その12-1 不死者の王
同時刻。
コルネット古城 隠し礼拝堂―
さっきまで降っていた雨は止んだ。
天窓から見える夜空には厚い雲が流れているが、時折その隙間から月が見え隠れしている。
長椅子に横になり、カッシーはその空をぼんやりと眺めていた。
―小僧、眠れないのか?―
「ん……」
―ちゃんと休んどけよ、いざという時動けなくなるぞ―
「わかってら」
傍らに掛けてあった時任の忠告に、カッシーはガシガシと前髪を掻きながら雑に答える。
これからもきっと死闘は続く。今日のようなギリギリの瀬戸際だってまたあるだろう。
ナマクラの言う通り、最後に物を言うのは体力だ。休める時に休まなくては。
身体はくたくただった。今日もよく生きてたなあ――心底そう思う程にまさに一日中死闘に次ぐ死闘だったのだ。
普段なら硬くて寝心地最悪のこの長椅子の上でだって、速攻泥のように眠りについていただろう。
だが今日に限ってなんだか目が冴えて眠れない。
―仲間の行方が気になるのか?―
「……それもある」
―じゃあなんだよ?―
「昼間の事思い出してた」
妖刀の問いかけにカッシーはそう言って僅かに眉を顰めた。
そう、眠れない理由はわかっている。
死闘に次ぐ死闘の中で、仰天に次ぐ仰天も起き過ぎたせいだ。
話は夕刻、丁度彼等がなつきと柿原に案内されてこの礼拝堂までやって来た時まで遡る。
♪♪♪♪
「ボケッ! お前が親玉かよっ!」
この城の主――自らそう名乗ったシンドーリを睨みつけ、カッシーは抜き放った退魔の刃を持つ妖刀を正眼に構えた。
東山さんとチョクも各々武器を構え、油断なく銀髪の壮年を見据える。
そんな三人を一瞥するとシンドーリは余裕の笑みを消さず、蝙蝠の翼の如く靡く黒い外套を後ろへと回し、半身に一歩前へ出た。
途端、彼の身体から吹き荒れるとてつもない威圧感。
ただ立っているだけだというのに何という気迫だろう。身震いする程の眼力と黒い波動に少年は思わず息を呑む。
だがしかし――
刹那、真横から繰り出された厚底サンダルによる強烈な蹴りを臀部に食らい、我儘少年は悲鳴をあげた。
「いってええっ! 何すんだっなつき!」
お尻を押さえ、涙目になりながら『いっ!』と歯を剥いて訴えるカッシーに向かって、蹴りを繰り出した張本人――なつきは腰に手を当て彼を睨みつける。
「あんたさあ、さっき私が言ったこともう忘れたの? シンちゃんは私達の『協力者』よ、敵じゃない」
「だってこいつ今この城の主って言ってたじゃねーか!」
だったらホルン村を襲ったっていう
カッシーは戸惑うようになつきとシンドーリを交互に眺めながら尋ねる。
と、なつきはやれやれと肩を竦め見下すように両目を細めた。
「この城の主だけど、村を襲ったのは別の奴」
「は? どういうことだっつの?!」
さっぱり話が見えてこない。
先にキクコ村長から聞いていた話とまったく辻褄が合わないのだ。
頭の上に『?』をいくつも浮かべ、カッシーは不満そうに口をへの字に曲げる。
「だからシンちゃんは
「わかるかボケっ! お前いっぺん自分が言ったこと復唱してみろよ! ちっとも説明になってねーぞ!」
「なつき~その言い方じゃカッシーは混乱するだけだよ。つまりねー、シンドーリさんは留守中に
『おまえ(あんた)は黙ってろ』
「え~そんなー! 今のは結構まともなこと言ってたよ?」
と、フォローしようとした柿原は、カッシーとなつきから同時につっこまれぶーたれるように口を尖らせた。
「とにかく、一体どういう事なのか説明してもらえない?」
「だからー僕が説明してるじゃな――」
「柿原君以外でお願いするわ」
「ひっどーい! 委員長まで僕全否定なの?! ちょっと僕の扱い雑過ぎない? ねえ? ねえ?」
「……はあ」
何だか完全に毒気を抜かれてしまった。相変わらずこの集団は緊張感がないわね――
やれやれと小さな溜息を吐くと東山さんはヌンチャクの構えを解き、助けを求めるようになつきを向き直る。
と、東山さんの袖を引っ張りながら亜衣はフルフルと首を振ってみせた。
「恵美先輩、シンドーリさんは敵じゃありません。
「この城は元々彼の物だったらしいんだ。そこに後からやってきた
亜衣に続いて、阿部も事情を説明し始める。
だが、二人の話を聞いてなお懐疑の眼差しをシンドーリへと向ける人物が一人。
「どうだか……怪しいものッスけど」
「チョクさん?」
少年が振り返った先に見えた眼鏡青年は、依然として剣の柄に手をかけながらシンドーリを見据えていた。
伝承の
だとしたら『元々自分の城である』と
さらに彼の瞳、獣の如く三日月の瞳孔を持つ金色のその瞳。
それは魔王の眷属である者が持つ特有の瞳だった。
だからこそ問わねばならない。
「コルネット伯爵よ、私はブラス=ウッド連合帝国宰相補佐を務めるナオト=ミヤノと申す者。失礼ながらお尋ねしたいことがあるッス」
「構わん、聞こうか」
「率直に伺いたい、貴殿は一体何者か?」
はたして、その問いを受けたシンドーリは微動だにその表情を変えず、生命の躍動たる感情の起伏を顔に浮かべる眼鏡の青年を興味深げに観察しているようだった。
しかし、見つめていた青年の瞳の奥に『英雄』たる強き魂の輝きを察するとシンドーリは話し始める。
「その問いに対して何から答えるべきか。まず君等も気づいていると思うが、私は魔王の眷属に属する者、君達が我々を呼ぶ名で言うならば『ノスフェラトゥ』だ」
「なっ?!」
あっさりとそう宣言したシンドーリを見て、チョクは絶句する。
一方でいまいちピンと来ていないカッシーは表情を強張らせた彼を見て、訝し気に眉を顰めるのみに留まっていたが。
「なんだそのノスフェラなんとかって?」
「
「きゅ、吸血鬼?」
その瞳の形からして怪しいとは思っていたが、それじゃあやっぱりこいつは敵ってことじゃねーか!――
と、ようやく目の前に立つ銀髪壮年の男がどういう存在であるか気づいたカッシーは、途端腰の妖刀に手をかける。
がしかし――
即座に放たれたなつきの蹴りによって、再度少年は飛び跳ねることになった。
「いってえ!」
「だからぁ言ってんでしょ、シンちゃんは味方だって! 早とちりもいい加減にしてよバカッシー!」
「ぐっ……あのなあっ! 今の話聞いてたか? こいつ吸血鬼だぞ?」
チョクさんの話聞いてなかったのか? 吸血鬼ってことつまり、この城にはびこってる
だがその少年の訴えを余所に、なつきはまるで虫を追い払うように、二回ほど手を上下させた。
いいから早く武器から手を放せ――と
「んなこと百も承知よ。シンちゃんが人間じゃないことなんて会ってすぐにわかってたっての」
「百も承知って……あなたそれじゃ――」
「言ったじゃん、仇を取るためならなんだってするつもり。今は一人だって協力者が欲しいの」
「なつき――」
あなたは彼が人非ざる者だと知ってなお手を組むっていうの?――
呆れたように眉間にシワを寄せた東山さんに対して、なつきは当然といった素振りで肯定してみせた。
「――しかし伯爵、自分は領土の視察で何度か
と、不可解そうに自分を見つめるチョクに対し、シンドーリはその理由を静かに語り始めた。
「訳あって八百年ほど大陸を離れ、世界を回っていたのだ。その間城は留守にしていた」
「は、八百年!?」
「この地に帰参したのもつい一月ほど前のことだ。人間達が知らぬのも無理はない……しかしこの城は間違いなく私の城であることは信じてもらいたいがね――」
「それでは貴殿に爵位とこの城を授けたのは、一体――」
「ケンイチロウ=ワカモト=ゲー=ト・オン――二千年程前この地に栄えていた帝国の王にして、かつての友だ」
「二千年前……まさか、ト・オン文明?」
驚きを通り越して青ざめながらチョクはずり落ちた眼鏡を押し上げる。
まさか弦管両国が建国する以前の国家よりもさらに前、遥か以前に栄えていた古代文明と関係を持っていたとは。話のスケールが桁違い過ぎる。
だがそうなってくるとますますもってわからないことがある――
「解せないッス。魔王の眷属は我々人間とは敵対する間柄のはず……どうしてあなたは彼等に協力を?」
チョクはちらりとなつき達を一瞥しながら、齢二千年の吸血鬼の真意を窺う。
銀髪の吸血鬼は青年の言葉に微笑を浮かべると踵を返して奏者席へと歩き出した。
「結論から言えば彼等の持つ楽器に興味が沸いたからだ」
靴音を響かせながらパイプオルガンの前に到達した彼はそう答え、やがて奏者席に腰かけると足を組む。
そして膝の上に両手を組んで乗せ、一同を見渡した。
「楽器……?」
「そう、そして彼等が奏でる異世界の曲、それをもっと知りたいと思った」
訝しそうに眉根を寄せた東山さんに向かってシンドーリは頷いてみせる。
それが理由。シンプルではあるが彼の感情を突き動かした
「確かに我等魔王の眷属――君達の言葉で言えば
喜怒哀楽、そして憎悪も嫉妬も恐れも、全てとうの昔に忘れてしまった感情だった。
もはや何を見ても、何を聞いても、彼は何も感じないのだ。現にこの城に戻って来た時もそうだった。
久々に帰参してみれば何やら城の様子がおかしい。
どうも自分の留守中に
だがそうと知っても、彼の心には怒りどころか屈辱さえも沸き起こってこなかった。
その気になればこの城に居座る全ての
「そこまで無気力だったの? あんたさあ、それじゃまるで余生を過ごすおじいちゃんみたいじゃん」
「ナツキ君、それは口が過ぎるな。まあ、正直言うとどうでも良いという気持ちの方が強かったがね。この城に対する愛着も未練ももはやなかったのは事実だ」
ただ何かが彼に囁いたのだ、あの大陸で何かが起こる――と。
その知らせに身を任せ、彼はこうして八百年もの間離れていたこの大陸に戻ってきたわけである。
それが彼の直感なのか、虫の知らせだったのか、はたまた何者かのきまぐれな天啓なのかまでは彼にもわからなかった。
だがそんな彼を待っていたのは名前も聞いたことのない、ぽっと出の
当然、失われた感情が呼び戻されるほどの出来事でもなく、彼の胸中に久方ぶりに湧き起こったのは唯一『失望』という感情のみ。
さてどうしたものか――と。
とりあえず
まるで植物のように穏やかに。
まるで彫像のように微動だにせず。
もはやこの世に存在することもあまり意味はない。
感情も消え失せ、何に対しても無気力となった自分に価値はあるのだろうか。
いっそのこともう何もかも捨て眠りにつくべきか――そう考えながら。
そして今朝の事だった。
どやどやと礼拝堂に姿を現した修道服姿の少年少女達――そう、なつきと柿原兄妹、それに阿部ら『神器の使い手』達との遭遇によって、彼はあの囁きがまやかしなどではなかったことを確信することになる。
「彼女は私を見るなり、突然持っていた楽器を演奏し始めたかと思うと、宙に現れし炎が襲い掛かってきたのだ」
「えっと、つまりそれは――」
「うむ、いきなり攻撃してきた」
「……なつきおまえ、敵か味方か確かめもしないでいきなり魔曲使ったのか?」
「だってしょうがないでしょ、どう見たって敵としか思えなかったし?」
やっぱりこいつは『最凶』だな――呆れた表情で尋ねたカッシーに向かって、なつきは大して悪びれた様子もなくケロリと答える。
「まあ、僕も初めてシンドーリさんに会った時は流石にびっくりしたけどね」
隠し階段を上り終えた先の、どう見ても廃墟同然の礼拝堂に聳え立つパイプオルガンの前で、彼は眠るように暗闇に一人座って物思いに耽っていたのだ。
雷光により浮かび上がったその姿を見た時は流石に心臓が止まるかと思った――シンドーリとの初体面を思い出し、阿部が苦笑を浮かべながらなつきをフォローする。
閑話休題。
その時、チューニングもなしになつきが瞬時に弾き始めたのはカール=ニールセン作曲 交響曲第2番 『四つの気質』第1楽章 副題は『胆汁質』――
刹那、礼拝堂に響き渡る激しい怒りの旋律によって具現化された炎の帯が唸りをあげてシンドーリに放たれた。
炎の帯は大蛇の如く頭上から彼を丸のみにしようと襲い掛かる。
しかし銀髪の不死王たる彼は右手を天へ翳し、僅かに振り払っただけでその迫り狂う炎の大蛇を消し去ってしまったのだ。
少女の瞳が大きく見開かれる。何よコイツ!?――と。
慌てて柿原兄妹と阿部も演奏に加わり、
相乗化された魔曲の効果によって、途端出現したいくつもの炎の大蛇達がシンドーリを威嚇するように彼の周りを舞い始める。
だがしかし――
徐に立ち上がったシンドーリは、諸手を掲げたかと思うと一振り二振り、虚空を凪いだのである。
まるで指揮をするように、まるで何かを表現するかのように。
それだけで、宙を舞っていた無数の炎の大蛇達は弾け散った。
少年少女は驚愕の表情を浮かべ、視界に映り込んだその異様な光景に見惚れるように演奏を止める。
花火のように散華する火の粉が舞い降る礼拝堂で天を仰ぎ。
その銀髪の
長く鋭い犬歯を覗かせて――
懐かしい音色だった。しかし聴いたこともない調べだった。
だがその曲を聞いた途端、彼の胸は一際大きく高鳴り始めていた。
胸の奥底から泉の如く沸き上がってきた、全身を揺さぶる衝動と欲求。
即ち、何千年という時が彼から奪い去っていった、『
「おお、ブリリアント! 神よ、この出会いを天啓によって教え給うたことに感謝する!」
大仰に黒い
やがてゆっくりと手を降ろしたシンドーリは、呆然と立ち尽くす少年少女を向き直った。
刹那、彼の漆黒の身体は闇に溶けるように掻き消えたかと思うと、一瞬にしてなつきの前へと姿を現す。
そしてぎょっとしながらも、しかし負けるものかと強気に睨み返してきたなつきを、爛々と輝く金色の瞳で覗き込んだ。
「神曲の紡ぎ手達よ。歓迎しよう! ようこそ我が城へ!」
まるでそれまでの無気力さが嘘のように。
彼は声高らかにそう宣言した後、深々と四人の少年少女達へお辞儀をしたのだった。
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