その18-3 好死悪活に如かず
「てっ!」
その脳天を穿とうと
醜悪な紫の肉塊と、それを締め上げる武人の間に強引に割って入ると、少女は力いっぱい両者を突き飛ばす。
背後で聞こえた転倒音を振り返ることなく、東山さんは頭上から降ってきた触手を払いのけると、右手に持っていたカンテラを
硝子の割れる音と共に油が飛び散り、悪霊の肉塊に炎が燃え移る。
途端、体中に浮かぶ人面腫が一斉に悲鳴をあげ、燃え広がる火を消そうと無数の触手がのた打ち回しながら体表をはたきだした。
オノレ、オンナァァァー!
焼け爛れた顔を歪ませて人面腫は少女を睨みつける。
だが東山さんは臆することなくその視線を受け止め、眉間のシワをより深く刻んだ。
「触手に気を付けろ……刺されば生気を吸われる……」
掠れたヒロシの声が背後から聞こえて来て、東山さんは小さく無言で頷くと腰に差していたヌンチャクを抜き取る。
彼女のその動作と、武人の忠告通り醜悪な肉塊が無数の触手を放ったのはほぼ同時であった。
矢のように降り注ぐ触手の群れを見据え、東山さんは無意識に息を吸うと目を見開く。
右脇に挟んでいたヌンチャクを居合のように抜き上げ、少女は眼前に迫った触手を払いのける。
そのままヌンチャクを左脇で右手に持ち替え、返す連撃で二本、三本、そして四本――
旋風の如くヌンチャクを繰り出し東山さんは怯むことなく触手を振り払っていった。
五、六、七、八――
最後の一本は捌き切れず、東山さんは舌打ちしながら半身を捻り、胸を掠めるようにして真横を通過した触手を踏みつけて躱す。
九、十、十一――
徐々に速度を増してゆく触手の連撃に、少女の放つヌンチャクの捌きが劣勢に追い込まれ始めた。
間に合わない。
そう判断した少女は持ち前の動体視力で眉間に迫った触手を見据え、右手を繰り出し触手を掴み取る。次いで迫った触手もヌンチャクを投げ捨て左手で払いのけた。
だが善戦もそこまで。
身を捻り躱そうとした少女の左肩に、健闘虚しく触手が突き刺さる。
「……っ!」
短く詰まった吐息を漏らし、東山さんは苦痛に顔を歪めた。
動きを止めた少女に向かって残る触手が容赦なく襲いかかる。
それでも避けようとした東山さんの身体はたちまちのうちに生気を抜かれ、その意志に反して急速に動きを鈍くした。
「ザマアミロ、バーカ!」
十一、十二、十三――
嘲笑いと共に
吸いつくしてやる。
俯き仁王立ちのまま動かなくなった東山さんを小気味良さげに見下ろしながら、
だがしかし。
やにわに顔をあげた少女のその瞳は未だ闘志を失うことなく、既に勝ちを妄信して醜く人面腫を歪めた肉塊を真っ直ぐに射貫く。
視界が霞む。手足が冷たくなってくる。
それでも私は止まれない。こんな所で立ち止まれない。
あの子を護る。今度は私が助ける番。
そう決めたのだ!
死中求活。いざ――
一瞬の隙をつき、東山さんは自らに刺さった四本の触手をがっしりと掴むと、残りの力を振り絞りそれを引き寄せた。
ばかな?! まだそれ程の力が!?
自分の身が凄まじい力で引っ張られるのに気づき、
刹那。
悪霊の視界から少女の姿が消えた。
どこへ?――と、考えるよりも早く、
限界まで身を捻って屈み、遠心力を乗せて放たれた『音高無双』の
下部から襲って来た凄まじい衝撃により、全身の人面腫から体液を吐き出しながら
あっという間に頂点まで到達したその肉塊は、派手にホールの天井へ激突して醜い悲鳴をあげると、剥がれるようにして落下を開始した。
勿論、少女の反撃は終わらない。
マテ! ヨセ! ヤメテクレ! オネガイダ!
引力に従い落ちる
「節操なくっ――」
醜く響きわたる悪霊の懇願に耳を貸さず、東山さんは捻りながらその身を宙へと誘った。
二回転分の遠心力を乗せて放たれた少女の蹴りが、唸りをあげて落下してきた
「――生気吸ってるんじゃあないッッ!」
ギイイィィヤアアアアァァー?!――
巨大なサッカーボールと化したその肉塊は、三日月に体を歪めながらホールの壁へと激突し、悍ましい破裂音と共に四散するとその動きを永遠に止めたのだった。
再び静寂の舞い戻ったホールに着地すると、東山さんは膝から崩れ落ち荒い呼吸を繰り返す。
何とか勝てた――触手に刺された傷は針程の大きさだったのでそれ程深くない。けれど眩暈が酷い。脚に力も入らない。
生気を吸われたにも拘わらず、無理して力を振り絞った代償は大きいようだ。
と――
「エミ殿……」
背後から自分を呼ぶ声が聞こえて来て、東山さんは大きな深呼吸を一つ吐くと、震える足に力を籠めて立ち上がる。
そしてその声の主である武人を振り返ると、先を促すように首を傾げてみせた。
「何故戻って来たのだ」
片膝をつき立ち上がったヒロシは、少女を憮然とした表情で見つめながら尋ねる。
その問いに少女は黙して語らず、じっとヒロシの目を見つめ返していたが、やがて意を決したように口を開いた。
「貴方の目が、私の知っている人と同じ目をしていたから」
「同じ目?」
「自分のことを顧みない目……その人と会った時と同じ目をしていました」
決意を秘めたその眼差しの奥に、微かに見えた捨身の覚悟――
それはヴァイオリンで会った、かつての蒼き騎士王と同じ輝きをしていた。
そう気づいた時、東山さんの足は自然と歩みを止め、踵を返していたのだ。
止めねば――と。
「義務って何です? どうして貴方はあの化け物を倒すことに拘ったんですか?」
真っ直ぐに武人を見つめ、東山さんは尋ねる。
はたして、ヒロシはその視線に耐えかねるように少女から目を逸らすと無念の表情と共に俯いた。
「あの
「ヒロシさんの?」
「そうだ、カデンツァ第二小隊、隊員四十名――この城に共に乗り込んだ者達だ。
「だから相打ちになってでも倒そうと?」
「そうだ。それが隊長である俺の義務であり……責任だ」
せめて誇り高く戦って死んだ戦士達の魂を解放してやりたかった――
そういうことか、と理由を悟った東山さんが眉間のシワを深く刻む前で、乱暴に床を叩き武人は肩を震わせる。
だが――
「自らの命を軽く見る者に、他人を護ることなんてできない」
静かだが厳しい口調の少女が聞こえて来て、ヒロシは目を見開いた。
そしてゆっくりと顔を上げ、東山さんへと向き直る。
音高無双の少女は、先刻と変わらず真っ直ぐにヒロシを見下ろしていた。
刹那。
「おまえに――っ!」
よろよろと立ち上がると、ヒロシはふらつきながらも東山さんへと歩み寄る。
「お前に何がわかるというのだっ! 俺は何もできなかった! この数十年、ひたすら武の高みを目指し心身を鍛えてきたにも拘らず、部下一人の命すら救えなかった! 護ることができなかったのだ! 挙句こうして自分だけが生き延びている……この屈辱、この無念がお前にわかってたまるか!」
堰を切って飛び出した感情はもはや抑えることはできなかった。
少女の双肩を縋るようにして掴むと、ヒロシは迸る激情を剥き出しにしながらあらん限りの声で慟哭した。
そんなヒロシを黙って見つめ、だが決して表情を変えず東山さんは首を振る。
お前に何がわかる――少女はその通りだと思った。
幸いにもまだ、自分は仲間を失うという悲劇に遭遇していない。
そしてこれから先もそんな目に絶対遭いたくないし、そうなったらどうするかなんて考えたくもなかった。
だから部下を失ったヒロシの気持ちはわからない。
わからないものを上っ面だけの同情で賛同したくもなかったし、慰めるのも違うと思った。
だがたとえ経験がなかったとしても、胸を張って正しいと言えることがある。どれほど高潔で堂々とした『死』であったとしても、無様で惨めでも生き抜ようとする様には遠く及ばないのだ。
即ち、『好死悪活に如かず』――
「責任や義務は、死ぬ事で果たせる程軽いものじゃないわ。貴方はただ逃げてるだけよ」
「貴様っ、言わせておけば――」
「誰かが死ぬことによって報われる者なんていない!」
心の中で見ぬふりをしていたその言葉を真正面からぶつけられ逆上するヒロシに対して東山さんは一喝する。
彼が命を落とせば、きっとエリコ王女やヨシタケさんは同じ思いをするだろう。そして彼を助けて散っていった部下達も無駄死にとなるのだ。それを『責任』や『義務』を『果たす』ことと同義であるなど、少女には到底思えない。
痛い程に鎖骨に食い込んでくる彼の手をそのままに、揺らぐことのない信念を灯した彼女のその双眸は、射貫くように武人を見据えていた。
威風堂々自分に向けられた少女の眼差しに気圧されてヒロシは言葉を詰まらせる。
「ここで見てると思ってください」
そう言って東山さんは双眸を細め、ヒロシの胸を指差すと表情を和らげた。
「見ている? 俺の胸で?」
「そうです、貴方の部下達が」
「……」
「彼等に胸を張れるような生き方をして下さい。それが貴方の……隊長としての……義務――」
そこまで言って、やにわに目を閉じた東山さんの身体はふらりと傾いていった。
膝から崩れ落ちるようにして倒れた少女の身体を肩に置いていたその手で受け止め、ヒロシは目を見開く。
気合で踏ん張っていたが、どうやら限界が来たようだ。
白く血の気を失った肌にうっすら汗をかきながら、音高無双の少女は静かに胸を上下させ眠っていた。
「エミ殿……」
ヒロシ、アンタの部下はここにいる。ここでアンタを見てるわ。
まだアンタはカデンツァの部隊長なの。わかる? だから隊長の名に恥じぬ振る舞いをしなさい――
異口同音、奇しくも主である紅き鷹の王女と同じ言葉を告げた腕の中の少女を見下ろし、ヒロシは唇を噛み締める。
と――
ホールが仄かに明るくなったことに気づき、ヒロシは顔を上げる。
見上げたホールでは、無数の輝く球がまるで蛍のように淡い光を灯しながら宙を漂っていた。
「……お前達なのか?」
幻想的なその光景を見つめながらヒロシは呟く。
武人のその問いかけに応えるようにして、光の球群は点滅を繰り返していた。
だが、やがて一際眩い光をその身に灯すと一斉に天へと昇っていく。
わかった。
どんなに無様でも生きて汚名を
それこそが、俺に課せられた義務なのだな――
再び闇へと包まれたホールの中、しばしの間余韻に浸るようにして天井を見上げ続けていたヒロシは、やがて目元を拭うと立ち上がる。
少女を抱え身を起こした武人のその瞳は、新たな決意と闘志を灯し光輝いていた。
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