その12-3 器
深夜
コルネット古城礼拝堂―
話は元に戻る。
「同士討ち……ね」
長椅子から起き上がり、足をおろして腰かけながらカッシーは一人呟く。
疲れたから休む――と、あの後なつきが強引に打ち切ったため、話はそこで終わっていた。
続きは起きてからでいいでしょ? 明日には準備できる予定だからさ。あ、そうそうあんた達も手伝ってよね――
そう言い残し彼女は適当な長椅子に横たわると早々に眠りについてしまったのだ。
一体このコンミスは何するつもりなのだろうか。当然カッシーは懐疑的な眼差しを彼女に向けていたが、結局聞けずじまいに終わっていた。
どうやら早朝から魔曲を弾き続けたせいもあって疲労のピークだったらしい。
毎日ほとんど寝てなかったんです。でも先輩達に逢えてきっと安心したんだと思います。だから……今は寝かせてあげてください――
そう言っていた亜衣のことを思い出し、カッシーは意外そうに少女の寝顔をそっと覗きこむ。
なつきはあれから一回も目を覚まさず、今も小さな寝息を立てている。
あの性格のせいで本当にもったいないことだ。見た目はコギャルだが寝顔だけなら充分可愛い部類に入るのに――と、口にしたら恐らく半殺しどころでは済まない感想を胸の中で抱きながら我儘少年は溜息を吐いた。
しかし激動の初日だった。カッシーは長椅子にもたれ掛り今日一日を振り返る。
日笠さん達は大丈夫だろうか。依然として行方が知れないなっちゃんはどこへ消えたのだろうか。
すぐにでも捜索に行きたかったが朝になるまで待てとチョクに止められていた。
夜は
今はただただ、皆の無事を祈るしかない。
そしてもう一つ、少年には気にかかっていることがある。
徐に傍らに掛けてあった時任を向き直り、カッシーは話かけた。
「なあ、ナマクラ」
―ん?―
「お前がいたエドって国にさ、楽器ってあったか?」
―あん? いきなりなんだよ?―
「いいだろ別に、それくらい聞いても」
―そりゃあるに決まってんだろ―
笛に太鼓に三味線に琴、音楽にあまり興味はないが楽器くらいは知っている。だがそれがどうした?――
突然脈絡のないことを尋ねられ、時任は一瞬躊躇したが、すぐにはっきりとそう言い切った。
「それって曲を奏でるための楽器だよな?」
―……はあ?―
「合図とかのために使ってるわけじゃないよな?」
―当たり前だろ? 小僧、おまえどうしたんだ突然?」
「……いや」
訝しげに少年へ返答した妖刀から視線を離し、カッシーは一人確信する。
やはり、楽器が極めて特殊な扱いをされているのはこの大陸だけだ――と。
だがしかしあの男は言っていた。
あの吸血鬼はなつきのヴァイオリンの演奏を聞いてこう語っていたのだ。
懐かしい音色だった――と。
懐かしいってことはだ。シンドーリはヴァイオリンの音色をどこかで聴いたことがあるってことだろ?
じゃあ彼は一体どこでその音色を聴いたんだ? だって
さらに言えば、目の前の
つまりだ。少なくともこの大陸にも昔は楽器があったってことじゃないだろうか。
でも今はこの大陸に楽器があまり普及してない。それどころか音楽っていう文化自体があまり発展してさえいない。
昔はあった。けれど今はないってことだ。一体この大陸で何があったんだろう――
夜の礼拝堂に神々しく聳え立つパイプオルガンを見上げ、カッシーは胸の中をもやもやさせる疑問に対して口をへの字に曲げた。
だがしかし。
「……うーんわからん」
この世界の住人でもない自分に答えを導き出すのは無理だなこりゃ。
全部終わったらチョクさん辺りに相談してみよう。何かわかるかもしれない。
そう結論に至り、カッシーは思案するのを断念する。
うじうじ悩まないのはこの少年の長所だった。
―なんだおまえ? 変なモンでも食ったか?―
「いやこっちの話。ナマクラありがとな、んじゃ寝るわ」
そう言ってカッシーは背伸びを一度すると再び長椅子に横になる。
訳のわからん質問してきたと思ったら、急に一人で勝手に納得しやがった。なんだこの小僧は――
途端に聞こえてきた少年の寝息に、時任は呆れたようにケケケ――と笑ったのだった。
♪♪♪♪
早朝。
コルネット古城、王の間―
朝がきた。
少しほっとした。もしかするともう夜が明けないのではと思っていたから。
王の間の両脇を飾る大きな嵌め殺しのステンドグラス。そこから見える光景をぼんやりと眺め、なっちゃんは一人窓辺に佇ずむ。
雲は相変わらず多い。暁はまだ見えない。でもそこに光は確実にある。
僅かに雲間から差し込む陽光が今は何より嬉しかった。
「一睡もしなかったのか?」
背後からそんな声が聞こえて来て、微笑みの少女はその身を強張らせた。
だが陽の光によって僅かに持ち直した心を奮い立たせ、気丈にも彼女はその声の主を睨みつける。
「酷い顔だ。せっかくの美人が台無しだな」
「誰のせいだと思ってるの?」
無表情ながらも皮肉を口にしつつ歩み寄って来た声の主――オオウチに対し、なっちゃんは言い返した。
そして風使いの言う通り、すっかり焦燥しきったその顔から悟られまいと怯懦をひた隠し、彼女は周囲を見渡す。
「
「主は陽の光が好きではない」
少女の下までやってくると、オオウチは端的にそう答えなっちゃんへ麻袋と木筒を差し出した。
これはなに?――差し出されたそれらをちらりと見た後に、彼女はオオウチに向かって目でそう問いかける。
「食事だ。食べろ」
「……」
「心配しなくてもただのパンと水だ。毒など入っていない」
「どこでこれを?」
「聞かない方がいいと思うが?」
食料を差し出したまま、オオウチは抑揚のない声で答えた。
袋に僅かに付着した赤黒い染み――聡明な少女はそれを見て風使いの言葉の意味を悟る。
だがしかし。
しばしの思案の後、なっちゃんは引っ手繰るようにしてオオウチの手からそれらを受け取ると、中に入っていたパンを頬張り流し込むようにして水を口に運んだ。
味がしない。まるで風邪を引いた時のように何を食べているかもよくわからない。
けれどそれでも今は食べるんだ。いざという時にばてぬように。
絶対にここから逃げてやる。諦めるものか――と。
「物分かりが良くて助かる。器のお前が倒れては我が主が困るからな」
ようやくもって手を降ろし、オオウチはやはり感情のない口調でそう言うと踵を返して去ろうとした。
だが食事の手を止め、なっちゃんは風使いの背中に向かって言葉を投げかける。
「ねえ――」
「なんだ?」
「もう行っちゃうの? 少し話し相手になってくれない?」
「断る。お前と話をする理由がない」
「私にはあるわ……話してると気が紛れるの。もしかすると少し落ち着いて眠ることができるかもしれないし」
「……」
「私が倒れちゃ困るんでしょ?」
オオウチはようやく振り返ると僅かにその形の良い眉を動かし、思案するように喉奥で唸り声をあげた。
少女はクスリと無理矢理に微笑を浮かべて見せる。
少しでも情報を引き出すんだ。ここから脱出するために有益な情報を。
大丈夫、きっとできる。昨日のように後手には回らない――
一瞬のうちに様々な考えを脳裏で巡らせながら、なっちゃんはオオウチをじっと見つめ彼の応答を待った。
「いいだろう。少しだけだがな」
やがて風使いはそう言って再び少女の下へと歩み寄る。
なっちゃんは悪戯っぽい笑みを再びオオウチへと向け彼を迎えた。
「あなたは陽の光は平気なの?」
「俺は
「
「……答える必要はない」
打ち切るようにしてオオウチは答える。
やはり表情に変化は見られない――顎先に人差し指を当て、観察するようにオオウチの挙動を窺っていたなっちゃんは、しかし諦めずに質問を続ける。
「ねえ、エリコ王女やチョクさんとはどういう関係なの?」
「誰だそいつは?」
「私と一緒にいた眼鏡の男性よ、エリコ王女は……見てないか」
「キシと戦っていたあの女か?」
「……どうして知ってるの?」
「視覚を共有しているんでな……だがやはり知らん、あんな女は」
「でも彼等はあなた達の事を知っているようだったけど。あなたは覚えてないの?……ねえ、オオウチさん?」
そう言ってなっちゃんは風使いの顔を覗き込む。
賭けだった。入口でちらりと見えたキシそっくりの男、そしてホールで対峙したセキネそっくりの野人。
ならこの後輩そっくりの男もきっと
そう思って彼女はかまをかけてみたのだ。
はたして、仮面のように無表情だったオオウチの顔に僅かに変化が生じる。
「何故その名前を知っている? 俺はお前に名を告げたことはないが?」
風使いは眉を寄せ一瞬だが懐疑的な眼差しを少女へと向けた。
どうやら当たったようだ――微笑みを絶やさずなっちゃんは肩を抱くようにして腕を組む。
だがすぐにその表情を消し去り、オオウチは元の無表情へと戻ると合点がいった――と頷いた。
「なるほど。お前達『こいつ』の知り合いということか」
「……こいつ?」
なんだろう、この男の不自然な言い回しは――
今度は彼女が懐疑的な眼差しをオオウチへと向ける番だった。
だがなっちゃんのその表情の気づいた風使いは、答え合わせをするように言葉を続ける。
「お前は勘違いしている。この身体はただの『器』……借り物だ」
「器? 借り物? どういうこと……?」
「お前やお前の仲間が言っている『こいつ』は死んだ。とっくの昔にな」
「……つまりあなたは……オオウチじゃないってこと? じゃあ『器』って――」
そこまで言ってから聡明な少女は気づいた。
いや気づいてしまった。
目を見開き、なっちゃんは息を呑む。
まったくもって最悪だ。できれば気づきたくなかった。
昨日から度々耳にする『器』という言葉が何を意味するかを――
途端に言葉が咽喉から出てこなくなった。
気づいてしまった残酷な真実が少女の心を、そして思考を揺さぶりだしたからだ。
足が震えだす。胸が苦しい。息が詰まる。
ダメだ、平静を装え。耐えるんだ。
「なら……あなたは一体何者なの?」
「答える必要はない」
明らかにトーンダウンした少女の必死の問いかけに、無情にも風使いは冷たく言い放つ。
両手を握りしめ、なっちゃんは俯きながらも必死に問いかけを続けた。
「ねえ……
「恐らく、お前が考えている通りの理由だ」
何の感情も灯さない硝子玉のような黒瞳が、昨夜と同様『物』を見るかのように少女を捉える。
限界だった。
それまで自分を護るように浮かべていた微笑を消し去り、なっちゃんはその下に隠していた怯懦を露にする。
「私は……『器』なんかじゃない。いえ、なってたまるもんか!」
「いいやお前は逃れられない。もう運命は決まっているのだ」
吠えるように叫んだ少女に向かって、オオウチは冷徹なる死の宣告を告げた。
そして踵を返し彼は歩き出す。
「話は終わりだ。身体を休めろ『器』よ、お前が疲弊しては我が主が困る」
そう言い残し、風と共に漆黒の剣士は姿を消した。
刹那、なっちゃんは崩れるようにしてその場にへたり込む。
冗談じゃない。私は私だ。器に何てなるもんか。
なるもんか! なるもんか! なるもんか!
……なる……もんか……――
自分に言い聞かせるように心の中で少女は叫ぶ。
歯を食いしばって耐えようとした。
だがしかし、その想いに反して彼女の身体は小刻みに震えだす。
真っ白になった唇を噛み締め、なっちゃんは床に伏せた。
堪えていた感情がとうとう堰を切って溢れ出る。
「怖い……怖いよ……器になんてなりたくない……助けて……みんな――」
これが私の運命なのか。結局あいつには抗えないのか――
大粒の涙を床に落とし、少女は声を押し殺して啜り哭く。
刹那、雲を払いのけ、懸命にその姿を現した暁が王の間に眩いばかりの陽光をもたらす。
だがその生を象徴する穏やかな光が、もはや絶望に心折れた彼女に届くことはなく――
その光が再び立ち込めた暗雲によって呑まれるまで、王の間には子供のように泣きじゃくる少女の嗚咽が木霊していた。
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