その12-2 ならば取引だ

 何よこのオッサン? 燃え尽きたように動かないと思ったら途端キレッキレになったし――

 と、目の前で紳士たる振る舞いを見せたその男が不死者アンデッド達の頂点に立つ存在であることなど知りもしない音高最凶のコンミスは訝し気にシンドーリの顔を覗き込んでいた。

  

「ねえ、あんたは敵? それとも違うの?」

「少女よ、君のその楽器はどこで手に入れたものだ? そして今奏でた曲はどこの国の曲かね?」


 そんな彼女に向けてその銀髪の吸血鬼ノスフェラトゥは含み笑いを浮かべながら答える。

 途端、なつきは苛立たし気に顔を顰めた。

 

「質問に質問で返すのは礼儀なってないんじゃない? 先に私の質問に答えなさいよ」

「ちょ、ちょっとなつき!」

「悠木先輩、流石にその言い方は――」


 いかなる相手だろうが物怖じしないのが彼女の長所でもあり短所でもある。だが今回ばかりは相手が悪い。

 つい先程、自分達の魔曲の効果をいとも簡単に消し去った得体の知れない人物なのだ。

 それにどう見たって尋常じゃない力の持ち主だってことは見ればわかるだろうに、それをこのコンミスは何煽ってくれちゃってるの!?――

 気が気でない阿部と亜衣は青ざめながらなつきを諫める。

 二人の声が聞こえてきて、なつきは面倒くさそうに舌打ちすると渋々ながらシンドーリから顔を離した。

 だが彼女の不躾な態度を気にすることなく、銀髪の吸血鬼は身を起こす。

 でかい。僕より背の高い人は久々に見たなあ――などと状況も忘れて、阿部は百九十を超える自分よりさらに十数センチは高いシンドーリを見上げ、思わず溜息を吐いていた。


「フフフ、強気なお嬢様だ。こんな死人の城に乗り込んできた理由がわかる」

「いいから答えなさいよ、どっちなの?」

「敵なら?」

「ぶっ倒す!」

「では、そうではないと言ったら?」

「……力を貸して」


 誰でもいい。今はとにかく力が欲しい。たとえ悪魔だろうが得体の知れないオッサンだろうが、敵じゃないなら大歓迎だ。

 力を貸してほしい、私の曲を弾いたほどのあの力を――

 背伸びしても腰よりちょっと上にしか至らないシンドーリを急角度で見上げ、なつきの瞳は暗く復讐に輝く。

 一歩も引かずにそう答えた少女に対し、シンドーリは額を押さえて微笑した。

 刹那、夜空を羽搏く漆黒の翼のように外套マントが翻る。

 

「私は私の感情を色艶やかに染める者に協力する……君は私の力が必要かね? よかろう、ならば取引だ――」


 かくして、何千年ぶりかに血沸き肉躍る感情を蘇らせた吸血鬼ノスフェラトゥは、根城を訪れた神器の使い手達に手を貸すこととなる。とある一つの条件と引き換えに。

 その条件とは――



♪♪♪♪



「異世界の甘美なる曲をこの手で奏で、そして永久とこしえなる旋律を脳漿に刻み込むこと!」

「は?」


 唐突に奏者席から立ち上がり、まるで歌劇の如く恍惚の表情と共にそう言い放ったシンドーリを見て、話を聞いていたカッシーは呆気にとられながら聞き返した。


「うちらの世界の曲を教えろって、そうしたら協力するって言われたの」


 取引というから、吸血鬼らしく生き血をよこせ!とかいうのかと思ってたのだけど――

 今朝提示されたその『取引』を思い出し、ちょっと肩透かしを食ったようになつきは答える。

 

「曲を?」

「そう、だから早速教えてあげたんだけどさ」

「もしかして……それがトッカータとフーガあの曲か?」

「そういうこと」


 譜面の読み方や記号の意味等を簡単に教えはしたものの、まさかこの短期間であそこまで弾きこなすとは思いもしていなかった。

 まったく呆れるでしょ?――そう言いたげに、なつきは肩を竦めてみせる。

 驚いた。教えたのが今朝だとしたらまだ半日も経っていないはずだ。にも拘わらず先刻この部屋を訪れた際に聴こえてきたあのフーガはプロ顔負けの演奏だった。未だ天を仰いだまま余韻に浸るシンドーリを見て、カッシーも感嘆の吐息を漏らす。


 はたして。

 曲を教えて欲しい――そう話を持ちかけてきたシンドーリに対し、なつきは二つ返事で承諾していた。

 そんなことで彼の力を借りることができるのなら是非もないことだ――そう考え、彼女はヴァイオリンケースに入れて持ち歩いていた適当な譜面スコアから一曲選び彼へ差し出していたのである。

 そして偶々彼に渡したのがトッカータとフーガ譜面だったわけだ。

 この曲が選ばれたのは何とも運命的な結果といえよう。まさにこの礼拝堂に、そして聳え立つパイプオルガンにぴったりの曲であった。

 ちなみにこの譜面スコアは彼女が趣味で集めているピアノ譜だ。

 何曲かケースに入れて運び、通学の途中や昼休みに原曲を聞きながら譜面を読み返すのが彼女の日課だったりする。


 こうして手渡されたトッカータとフーガ異世界の曲に見事心を奪われたその銀髪の吸血鬼ノスフェラトゥは、胸を支配する熱き想いの丈を少年少女達へと現在進行形でぶつけていった。

 

「おお、マーベラス! 君達『神器の使い手』は異世界から来訪した者だと聞いた。しかしだからこそ私のこの身が細胞から歓喜に震え、血沸き肉躍ったのも道理といえよう」


 聴いたことがなかった理由も、そして胸の内を焦がすような新鮮な衝撃に駆られたのも、異世界の曲であったというなら納得がいく。

 シンドーリは胸に手を当て、自己陶酔に浸るように目を閉じながら、思いの丈を呟くようにして言い放った。

 

「二千年の時を生きてきたが、かの曲を作り上げた者には畏敬の念を禁じ得ない、名を是非教えてもらいたいのだが」

「えっと……バッハですけど」

「バッハ! おお、マエストロバッハよ! 彼は今どこにいるのかね?」

「だからぁ、うちらの世界よ」

「まあとっくの昔に亡くなってるけどね~♪」

「なんと!?」

「てか、これいつまで続くんだ?」


 なんだこの人、なんか思ってたキャラと全然違う。なんつーかこうナルシストっぽいし……てかもしかしてこっちが素なのか?――先刻までとのあまりのギャップに、カッシーは顔に縦線を描く。


―……頭痛くなってきたぜ。まさかこんなふざけたキザ野郎に、俺は散々手を焼かされたとはな―


 と、腰のあたりから辟易したような、はたまた失望したような時任の溜息が聞こえて来てカッシーは視線を落とした。

 同時になつき達四人はきょとんとしながら我儘少年を見据える。


「今の声誰よ?」

「あーその、こいつだ」


 そう言えば紹介するのを忘れてた。まあ紹介したらしたで面倒なことになりそうだが――

 渋い表情を顔に浮かべながらもカッシーはポンと腰の刀を叩いてみせた。

 

「刀?」

「もーカッシー冗談ばっかしー、刀がしゃべるワケないじゃん。今のもしかして腹話術とか? 意外なかくし芸持ってたんだね」

「あのな……」

―ケケケ、おまえがこの国の生まれとは知らなかったぜ『黒夜叉』―

「へ?」


 だがその身を鈍く光らせながら相変わらずの軽い口調で話始めた日本刀をまじまじと見つめ、途端柿原は目をまん丸くする。


「か、刀が喋った?!」

「ちょっと特殊な刀なの、でも大丈夫だから」


 まあそうなるわよね――と、自分の傍らで思わず身を強張らせた亜衣に気づき、東山さんは心配ないと言いたげにその肩に手を置いた。

 一方で驚く三人とは真逆に目をキラッキラッさせながら、なつきは面白そうに時任を覗き込む。


「ちょっとカッシー、何よその刀! チョーいいじゃん!」

「全然よくねーよ。口は悪いし、ナマクラだぞ? おまけに使うと全身筋肉痛になるし」

―誰がナマクラだ小僧。それが師匠に対する口の利き方か?―

「誰が師匠だ、誰が」

「ほほう……これは懐かしい。君はいつぞやの物言う刀ではないか」


 と、お決まりの如くいがみ合いが始まりそうになった少年と妖刀のやり取りに割って入るようにして、シンドーリは余裕の笑みを浮かべてみせた。

 対して時任は正反対に苦々しそうな唸り声をあげる。


「おいナマクラ、お前この人知ってるのか?」

―こいつとは一度戦ったことがあるんだよ―

「た、戦った?!」

―ああ、八十年くらい前だったか。俺の国では『黒夜叉』って呼ばれてたが―


 その時、この妖刀は当時の使い手と共に別のあやかしを追っていた最中だった。

 その途中でこの吸血鬼とばったり出くわしてしまい、成り行きで戦うことになったのだ。


 得体の知れないあやかしだな、まるで殺気がねえ。まあいいかとっとと屠って追わなくては――

 そう考えつつ時任は使い手とと共にシンドーリへ挑みかかった。

 だがいざ戦闘が始まると、時任はその見込みが甘かったことを身を持って味わうことになる。

 

―とにかくこいつはしぶとくてな、こちらの攻撃を霧に姿を変えて飄々と避けやがる。おまけに斬ってもすぐに傷が塞がるから決め手に欠けるしよ―


 結局使い手がばてて動けなくなった頃合いを見計らってこの吸血鬼は姿を消してしまったのだ。

 逃げたとは感じられなかった。端から自分達に興味がない――時任にはそう感じられた。

 その証拠にあの時奴は一度たりとも手を出してこなかった。

 もしあの時この吸血鬼が本気で襲い掛かってきていれば、負けはせずとも使い手も自分も無事では済まなかっただろう。


―おかげで追っていたあやかしには逃げられるわ、使い手は全力で使った和音のせいでしばらく動けなくなるわで散々な目に遭ったぜ。それが久々に会ったと思ったらよ、なんだこの浮かれた自己陶酔野郎は? こんな奴に俺等は苦戦したのかって考えると、中々に自尊心が傷つくぜ―

「フフ、相変わらずの口の悪さだ。品がないね君は」

―ケケケ、そりゃお互い様だろ? 俺はお前のその上品ぶった口ぶりが気に入らねえ、鳥肌が立つ思いだ!―

「いやお前、刀だろ?」


 鳥肌たたねーじゃん。

 それに話を聞いた感じではこのナマクラが勝手に絡んで相手にされなかったように聞こえるが――

 カッシーは口をへの字に曲げつつ腰の妖刀へ冷ややかな視線を送る。


「おいナマクラ。おまえ、ここでまた戦うとか言い出すつもりじゃないだろな?」

―ケケケ、そうしたいところだが流石に御免だ。こいつとはもう二度と戦いたくないし、できれば関わりたくもねえ―


 どうせまたのらりくらりと躱して逃げるだろうしな――そう付け加えて口を閉ざした時任に対し、カッシーはほっと安堵の吐息を漏らす。

 冗談じゃない、今回は操られるのは自分の身体なのだ。

 それにこのナマクラの話も含め、どうやら目の前の吸血鬼シンドーリとは事を構えない方がよさげだ。

 カッシーはそう考えると、肩を竦めて嘆息したシンドーリを向き直る。

 

「失礼、話が逸れてしまったね。だが私の目的は一つだ、自らの手で曲を生み出したい――それが私が今求めるもの」


 そのために異世界の曲を教わった。そしてその曲は私の感情を色艶やかに呼び戻してくれたのだ。

 ストンと奏者席に腰を降ろし、足を汲むとシンドーリはチョクへと視線を向ける。

 

「話は以上だ。これで私がいかなる者かわかってもらえたであろうか、ナオト=ミヤノ殿?」

「あー……色々わかったッス。感謝致しますコルネット伯爵」


 それこそ聞いてないことまでよくぺらぺらと喋ってくれた。

 曇りつつあった眼鏡を押し上げながらチョクは作法に則った礼を一つする。


「ナツキ君との約束だ。君達がこの城にいる限り、私は力を貸すつもりだよ」

「ま、そういう事よ。これでわかったでしょ? これ以上シンちゃんを敵扱いするなら、私がただじゃおかないからね。わかったカッシー?」

「ああ、わかったよ」


 まあ怪しさ満点だけど敵じゃないってことはとりあえず理解した。

 結果として蹴りを二発も臀部に食らう羽目になったけどな。

 しかし可愛くないし口は悪いしやっぱ最凶だぜこのコンミスは――

 そう思いつつも、だが逆らえば後が怖い事をよく知っているカッシーは、渋々ながらも承諾する。


「でもこれで話は振出しに戻ったわね。やっぱり全ての元凶はこの城に住み着いた死霊使いネクロマンサーってことでしょ?」

「その通り、この城の頂きに住み着いたリッチの若造の仕業だ」


 そいつを倒さない限りこの騒ぎは解決しないようだ――

 東山さんが確認するように尋ねると、シンドーリはゆっくりと頷く。

 

 と――

 

「リッチって……伯爵、そりゃ本当ッスか?」


 話を聞いていたチョクがずり落ちた眼鏡を指で押し上げながら吃驚の声をあげる。

 その顔は困惑と畏敬が入り混じった複雑な表情を浮かべ、まじまじとシンドーリを見つめていた。


「リッチってなんだ?」

「死した魔法使いが不死者アンデッドとなった化け物ッス。別名『死神』――」

「し、死神?!」

「もしかしてその死神が死霊使いネクロマンサーってことですか?」

「どうもそうっぽいッスね」

「間違いない。この城の頂きより感じるのは、冥界の者特有の歪んだ憎悪が生み出す魔力だ。私はこの心地よい醜悪な魔力をよく知っているよ」


 そう、ひしひしと今も漂ってくる死してなお未練を残しこの世に思いとどまろうとする悪しき魔力の波動。

 これこそは『死神』となりし者が放つ独特の魔力だ。

 右手を翳し、不敵な笑みを浮かべながらシンドーリは肯定する。


 なるほど、伝承の死霊使いネクロマンサーの復活、その噂の正体がリッチとなれば辻褄も合う。

 納得いったようにチョクは一人頷いた後、事の深刻さを痛感していた。

 こいつは一筋縄ではいかなくなったッスね――と。


「一刻も早く姫達と合流した方がよさげッス」

「なっちゃんも心配だわ」

「そうだな……」


 焦りと懸念の色を顔に浮かべカッシー達三人はお互いを見合う。

 だがしかし――


「問題ないわ、うちらに任しておいて」


 彼等の逸る気持ちを宥めるように、自信に溢れた言葉が礼拝堂に響き渡った。

 その声の主を振り返った三人の瞳が、強気な笑みを浮かべて胸を張っていた少女の姿を映し出す。


「なつき……?」

「相手が死神リッチだろうが何だろうが、不死者アンデッドならこっちのもんよ」

「どういうことッスか?」

「ふふん、ねえあんた達さ、うちらがどうやって村を護って来たかわかる?」


 と、カツカツと厚底サンダルを鳴らしながら歩み寄って来たなつきは、腰に手を当て我儘少年の顔を覗き込んだ。

 得意気に顔を近づけてきた少女の顔を見つめ、カッシーは口をへの字に曲げながら首を傾げる。

 少年のその仕草を見届けると、なつきは自慢げに答えを口にした。


「同士討ちさせんの」

「同士討ち?」

「そっ、不死者アンデッド達をね」


 狐につままれたような表情で自分を見つめるカッシーに対し、音オケ最凶のコンミスは悪戯っぽくパチリとウインクしてみせたのだった。

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