その16-5 じゃあなネズ公!


数分前。


 眼前に迫った火炎弾流れ弾が、優雅な旋律と共に床から現れた水柱によって呑みこまれ、音もなく鎮火した。

 その奥で、一際大きな悲鳴をあげて両目を潰された獣が暴れている。

 気風の良い青年とお騒がせ王女が気炎をあげて追撃を開始するのを援護するように、音高無双の少女と生粋の武人が手にしたロープを引っ張るのが見えた。

 

 みんな抗っている。足掻いている。絶望から希望へと傾きだした運命を掴もうと――

 日笠さんは目まぐるしく変化する戦況を見据え杖を握りしめる。


 刹那。

 バカ少年の詰まった悲鳴と共に我儘少年の気合が聴こえてきて、日笠さんは宙を見上げた。

 丁度、かのーの顔面を蹴り上げ宙へと躍り出たカッシーの姿を捉え、少女の鼓動は高鳴る。


 今何をすべきか? それを各々が考え行動すれば、それはもう立派な『作戦』――サイコさんは言っていた。

 考えるんだ。私は何をすべきか。私はどう動くべきか。

 そして……彼ならどうするか。


 もう足は止めない。止めたくない。

 だから追うんだ。追わなきゃ――


「祖は魔を貫く聖なる射手。陽光を紡ぎその爪を砥げ、月光を編みその牙を育め――」


 自然と詠唱キーワードが口を出ていた。両手で握っていた杖を眼前へ掲げ、日笠さんは念じるように意識を杖へと集中する。

 少女のその求めに呼応して周囲に光の弾丸が現れるのと、大鼠がその身から煌々と輝く禍々しい火炎の弾群を生み出したのはほぼ同時であった。

 獣の頭上より標的を定め、妖刀を逆手に構えていた我儘少年の表情が強張る。

 ただ落ちることしかできない彼が、そう間もない未来に大鼠の周囲に漂う機雷の海へ突っ込むことになるのは誰の目から見ても明らかだ。


「奏でよ玉薬の音を、虚空を裂いて我に仇なす者を貫け――」


 気づいたなつきが慌てて水柱を呼び戻そうと奏で始めた旋律が聴こえてくる最中、一瞬揺らいだ気持ちを抑えこみ日笠さんは詠唱を続ける。


 奇跡はずっとなんて続かない。

 けれど。

 それでもきっと君は諦めない。

 それでもきっと君は足を止めない。

 

 そうでしょう? カッシー。

 

 だから。

 だから私も前へ。

 前へ進むんだ。

 

 

 君と一緒に生きて還るんだ!――



「穿て! 聖なる弾丸っ!」


 決意と共に大鼠へ杖を翳し、少女は詠唱を終える。

 主の号令の下、魔曲『魔弾の射手』によって生み出された光の弾丸は一斉に放たれた。

 

 途端に幾重にも巻き起こる、小さな爆発。

 無数の青白い帯を虚空に描き飛来した光の弾丸は、爆ぜようとしていた火炎弾を穿ち、そして相殺していく。


 馬鹿な!? 一体何が起きている!?――

 一斉に起爆する火炎弾により、書斎中の人間達を炭と化す様子を思い描いて口端を歪ませていた大鼠は、耳朶を打った想定外の爆発に驚いて嘶いた。

 だが既に失った視力では確認のしようもなく、狼狽しながら慌てて警戒態勢を取る。


 同時にその身を走り抜けた初めての感情に、獣は戸惑いを覚えた。

 その感情はあるじに対する『畏怖』の感情と似て非なる、ひどく嫌悪を覚える感情だった。


 即ち、『恐怖』という感情。

 本来生物が生き抜くために真っ先に身体が学ぶその感情をようやくもって理解した時、大鼠は己の過信を認め後悔に至った。



 だが全てはもう遅すぎたのだ。



 刹那。

 その恐怖という感情をもたらした存在が未だ立ち込める煙を突きぬけ、大鼠の頭上を急襲する。

 

―今度こそ仕留めろ小僧っ!―

「わかってる!」


 第六感が訴えた『恐怖』の接近に大鼠は吠える。

 だが怯まない。

 だが惑わない。

 万死一生。仲間の開いた活路を潜り抜けたカッシーは真っ直ぐに獣を見据え、逆手に構えた妖刀に力を籠めた。



「てえりゃああああーっ!」


 ザクリ――と。

 落下のスピードと少年の体重を乗せて振り下ろされた金色の刃が大鼠の眉間に突き立てられる。

 途端、大鼠の闇に閉ざされたはずのその視界に白い稲光が幾度となく走り、全身を激痛が駆け巡った。


 痛い! やめろ! やめてくれ!

 嫌だ! 嫌だ! お願いだ助けてくれ!


 死にたくない!


 死 に た く な い !

 

 死  に  た  く  な  い  !



―ケケケ、そりゃあ無理だ。じゃあなネズ公!― 

 

 獣の懇願を一笑に付して、深々と眉間に刺さった妖刀は無慈悲にその身を光らせる。



 恐怖と絶望に塗れた断末魔の咆哮を一度あげると。

 大鼠は潰れた両目を恨めし気に見開き絶命した。

 

 

♪♪♪♪



 一体どうなったのだろうか。

 大鼠の絶叫は聞こえた。けれど、はたして彼は無事なのか?

 爆発の煙が未だ晴れない書斎中央を見つめ、その場にいる誰もかもが固唾を呑んで勝敗の行方を窺っていた。


「オーイ、バカッシー! ねえ死ンダー? ていうか死んでてイイヨー!」


 そんな中、空気を読まないバカ少年は落下のダメージから回復するや否や、煙の傍に駆け寄ると煽るようにして中に問いかける。


 と――

 

 しばしの間の後、やにわに煙の中から生えるようにして現れた右腕が、徐にバカ少年の首を掴んだ。

 そして顔に縦線を描いて悲鳴をあげるかのーをぐいっと引き寄せ、その腕の主は額に青筋を浮かべながら煙の中より姿を現す。


「ケポッ!?」

「うるせーな! 生きてるっつの!」

「チッ、ワガママコゾーめ、生キテやがったディース!」

「何だその言い草はっ! 勝手に人を殺すなボケッ!」

「ダッテ人を踏み台ニシタデショー?! おまけにイイトコ持ってイキヤガッテー! ソーユー奴は地獄に落ちロ!」

「うるせーっ! 非常事態だったんだからしょうがないだろ! 大体お前は煽ってばっかで大したことしてなかったじゃねーか!」

「ムッカー、オレサマの華麗なヒャクネンゴローシ見てたデショ?!」

「真 面 目 に 戦 え こ の バ カ ノ ー !」


 途端始まる、もはや様式美といってもよい取っ組み合い。

 だがその様子を眺め、皆は一斉に安堵の吐息を漏らしていた。


 良かった、無事だった――と。


 日笠さんは杖にもたれ掛かるようにしてその場に座り込む。

 安心したら気が抜けてしまった。魔曲の使用により額に噴き出した汗を拭い、少女はやれやれと深い溜息を吐いた。

 と、そんな彼女の傍らに歩み寄る者が一人――

 

「なつき……?」 


 音オケ最凶の首席奏者コンミスを見上げ、日笠さんは目をぱちくりさせる。


「やるじゃんまゆみ。流石に間に合わないかと思ったけど、あんたのおかげでなんとかなったわ」


 そう言ってなつきは笑った。

 見覚えのある笑顔だった。

 それはごく稀に、最高の演奏ができた時に彼女が浮かべる笑顔と同じもの。

 彼女のその笑顔を見て、日笠さんははにかむ様に微笑み返すとかのーと取っ組み合いの喧嘩を続けているカッシーを向き直る。


「必死だっただけだよ」

「必死?」

「そ、離されないでついて行くのにね」


 少しは君に近づけただろうか。

 私は前に進めただろうか――

 日笠さんは我儘少年を見つめ自問する。

 複雑な表情を浮かべた少女の視線を辿り、なつきも我儘少年を向き直ったが、だが直後に先刻の無謀な特攻を思い出し、彼女のその表情はたちまちのうちに顰め面へと変わった。


「ねえ」

「ん?」

「あいつってさ、こっちでもあんな感じ?」

「うん、大体あんな感じ」

「あんた、相変わらず苦労してんのね……いつかぶっ倒れるよ?」


 こっちの世界でも本当面倒見のいいことで――なつきは同情の眼差しと共に日笠さんへ手を差し伸べる。


「それはお互い様でしょ?」


 部長と首席奏者コンミス、立場は違えど部を支えて皆をまとめる役に付く者同士、日笠さんは分かっている。暴君、独裁者――色々言われてはいるが、目の前の少女がいかに周りに気をかけているかを。厳しい言動も、全ては皆に気を遣って故だということを。

 そう言って自分を覗き込んできた日笠さんに気づき、なつきは一瞬照れくさそうにそっぽを向いた。そんな彼女を見て、日笠さんは苦笑すると、ありがとう――と礼を述べ差しのべられた手を掴み立ち上がる。


 ふと気づけばみんな集まっているようだ。

 そうだ、彼に伝えなければならないことがある。

 そして確認せねばならないこともある。

 ここに彼等が現れた時、気になったこと。


 何故あの子がいないのか――と、いうこと。


「みんなの所へ行こっか」

「そうね、カッシーに文句の一つでも言ってやらないと気が済まないし」


 長衣の裾を軽く払った後そう促した日笠さんに対し、なつきは頷くと歩き出す。


「――ところでさ、さっきのあれ何よ? あんたいつの間に魔法使えるようになったの?」

「あー、それはその……話せば長くなるっていうか――」

「ふーん。ま、いいか。でもあの痛い呪文はどうかと思うけどね? 背筋がぞわってなったし」

「い、痛くないもん! ほっといてよもう!」


 まったくなんでみんな同じこと言うの?!――

 と、呆れたように双眸を細めたなつきに対し、日笠さんは顔を赤くしながら必死に反論したのだった。

 


♪♪♪♪



「おーい、カッシー!」

「柏木君っ!」


 と、手を振りながら駆けてきたこーへいと東山さんに気づき、一頻り頭突きを入れ終えてすっきりしたカッシーはボロボロになったかのーを手放して二人を出迎える。


「大丈夫? 怪我はない?」

「ああ。まあなんとかな」


 心配そうにそう尋ねた東山さんに向かってにへらと笑みを浮かべ、カッシーは答えた。

 だが少年のその顔も服も、間近で爆発した火炎弾の中を潜り抜けたおかげで煤だらけだった。

 やれやれと眉尻を下げこーへいは咥えていた煙草の先から紫煙を燻らせる。


「しっかし無茶すんよなー? 心臓に悪かったぜ?」

「……お前が言うとその台詞、凄くうさん臭く感じるな」

「んー、そっかー?」

「ああ」


 大勢の観客が勝敗の行方を見つめるカジノ大会でも、まったくもって緊張した様子のなかった奴が何を言う――

 相も変わらずのほほんとそう尋ねたこーへいに対し、カッシーは冷ややかな視線を返しながら頷いた。


「ところであの鼠はどこに?」


 爆発による煙はすっかり晴れていた。にも拘らず大鼠の姿が見えないのだ。

 一体どこに行ったのか――二人の何とも間の抜けた会話を聞きながら周囲を見渡していた東山さんは、訝し気な顔つきで尋ねる。

 と、その問いかけを受けてカッシーは無言で振り返ると、床に突き立てられていた時任の根元を指差して見せた。


 そこに見えたのは、妖刀により床に串刺しとなった拳大程の小さな鼠の姿。

 少年の指の先を辿り、床へと視線を落とした東山さんは驚きのあまり眉間のシワを深いものへと変える。

 

「……冗談でしょう? これがあの大鼠だっていうの?」

「ああ。気づいたら萎んでた」

「おーい、マジか?」


 同じく少年の指先を辿って鼠の死体に気づいたこーへいも、煙草をプラプラとさせながら呟く。

 まあこいつらの反応もわからないでもない。自分だって納得がいっていないし。

 だがふと目を離した隙にいつの間にか小さくなっていたのだ。

 至って真面目な顔で、しかし口をへの字に曲げながらカッシーは肯定する。


 と――


「これは意外でございます。てっきり器となった媒体に戻ると思いましたが、魂の姿のままとは――」


 やはり『意思を持った死者の生成』はまだ不完全という事なのだろうか――

 鼠の死体の傍に腰を降ろし、興味深げに観察していたサイコは感心したように深く頷きながら呟く。

 

「しかしこのような小動物の魂をああまで強大な化け物に肥大化させるとは、そこは見事というほかございませんね」

―ケケケ、だが所詮は鼠よ。この時任様の相手じゃなかったがな―

「ほう、喋る東方の剣とは、これもまた興味深い」

―お、おい、ちょっと待て! 勝手に触るな女っ!―

「サイコ=イマイでございます」

「……で、この人誰?」


 いつの間にかちょこんと屈んでいたかと思ったら、急にズビシィッ!――と、妖刀にピースマークを突き付けて、どや顔を浮かべてみせたサイコを指差し、カッシーは戸惑いながらこーへいに助けを求めた。

 さて何と説明をしようか――こーへいは眉尻を下げながら長い唸り声をあげる。

 

「カッシー!」


 だがまたもや少年を呼ぶ声によってその会話は遮られ、やむなくカッシーはその声の主であるお騒がせ王女を振り返った。

 

「エリコ王女」

「ねえ、ナツミちゃんは?」

「え?」


 開口一番そう尋ねてきたエリコの表情は、戦いが終わったにも拘らず剣呑なものだった。

 なんだよその顔? 一体何だってんだ?――訳が分からず眉根を寄せる。

 

「カッシー! なっちゃんはどこ?」


 ああ、なんだよもうみんなして! 今度は誰だ?!

 立て続けに新たな声に名を呼ばれ、我儘少年は面倒くさそうに歩み寄って来たまとめ役の少女を向き直った。

 だがしかし。

 

「斑目なの!」

「……は?」

「この城の死霊使いネクロマンサー、斑目っていうの!」

「………………ちょっと待て、マジか!」


 鈍い少年でも流石に今何が起ころうとしているのか理解できた。

 途端に血相を変えてカッシーは日笠さんへと詰め寄る。


 嗚呼。嘘でしょう?――

 彼だけではなかった。傍らで話を聞いていた東山さんもみるみるうちに表情を強張らせたのがわかり、日笠さんは益々もって顔を白くする。


 二人の表情の変化だけで、あの微笑みの少女が今どういう状況なのかわかった。

 わかってしまった。

 だがそれでも。


「ねえ、なっちゃんは?! 彼女は今何処? どうしてここにいないの?」


 縋るようにして彼女はさらに話を続ける。

 この予想がどうか誤りであって欲しいと。


 はたして、我儘少年は無念そうに両拳を握りしめると。

 少女の淡い期待を打ち破るように、切羽詰まった表情で力なく首を振ってみせたのだった。

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