その18-2 果たすべき義務

三十分後。

コルネット古城一階、南東の角付近―


「てええええーっ!」


 疾風怒涛。

 気合の入った掛け声と共にスピードの乗ったヌンチャクが振り下ろされると、軌道上にあった骸骨兵スケルトンの頭蓋が派手な音を立てて砕け散ちる。

 頭部を失った胴体がぐらぐらと揺れながら倒れるのを視界の端で確認しつつ、東山さんはヌンチャクを引き戻し、右脇の下で左手に持ち替えた。

 そして素早く振り返ると、背後に迫ってきていた骸骨兵スケルトン目掛けて次なる一撃を放つ。

 裏拳の要領で繰り出された少女のヌンチャクは、正確に新手の側頭部を打ち付けて見事にそれを破砕した。

 と、彼女の死角をカバーするように猛獣の如く飛び出した巨体が残る骸骨兵スケルトンに襲い掛かる。


「っはあっ!」


 一撃必殺。

 踏み込んだ丸太のような脚が地を揺るがし、同時に繰り出されたヒロシの体当たりが三体の骸骨兵スケルトンを一気に吹き飛ばした。勢いよく空に散った骨の群れは、哀れ壁に激突して粉々となる。

 刹那、お互い死角をカバーするように背中合わせで構えると、東山さんとヒロシは周囲を一瞥した。

 舞い戻った静寂の中、動くのは自分達二人のみ。敵影は見当たらない。


「……なんとか倒せましたね」


 ようやく構えを解き吐息をつくと東山さんは涼しげに額の汗を拭った。


「敵が多くなってるような気がしません?」

「同感だ。昨日までより活発になっているようにも見える」


 少女の言葉に深く頷きヒロシは同意する。ここまで来るのに既に四度ほど敵と遭遇していた。

 いずれも骸骨兵スケルトンの群であったが、昨夜までと比べて明らかに城内を徘徊する不死者アンデッドの数が多いのだ。

 それもまるで巡回するように、周囲を警戒しながら移動をしているのである。

 

「マダラメめ、我等の始末に本格的に乗り出したということだろうか」

「私達の作戦に気づいた訳ではないといいのだけれど――」


 いずれにせよ敵の警戒がさらに厳しくなる前に、王の間を目指さなくては――

 東山さんは眉間にシワを浮かべつつ、決意新たにヌンチャクをしまう。

 と、そこで彼女は自分に向けられていたヒロシの眼差しに気づき、不思議そうに首を傾げてみせた。

 

「あの、なんですか?」

「……他意はないのだが、聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

「血縁者に『ムロイ』という女性はいないか?」

「ムロイ?」

「……いやなんでもない。やはり忘れてくれ」


 と、訳がわからず怪訝そうな表情を浮かべた東山さんを見て、ヒロシはすぐに首を振って言葉を濁した。

 

「失礼した。知己の女性と、とてもよく似ているので、もしやと思ったのだ」

「私がですか?」

「うむ、だが他人の空似だろう」


 神器の使い手達は異世界からやって来た少年少女達だ。

 よく似てはいるが、そんなはずはない――そう思い直し、彼は床に置いていたカンテラを手に取る。

 

「しかし、女性の身でありながら大した腕だ」

「よく言われます」


 女性の身――そう言った巨漢の武人の言葉に差別的な意味合いは感じ取れなかった。まあそれとなく似たようなことを行く先々で言われているので今更気にする程のことでもない。

 素直に称賛の言葉と受け取って、東山さんはニコリと笑う。

 

「一体どのような鍛錬を?」

「特には……」

「それでは師は?」

「格闘技を習った事はないです」

「なんと――」


 それでいてこの身のこなしとは。大したセンスと身体能力だ。

 まったく世の中は広い。自分ももっと修練を積まなくては――

 嗟嘆さたんと共に改めて東山さんを見下ろし、ヒロシは己の未熟さを省みる。

 

「ところで、今はどの辺でしょうか」

「位置的にはもう目的地だろう」


 東山さんの問いかけにそう答え、ヒロシは周囲を一瞥した。

 先刻までの通路とは異なり、現在二人がいる場所は円筒状に吹き抜けとなったホールだった。北と西にそれぞれ通路が見える。

 ヒロシの言う通り、目的地ゴールについたと考えてよいだろう。

 東山さんは腰に結わえていた細剣を手に取ると、それを床に突き立てる。

 銀でできた儀式用の細剣は不思議と折れることなく床を穿ち、その身から淡い光を放ち始めた。

 これで良いのだろうか。成功したかどうかはわからないが、自分達にできるのはここまでだ。


「では合流地点に急ぎましょうか」

「承知した」


 東山さんの言葉にヒロシは頷いた。

 支柱を作ったら、みんな大広間に向かってくれ。そこで合流にしようぜ――出がけに我儘少年からはそう言われている。

 二人は踵を返し大広間を目指して歩み出そうとした。


 と――

 

 今しがた通って来た北の通路より風の唸りにも似た音が聞こえ始め、二人は同時に表情を強張ったものへと変える。

 何かの鳴き声にもとれるその音に対し、二人の直感は敵の接近を訴えかけていた。

 通路から聞こえてくるその音が徐々に近づいてくるのを感じ取り、二人はアイコンタクトをとって頷き合うと、素早く構えて迎撃態勢に移行する。

 途端、何とも嫌な生暖かい風が通路から吹いてきて、ヒロシが翳していたカンテラの灯りを揺らした。

 やはりこれは呻き声、いや慟哭――もはやはっきりと聞きとれるまでに近くなったその音を見据え、ヒロシは腰溜めした拳に力を漲らせる。

 

 はたして、その音は彼の予想通り、何者かがあげる怨嗟の声であった。

 カンテラの灯りによって、通路からホールへと侵入してきたその『声』の主の姿が鮮明になる。


 それは肉塊。紫色をした大きな肉の塊であった。

 廊下を塞ぐほどにパンパンに膨れ上がった肉塊が、巨大な風船のように宙を漂いホールへと姿を現したのである。


 なんだあれは――

 異形の存在の登場に東山さんは眉間に刻んでいたシワをより深いものにし、ヌンチャクを持つ手に力を籠めた。


 肉塊の至る所からイソギンチャクのような触手が幾つも生えており、その体表はカンテラの灯りを受けててらてらと不気味に光っている。

 最も悍ましきはその体表に無数に浮かびあがった腫瘍の如き瘤だった。

 先刻から聞こえてきていた慟哭とも取れる鳴き声は、その瘤に開いた穴から放たれていたのである。

 

 タイイチョォォォ――

 イタイ……イタイィィ――

 シテ……コロシテ――


「……嘘」


 はっきりと聞こえた『人の言葉』と、瘤だと思っていたものの正体に気づいた少女は思わず目を見開く。

 訂正しよう。

 瘤ではなかった。

 醜く崩れてはいた。けれど目も鼻も口もあった。


 それは苦悶の表情を浮かべた人の顔。

 その一つ一つが恨むようにして呪詛の言葉を紡いでいたのである。


悪霊魂レイス――」


 刹那、震える声が聞こえて来て東山さんは我に返った。

 ちらりと視界の端で伺ったヒロシの顔は赤黒く変色し、怒りの形相で紫の肉塊を睨みつけていた。

 その仁王の如き表情に、思わず東山さんは息を呑む。

 

「それがあの化け物の名前ですか?」

事前会議ブリーフィングで聞いた情報と一致する」

 

 そう言ってヒロシは歯を食いしばり、カンテラを少女へと差し出す。

 目の前に突き付けられたカンテラを目を寄せて見つめた後、東山さんは憮然とした表情でヒロシを見上げた。


「あの、ヒロシさん?」

「すまぬエミ殿……急用ができた。俺に構わず先に広間へ向かわれよ」

「先に行けって、どうして突然――」

「俺はこいつを倒さねばならぬ。それが隊長としての義務なのだ」

「義務……? どういうことです? なら私も戦いますよ」

「手出しは無用。後生だエミ殿……どうか何も聞かずに先に向かってくれ」


 有無を言わせぬ口調であった。

 一体どうしたというのだろう――豹変したその理由が分からず、東山さんはじっとヒロシの横顔を見つめる。

 だがその瞳に灯る『決意』に気づき、彼女は小さな溜息を吐くと、不承不承ながらも差し出されたカンテラを受け取った。

 

「わかりました。でも無茶しないで下さいね?」

「かたじけない。また後で会おう」


 ぺこりと一礼して、東山さんはヒロシの横から離脱し西の通路へと駆け出す。

 動き出した生ある者に反応するかのように、悪霊魂レイスはピクリと触手を動かして少女を追おうとした。

 しかし目の前の山のような大男が途端に発し始めた、更なる怒りという負の感情に反応し、紫色の肉塊は動きを止めた。


 義務――ものはいいようだ。体のいい私情による仇討ちだろう。

 先刻自分が言い放った言葉を思い返し、ヒロシは自嘲する。

 速やかに結界を作り神器の使い手である少女を救出する――その作戦中にも拘らず私情によって動くことは、主の命に背く明らかな違反行為だ。隊長としてあるまじき判断だ。

 だがそうだとわかっていても、もはや胸中に沸き起こる感情を抑えることはできなかった。再び聞こえてきた肉塊が放つ怨嗟の声によって、ヒロシはさらに増幅する怒りを全身に滾らせる。

 果たさねばならぬ。彼等のためにも。


 タイチョォォ――

 タスケテ……タスケテ――



 一目見てわかった。

 醜悪な紫の肉塊。その体表に浮かび上がった、その苦悶の表情を浮かべる顔の一つ一つが誰であるかなど。

 見間違えるはずもない、自分の部下達の顔だ。


 悪霊魂レイス

 死者の魂を食らい自分の肉と化す不死者アンデッド

 食われた者の魂は、悪霊魂レイスが消滅しない限りその中で未来永劫闇を彷徨う。

 そして彷徨い続けた魂はやがて自我を失い、恨みと憎悪から新たな悪霊魂レイスと化すのだ。


「すまぬ……おまえ達は肉体も魂も解放されず、未だこの世を彷徨っていたのだな」


 肉体はゾンビと化しマダラメに使役され、そしてその魂は成仏することも許されず悪霊に囚われていた。

 全ては不甲斐ない自分のせいだ――悔恨と自責の念から武人は目頭を熱くする。


 ポタリと。

 灯りの去ったホールに仁王立ちするヒロシの食い縛った口端から血が溢れ、顎を伝って床に落ちた。

 生の象徴ともいえるその紅い雫に反応し、悪霊魂レイスは身体中の顔という顔から悍ましい叫び声をあげて襲い掛かった。


 だがしかし。

 復讐に燃える武人はその敵意を見逃さない。

 幾度となく繰り返すことにより染みついた『武の型』は、間合いに侵入した敵に対して、彼のその身体を意思より早く反応させた。

 円防環攻。風のような呼吸音と共に円を描くようにして手刀てがたな繰り出すと、ヒロシは襲い狂う触手の群れを次々と叩き落し、そして切断していく。


 ギャアアアアアアアーッ!――

 イタイ! イタイッ!――


 黒く濁った体液を切り口から噴き出しながら、悪霊魂レイスは全身にある顔という顔より悍ましい悲鳴をあげた。

 ヒロシはその隙を見逃さない。まさに牙を剥く猛虎の如く、ヒロシは床を蹴って一気に間合いを詰める。

 凄まじい震脚が床に亀裂を作ると同時に、腰で溜められていた剛拳が捻りをあげて悪霊魂レイスの身体にめり込んだ。

 またもや人面腫が絶叫する。

 体内に奔り渡った衝撃により悪霊魂レイスは身悶えしながら、苦し紛れともいえる触手の連撃をヒロシへと打ち下ろした。

 それでも武人は怯まない。

 鞭打たれた皮膚が避け血飛沫が舞う中、一向にかまうことなく一際盛り上がった右腕が再び引き絞られた。


 お前達の受けた苦しみと比べれば、これしきの痛みなど――


 その背中を、その肩を、その腕を鞭の如く打ち付けてくる肉塊の触手に見向きもせず、ヒロシは次なる一撃を放つために気を練り始める。

 極限まで引かれた弓の如く、身を捻り腰貯めされたヒロシの右拳は、悪霊魂レイスに向けて狙いを定められた。

 猛虎の如き鋭い眼光に映えるそれは捨身の覚悟。

 全身全霊をもって放たれたヒロシの必殺の一撃アッパーカットは、部下を縛りし魂の檻を砕かんと悪霊魂レイスの肉塊を貫く。

 

 ――はずであった。

 

「隊長!」

「止めてください!」

「助けて! 苦しい!」


 渾身の一撃が紫色の肉塊に侵入する間際、耳朶を打ったその懇願により武人の拳は動きを止める。

 いずれの声色も聞き覚えのあるものだった。

 それは寝食を共にし、いかなる窮地も乗り越えてきた部下達の声。

 たとえそれが偽りであるとわかっていても。


 惑いは覚悟を鈍らせる。

 戻った理性は怒りに歯止めをかける。


 身体の中を走った衝撃に、己の判断を悔いるようにして唸り声をあげたヒロシの背中には、その隙をつくようにして襲い掛かった無数の触手が突き立てられていた。

 

「アハハ、バーカ!」


 見下すように向けられた人面腫達が表情を醜く歪め一斉に嘲笑う。


「おのれ……その声を使うな……外道」


 誇り高く死んでいった者達をまだ愚弄するか!――

 再び込み上げてきた闘志と怒りから歯を食いしばった武人の身体はしかし、もはや反撃に転ずることは能わなかった。

 急速にその四肢から力が抜けていくのを感じてヒロシは膝をつく。

 悪霊魂レイスはその触手から生気を吸い、己の糧とする――やはりブリーフィングで聞いていた目の前の不死者アンデッドの特徴だった。

 例え鍛え抜かれた強靭な肉体をもってしても、内なる生命の輝きを直接食らうその攻撃の前には無力だ。


 不覚。己の未熟さを恥じよ。

 視界が霞んでいく。一撃を繰り出そうにも気が練れない。


 だがしかし。

 『義務』を果たさねばならない。

 そう。おめおめと一人生き延びた無能な隊長としての義務を。

 拳はもはや握れない。

 握れぬがしかし、お前達を解放する術はまだある。

 皆待っていよ。今助けてやる――と。


 やにわに誇り高き武人は瞳に光を取り戻し、悪霊魂レイスの身体に組み付く。

 勝利を確信して油断していた紫色の肉塊は、ヒロシのその挙動に面喰ったように人面の群れをざわつかせた。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 今際の際に躍動する魂がその身体を突き動かす。手負いの猛虎は吠えながら、その丸太のような両腕で悪霊魂レイスを締め上げた。

 途端万力のような膂力が全身を襲い、悪霊は体表中の人面腫からコーラスのように悲鳴をあげる。

 激痛から逃れようと悪霊魂レイスはがむしゃらに触手を振り上げヒロシの身体を打ち付けた。

 しかし覚悟を決めた武人の腕は緩むことなく、ますますもって悪霊の体を締め上げる。


 ギィィィェエエエーッ! ヤメロ! ヤメロ!

「逃がさぬ。共に地獄へ堕ちようか!」


 凄まじい締め付けにより紫色の肉塊が割け、そこから悪臭漂う体液が噴き出す。

 冗談じゃない、やられてたまるか!――

 もはや楕円に歪み変形したその身を悶えさせ、悪霊魂レイスはヒロシの束縛から逃れようと一本の触手を振り上げた。

 鋭く尖ったその先端が狙うのは一箇所のみ。悪霊魂レイスは必死の形相を全身に浮かべ、振り上げたその触手をヒロシの脳天目掛けて放つ。

 全ての力を既に出し終えたヒロシにその一撃を避ける余力はもはやなく、だがたとえ脳漿を抉られ絶命しようともこの腕は離すものか――と、彼は覚悟と共に不敵に笑って見せた。


 だがしかし。


 彼の思惑に反してその身体は勢いよく後ろへ突き飛ばされる。

 一体何が起きている?!――状況を把握できず、呻き声をあげて地に倒れたヒロシは力の入らない身体に鞭打ち前方を見やった。


 霞む視界に映ったのは、闇の中『風紀』の二文字を天へと掲げる紅き少女の後ろ姿であった。

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