その16-2 信賞必罰!
「ありがとうございました、お返ししますっ!」
手首を引いて大鼠の前脚に絡まっていた鞭を手繰り寄せ手早くまとめると、東山さんはそれを持主へと差し出す。
たった今突撃を開始した少年と同様、彼女も先手を打って炎の群れに突入するために水を被っていたようだ。
ずぶ濡れの紅い服とポタポタと雫の垂れる前髪をそのままに強気な笑みを浮かべる少女をエリコはしばしの間眺めていたが、やがて彼女のその手からそそくさと鞭を受け取ると、安堵の表情を浮かべる。
「どういたしまして、無事でよかったわエミちゃん」
「あんまり無事でもなかったですけどね。王女こそご無事で何よりです」
「あー……ま、それを言うなら、こっちもご覧の通りの有様だけれど」
無事というには程遠い書斎の状況、先刻までの炎と熱によりお騒がせ王女の顔は煤だらけのうえに汗だくだった。鎮火した今でも、頬は上気して火照っている。
苦笑しながら肩を竦めたエリコを見て、東山さんも苦笑し返した。
でもまあ首の皮一枚で何とか繋がったのだ、とりあえず良しとするべきか――ほぼ同時に結論に至ると紅が似合う二人の女性は、気を取り直し大鼠を向き直る。
「積もる話は色々ありますが、とりあえず後にしましょうか」
「そうね。それで……これからどうするつもり?」
「決まってます」
エリコの問いかけに即答し、東山さんは肩に担いでいたロープを手に取りそれを解いた。
そして、ピンと両手でそれを引っ張ると眉間に深いシワを刻む。
「信賞必罰! 好き勝手に暴れる獣にはお仕置きが必要でしょう?」
「アッハハ、その案乗ったわ! 派手に行きましょう!」
パシンと床を鞭で弾くと、それを撓らせエリコも不敵な笑みを浮かべ大鼠を見据えた。
♪♪♪♪
同時刻、書斎出口付近。
「お元気そうでナツキさん、まあ殺しても死ぬような方ではないと思ってはおりましたが」
「相変わらず酷い言われようだわ。てか、そりゃお互い様でしょサイコさん?」
やにわに響き渡った聞き覚えのある楽器の音色。そして一瞬のうちに消え去った書斎を包む業火。
だがそれが誰の仕業かを一瞬にして悟っていたサイコは、案の定向き直ったその先見えた修道服姿の少女を瞳に映し、ピースマークを突きつける。
そんなサイコに対してなつきは肩を竦めてみせた。なんともまあ彼女らしい再会の言葉だ――と。
「……おーい、マジかコンミス、元気そうじゃね? てかなんだそのカッコ?」
「ドゥッフ、極悪コギャル、何それコスプレ?」
「やかましい、ぼさっと見てんじゃないわよあんたらぁ! 少しはカッシー見習ったら?」
一方で突如現れた我らが音オケ最凶
だが厚底サンダルの靴音を響かせて歩み寄って来たなつきは、開口一番不機嫌そうに言い返し、突撃を開始したカッシーと大鼠を交互に見据える。
おーこえーこえー、相変わらずだねえ――とクマ少年は眉尻を下げつつ、やれやれと咥え煙草の先から紫煙でできた輪っかを一つ浮かべていた。
だがしかし――
「うおおおお! ナツキちゃんじゃねえかあああ!」
心の底から歓喜の叫びをあげながら全力疾走で駆けよって来た青年が、そのままの勢いでがばりと彼女を抱き上げる。意表を突かれた少女は短い驚きの声をあげながら何事と目を剥いた。
「ちょっ!? 何すんのよヨシタケ! 離しなさいって! 降ろせ! 降ろせっての!」
途端にうざったそうに額に青筋を浮かべ、なつきは満面の笑顔で自分を見上げるヨシタケの頭をポカリと叩く。
だがそんな少女の怒りもなんのその。感極まった青年は目一杯に溜めた涙をそのままに、構わずなつきを高い高い――と、まるで子供をあやすように彼女を掲げ続けていた。
同じく駆け寄って来たヒロシはそんな二人を見て、苦笑を浮かべながらも安堵の溜息を吐く。
良かった、無事であったか――と。
「うっはは! この気の短さ、マジでナツキちゃんだぜ! よかったぁ! ほんとによかったよぉ……てっきり、俺ぁ村の恩人を死なせちまったかと思って……生きててくれて本当によかった!」
「あ、あったりまえでしょ! 私があれくらいで死ぬわけないじゃない! てか、いい加減降ろしなさいよこの脳筋漁師!」
まったく、このバカ青年は本当に苦手だ。暑っ苦しい程にどストレートに感情をぶつけてくる――
恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、なつきはすり寄ってくるヨシタケの顔を必死に両手で押し返し怒鳴った。
暴君、女帝、独裁者。オケでは逆らう者なしのこの
本気で照れるなつきを見て、これは意外――とこーへいとかのーはにやにやと生暖かい笑みを浮かべる。
と、熱血青年の頭を引っぱたくこと数発。ようやく解放されたなつきは、そんなクマ少年とバカ少年に気づき、途端にギロリと二人をガンつけた。
「ちょっと何笑って見てんのよ遅刻魔コンビ! ぶん殴られたいワケ?」
「へいへーい、何でもないでーすコンミス」
「ムフォフォー、コギャル何マジで照れてんノー? カーワーイー!」
「ふんっ!」
「ドゥッフ!?」
刹那、その股間に厚底サンダルによる強烈な前蹴りを食らい、かのーは顔に縦線を描きながら前のめりに崩れ落ちた。
「調子に乗るなこのエセ日本人がっ!」
「……スイマセンディシタ……」
ビクンビクンと痙攣するバカ少年に向けて、虫けらを見下ろすような視線を浴びせると、なつきは黒いオーラをその小さな体から迸らせながら大きな舌打ちを一つ響かせる。
これは痛そうだ――思わず自分のことのように思わず顔を顰めたこーへいとヨシタケはごくりと生唾を飲み込んだ。
そんな二人の顔を覗き込み、なつきはビシィ――と指を突き立てる。
「再会を喜ぶのは後回しよ、あんたらもネズミ退治手伝って!」
そして有無を言わさぬ口調でそう命令したのだ。
退治? そりゃあ願ってもないが、でもどうやって?――命令口調でそう指示された二人だけでなく、傍らで話を聞いていたヒロシとサイコも興味深げになつきの次の言葉を待つ。
と――
「遅くなったッスみんな!」
やにわに聞き覚えのある声が聞こえて来て振り返った一同は、こちらへと駆け寄ってくる眼鏡の青年に気づき意外そうに目を見開いた。
「チョクさん!?」
「ミヤノ宰相補佐!?」
「皆さん無事で何より……どうやら間に合ったようッスね」
傍らまでやってくると、チョクは膝に手をつきゼーハーと息を切らせながらもニコリと笑ってみせた。
「おっそいってのメガネのオッサン! あんな相手に何手こずってんのよ?」
「……手厳しいッスね~、ナツキさんは」
「ったりまえでしょ? 時間かかりすぎなのよ!」
「んー、手こずる?」
「あーその、ここに来る途中
「……なるほどなー?」
一瞬にしてなんとなくだが状況を把握したこーへいは、同情するようにチョクを見やる。
ここは引き受けるので姫達を頼んだッス――そう言って彼は
なんかうちの姫とよく似てるなこの子――と、内心思いながらも、チョクはタハハと苦笑を浮かべずり落ちた眼鏡を押し上げる。
「しかしサイコさんにヤスモトカデンツァ第二隊長殿までご一緒とは僥倖ッス! お二人も無事で何より――」
「あーもう、それはいいからさっさと作戦に移るっ!」
「……ほんっと、手厳しいッスねえナツキさんは……」
「もう始まってんのよ! ちゃんとロープ持って来た?」
「はいはい、ちゃんとここにあるッスよ――」
そう言ってチョクは肩に担いでいたロープを手に取ると、逸るなつきを落ち着かせるようにしてそれを見せた。
一体何をするつもりだろう――訳が分からないサイコ達は訝し気に少女と眼鏡の青年のやり取りを眺めていたが、やがてその様子に気づいたチョクは得意げに口元を歪める。
「丁度いいッス、ヒロシ殿、それにコーヘイも手伝ってほしいッス!」
「勿論、やぶさかではありませんが――」
「んー、そのロープで何すんだ?」
「ふふん、ネズミ退治ッスよ」
いやそれは既にそこの暴君少女から聞いているんだけど――そう思いつつ顔に縦線を描いた一同を余所に。
だがワンテンポずれていることに気づかず、チョクは得意げに作戦を話し始めたのであった。
♪♪♪♪
獣が放った威嚇の咆哮が突撃を開始した少年の身体をビリビリと震わせる。
―小僧、昨日も言ったがもう一度言うぜ?
「決して怯むな……だろっ?」
相手はセキネの比じゃない。一回のミスも許されない。わかってるっつの!――
こちらに向かって身構えた大鼠を見据え、カッシーは肩越しに上段で構えていた時任を握る手に力を籠めた。
こちらへと駆けてくる少年に猪口才な――と言わんばかりに鼻をひくつかせ、大鼠は口を開くとその口内にたちまちのうちに火炎を生み出す。
ソレ以上近ヅクナ人間――鼠はそう警告するように、火炎弾を放った。
だが、もう怯まない。怯むものか!――頬にひしひしと伝わってくる熱に双眸を細め、それでもカッシーは足を止めず獣との間合いを詰める。
―今だっ! たたっきれっ!―
「うおおおっ!」
妖刀の合図と共に、その意思が身体を突き動かした。
刹那。仄暗い書斎を禍々しい灯りで照らしながら迫りくる火炎弾に向けてカッシーは時任を振り下ろす。
虚空に金色の残像を残して、妖刀の刃が火炎弾を真っ二つに分断した。
左右に分かれて後ろへと通過していく火炎弾のその合間を前傾姿勢で潜り抜け、少年はさらに鼠との間合いを詰める。
覚エテル! アノ武器ハ嫌ナ武器。アノ刃ハ嫌イダ!――
蓬髪の野人だった時の記憶を脳裏に過ぎらせ、驚愕の嘶きをあげて大鼠は紅い瞳をまん丸く見開いた。
途端大鼠は少年を近づけまいと、立て続けに二発目、三発目と火炎弾を放つ。
それは無駄な足掻きだ大鼠――
妖刀はケケケと笑い、少年の身体に自らの意思を重ねた。
その意思に返答するようにして、カッシーは刃を返し迫る火炎弾に向けて再び時任を繰り出す。
切り上げ、そして平薙ぎ、最後に袈裟斬り――大鼠の放った火炎弾は退魔の刃によって放たれた直後に次々と分断されて行った。
「ボケッ! 相変わらず馬鹿の一つ覚えで火の弾打ちやがって!」
―ケケケ、いい加減もう見飽きたぜ鼠! ネタ切れなら大人しくくたばりやがれ!―
フギッ!? 近ヅクナ人間! コッチヘ来ルナ!――
獣は初めて狼狽の色を瞳に浮かべると威嚇するように低い咆哮をあげる。
今更遅いっつのこのネズ公!――そんな威嚇に臆することなくさらに加速し、カッシーは再び突きの構えをとった。
たまらず大鼠は前脚を振り上げ、全身の毛を逆立てながら迫る少年を叩き潰さんとする勢いで前脚を振り上げる。
だがやにわに、そのタイミングを狙いすましたかのように放たれたロープが、蛇のように鼠の右前脚に絡みつき、大鼠は直立したまま動きを止めた。
突如引っ張られた右前脚を向き直り、鼠は甲高い嘶きをあげる。
「いい加減にしなさい大鼠!」
ピンと張ったロープの端を握りしめ、東山さんは獣に向かって強気な笑みを浮かべてみせた。
おのれ人間どもめ。さっきは油断していたが今度はそうはいかない。たかが人間の雌一匹にもう不覚は取らぬ――
鬱陶しそうに音高無双の少女を睨みつけ、大鼠はロープを振り払わんと右前脚を引く。
「やるの? いいわよ。悪いけれど私、綱引きは大得意なの!」
去年の体育祭で行われた綱引きは、実質彼女とユカナの一騎打ちだったのだ。いざ勝負!――負けじと東山さんは渾身の力を籠めてロープを引っ張り返した。
腰を落とし、愛用のコンバースが床を擦る中、三百馬力のアンドロイドと善戦する怪力少女が引くロープはピンと張り詰め大鼠の動きを阻害する。
と――
大鼠は反対からもその身を引く力に気づき、またもや狼狽するように嘶きをあげた。
慌てて向き直った獣の紅い瞳が捉えたのは、いつの間に左前脚にも絡みついた新たなロープ――
「ふうんぬりゃああああ!」
「あーらよっとぉ!」
「いくッスよー!」
その端を握るのは、隆々と肩の筋肉を盛り上がらせロープを引く
男三人が引くロープは大鼠の左前脚を勢いよく引っ張り、たちどころに獣のバランスを崩した。
オノレ人間! 人間! 人間ドモ! 屑ノクセニ! 虫ケラノヨウニ弱ッチイクセニ!――
耐えがたい屈辱に牙を剥き、大鼠は吠える。
しかし両側から引っ張られ、バランスを崩した獣にそれ以上抵抗をする余裕はなく、仕方なく大鼠は振り上げた前脚を怒りに任せて叩きつけるように床に下ろすと憤慨するように鼻息をついた。
そこで獣は気が付く。
しくじった――と。
激昂で曇った
―小僧、狙うは眉間だ! 眉間を狙えっ!―
「わかったっ!」
鈍くその身を輝かせながら、喜々として叫んだ時任に向かって返答すると、カッシーは一足飛びで大鼠の懐に飛び込む。
フ ザ ケ ル ナ 人 間 !
本日一の大咆哮をあげて大鼠は牙を剥き、刃を躱さんとその身を捻った。
だがしかし。
「そうはさせないっ!」
「ぬうううううりゃあああ!」
まるで暴れ馬を御すが如く、東山さんとヒロシは気焔を上げつつ大鼠の両前脚を拘束していたロープを引き絞る。大鼠の巨体は僅かに宙に浮きあがったのみで、再びその身を地へと伏せることとなった。
勝機は訪れる。
間合いに入った。後はそう、憂うな! 惑うな! 怯むな!――
乾坤一擲。上半身を捻りカッシーは渾身の上段突きを大鼠に向かって放った。退魔の刃が自らの眉間に向けて迫る中、強引に地に伏せられた紅き獣は必死にもがく。
腹の底から放たれた少年の気合と、戦慄と怒りの入り混じった大鼠の咆哮が書斎の中央で交錯した。
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