その16-3 後悔させてあげるわ
ふざけるな! どうして俺様がこんな目に!
所詮はあのお方の研究に使役される、ゴミも同然な存在の癖に! 非力な人間どもめ!
おのれ! おのれ! おのれ! やられてたまるか!――
迫りくる退魔の刃を双眸に捉え、大鼠は激昂する。
しかし獣がどんなに怒ろうが、はたまた喚こうが、牙を剥いた妖刀が情けをかけるはずもなく。
少年の渾身の力を籠めて放たれた金色に輝く切っ先は、
そう、『はずだった』のだ。
気に恐ろしきは獣の執念。まさに『窮鼠猫を噛む』が如く。
両前脚を拘束されながらも寸での所で、大鼠は最後の賭けに出て、その身を大きく捻ったのだ。
ズブリ――と。
肉を貫く生々しい感触が、時任を通してカッシーの右手に伝わってきた。
確かな手ごたえに反して、だが少年の表情は失意と動揺のために、苦々しく変化する。
彼が眉間目掛けて放った一撃は、咄嗟に足掻いた獣の生への執念によって逸れ、大鼠の右目を貫いたのだ。
外した――唸るカッシーの目の前で大鼠は大絶叫をあげる。
少年の頭ほどもある大きな右目に突き刺さった退魔の刃が、その能力により
痛イ! 痛イ! 痛イ!――
激痛に悶え、陸に揚げられた魚のように大鼠はのた打ち回る。
途端に凄まじい膂力がロープを引っぱり、東山さんの小柄な身体は前へと引き摺られた。
「くっ! 暴れるんじゃない!」
眉間にシワを寄せまくり少女は慌てて足を踏ん張るとあらん限りの力で引っ張り返す。
「ぬうっ!?」
「ヒロシ殿! コーヘイ! 踏ん張るッス」
「あいよっと」
同じくふわりと浮いたその身を慌てて堪え、チョクは前方の熊親子――もとい、ヒロシとこーへいを叱咤激励した。
やらいでか――と、二人はその声に反応して腰を落として踏み止まる。
またもや両側から動きを拘束され、痛みと怒りに狂い悶えていた大鼠の身体は強引に地に伏せられた。それでも執念深く、残った左目を爛々と輝かせ大鼠は眼前の少年に噛みつこうと牙を剥く。
ぱっくりと開かれた口腔が迫ってくるのに気づき、カッシーは慌てて時任を引き抜くと床を蹴って飛び退いた。
あわや頭を丸齧りされる寸前で少年はなんとか離脱に成功する。
「くっそ、外したか……」
口惜しそうに咆哮をあげる大鼠を、同じく悔しそうに睨みつけカッシーは口をへの字に曲げた。
だがそんな少年に向かってその身を鈍く光らせながら、時任は声を荒げる。
―しっかり狙えよ小僧! 今の好機を逃したのはでかいぜ?―
「まさか動くとは思わなかったんだよ!」
―何言ってやがる、実戦で相手がこっちの攻撃待ってくれるなんて思うなよ? いいか、木の的狙うんじゃねえんだ。相手の動きを読め、先手を打つためにどうすればいいか常に考えろ!―
「くっ、簡単に言いやがって!」
そんなこと、言われなくても頭ではわかってるのだ。だがこっちは真剣握ってまだ一月ちょいなんだぞ? 無茶言うなっつの――
と、カッシーは正眼に構えた妖刀を不服そうに見据えつつも、咽喉まで出かかった言葉をぐっと呑み込んでいた。そんな言い訳が通用しない状況だという事は百も承知していたからだ。
だがしかし――
「ちょっとぉ本当に大丈夫ですかぁ悠一くーん? やっぱり私がやろっかー?」
「い い か ら 見 て ろ な つ き! !」
「はいはい、じゃあしっかりやってよね?」
お前に言われるのは我慢ならん。
トントンと弦弓で肩を叩きながら、呆れたようにそう言ったなつきをカッシーはギロリと睨みつける。
そんな我儘少年と最凶コンミスのやり取りを眺めながら、こーへいはやはり今回もブチ切れノルマ達成じゃね?――と、心の中で思っていたが。
間の抜けた会話もそこまでだった。
再度轟いた大咆哮に、カッシーは大鼠を向き直る。
オノレ! コノ虫ケラァァァ!――
閉じられた右目からその毛皮と同じ色の体液を痛々しく流し、獣は憎悪と共に少年を
しかしもはや怯むことなく逆に闘志を剥き出しにし、カッシーは時任を握る手に力を漲らせる。
「うるせーネズ公! これで昨日の借りは返したからなっ! こっからが本番だっつの!」
―物は言いようだな。まったく本当負けず嫌いな小僧だ―
「いいからもう一回付き合えよナマクラっ!」
―仕方ねえな、乗ってやる。けど同じ手は通じねえと思え。いいか? 機を見定めろ。次で確実に仕留めろよ!―
「わかってるっつの!」
そう言って刀身を鈍く光らせた時任に小さく頷くと、カッシーは妖刀を上段に構え、再び突きの体勢に移行した。
殺ス! 今度コソ食ラッテヤル!――気勢衰えず徹底抗戦の構えを見せた、自分の片目を潰した人間に対し、大鼠は牙を剥いて喉奥で唸る。
と――
だがそこで大鼠は鼻を鳴らし、動きを止めた。獣特有の鋭い五感が告げた新たに知らせによって。
視覚、聴覚、嗅覚と第六感ともいえる勘が知らせたその事実とは。
自分に迫る
はたして、死角となった右前方から、やにわに響いて聞こえだした床を連続して蹴るヒールの音に、大鼠は表情を歪めた。
聞き覚えのある足音だった。
見えなくともわかる。あの雌だ。まったく小賢しい虫けらどもだ! 鬱陶しい! 鬱陶しい!――と。
脳髄を焦がす怒りに身を任せ、脊髄反射で正面から右側へと向き直ると、大鼠はそこに迫っていたエリコに向けて口を開く。
大砲のような音と共に間髪いれずにその口腔に生み出された火炎弾が即座に彼女に向けて放たれた。
しかし復讐を胸に秘めた紅鷹の王女はその足を止めない。
所詮は獣、よく見れば攻めは単調。
不敵に笑いエリコは大きく跳躍する。標的を捉え損ね、足元で虚しく爆発を起こした火炎弾を飛び越えると、彼女は鞭を振りかぶった。
一撃、いや二撃、三撃。
空中から唸りをあげて飛来した鞭が、大鼠の顔面を勢いよく打ち付け、その毛皮を毟り肉を裂く。
途端にぱっくりと割れた肉から血が滲み、激痛が獣の脳を襲った。
猛獣を従えるための人間の武器がもたらしたその皮膚への痛覚に、大鼠は悲鳴に近い甲高い鳴き声をあげて思わずその身を竦ませる。
とどめとばかりに大鼠の脳天をヒールで踏みつけ、あろうことか獣の頭に着地すると、エリコはさらにそれを踏み台にして宙を舞った。
痛みに耐えつつそれでも彼女を捉えようと上を向いた大鼠に向かって、彼女は挑発するようにぺろりと舌を出し、その頭上を飛び越える。
おのれ嬲るか――感情を逆撫でされた獣の右目から、激昂と共に血潮が噴き出した。逃すまいと、大鼠は再度空に向かって火炎弾を放とうと口を開く。
だがしかし。
「そうはさせんっ!」
「あーらよっとぉ!」
渾身の力を籠めてヒロシとこーへいが引いたロープにより、獣の体勢は左側へ大きく崩れ、火炎弾は虚しく見当違いの方向へと飛んでいった。
呆れるほどに身軽な一国の王女は、その様子を小気味良さげに眺めながらクルリと宙で身を捻りさらに鞭を繰り出す。蛇のように伸びた鞭の先端が、大鼠の背中に突き刺さっていた武骨な青竜刀の柄に絡みつくと同時に、獣の背後へ優雅に着地を決めたエリコは、手首を返して得物を手繰り寄せた。
ズリュリ――と、何とも言えぬ音を立てて大鼠の背中から引き抜かれた青竜刀は彼女を追って宙へと飛び出す。
途端に背中に走った激痛にまたもや悲鳴をあげて、獣はその身を弓なりに撓らせた。
「どう痛い? アンタ人間を舐めすぎなのよ?」
のた打ち回る大鼠を振り返り、エリコは降って来た青竜刀を見事キャッチすると、肩を竦めてみせる。
そして冷たく紅い輝きをその瞳に灯し、蔑むような視線を獣へと向けながら、彼女は誰かに差し出すようにして青竜刀を真横へと投げた。
「後悔させてあげるわ。畜生風情が人間を舐めたらどうなるか、身をもって味わいなさい」
なんだ? 何をするつもりだこの雌は? どうして投げた?――
奪った武器をすぐさま投げ捨てるような行為に出たエリコに対し、大鼠は怪訝そうに片眼を見開いた。
刹那。
回転しながら宙を舞う青竜刀の柄を、快音と共に節くれだった右腕が掴む。
漁で鍛えた細身ながらも無駄なく引き締まったその右腕は、戻って来た
「ありがとよぉ王女さんっ!」
喧嘩上等! ぶっこんでやんぜ!――ニヤリと笑って
彼もエリコが動くと同時にと果敢に突撃を開始していたのだ。
我武者羅に突っ込んでくる新たな敵に気づき、大鼠は吃驚の色を瞳に浮かべて吠えた。
だが時既に遅し――
「だありゃあああっ!」
速度を緩めず、怯むことなく獣の懐に飛び込んでいたヨシタケは、気合いと共に担いでいた青竜刀を振り下ろした。
やにわに縦に一本、大きな線が大鼠の左脇腹に生まれたかと思うと、たちどころにその切れ目から緋色の液体を迸らせる。
かっと熱くなった脇腹を驚愕の表情で見ていた大鼠は、やがて伝わって来た激痛にまたもや絶叫をあげた。
「ざまあみやがれネズ公がっ!」
ぺっ、と唾を吐くと、ヨシタケはそのまま勢いを利用して離脱を試みる。
調子ニノルナ! 逃ガスカ虫ケラ!――と、全身を襲う苦痛に耐えながら、怒り心頭で大鼠は逃げるヨシタケを追いかけようとした。
だが今度は、獣の右脚に絡みついたロープがそれを許可しない。
「大人しく……してなさいっ!」
床を踏みしめ全力でロープを引っ張った東山さんの膂力が、大鼠の追撃を阻止し、その動きを制御する。
右前脚を進行しようとしていた方向と逆に引っ張られ、つんのめるようにして動きを止めた大鼠は恨めしそうに短い嘶きをあげて彼女を振り返った。
くそっ! くそっ! 忌々しい! あいつら邪魔をしやがって!
この縄が鬱陶しい! こうなったらあいつを先に片付けてやる!――
獣の浅知恵ながらも、ようやくその考えに至った大鼠はぎょろりと隻眼を見開いて、即座に口腔の中に火炎弾を生成し始める。
途端放たれた無数の火炎弾は唸りをあげて東山さんに迫っていった。
まずい――と、エリコはその射出音を聞いて血相を変える。
「エミちゃん!」
はたして、彼女がその名を叫んだ少女は、まさに渾身の力を籠めてロープを引き大鼠の動きを制していた最中であった。
ご丁寧に避ける隙を与えぬよう放たれた無数の弾幕に気づき、東山さんはその眉間のシワを益々もって深く刻む。
だがしかし。
それでも瞳に灯した強き意志を消すことなく、音高無双の少女はまるで炎群など眼中にないかのように、その先でしてやったりとほくそ笑む獣を見据えていた。
肌に感じだしたその熱の元を、今から避ける余裕は勿論ない。
だがもとより、避ける必要もない!――と。
刹那。
空を切って迫る業火の、燃え盛る音が畏れるように消えると、書斎をヴァイオリンの音色が支配した。
同時に威風堂々、凛と仁王立ちのまま不動の構えを取る東山さんの前に、床から染み出すようして次々と水の柱が現れる。
例えるならばそれは水の大蛇。
やにわに現れたその水の群れは迫る炎群を次々と呑み込んでいった。
ややもって弦の王たるその音色が止み、それに付き従うようにして水蛇の群れが姿を消すと、東山さんは端から何事もなかったかのようにロープを握りしめ腰を落とす。
「残念でした。私がいる限り、アンタ火遊びはもうできないから」
無駄な足掻きはやめなさい――短い驚愕の嘶きをあげた大鼠に対し、魔曲を奏で終えたなつきはしたり顔でべっと舌を出して見せた。
馬鹿な! まただ! どうしてだ?!
何故だ! 何故だ何故だ何故だ!
こいつら虫けらの癖に!
一匹じゃ何もできないような、ゴミのような存在の癖に!
何 故 俺 様 の 炎 が 通 じ な い !――
屈辱と怒りに塗れた嘶きをあげた大鼠はしかし。
直後、ぶすりと身体の中に伝わって来たその衝撃に紅い隻眼をまんまるくした。
穴が熱い。焼ける様に熱い。『あの穴』が痛い。俺様の穴に何かが侵入した?!――と。
数秒後。
尻の穴から脳に伝わって来た激痛に、獣は甲高い悲鳴をあげる。
「ムフン、ヒャクネンゴローシ!」
奇襲成功♪と、ご満悦で大鼠の肛門から棒を抜き取り、かのーはさらに煽るようにしてケタケタ笑い声をあげた。
何やってんだあいつは――と、こーへいは顔に縦線を描く。
調子ニ乗ルナコノ虫ケラガ!――
見下していた人間達の意外な反撃、その上に愚弄するようなこの尻への一撃。
怒り頂点に達した満身創痍の獣は、毛を逆立て抗う人間達へ新たな殺意を迸らせたのであった。
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