

「ドゥッフ、俺様のセイじゃないっての! あのノーキンが調子ノリまくって敵の相手するからサー」

「脳筋? そういえばおまえ、ヨシタケさんはどこだよ?」


 と、そこで姿の見えない同じくツンツン髪の熱血青年に気づき、カッシーはかのーの胸倉を掴んで問い詰めた。

 かのーは大きな鼻息を一つ吐くと、たった今通って来た東の通路を親指で指してみせる。

 

「今オミヤゲ連れてやってくるヨー」


 ――と。


「おみやげ?」

「……またやってくれたわねかのー」


 おみやげとはなんだろう、なんだかとっても嫌な予感がするんだけど――

 そう思いつつきょとんしていた日笠さんは、膝元から聞こえてきた声に気づき視線を落とす。さっきまで寝息を立てて眠っていた音高無双の少女は目をぱっちりと開き不機嫌そうに額を抑えていた。


「恵美、もう大丈夫なの?」

「おちおち寝てもいられないわよ。パーカスの時と一緒、また余計なもの引き連れて来てこいつは――」


 ゆっくりと上半身を起こした東山さんは、眉間にシワを寄せ険しい表情でバカ少年を睨みつける。

 よかった、先刻より幾分血色は良いようだ。まあそれはよしとして、今の発言には引っかかる部分がある。

 日笠さんは益々もって沸き起こってくる嫌な予感から顔に縦線を描きつつ、東山さんに向かって首を傾げてみせた。

 

「あの、恵美。『やってくれた』とか『余計なもの引き連れて』――とかって……一体何のこと?」

「聞こえてこない? まだ足音が近づいてきてる」

「え?」

「凄く聞き覚えのある足音――いえ、地響きって言った方がいいかも」


 そう答えつつ立ち上がった東山さんは、東の通路を見据えて腰に差していたヌンチャクを抜き取り構える。

 一同は彼女の視線を追って東の通路を再び向き直った。

 はたして。


 

 ズシン――


 

 と、はっきり揺れた大広間に気づき、日笠さんは目をぱちくりさせる。


 あの……聞き覚えのある『地響き』って、ちょっと待って。

 今のよね? 今のだよね?

 こんなの、たった一つしか覚えがないんですけど?

 もしかして、もしかするの!?――


 直感的にピンと来た彼女は、迷いの森で出会った緑色の巨大生物を脳裏に思い描き、目からすっと光を消して硬直した。

 そのまま口から謝罪の言葉を放出しながら危うく現実逃避しかけたが、すぐに頭を振ってトラウマを掻き消す。

 

「おーい、カッシーこれさあ、なんかすっげーやべー気がするんだけど?」

「その台詞は前も聞いた……」


 何とも既視感溢れる光景だ。勘弁してくれ、まさか『あいつ』がここにいるのか?

 途端パラパラと埃を落とし始めた天井を見上げ、困ったように眉尻を下げたこーへいに対し、カッシーは辟易した様子で返答する。

 『あいつ』――かつてエリコ王女がオーボエの森でそう呼んでいた生物を彷彿とさせるその足音は、徐々に大きくなりつつこちらへと近づいてくる。


 と――。

 

「うおおおおーーっ!?」


 悲鳴と共にまたもや通路から勢いよく飛び出した影が一つ。

 まさに矢の如く、宙を『吹っ飛んで』大広間に現れたその影は床に落下すると、ゴロゴロと転倒しながらこちらへとやってくる。

 やがてその影は広間の中央までやって来ると、大の字に寝転ぶようにして動きを止めた。


「ちくしょう、あのデカブツめっ!」

「ヨシタケさん!」


 やにわに勢いよく跳ね起き、鼻の下を擦りながら悔しそうに唸ったその影を凝視して、カッシー達は一斉にホルン村の青年の名を口にする。

 はたして派手な登場をかました影――ヨシタケは、自分を見て唖然とする一同に向かって明朗快活な笑みを浮かべてみせた。

 

「わりい、遅くなったぜみんな!」

「無事であったかヨシタケ」

「まあなんとかな」

「ムフ、おせーヨノーキン」

「んだとこのガキ! 大体おまえは一人だけさっさと逃げやがって――」

「それでヨシタケ。この音は一体なんなのでございますか?」


 と、再会早々に喧嘩を始めようとしたかのーとヨシタケの会話を遮り、サイコが東の通路を怪訝な表情で見つめながら尋ねる。

 そうだった――と、思い出したように顔を顰め、彼も東の通路を向き直った。


「ああ、そりゃあちょいとデカブツに追われてよ――」

「デカブツ?」


 刹那――

 そう言葉を繰り返したヒロシの問いかけを遮るようにして、東の通路が崩れ、破片を撒き散らしながらその『デカブツ』が広間に姿を現す。


 途端、大咆哮が広間に轟いた。

 その咆哮はまさにオーボエドラゴンあいつさながらの『壊れたチューバのフォルテッシッシッシモ』――

 聴いた者を腹の底から震え竦ませる咆哮を放ったその『デカブツ』は、太い四肢でがっしりと床を掴み、空洞の奥で輝く紅い瞳で一同をめ回す。


 もとい骨だけ、されど骨だけ。

 あーそのなんでだ? あれ、博物館で見る奴ですよね? 恐竜の骨格標本ですよね?

 何 で あ れ が 動 い て ん だ よ ! ?

 通路の幅を約三倍にして豪快に登場した『骨の龍』を見上げ、カッシーは引き攣った笑みを顔に浮かべた。


「――あいつだ」

「なるほど……納得したのでございます」

「やってくれたなヨシタケ……」

「わりいヒロシさん。ちょっとしつこすぎて撒けなかった!」


 トントンと青竜刀で肩を叩きながら、なんとも無邪気な笑みを浮かべたヨシタケに対し、サイコとヒロシは同時に溜息を漏らす。

 北東の角に向かった彼を待ち受けていたのは、大量の骸骨兵スケルトンだった。

 どうやらセキネが暴れた際に空いた穴から外の骸骨兵スケルトンが侵入したらしい。

 

 おもしれえやってやんぜ!――と、居並ぶ死者の大群を前に意気込むヨシタケ。

 メンドクサーイ、あとヨロシク――と、さっそく高場に避難して様子を見るかのー。

 それからおよそ三十分。

 倒しても倒しても、際限なく外から侵入してくる骸骨兵スケルトンにさしものヨシタケも辟易し始めた頃だった。

 咆哮と共に空いた穴をさらに広げてご覧の骨龍デカブツが侵入してきたのは。


 刹那。

 上等! 燃える展開だ、やってやんぜ!――

 と、半ば自棄気味で青龍刀を構えたヨシタケの頭を踏んづけて、バカ少年はようやく一階へ着地する。

 そして頭を押さえて蹲る青年の腰から素早く銀の細剣を抜き取ると、大きく振りかぶって天井に投げたのだ。

 

 ノーキンバカナノー? 目的忘れたノー? 剣刺して終わりデショ! サッサと逃げるディス!――

 

 こんなデカブツの相手など流石に無理!

 本能的にそう悟り、言うが早いが一目散に踵を返して逃げ出したかのーを、ヨシタケは額に青筋を浮かべながら追いかける。

 勿論、喧嘩を売られた相手をそのまま見逃す訳もなく、骨龍ボーンドラゴンは怒りの咆哮をあげつつ追撃を開始したのだった。

 それからはや一時間。

 古城を所狭しと逃げ回っていた二人はようやく大広間に到着し、そして現在に至るという訳だ。


「……かのー君?」

「ムフ、なんディスカー、カシワギクン?」

「あれですか? 君の言ってた『おみやげ』は?」

「ムフ、そうディスヨースゴイデショー?」

「君の『おみやげ』は吠えるんですか? グオーって?」

「ムフ、そうディスヨースゴイデショー?」

「このボケっ! しっかり撒いて来いああいうモンは!」

「ドゥッフ!? ちょ、カッシー苦し……ショーガナイデショー! ノーキンがイチイチ相手にするんダモン!」

「ゴメンナサイゴメンナサイドラゴンコワイ。ユルシテクダサイ――」

「まゆみ、しっかりして!」

「おーい、てかやばくね?」


 ヤカマシイ!――

 そう一喝するかのように、各々緊張感なくどやどやと騒いでいた少年少女達に向けて、再度骨龍ボーンドラゴンが咆哮をあげる。

 同時にその後ろから、カシャカシャと骨の擦れる音を盛大にあげながら、後を追って到着した骸骨兵スケルトンの大群が通路から姿を現した。

 

―ケケケ、こりゃあいい。なかなか手応えがありそうだ―

「おまえは黙ってろ……」


 冗談じゃない。こんなのまともに相手して勝てるかっつの!

 だがまずい。こりゃまずい。何やってんだよエリコ王女達は!?――

 未だこの場に姿を見せないお騒がせ王女の名を頭の中で叫びつつ、カッシーは何とも嬉しそうに笑い声をあげた妖刀を睨み付け、喉奥で唸り声をあげる。


 だがしかし。

 災難トラブルは続く。まだまだ続く。

 疫病神のような女神様に愛された彼等の受難は、これで終わりではなかったのだ。



「これは珍しい……私の他にも客がいるとは――」

 


 刹那。

 西の通路から聞こえて来た新たな声色にはっとなりながら、一同は振り返った。

 

「いや、『招かざる客』かな? この死の城に似合わぬ生の気配を感じる」


 低くそして威圧的な不気味な男の声。

 ぞくりと鳥肌が立つ。なんとも言えぬ嫌な空気が漂ってくる。

 コツリコツリと足音を響かせながら、やがてその声の主は広間に侵入すると、やにわに窓から差し込む月光の下へその身を誘った。


 誰だコイツ?――と、カッシーは目を見開く。

 

 鮮明になったその声の主の正体とは。

 フード付きの黒い法衣で全身を覆い、真っ白な仮面を被った長身の人物であった。

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