その17-3 意志を継ぐ者達

 話を元に戻そう。

 我儘少年の口から、微笑みの少女奪還作戦の内容が打ち明けられてから三十分後。

 各々が作戦に向けて準備を始めた中、日笠さんは携帯の下部に取り付けていたペンダントを外した。

 しばしの間、それを眺めていた少女はやがてスピーカー設定に変更して携帯の向こう側にいるであろう生徒会長へと話かける。


「もしもし会長? ダウンロード無事完了しました」

―承知した。いつも通りキーワードは君が決めたまえ―

「わかりました。会長――」

―ん?―

「ありがとうございます」


 聞こえてきたササキの声に礼を述べて、日笠さんはペンダントを首にかけた。

 彼女の携帯がお決まりの如くカヴァレリア・ルスティカーナの調べを紡ぎ出したのはつい先ほどのことだ。

 珍しくタイミングよくかかって来たササキからの通信。その内容は新たな魔曲を送るというものであった。


―だが今回の魔曲は急場で作成したためにまだテストをしていない。正常に動作するかは保証できないぞコノヤロー?―

「急場って……会長、もしかしてあれから今の今までずっと?」

―私の徹夜はいつものことだ気にするな。礼なら浪川君にいってやれ。新魔曲作成のためにずっと付き合ってくれたのだからな―


 そう言った後、ササキは誤魔化すように咳払いを一つした。

 はたして少女の予想通り、昨夜遅くに日笠さんとの通話を終えた彼は、携帯を置いたその手で魔曲の作成に取り掛かっていた。

 そして宿屋で熟睡していた浪川を叩き起こし、強引に寝ぼけ眼の睫毛少年へ新曲の譜面を手渡すと、すぐさま練習を開始したのだ。

 だが如何せん浪川も演奏した事がなかった曲だったために大分時間がかかってしまった。

 何とか曲の形になったのは冗談抜きでつい先刻。そのため、完成した魔曲が正常に動作するかの検証をする暇もなかったのである。


「浪川君は今どうしているんです?」

―明け方からぶっ通しで演奏していたから、流石にダウンして寝ている―

「起きたら伝えてください。ありがとう――って」

―伝えておこう。それと茅原君の件だが―――


 閑話休題。ササキは声のトーンをやや落とし、これから彼女らが始めようとしている奪還作戦について言及する。

 掻い摘んでではあるが、昨夜から今まででわかったことは彼に報告済みだった。

 十中八九微笑みの少女が死神の手に落ちたであろう事も承知している。


―作戦を考えたのは悠木君と柏木君だったな?―

「そうです。二人の作戦を合わせたものです」

―なるほど……中々どうして柏木君も考えるじゃないかコノヤロー―

「あの、何か意見があれば遠慮なく言ってください」


 パーティの参謀的立ち位置にいた微笑みの少女がいない今、大局的に状況を分析し作戦を立案することにおいて、彼以上に秀でている者はオケの中にはいない。

 それは、たとえ今この場にいないというハンデがあってもだ――少なくとも日笠さんはそう思っている。

 と、意見を求められた天才生徒会長は携帯の向こう側で長考に入った。

 だがやがて静かに吐息を漏らした後、話を続ける。

 

―時間と戦力が限られている現状では奇襲は有効だ。良い作戦だと思う。ただ―――

「……ただ?」

―……いや、何でもない―


 ハイリスクハイリターンではあるがな――そう言おうとしてササキは言葉を飲み込んだ。

 何を今更、と思ったからだ。

 今までだってそうだったのだ。チェロ村でも、ヴァイオリンでも、そしてパーカスでも――

 知恵も力もない我々が強大な敵に勝利するためには、全てを賭さねば無理であることなど、今現場にいる誰もがわかり切っていることだろう。

 ならば敢えて口にして水を差す必要はない。


「えと、そこで区切られると気になるんですが……何か思うことがあるならはっきり言ってもらえませんか?」

―そうだな。一つコメントするとすれば―――

「はい」

―君達はやはり、トラブルの神様に憑りつかれているのかもしれん―

「……は?」

―このしつこさから見ると、女性かもな。女神様だ―

「真面目にやってください。こっちは真剣なんですよ?」

―クックック―


 先刻濁した言葉をはぐらかすように、しかし極めて真面目な口調でそう所感を述べたササキに対し、日笠さんは深い溜息を吐く。

 身構えて損した――と。

 だが、そこで声のトーンを戻し、ササキは努めて明るく少女にこう問いかけた。

 

―日笠君、悪い方向に考えるな―


 ――と。

 君の悪い癖だ。最悪の展開を想定して行動することはいい。だがそれに囚われるな――スピーカーの向こう側にいる生徒会長は昨夜そう言って彼女を諫めていた。

 そのことを思い出し日笠さんは僅かに表情を曇らせる。


―楽観視しろと言っているわけではない。だがな、君達は幾度となくトラブルに見舞われてきたが、その都度何とか乗り越えてきた。それは『奇跡』という言葉だけで片付けることができるような事象ではない―

「そうでしょうか」

―そうとも、足掻くことは無駄ではない。それは君達が一番わかっているはずだが? だから何度も言うが『生き抜け』―

「会長……」

―我々は『運命共同体』だ。決して諦めるな。そして茅原君を助けて必ず全員で生還するんだ。いいな?―

 

 チェロ村で君達の帰りを待つ。

 珍しく彼には似合わないキザな言葉で締めくくり、ササキは少女の返答を待った。

 

「……わかりました」


 と、ようやく聞こえてきた返答を聞いて、天才生徒会長は満足げにお決まりの、クックック――という笑い声をあげる。


―よろしい、では諸君らの健闘を祈るコノヤロー―

「会長――」

―ん?―

「――いつもありがとうございます」

―礼は全て終えてからでいい。では切るぞ―

「はい、失礼します」


 そう言って、少女は携帯上の赤い受話器マークを押して通話を終了した。

 『ダウンロード完了しました:Unter Donner und Blitz』――

 そう表示されていた携帯の画面をじっと見つめ、日笠さんはぎゅっとペンダントを握りしめる。


 足掻くことは無駄ではない――か。

 つい先刻起こった大鼠との死闘を頭の中で思い返し、日笠さんは前方を向き直る。

 少女の視界の先では、我儘少年が最凶のコンミスと真剣な表情で会話をしている最中だった。



♪♪♪♪



同時刻。

パイプオルガン前にて――


 天高く聳え立つ気筒を見上げ、サイコはそこに佇んでいた。

 だが眠そうに半分閉じた瞼の中にあるその瞳はいつもと異なり鋭い光を放ち、まるで眼前の楽器を記憶に焼き付けようとするかの如く、隅から隅まで目まぐるしく凝視し続けていた。

 

 と――

 

「これに興味がおありかな?」


 傍らから投げかけられた低い声に教育係は眼球の動きを止め、そそくさとその声の主を向き直る。

 と、演奏席に膝を組んで腰かけていた銀髪の吸血鬼は、サイコの視線を受け止めて静かに微笑を浮かべてみせた。

 いつの間に現れたのだろう――そう思いつつも、だが相変わらずの人を食った表情も、眠そうな半目も微動だにさせずサイコは目礼する。


「失礼。この城に足を運んだ『目的』と対面することができたので、ついつい見惚れてしまったのでございます」

「ほう……目的?」


 個人的に調べたいことがある――

 どうしてここに来た?、と尋ねたエリコに向かってサイコはそう答えていた。

 そして不死者アンデッドの蔓延るこの古城を訪れるという危険を冒してまで調べかったもの――それこそが、今彼女の眼前に聳え立つ楽器パイプオルガンだったのである。


「かつて古い文献で読んだことがありまして、それをこの目で確かめたかったのでございます」

「……その文献とは?」

「遥か昔に栄えた文明が生み出した、強大な力を生み出すことができる『魔具』に関する文献です」


 刹那。

 シンドーリは白い眉を僅かに吊り上げ、その金色の瞳にそれまでとは異なる感情を浮かび上がらせた。

 そしてその僅かな挙動の変化を見逃さず、サイコは密かに確信する。

 

「伯爵、一つ質問してもよいでしょうか」

「聞こう」 

「貴方は神器の使い手達と会うより前から、楽器という存在を『知っていた』のでございましょう?」

 

 やにわにそう尋ね、サイコは厚い瞼の奥の瞳でじっと見据えながら、彼の返答を待つかのように佇まいを改めた。

 しかしその問いかけに対して、シンドーリは何の挙動の変化を見せることはなく、先刻僅かに瞳の奥に灯した異なる感情も既に消し去り、ただただ口の端を微笑で歪めながら、じっとサイコを見つめるのみであった。


「質問には答えていただけないので?」

「……君はこれをどうするつもりだ?」

「私の師が生涯を費やして解けなかった謎を解明したい……それだけでございます」


 と、問いかけに対して問いかけで答えたシンドーリに対し、サイコは瞼を見開きはっきりと答える。

 その眼差しより感じられたのは純粋な学徒の好奇心と探求心。そこに悪意は感じられない。

 だがしかし――

 静かではあるが強い意志の感じられるその言葉と共に、真っ直ぐに向けられた彼女の視線を受け止めて、銀髪の吸血鬼は表情一つ変えずゆっくりと首を振ってみせた。

 

「残念ながら君の願いには応えられそうにない。『これ』はとうの昔にその力を失っている。今は『ただの楽器』と変わりないのだ」

「……」

「それにこれは親友からの賜り物だ。申し訳ないが、おいそれと他人に触らせるつもりはないのでね――」


 そう付け加え、シンドーリは立ち上がるとパイプオルガンを見上げる。

 感傷、いや郷愁――金色の双眸を細めた吸血鬼の顔に浮かんだその感情に気づき、サイコは意外そうに吐息を漏らした。

 

「……伯爵、貴方は一体何者なのでございますか?」


 親友からの賜り物――確かにシンドーリはそう言った。

 チョクから話は聞いている。この人物がかつて栄えた文明の王と懇意な間柄であったことをだ。

 だとしたら、魔の眷属に身を置く者ながら敵対する一国の王より『魔具』を授かったこの吸血鬼は一体何者なのだろうか。

 当初の話題から逸れることを自覚しつつも、サイコは好奇心からシンドーリへと尋ねる。


 だがやはり、その問いに対しても。

 二千年という悠久ともいえる時を過ごしてきた吸血鬼は何も答えようとはせず、ただただ不敵な微笑をその口の端に浮かべるのみだった。

 今は語る時にあらず。まるでそう言いたげに――。

 ややもってサイコは断念したように溜息を吐くと話を先へと進める。


「……不躾な質問をしてしまったようですね。どうかお許しください」


 今は『魔具』が実在していた。それを確認できただけでも僥倖としよう――そう思い直し、サイコはぺこりと頭を下げる。

 見開いていたその目は既に元の眠そうな半目へと戻っていた。


「構わんよ。しかし意外だ。ハ・オンの民にも楽器に興味を示す者がいたとはな」

「師が言うには私は極めて特異な体質のようで」

「なるほど、確かに君には『呪い』が効いていないようだ。まあ永い年月が経てば君のような人間が生まれることもあるだろう」


 或いは、呪いの効力が徐々に薄れて来ているのか。

 いずれにせよ、それは新たな時の流れを生み出すことに繋がるなるだろう――

 額に人差し指を押し当て、シンドーリは一人納得したように一度頷く。


 

 と――



「悪いみんな、ちょっと集まってくれ!」


 我儘少年の呼び声が聞こえて来てサイコとシンドーリは振り返った。

 床に突き立てられた五本の細剣の中心に立つ少年の傍らには、腕を組んで佇むなつきと眼鏡を押し上げるチョクの姿も見える。

 作戦の微調整を行う――そう言って相談をしていたようだが、はたして作戦はまとまったのだろうか。


「指揮官がお呼びのようだ、参ろうか」

「伯爵、先程の話は他言無用でお願いするのでございます」

「元よりそのつもりだ」


 小さく頷きながら返答したシンドーリに深々と再度一礼すると、サイコは我儘少年の下へ集まり始めた他の皆を一瞥し、歩き出す。


「これでよいのだろう親友ともよ――」


 サイコの背中をじっと見つめ、シンドーリは一人呟いた。

 安心しろ、誰にも楽器は触れさせぬ。過ぎたる力は災いを招く。だからお前はあの『呪い』を残したのだろう?――と。


 刹那、外套をはためかせ天高く聳え立つパイプオルガンを一度仰ぐと、銀髪の吸血鬼はサイコの後を追ってゆっくりと足を踏み出した。

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