第六章 steel sings blades dance

その15-1 燃える展開

遡ること十分前。

コルネット古城、大書斎


「もしマダラメがなっちゃんを見たら、まず間違いなく彼女を媒体にしようとするはずです。そうなる前に彼女を護らないと」


 徐に立ち上がり、日笠さんは切羽詰まった表情を顔に浮かべて皆を見渡した。

 他人の空似かもしれない。だが言われてみれば確かにあの僧侶の肖像画は、神器の使い手である微笑みの少女と似ていた。

 たとえ僅かでも親和性のある者をあの狂った死神が放っておくわけがないだろう。

 エリコも少女の後を追うようにして立ち上がると、日笠さんに同意するように頷いてみせる。


「王女、マユミ殿の言う『なっちゃん』というのは?」

「昨日話した彼女の仲間よ、一緒にこの城に来たの」

「おいおい、その子が僧侶様と似ているってのかよ?! まずいじゃねえか!」


 こうしてはいられない――

 事の重大さに気づいたヒロシとヨシタケも、各々剣呑な表情を顔に浮かべながら立ち上がったエリコを見上げた。


「チョクが一緒に付いているから大丈夫だとは思うけど、確かに急いだ方が良さそうね。準備できたら早速出発しましょう、みんないい?」

「かしこまりましてございます」

「御意」


 サイコはピースマークで、ヒロシは深々と頭を垂れてその指示に承諾する。

 ヨシタケも反論はないようだ。傍らに置いてあった青竜刀を手にして立ち上がると、彼は合点承知と言わんばかりにニヤリと笑ってみせた。

 それを見届けるとエリコは日笠さんを振り返る。

 そして不安そうに俯いていた少女の肩にポンと手を乗せ、自分を見上げた彼女に向かって安心させるように笑ってみせた。


「エリコ王女……」

「大丈夫、きっと無事よ。ナツミちゃんは私が護ってみせる」

「……ありがとうございます」

「行きましょう」

「はい」

 

 精一杯の笑顔を顔に浮かべ、そう日笠さんが返事をした時だった。

 衝撃と共に壁の一画が吹き飛び、天高く聳えていた本棚がまるで根元を切られた大木のように傾いていく。

 数瞬後に発生した本の雪崩と共に、地鳴りのような振動が一行の身体を襲った。


 何事だ?――

 その場にいた全員が崩れた本棚の根本に視線を向け、そしてぽっかりと空いた壁の穴から侵入してきたその『化け物』を視界に捉えて絶句する。

 舞い上がった数百年分の埃を煌々と内側から照らす炎はまるで地獄の業火。

 それは溶岩の如き橙の毛皮に身を包んだ、紅い瞳の巨大な獣だった。

 

「……鼠?」


 呆気に取られて呟いたエリコの声に呼応するように、それは鼠とは思えぬ野太い咆哮を書斎へと轟かせる。

 ノッシノッシと埃の中からその身を這い出し、猛牛の如く前脚で床を一度蹴ると、鼠の瞳をその場にいた一行に照準を合わせた。

 ミツケタゾ――まるでそう言いたげに。

 やにわに再度轟く威嚇の咆哮。

 一同は息を呑んだ。

 大きく開かれた獣のその口の中に、今にも放たれようとしていた燃え盛る炎の弾が見えて――


「散って!」


 身を竦ませた一同の身体を、威厳ある王女の声が我に返す。

 まさに言葉通り、蜘蛛の子を散らすように床を蹴って、その場を離脱した彼等とほぼ同時に大砲のような発射音を鳴り響かせ大鼠の口から特大火炎弾が放たれた。

 飛ぶようにして床に伏せた日笠さんの背後をその業火の塊が通過し、数秒後に部屋の角でど派手な爆発音を生み出す。


 焦がすような熱を首筋に感じながら彼女は振り返り、思わず息を呑んだ。

 見えたのはさしずめ『巨大な松明』。一瞬にして炎に包まれた本棚は、その勢いを留めることなくあっという間に両隣へ燃え広がり、たちどころに書斎を朱に染めていく。

 ここは謂わば『紙の森』――直ぐに一面火の海と化すことは誰の目にも容易に想像できた。


「何考えてんのよあの鼠! この城火事にする気?」

 

 ちょっと考えればわかりそうなものだが、所詮は畜生ということか。

 どうやらそこまでは頭が回らないようだ。エリコは舌打ちしながら大鼠を睨みつける。


「何ディスカーあのネズ公はー!」

「さてねえ、あんまり好かれてないのは確かっぽいぜ?」


 こーへいが辟易した様子で答える。

 やれやれゾンビの次は大鼠とは。しかしまあ随分と怒ってるようだが、何か人間に恨みでもあるのだろうか。

 だがまずい状況だ。出会い頭の強烈なご挨拶火炎弾のおかげで書斎の火は広がりつつある。

 こりゃ退路を断たれる前に脱出した方が良さげだ――

 クマ少年は煙草を咥えつつ猫口を作ると腰の投げ斧トマホークにそっと手を伸ばした。

 と、そんな彼を余所に紅蓮の獣はゆっくりと書斎の中央まで移動すると短く嘶く。


 紅い瞳がぎょろりと彼等を見据えると次の瞬間、大鼠は前脚をしっかり床に噛ませ再び大きく口を開いた。

 うそ、また来るの!?――

 ようやく起き上がったところであった日笠さんは、またもや放たれようとしていた火炎弾に気づき大慌てで身構える。

 だがしかし。


「うおおおおりゃあああーっ!」


 刹那。獣の口腔からまるで散弾のように発射された火炎の弾群に向かって、雄たけびをあげて突撃をする人物が一人。

 

「ヨシタケっ!」


 あのバカっ! また無謀な真似を!――無鉄砲にも大鼠に向かって単身挑んでいった青年の名をエリコが叫ぶ。

 しかしそんな彼女の制止で一度暴走を開始した熱血漢が止まる事などもはやなく、ヨシタケは四方に飛び散るようにして放たれた火炎弾の隙間を縫うようにして、突っ込んでいった。

 再びの爆発。そして舞い上がる炎の柱。

 すぐ真横の床に直撃した火炎弾の炎が身を焦がした。

 服の一部が煙をあげる。剥き出しの腕をちりちりと焼き付ける。

 

 だがそれでも。

 しったことか!――と。

 床、壁、紙の森、四方八方で爆発音が轟く書斎の中を、まるで狼の如くヨシタケは駆け抜ける。

 

 ウットウシイゾ人間!――


 自らが放った火炎弾を恐れることなくこちらへ向かってくるヨシタケを見て、火ネズミは僅かに狼狽したように一鳴きした。

 だがすぐに迎撃の火炎弾を口の中に生成し、その照準を彼へと向ける。

 立ちどころに特大火炎弾……いやそれ以上の『超』特大火炎弾が、獣の口中に生み出され、周囲へちりちりと熱を放出し始めた。

 直撃すれば人間などひとたまりもないだろう。一瞬にして消し炭になるほどの禍々しい業火。

 だがそれを見てなお、魂から不退転の三文字に染まった、退くことを知らぬこの青年は不敵に笑う。


 ドン――と。

 やにわにビリビリと空を派手に振動させて、業炎が青年に向かって放たれた。


 同時にヨシタケは全身のバネを利用して床を蹴り上げ跳躍する。すぐ真下を自分の身長以上の火炎弾が革サンダルの底を掠めて通過していった。

 背後の本棚で新たな爆発が起こり、光線と熱風が青年の背中を襲う。

 それでも彼は躊躇しない。

 その勢いは止まらない。その目は真っ直ぐに見据えた大鼠から逸らさない。


 村のみんなの仇だ! 管国の兵隊さんたちの弔い合戦だ!

 その身をもって味わいやがれ!――

 

「覚悟しやがれこのネズ公がぁぁぁっ!」


 尖った八重歯を覗かせ吠えるように一喝すると、ヨシタケは肩に担いだ青竜刀を握る手に力を籠めた。

 

 と――

 

 獣の勝ち誇った嘶きが炎の海の中に響く。

 はたして落下の勢いに身を任せ、両手に握りしめた青竜刀を振り下ろそうとした彼の瞳に映ったのは、既に次弾の装填チャージを完了させた大鼠の姿だった。


「上等だ、んならぁーっ! 燃える展開だぜっ!」

 ナラバモエツキロ人間ッ!――

 

 宙に身を躍らせた標的ヨシタケ目掛けてその口腔を大きく開け、大鼠は照準を定める。

 野郎っ、この瞬時ですぐに火炎を撃てんのかよ!? まったく大した鼠じゃねえか!

 だがこっちも腹は決まっている、後は我慢比べだ。

 てめえの炎が先か? それとも俺の刃が先か?――

 今にも放たれようとしている火炎弾に目もくれず、ヨシタケは歯を食いしばり、青竜刀を獣目掛けて振り下ろした。


 刹那。

 

「図に乗るなネズ公――」


 まず一人目。これで終わりだ。大きく一度息を吐けば目の前の人間を消し炭にできる――

 そう考えて目元を歪ませた大鼠の耳に、低く威風溢れる男の声が聞こえた。


 ズン――と。

 小さな地震が起きたかのように震脚が鼠の足元を揺らすと、吃驚の嘶きを短くあげた獣の右頬に鍛え抜かれた拳がめり込む。

 伏寇在側、完全に注意をヨシタケのみに向けていた大鼠は、不意に訪れたその一撃を食らい仰け反った。

 弾みで照準を完全に逸らした火炎弾が落下してくるヨシタケの真横を掠めて天井へと飛んでいく。


「いけっ! ヨシタケっ!」


 隙をつき間合いを詰めていたヒロシは、全身全霊の一撃を放ち終え頭上へと叫んだ。

 炎を反射し鈍く光る青竜刀の刃が、その声に呼応する。

 慌てて体勢を立て直し、頭上に迫る憎き人間へと再び注意を向けた大鼠が威嚇の声をあげた時はもう遅かった。

 

「イカスぜヒロシさんっ!」


 起死回生の好機に雄叫びをあげたヨシタケが振り下ろした武骨な刃は、彼の全体重を乗せて大鼠の背中へと突き立てられる。

 ズブリ――と、肉の割ける音がしたかと思うと、たちどころにそれを打ち消す程の獣の咆哮が火の海と化した書斎を支配した。

 この世の物とは思えない大鼠の絶叫に、日笠さんは思わず身を竦ませる。


「ぎゃあぎゃあうるせえこのネズ公っ! 俺達の怒りはっ! 俺達の恨みはこんなもんじゃねえぞっ!」


 突き立てた青竜刀を逆手に握り、ヨシタケはあらん限りの力を籠めてそれを鼠の背へと押し入れた。

 たちどころに橙色の毛皮をマグマのような紅い血が染めていく。

 咆哮が絶叫に。

 そして絶叫は悲鳴に変わっていった。

 激痛に悶え大鼠は背中にしがみ付くヨシタケを振り落とそうと激しく暴れだす。

 残心を怠らず、身構えていたヒロシが床を蹴り後方へと離脱すると同時に盛大なロデオが始まった。

 全力疾走で駆けだした大鼠は、ところ構わず周囲に体当たりをし、背中に走る激痛から凄まじい咆哮を繰り返す。


 オノレ人間! 痛イ! 痛イ! 降リロ!――


「ドゥッフ!?」

「くっ!」


 その口腔から、まるで機関銃マシンガンの如くなりふり構わず次々と放たれた火炎弾が、益々もって書斎を炎の宴へと誘っていった。

 不意に飛来した火炎弾を横っ飛びで床に伏せて躱し、エリコ達は唸り声をあげる。


「敵も必死でございますね」

「んー、落ち着いて言ってる場合じゃねえだろ――って!?」


 と、相も変わらず眠そうな半目で様子を窺っていたサイコを向き直り、やはり相も変らぬのほほん声で突っ込んだこーへいは飛んでくる火炎弾に気づくと、急いで彼女を小脇に抱えてその場を離脱した。

 数瞬後に元いた場所で爆発と共に炎の蜷局を生み出される。

 スライディングで床に伏せていたこーへいはそれを眺め眉尻をさげると、傍に振って来た燃える本棚の破片に咥えていた煙草を押し付けた。


「助かりました。感謝するのでございます」

「おーい……こりゃやばくね?」


 小脇に抱えられたサイコがぐっとサムズアップするのを余所目に、こーへいはやれやれと紫煙を燻らせる。

 その間もヨシタケと大鼠のロデオは続いていた。

 背中から全身をかけるように襲う激痛に大咆哮をあげながら、獣は身をよじらせ暴れ馬の如く書斎を駆けまわっていた。


「クソがっ! ぜってぇ放すかよぉ!」


 猛り狂う大鼠に向かってヨシタケは吠え返し、振り落とされまいと青竜刀の柄を握りしめる。

 だが、不意に大鼠の挙動に迷いがなくなったことに気が付きヨシタケは太い眉を訝し気に寄せた。

 はたして――

 

「ヨシタケ飛び降りろっ! 潰されるぞ!」


 大鼠の突進を辛うじてかわしつつ、そのロデオを止めようと機を窺っていたヒロシが叫ぶ。

 くそっ!――武人のその声と共にヨシタケは口惜し気に舌打ちをしつつ獣の背を蹴り宙へと飛び出した。

 目の前に迫った、炎を巻き上げて燃え盛る本棚に気づいて。


 間一髪離脱した青年の背後で、大轟音をあげながら大鼠がその身を本棚へ突入させ、根元からぽっきりと『巨大な松明』をへし折った。

 もしあのまましがみついていたら今頃黒焦げトーストサンドになるところだったぜ――

 床をゴロゴロと転がりながら着地したヨシタケは、背中を流れる冷や汗を感じながら大きな息をつく。

 

「まったくお前は無茶をするな……」

「わりいなヒロシさん、やっぱり俺にゃあこれしかできねえよ。けどよぉ、口火は切ってやったぜ? 弔い合戦のさ!」


 と、背後に歩み寄って来た気配と呆れ声に気づき、ヨシタケはカッカ――と笑い声をあげながら答えた。

 そんな青年の潔い笑い顔を見てヒロシは苦笑する。

 会話はそこまでであった。

 

 瓦礫と化した本棚の中より半身を引き抜き、クルリとこちらを振り向いた大鼠に気づくと、二人は再び険しい表情を浮かべながら獣を見据える。

 背中に突き刺さった青竜刀をそのままに、大鼠はヨシタケとヒロシを怒りと殺意の籠った紅い瞳で一瞥した後、ひくひくと鼻を動かした。


 許サナイ! オマエラ絶対許サナイ! ミンナマトメテ焼キ殺ス!――

 

 直後。

 自らの血で紅く染まった毛を逆立てて激怒した大鼠は、徐に弓なりにその身を反らせ甲高い嘶きをあげる。

 途端揺れ出した部屋を剣呑な表情で見上げていた日笠さんは、途端背後から聞こえてきた火の音色に慌てて振り返った。

 

「何よ……これっ!?」


 驚愕のあまり見開いた少女の瞳が捉えたそれは、部屋を囲むようにして床から噴き出した巨大な『炎の壁』であった。

 背後だけではなかった。間髪入れずにその左右にも囲むようにして新たな炎の壁が出現し、彼等の包囲を完了させる。


 これってもしかして……

 退路を断たれた?!――


 一回り狭くなった書斎をぐるりと眺めながら日笠さんは青ざめた。

 と、ここから誰一人として逃すまいという執念が生み出したその闘技場リングの中央で、大鼠は大きな鼻息を一つ吐き呆気に取られて立ち尽くす少年少女達へと身体を向ける。


 

 準備ハデキタ、覚悟ハイイカ人間ドモ――と。


 

「やってくれるじゃない畜生。いいわ、相手してあげる!」

 

 赤――

 紅――

 朱――


 それは炎の闘技場。

 そして観衆は『紅蓮の焔』――


 大鼠の紅い瞳が放つ殺気を真っ向から受け止めて、真紅の光を携えたエリコの瞳は負けじと闘志を燃やしはじめた。

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