その16-4 勝機再び

 たった一匹では何も出来ぬ虫けら共の癖に。

 何故、追い詰めたはずの奴等は息を吹き返し、鬱陶しくも粘り強く抵抗を続けるのだ。

 そしてどうして俺が苦戦している?――


 正面からは退魔の刃が執拗に眉間を狙って繰り出され、それに気を取られれば死角となった右側から鞭が背を顔に容赦なく降り注ぎ。

 左側から気合の入った青竜刀が腹を切りつけてくるのを鬱陶しそうに追い払えば、それとは何ら無関係に神出鬼没の笑い声が響き、六尺の棒が問答無用で獣の背中に打ち下ろされる。

 そして、それらを一気に薙ぎ払おうと無数の火炎を所狭しと吐き出しても、即座に奏でられる優雅な音色が水を呼出し途端に消し去ってしまう。

 仕方なく、牙を剥いてそれらを噛み砕こうとしても前脚に絡まるロープが獣の動きを封殺してしまうのだ。


 相手に全力を出させぬよう先手を打って封じ、逆にこちらは最大限に動ける布陣をしき、攻撃の手を休めない――

 それが今、必死にロープを引っ張っている英雄と呼ばれる眼鏡の青年が考えた作戦であったことなど大鼠が知る由もなく。

 思うように動けぬことへの鬱憤、やり場のない憤怒が積もり、大鼠は悔しそうに唸る。


 はたして、戦況は獣の予想していた結末から逸れつつあった。

 少しずつその身体に増えていく傷と、それに反して削がれていく体力に困惑する大鼠の脳裏に、つい先刻まで予想だにし得なかった戦いの結末が浮上する。


 それは望まぬ結末。ありえないはずの結末。

 即ち、『敗北』という結末。

 まさか。ありえない――思考に沸いたその言葉を必死に否定し、大鼠は威嚇の咆哮を周囲へ放つ。



 それが過ちであると、伝えるものは誰もおらず――

 よって、雌雄は決することとなる。



 稀代の死霊使いネクロマンサーにより生まれ変わった大鼠は、確かに強大な力を持つ炎の化身だった。

 それ故に。

 獣は己の力を過信し、『人』という存在を見下し過ぎた。

 だから獣は知らなかったのだ。いや知ろうとしなかった。

 『人』という、『個』では大した力もない存在が、『衆』を形成した時に生み出す驚異的な力を。

 それは、一際大きな音を立てて振り下ろされた忌々しい雌の鞭打べんだを退けようと、大鼠が何度目かもわからない火炎弾をその口腔に生成しだした時だった。

 

 退魔の刃に右目を潰されていた獣は、いつもより必要以上に右へ身体を傾ける必要があった。

 そのために、逆から全力疾走で突撃してくるもう一匹の虫けらが構えた、武骨な刃青竜刀に気づくのが遅れたのだ。

 甲高い嘶きをあげ、慌てて大鼠がその刃を躱そうとした時にはもう遅かった。

 

 ザクリ――と。

 左目に奔った衝撃と同時に、大鼠の視界は完全に闇に閉ざされる。


 なんだ!? なんだ?! なんだ?!

 見えない! 何も見えなくなった!

 ……痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!――

 脳髄まで刃物が突き立てられたような激痛が、パニックに陥った全身を襲い大鼠は絶叫をあげた。

 だが獣が侮っていた『もう一匹の虫けら』は攻撃の手を休めない。

 

「こんなもんで終わると思うなよこのネズ公がぁ!」


 自分の頭ほどもある大きな紅い眼球へ突き立てた相棒を両手でしっかりと握り直し、ヨシタケは全体重をかけてさらにそれを押し込んだ。

 鮮血が剣と眼球の隙間から噴き出し、獣はさらに痛みでのたうち回る。

 光を失った大鼠の暴れようはそれまでとは一線を画し、無差別に四肢を振り回して周囲を攻撃しだした。


「ぐっ……うおおおおっ!?」


 しばしの間必死に青竜刀の柄を握り、大鼠に食らいついていたヨシタケであったが、勢いよく振りまわされたその頭の動きにたまらず吹き飛ばされ、派手に床を転がっていった。

 大鼠の暴走はそれでも止まらない。

 両目から全身を駆け巡る痛みの鬱憤を吐き出すかのように、その口から闇雲に放たれた火炎弾がそこかしこに飛んでいく。

 まずい、このままでは巻き込まれる――もはや予測不可能な動きで我武者羅に周囲を攻撃しだした大鼠見据え、エリコは仕方なく間合いを取った。


「ちょっとぉ?!」


 あわや火の海が再び書斎を包み込もうとする寸での所で、なつきが慌てて魔曲を奏でて火を消し止めていく。


 許さん! 許さんぞ虫けらどもが!

 お 前 ら 全 員 皆 殺 し だ !


 両目からぽたりぽたりと涙のように血を流しながら、まるで獅子の如く大鼠は怒号をあげた。

 しかし音高無双の少女は怯まない。

 怯えているから威嚇する。見えていないから無差別に攻撃する。

 あれは追い詰められた証拠だ。

 ならば今こそ勝機だ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。いざ勝負!――

 東山さんは凛とした佇まいでロープを握りしめ深く腰を落とす。


「大概にしなさいよっ! この……大鼠ぃぃぃぃっ!」


 刹那、眉間にシワをあらん限りに寄せまくり、正真正銘全力中の全力で彼女は思いきりロープを引っ張った。

 はたして。

 大鼠の口から吃驚の鳴き声が飛び出す。

 突如右脚にかかったその怪力に、視界を奪われた獣が咄嗟に抵抗できるはずもなく、大鼠は転ぶようにして態勢を崩した。

 

「おーい、マジか委員長?」


 その勢いたるや、反対側でロープを握っていたヒロシ達三人まで思わず前によろけるほどだ。

 おいおいこりゃちょっとばかり非常識過ぎじゃね? ちったあ手加減してくれないと、こっちが困るぜ?――

 大慌てでロープを引き直し、こーへいはそれこそ牽引してしまうかの勢いで大鼠を押さえ付ける東山さんを見て眉尻を下げる。

 

「何という膂力……彼女は一体何者なのだ?!」

「んー、まああの子は特別ってか、ちょっと普通じゃねーからさー?」

「異世界……侮りがたし!」


 だがここで負けては男が廃る――

 少女のあまりの怪力に唖然としていたヒロシは途端に気合を入れてロープを引っ張った。

 大鼠がまたもや悲鳴をあげる。

 両側からほぼ同時にその身を襲った力によって、大鼠の身体はまるで平伏すようにして床に磔にされた。

 信賞必罰。好き勝手に暴れた猛獣にお仕置きが執行される。


 獣の動きが止まった。

 再び勝機が訪れたのだ。

 そして虎視眈々と気を練り続け、勝機を窺っていた少年がその勝機を見逃すはずもなく――


「ドゥフォフォフォフォー! 隙ありディスヨネズミー!」


 こと隙を狙う事にかけては天才的なバカ少年が、ここぞとばかりに鼠目掛けて飛び跳ねるのを見届けると、我儘少年は彼を追って宙にその身を躍らせた。


「かのーっ!」

「ホワッツ!? ナンダヨカッシー?!」


 と、やにわに聞こえてきたその声に対し、意外そうに振り返ったかのーの顔面へ、問答無用でブーツの底がめり込む。


「ドゥッフォ?!」

「顔を貸せっ!」


 バカ少年の悲鳴のような鼻息がブーツの底に向かって噴き出す最中、カッシーは返答を待たずして彼の顔面を踏み台にするとさらに高く跳躍した。

 それって意味が違くないディスカ!――と、恨めし気に鼻血を流しながら落下していくかのーを見向きもせず、カッシーは妖刀を逆手に構え、床に平伏す手負いの獣を見据える。


―いいか小僧、これが最後の好機だ。外すなよっ!―

「わかってるっ!」


 さっきと違って相手は動けない。おまけに位置もドンピシャだ。

 狙うは頭部、その中心――

 点滅しながら念を押すようにそう言い放った時任に対し、カッシーは即答すると落下に身を任せた。

 

 

 だがしかし。



 少年の顔にちりちりと熱が迫る。

 少年の全身を杏色の光が照らしだす。


 嘘だろ?――


 と、落下する先に見えたその光景にカッシーは思わず息を呑んだ。

 彼の瞳に映ったのもの。

 

 それは、まるで大鼠の身体を護るようにして周囲に現れ始めた火炎弾の群れであった。

 


♪♪♪♪



 閉ざされた闇の中で、獣は恐れおののく。

 何故俺は床に平伏している!?

 まさか俺は負けるのか? このまま俺は死ぬのか?――

 必死になって否定していた、先刻脳裏をよぎった二文字の言葉が、再び獣の中で木霊しはじめる。

 

 だがそれでもかの紅き獣は己の不明を認めようとはしなかった。

 そしてやはり、それが過ちであると伝える者も誰一人いなかったのだ。

 

 おのれゴミども! おのれ虫けらども!

 ふざけるな! 我が主の実験材料に過ぎない貴様ら如きにこの俺が負けてたまるか!

 どんな手を使っても、お前らを殺してやる――と。

 

 見栄も外聞も捨てて手負いの獣は最後の抵抗に出る。

 それは即ち――


「きゃあっ!?」


 突然抵抗がなくなって緩んだロープにより、全力でそれを引いていた東山さんは思わず可愛い悲鳴をあげながら後ろに倒れた。

 強かに打ち付けた臀部を押さえながら彼女は慌てて立ち上がると、大鼠の周囲に突如現れ、ロープを焼き切った火炎弾の群れをに気づき剣呑な表情を顔に浮かべる。

 

「なんだありゃ!?」

「ぬう……」


 時を同じくしてやはり一斉に床に尻もちをついていたヒロシとこーへい、そしてチョクも、大鼠の周囲に起こった異変に気づき吃驚と共に各々呟いていた。

 さながらそれは海を漂う機雷の如く、獣の周囲に現れた火炎弾の群れは宙に制止し輝きを増しながら肥大し続けていた。

 だが対して、それらが護るように囲う大鼠の身体は途端に赤みを失いその毛皮は杏色から茶色へと変色していく。

 そう、まるで火炎弾に力を吸われるように――

 

「これは一体――」

「まずいのでございます」


 明らかにおかしい獣の様子を眺めながら、ずり落ちた眼鏡を押し上げたチョクの背後から、珍しく剣呑な表情を浮かべサイコが口を開く。

 まずいって何が?――そう言いたげに振り返った眼鏡の青年に対し、彼女は大鼠を見据えていた双眸を細め話を続けた。


「魔力を全て火炎弾に変えているようです。あれは玉砕覚悟の構えでございますね」

「……そ、それはつまり?」

「ずばり自爆でございます」

「…………じ、自爆?!」


 あろう事かピースマークを掲げながらそう答えたサイコに対し、一瞬間を置いてチョクは眼鏡を曇らせる。

 まずい、追い詰め過ぎたか。窮鼠猫を噛むとはまさにこのことだ。

 あの数の火炎弾が同時に爆発したらはたしてどれ程の規模になるだろう。


 だがそれよりも、早く何とかせねばならないことが一つ。

 それは――


「おーい、そりゃやばくね?」


 はたして眼鏡の青年の懸念を代弁するかのように、こーへいは丁度獣に向かって宙へと飛び出したばかりの我儘少年を見上げながら呟いた。

 このままでは書斎が爆発に巻き込まれるより先に、あいつが機雷の群に突っ込むことになる。

 そうなれば彼はただでは済まないだろう。勿論考えたくもない結果が訪れることになるのは容易に想像できた。

  

「ナツキさん! 魔曲であの火炎弾をっ!」

「まったく世話の焼けるっ! ケーキどころじゃ済まないからねっ!」


 と、眉尻を下げたクマ少年からすぐ傍らにいたなつきに視線を向けてチョクは叫ぶ。

 話を聞いていたなつきは、彼がそう指示するより前に呼び出していた水柱の対象を機雷へと変更しようと試みていた。

 お願い間に合え――と、玉のような汗を額から流しながら、オケ随一の奏者である最凶のコンミスは演奏を続ける。

 だが、先刻大鼠が無差別に放っていた火炎弾の後始末のために、書斎の各所に水柱を出現させていたのが裏目となった。

 対象を変更させるには一度呼び戻す必要があるのだ。どうしてもワンテンポ間に合いそうにない。

 なつきの祈りも虚しく、我儘少年のその身は覚悟際立つ気合いの声と共に、今にも機雷の群れに突入しようとしていた。

 


 刹那。


「――穿て! 聖なる弾丸っ!」


 

 凛とした声が書斎に響いたかと思うと。

 翳された樫の杖に従って無数の閃光が空を切って飛び出し、機雷の群れを穿ったのであった。

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