第五章 歪んだ愛のカタチ

その13-1 歪んだ愛情

コルネット古城一階、大書斎―


「おはようございます」

「あ……どうも」


 寝ぼけ眼で何とも間の抜けた返事をしてから、日笠さんは目をぱちくりさせる。

 だがそんな彼女を何ら気にする様子もなく、書斎机の上にでんと胡坐をかいて座っていたサイコは朝の挨拶を終えると再び手元にあった本へと視線を戻していた。

 どこだっけここ?

 ポリポリとやや寝ぐせのついた髪を掻きながら日笠さんは周囲を見渡す。

 未だにぼーっともやがかかる視界に見えたのは一面広がる『本の森』だった。

 傍らの床では大の字に寝転がったこーへいとヨシタケ、そしてくの字に身体を曲げて寝息を立てるエリコの姿が見える。

 入口近くの壁に寄りかかって腕を組んでいるヒロシも、うとうとと船を漕いでいるようだ。

 彼は自主的に見張りをしてくれたのだろうか。

 かのーの姿が見えないけど、まああいつは朝が強いからどうせどこかうろちょろしているのだろう。


 そうだ、思い出した。昨日はゾンビに追われて成り行きで辿り着いたこの書斎で一晩明かしたんだっけ――

 段々と頭がはっきりしてきた日笠さんは自分の置かれている状況を思い出して深い溜息をつく。

 全身がだるい。身体中張っていてバッキバキだ。疲労は全く取れていない。

 床に直で寝てしまっていたのだから仕方がないが最悪の寝起きだった。

 きっと今日も変わらず最悪の一日になるのだろう。

 だが、されども。愚痴を零すのも、悲観的になるのもまずは置いておくと決めたのだ。

 今はこの最悪な城の中で生き延びてやるんだ――昨夜ササキと交わした約束を思い出し、日笠さんはパン、と一度自分の頬を叩く。


「随分な気合いの入れようで、何かふっきれたようですが」


 と、相変わらず本から視線を話さないまま、しかし意外そうにサイコは日笠さんへ言葉を投げかけた。


「空元気ですけどね」

「死地においてはそれも重要、思い詰めるより十倍ましでございます」


 立ち上がりながらそう答えた日笠さんに対し、サイコは本から顔をあげて彼女を向き直る。

 そしてお決まりの如く少女に向けてピースサインを突き出した。

 

「昨日より良い顔つきでございますよマユミさん」

「……ありがとうございます」


 もしかして彼女は気づいていたのだろうか。

 私って思ったより顔に出やすいのかな――奇しくもササキと同様の忠告を口にしたサイコを見て、日笠さんは疲労の残る表情に苦笑を浮かべる。

 

「ところで何を読んでいるんですか?」

 

 閑話休題。日笠さんはサイコの傍らに歩み寄ると、彼女が手に持っていた本を覗き込んで尋ねた。

 よく見るとその周り、即ち書斎机の上には恐らく彼女が読み終えたものであろう本の山が囲むようにして出来上がっている。


「マダラメの手記でございます」

「手記? これ全部?」

「さようで」


 手記――そう答えた分厚い本へと再び目を落とし、その内容へと視線を這わせながらサイコは頷いてみせた。

 

「六百年分ほぼ毎日欠かさず実験結果を記しています。マメな男のようですね」

「あの……もしかしてあれからずっと起きていたんですか?」

「中々に興味深い内容でしたので、ついつい読みふけってしまいました」


 けろりと日笠さんの問いに答え、サイコは傍らに置いてあった紅茶の入った水筒を口に運ぶ。

 

「最初の日付けは六百年前の○月×日、伝承に関する史料と照らし合わせて逆算すると、マダラメが旅の僧侶によって殺された一週間後あたりからのようです」

「それじゃ――」

「この手記は恐らく彼が死神リッチとして復活した後から書き始めたものであるかと」

 

 凄まじい勢いで頁を捲り手記に目を通しながらサイコは淡々とその内容について説明していく。

 ややもって最後の頁を捲り終えると、サイコはパタンとその手記を閉じ神妙な顔つきで吐息を漏らした。


「サイコさん?」

「どうやら手記はこの一冊で終わりのようでございますね」

「よ、読み終えちゃったんですか?」

「はい」

「こ、これ全部? 六百年分?」

「完全読破しちゃったのでございます」


 閉じた手記を静かに傍らの本の山の上に積み重ねると、サイコは得意げに横にしたピースサインを右目に翳しパチリとウインクしてみせた。

 呆れるよりほかない。この量をたった一晩で?――日笠さんはサイコのを顔をまじまじと見つめる。


「大変興味深い内容でございましたが、同時にいかにあの死霊使いが偏執で歪んだ愛情を抱き続け、そしてこの大陸随一自分勝手な異常者であるかもわかる手記でございました。まったくもって反吐が出る、読んだ者はしばらくの間悪夢にうなされること間違いなしな名著ですね。もう一度いいましょう、反吐が出るのでございます! クソ食らえマダラメ!」

「は、はあ……」

 

 褒めてるんだか貶しているんだかわからない書評だ。

 腕を組み、うんうんと深く頷くサイコに対して日笠さんは戸惑いながら相槌を打つ。


「しかしおかげで謎は全て解けたのでございます」

「本当ですか?」

「手記の最後の日付は今からおよそ四十日程前でした。これが何を意味するか」

「四十日前……一月半前! ということは――」

「ご名答。丁度ホルン村が不死者アンデッドの襲撃を受けるようになった時期と一致するのでございます」


 中々に鋭い。聡明な子でございますね――

 頭の中で計算し、すぐにピンときた少女に対してサイコは満足気に口の端を歪ませた。

 そして彼女は立ち上がると、ぴょこんと書斎机の上から飛び降りて日笠さんの正面に立つ。


「サイコさん?」

「マユミさん、手伝ってもらえますか? 全員起こしましょう。皆知っておいた方が良い事だと思います故――」


 首を傾げた少女に向かってサイコはそう言うと、ずずい――とピースサインを突きつけたのだった。



 三十分後――


「おはようございます、良い朝ですね皆さん」


 全員が起床し、書斎机の周りに集まったのを確認すると、サイコは再び机の上に乗って胡坐を掻く。


「思いっきり曇ってんぜ、サイコさん」


 雨は止んだが今日も変わらぬ曇天が空を覆っている。

 窓の外をちらりと眺め、ヨシタケは大きな欠伸を一つしながらツッコミを入れていた。


「てか一体何よ、こんな朝っぱらからさあ?」


 朝に滅法弱いエリコは、既に斜めに傾いていたご機嫌を隠すことなく表情に浮かべながらサイコへと尋ねる。

 そんな彼女を蔑むように見下ろしながら、彼女付の教育係である小柄な女性はやれやれと肩を竦めてみせた。


「王女、少しは早起きに慣れて下さい。貴女様が最後でございましたよ?」

「昨日色々あったんだから今日ぐらいもう少し寝かせてくれたっていいでしょ? 大体アンタが早起きし過ぎなのよ」

「寝ていません。徹夜でございます」

「おおっとー寝てないアピールですかぁサイコさーん? わー凄いですねー」

「今日に限らず、いつも昼までぐうたら寝ているダメ王族にだけは言われたくないのでございますよ、エリコ=ヒラノ=トランペット第一王女」

「ちょっとアンタぁ、今何でフルネームで言ったワケ? 絶対バカにしてるでしょ!」

「バカになどしておりません。ついでに言うと、そろそろいい歳なのに未だ教育係という名の『監視役』がその動向を見張っていないと女王が心労から倒れてしまいかねない程の問題児で、そんなんだから三十路が近いのに嫁の貰い手がいないのでございますよ、プークスクス――とも、まったくもって毛ほども思っておりませんのでございます」

「ほほう……いい度胸してるわねアンタ」

「もう! エリコ王女もサイコさんもその辺にして下さい! 重大な話があるから集まったんでしょう?」


 この二人ほんとに王女とその教育係なのだろうか? まったくもって大人げないというかなんというか――

 やれやれと溜息をつきながら、日笠さんは仕方なく仲裁に入った。

 眠気も一気に醒め、額に元気な青筋を浮かべてサイコに飛び掛かろうとしていたエリコは仕方なく浮いた腰を落ち着ける。

 と、サイコも小さな咳払いを一つつき、改めて皆を一瞥した。


「んでさー、重大な話ってなんだ?」

「他でもありません、昨夜ヨシタケ殿が抱いていた疑問の答えが分かったので、こうして集まってもらったのでございます」

「そりゃ本当かよサイコさん!」


 真っ先に反応したヨシタケが詰め寄る勢いで腰を浮かせながら尋ねると、サイコは右手を差し出して落ち着け――と、それを制する

 そして六百年に渡り死霊使いマダラメが記した手記からわかった事実を皆へと話し始めたのだった。


「今になって村を不死者アンデッドが襲うようになった理由、それは僧侶を蘇らせるためでございます」

「僧侶ぉ?!」

「おーい、僧侶ってさー、あの伝承の中でマダラメを倒した僧侶のことか?」


 意外な理由がサイコの口から飛び出し、こーへいは半信半疑で尋ねる。

 サイコは自信たっぷりに力強く頷いていた。


「甦らせるって……でも昨日言ってたじゃないですか。死んだ者は生き返らないって」

「その通りでございますマユミさん。死んだ者は生き返りません、これは自然の摂理です。ですが、その自然の摂理に抗う方法をマダラメはこの六百年研究していたようです」 

「自然の……摂理と?」

「はい、ずばり完全なる蘇生方法でございます」

「サイコ殿、それはマダラメが死神リッチに転生した方法とは違うのですか?」


 死してなお、不死者アンデッドとしてこの世に留まることは可能――確かサイコはそう言っていた。

 昨夜のことを思いだしヒロシは尋ねる。だがサイコはその問いに対し、すぐに首を振ってみせた。


「マダラメが用いた死後魔物として甦る技法は、ごく限られた一部の死霊魔法の使い手のみが可能な技法でございます。言わば高名な魔法使い限定の技法ですね。しかしながら彼が研究していたのは、魔法使いだけに限らず誰でも完全に蘇生する方法のようです」

「狂ってる……禁忌じゃないそんなの」


 魔法というあらゆる事象を超越した力であるからこそ、この大陸の魔法使い達は厳格なる秩序で己を戒め、自然の摂理を乱さないように魔法の力を制御してきたのだ。

 それを利己的欲求のために、かつ死してなお不死者アンデッドとして生き永らえてまで禁忌を犯すとは――胡坐を掻いた両足の上に頬杖をつきながら聞いていたエリコは、サイコの言葉に顰め面を浮かべる。

 

「んで、その目的が僧侶を甦らせるため――ってか?」

「さようでございます」

「けどよぉ、おかしくねーか? だってマダラメは僧侶様に殺されたんだぜ? それが何故彼女を甦らせようとしてるんだよ?」


 自分を殺した張本人。憎みこそすれど、蘇らせようとする動機が考えられない。

 辻褄が合わないマダラメの挙動に、ヨシタケは不可解そうに表情を曇らせる。

 と、サイコは眠そうな半目をさらに細め、腕組みをしながら冗長な唸り声をあげた。

 さて、どう表現するべきか――まるでそう言いたげに。


「それは中々表現が難しいのでございます。誤解ないように言うとすればそうですね……愛ゆえに――といった所でしょうか」

「はぁ? 愛ぃ? どういうことだ?」

「どうもマダラメはくだんの僧侶に恋愛感情を抱いていたようです」

「……えええっ!?」


 一瞬の間を置いて一斉に驚きの声をあげた日笠さん達に頷いた後、サイコは手元に積まれたマダラメの手記の一冊を手に取って開く。

 

「どの手記にも実験記録と共に、彼の僧侶に対する熱い恋慕が記されております。それはもう恋文ラブレターと言っても差し支えない程に」

「あの、マダラメは確かに僧侶に殺されたんですよね?」

「伝承によれば間違いなく殺されておりますね」

「なのに僧侶を好きと?」

「好きどころか熱烈に愛している感じでございます」


 はたして彼の手記には六百年に渡り僧侶を想う恋心が所々に記されていたのだ。

 殺されても尚愛しいとは、純愛と定義してよいのだろうか。もっとも手記の主の恋心は些か一方的過ぎる偏執なものであったが。

 パラパラと頁を捲りながら、そこに記されていた虫唾が走るような独り善がりを一読し、サイコは辟易するように眉を顰めていた。

 

「質の悪いことがもう一つ」

「な、なんですか?」

「どうもマダラメの僧侶に対する恋慕の気持ちは、次第に彼の記憶まで歪ませてしまったようです」

「ど、どういうことですか?」

「彼の中で僧侶の存在はいつの間にか自分を殺した相手ではなく、身を挺して自分を救ってくれた恋人にすり替えられているのでございます」

「は?」

「どうも自分の記憶を自分に都合のいいように徐々に変えて、それを信じ込んでしまっているようでございますね」


 手記を順に読み進めているとそれがよくわかるのだ。

 マダラメの中で徐々に僧侶が偶像化されていき、彼と僧侶の関係が改ざんされていくのが。


「ここ百年の彼の手記は特に酷いのでございます。僧侶について、不慮の事故で命を落とした私のために、彼女は自らの命を代償にして死神リッチとして甦らせてくれた――そう記してありました。どうやら僧侶に刺されて殺された事は、彼の中ではすっかりなかった事となっているようです」

「ドゥッフ、サイコパスじゃないディスカ!」

「おーい、やばくね?」


 あの死神リッチが如何に異常かがよくわかるサイコの説明に、流石のこーへいも咥えた煙草をしんなりとぶらさげながら眉尻を下げる。

 そんな中、日笠さんは一人頭を抱えるようにして俯いた。

 まったく聞けば聞く程うちらの世界の斑目あいつと瓜二つじゃない。舞ちゃん勘弁してよ――と。


「まとにかく、あの変態マダラメがこの六百年間何をしていたかはわかったわ。歪んだ愛情で僧侶を蘇らせようとしてるのもね。けれど、それが何故ホルン村を不死者アンデッドが襲うようになったのと繋がるのよ?」


 アンタの説明じゃやはり肝心な部分は謎のままだ――

 エリコは頬杖を止めると書斎机上のサイコを見上げて説明を求める。

 と、彼女がそう問いかけてくるのがまるでわかっていたかのように、サイコは不敵な笑みを口の端にニヤリと浮かべ、お得意のピースサインをエリコへと突き出した。

 

「僧侶を蘇らせるために必要となる『器』の存在を見つけるためでございます」

「器?」

「手記によると、死者の完全なる蘇生方法の研究はさしものマダラメでもやはり困難を極めたようです。およそ三百年前となりますが、手記の中で、断腸の思いながら中止する――そう記されておりました」

「うそ、諦めちゃったの?」

「え……それじゃ――」


 やはり辻褄が合わなくなるんじゃないだろうか――

 そう言いかけた日笠さんの言葉を、突き出していたピースサインを向けて制するとサイコは話を続ける。


「しかしマダラメは別の方法で僧侶を蘇らせる道を模索し始めたのでございます」

「んー別の方法ねえ」

「さようで。目から鱗が落ちるような、発想の転換が成せる、かの死霊使いネクロマンサーらしい方法ではありますが」


 その方法が彼の手記の中に初めて出てきた時、サイコは思わず感嘆の声をあげてしまった程だった。

 気に恐ろしきは彼の僧侶に対する歪みきった偏執な愛情といったところか。

 悠久に近い不死の身体を得た死神リッチが、時間をかけて拗らせ、焦がした恋慕の末に思いついたその方法とは――




「彼の思いついた新たな方法、それは『意思を持った死者』を作り出すことでございます――」

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