その19-1 義侠の王女と不変の忠臣

 コルネット古城、隠し礼拝堂――


「あっ……」


 床に描かれた城の地図の一画に光が灯り、祈るようにしてじっとそれを見続けていた亜衣は吐息混じりに声を漏らす。

 光が灯ったのは南東の角、先輩が向かった先だ。

 よかった、どうやら無事に完了したみたい――ほっと胸を撫で下ろし少女は思わず笑顔を浮かべた。


「南東の角か、委員長とヒロシさんうまく行ったみたいだね♪」


 椅子に腰かけ弓に松脂を塗っていた柿原も、やはり地図上の変化に気づいて顔を綻ばせる。

 これで四つ目。城を囲うようにして灯った光は北東、北西、南西、そして今しがた南東。

 残るはあと一つ、北の物見塔のみだ。

 

「北はエリコ王女とチョクさんだっけ?」

「確かそう」

「でも随分と遅いねえ。いくらなんでも時間かかり過ぎじゃない?」


 と、会話を交わす柿原兄妹に歩み寄り、阿部は心配そうに地図を見下ろしながら呟いた。

 作戦を開始したのが日没より少し後、それから大分経過している。

 当初の予定では、もう結界を張り終え王の前への突撃を始めていてもおかしくない時間だ。

 

「ったく、一本剣刺すだけなのになにやってんだかあの王女様は!」


 長椅子に腰かけ頬杖をついていたなつきは、足をぶらぶらとさせながら声を荒げた。

 そして憂鬱げに眉を吊り上げ、長椅子の手摺を爪先で弾きながら、時々ちらりと地図の様子を眺めては気を落ち着かせるように溜息を吐く。

 大分前から終始この調子なのだ。やれやれと苦笑して柿原は肩を竦める。

 

「あーその、なつき? ちょっとは落ち着いたら?」

「はぁぁぁ? 私は落ち着いてるっての! 何よあんたケンカ売ってんの?」

「はいはい。どう見てもそうは見えないけどね――」

「何 か 行 っ た ?」

「何でもないでーす」


 ギロリと睨んできたなつきに見えないようにぺろりと舌を出し、柿原は表情に懸念の色を浮かべ再び地図を見下ろした。


「でも確かに遅いねあの二人、何かあったのかな」

「……北の橋上から氷の音色が聴こえる。いくさの調べだ」


 無事だといいけど――と、呟いた童顔の少年に呼応するようにして、パイプオルガンの奏者席に腰かけていたシンドーリが目を開く。

 その吸血鬼の言葉に、神器の使い手四名は一斉に彼を向き直ると目をぱちくりさせた。


「戦の調べって――」

「シンちゃんさあ、どういうことよ? もう少しわかるように言ってくんない?」


 ったくこのオッサン相変わらず回りくどいわね――長椅子から身を起こし、なつきは腰に手を当てながらシンドーリを睨み付ける。

 銀髪の吸血鬼は口の端に微笑を浮かべると、髪を掻き上げ怒れるコンミスへ目を向けた。

 

「月夜に踊る幻想的な氷の力の前に、紅き姫君は苦戦しているようだ」

「……だーかーらー! あんたさあ!」

「落ち着いてよなつき。 ねえ伯爵、今のどういうこと?!」

「苦戦って、誰かと戦ってるのかい?」

「伯爵、王女は一体誰と戦っているんです?」


 交錯する闘志と冷たい魔力。

 ひしひしと伝わってくるその気配を感じ取りながら、シンドーリは詰め寄ってきた四人に対し、たった一言こう答える。

 


 禍々しき氷だ――と。



 案の定、ブチ切れて飛びかかろうとするなつきを、柿原と阿部は必死に押さえる羽目になった。

 

 

♪♪♪♪



コルネット古城、北の物見塔連絡橋――


「姫っ! 避けて下さいっ!」

「っ!?」


 幾つもの『氷の槍』を生み出しながら、石畳の上を蛇のように冷気が迸る。

 華麗に着地したエリコは、眼鏡の青年の忠告により迫りくるその冷気に気付くと、続けざまに横へと跳躍し回避を試みた。

 紙一重で躱した冷気はそのまま橋上を走り抜け、彼女の背後にあった連絡橋の入口を凍結させる。

 荒く吐いた息がたちまちのうちに白くなる中、ちらりとそれを振り返って確認したエリコは鬱陶しそうに舌打ちした。

 まったくスケートリンクでも作るつもり?――今しがた氷壁に包まれた入り口だけではなく、橋上、内堀、物見塔と一面氷世界に変わり果てた周囲を眺め、エリコは皮肉めいた感想を頭の中で独白する。


 そして彼女はこの景色を作り出した氷使いを向き直り、苦々しく顔を歪めた。

 カバーするように割って入ったチョクが必死に繰り出す細剣を的確に捌き、キシは不敵な笑みを絶やすことなく虎視眈々と冷徹な一撃を繰り出す隙を窺っている。

 もどかしそうに歯噛みをすると、エリコは鞭を構え再びキシへと突撃を開始した。

 

「くぅぅ、つめてーっ!」

 

 キンキンに冷えきって霜が浮かぶ刀身から、冷気が柄にまで伝わってきてチョクは思わず叫ぶ。

 たった数合斬り合っただけだというのに愛剣のこの冷えよう。まともに食らったら一瞬で氷漬けだろう。

 眼前の氷使いが繰り出す透き通る刃を警戒しながら、チョクは適度に間合いをとって突きを放つ。


 と、氷使いの金色の瞳が鋭く細められる。

 牽制するように放たれたチョクの突きをやにわにキシは右手に構えた剣でいなし、一足飛びで懐に潜り込んだ。

 その動きはまるで獲物を狙って食らいかかる蛇の如く。

 緩急一体、突如間近に現れた氷使いの顔に、ぎょっと怯むチョクの胸倉をキシは無造作に掴む。

 途端冷気がその左手から迸り、ガッシリと掴んだ青年の胸元をみるみるうちに凍結させていった。


 まずい――と、口の端を引き攣らせるチョクに対し。

 ニヤリ――と、口の端を歪ませるキシ。

 

 だがしかし。


「させるかっての!」


 飛ぶようにして二人の間に飛び込んだお騒がせ王女の鞭がキシの左手へと打ち下ろされる。

 氷使いは浮かべていた不敵な笑みを消し去ると、チョクから手を放し、舌打ちしながら後方へと跳躍した。

 

「感謝するッス姫!」

「油断してんじゃない、アンタの氷漬けなんてみたくもないわ」


 ほっと白い安堵の吐息を漏らしながらチョクが礼を言うと、エリコは即座にそう言い返し油断なくキシを睨みつける。

 銀髪の剣士は二人を見据え下段に剣を構えなおしたところであった。


「まったく厄介な相手ね」


 やはり一筋縄ではいかない。十年前あの時以上に手強くなっている。

 まったくもって屈辱だわ――汗一つかいていない涼し気な表情のキシを忌々しそうに見つめながらエリコは喉奥で唸る。

 戦闘開始からどれほど経ったであろうか。午前零時タイムリミットは刻々と迫っているはずだ。

 にも拘わらず、見事に足止めされてしまっているこの状況。

 これ以上時間を費やすのは得策ではない。

 目的を果たさねば――

 

「チョク……」

 

 と、囁くように眼鏡の青年の名を呼ぶと、エリコは腰に下げていた銀の細剣を抜き取り彼へと投げ渡す。

 飛んできたその剣をキャッチしたチョクは、その先に見えた、神妙な顔つきながらも楽しそうに口の端に笑みを浮かべる王女に気づき、即座に首を振ってみせた。


「姫、その作戦は却下ッス」

「まだ何も言ってないでしょ?」

「私がアイツの注意を引き付けるからアンタその隙に支柱を作りなさい――とでもいうつもりでしょう?」


 と、眼鏡を押し上げながら言ったチョクをゆっくりと向き直り、エリコは狐につままれたような表情を浮かべていた。

 そんな彼女をちらりと見てチョクは苦笑する。

 図星ッスか?――と。


 流石は元教育係といえよう。

 彼女が今何を思い、これから何をしようとしているのか、チョクは一瞬で悟っていた。

 勿論その案は却下だ。

 

「十年前とはもう違うんス、ご自分の立場を弁えて下さい」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」

「やるならその役目は俺がやるッス、姫が支柱をお願いします」


 こればかりは絶対譲れない――はっきりとそう言い切りチョクは鼻息を一つ吐く。

 エリコは面倒臭い奴を見るかのような眼差しをチョクへと向けていたが、やがて諦めたように眉間をカリカリと掻くと大きな溜息を吐いた。

 

「わかったわよ」

「わかってくれたッスか姫!」

「じゃあ、せーので一緒に突撃しましょ」

「……へ?」

「あいつが向かってきた方が全力で足止め、もう一人は物見塔にダッシュして支柱を作るってことで――」

「……は? え? え?」


 嬉しそうに彼女を向き直ったチョクは、しかしその後に続けて王女の口から放たれた提案を聞き、すとんと表情を顔から落とす。

 なんでそうなる?――すぐ我に返ると、彼は戦闘中という事も忘れエリコに詰め寄った。


「姫、それはダメッス却下ッス!」

「なんでよ? いいじゃない、アンタと私、お互いの折衷案♪」

「折衷する必要ないでしょう! いいから俺に任せて――」

「あーもう、時間がないのよチョク、ナツミちゃんが危ないのわかってる? 言い争ってる場合じゃないでしょ?」

「うっ、それはそうッスけど……」


 あれ、なんかおかしい。これいつものパターンだ。

 またなんだかんだで押し切られるパターンだ。

 漂い始めた完全論破タイムを肌で感じつつ、それでも食い下がろうとチョクは口を開きかけた。

 だがそんな彼の鼻っ面目掛けて指を突き付け、エリコは先んじてそれを制止する。


「チョク、アンタも偉くなった。私も女王になるかもしれない。無茶ができない身なんてのはわかってる。お互い昔と違うのは十分承知よ」

「……姫」

「でも私約束した。助けると約束したの……だから今はそういうの忘れて私の命令に従いなさい。オーケー?」


 たとえ昔と自分の置かれた立場が異なろうとも、交わした約束は絶対に守らなくてはならない――

 より目になって動きを止めたチョクに向かってそう言うと、エリコは得意げにパチリとウインクをしてみせた。


 こういう方なのだ。今も昔も変わらぬ方なのだ。

 破天荒で行き当たりばったりで、思いついたら即行動。

 トラブル大好きなまさにお騒がせ王女。


 けれど、誰に対しても平等で。

 一度心を許した相手は決して見捨てない。交わした誓いは何があろうと破らない。

 だからこそ、自分はこの方に忠誠を誓ったのだ。

 いずれ女王となる彼女を生涯支えてゆこうと――

 

「あーもう、結局こうなるんだ。仕方ないッスね……」


 ややもって。

 チョクはそうぼやきながら、それはもう大きな溜息を一つ吐くと、意を決したように氷使いを向き直り、愛剣を構える。

 よろしい――と、それを見て満足げにクスリと笑い、エリコも鞭を構えた。

 

「どっちになっても恨みっこなしだからね? いい?」

「とほほ、わかったッスよ……それじゃ――」


 刹那。

 二人の顔つきが一瞬にして変わる。

 それは覚悟を決めた『英雄』と呼ばれる者達の顔――

 

「いくっスよ……てえええっ!」


 やにわに手にした銀の細剣を振りかぶると、チョクは氷使い目掛けてそれを勢いよく投げ付ける。

 キシは驚いたように一瞬眉根を寄せたが、素早く剣を繰り出しその細剣を弾き返した。

 一際大きく、そして澄んだ剣戟の音色が、満月の下奏でられる。


 二人の英雄はその音を合図に、キシへと突撃を開始した。

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