その11-2 旅の目的
深夜。
チェロ村、ペペ爺の家―
満天の星空を窓際から見上げ、紅茶を口に運ぼうとしていたササキは意外そうにほうと溜息を吐く。
やにわに部屋に聞こえだした着信音、それはヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲 『G線上のアリア』。
彼が設定したホットライン用の曲だ。
もちろんこの携帯にかけてくる相手など一人しかいない。
『着信:日笠まゆみ』――
そう表示されていた携帯の画面をスライドし、彼は『スピーカー』のアイコンををタップした。
「もしもし――」
―……会長ですか? 日笠です―
「珍しいな、こんな時間に君から電話をかけてくるとは」
―すいません、もう寝ていましたか?―
「いや、丁度一息いれていた所だ」
テーブルの上には作成途中の製図がいくつも広げられていた。
ここ数日没頭していた新たな発明の設計図だ。だがそれもある程度目処がついたので、こうして休憩をとっていたところだったのだ。
「どうしたコノヤロー? 寂しくなったのか? ンー?」
―……いえ―
と、冗談めかして尋ねたササキの言葉に返って来たのは、重苦しい絞り出したような相槌だった。
途端にササキは浮かべていた揶揄うような笑いを口の端から消すと、持っていたティーカップをテーブルに置く。
そして代わりに携帯を手に取った。
「日笠君、何かあったのかね?」
―……―
返事の代わりに聞こえてきたのは怯えるような吐息の音だった。
何やらよからぬ事が起こっているようだ――
優れた洞察力と相手の心境を読むことに長けているこの男は、彼女のその吐息だけで察する。
「答えたまえ、何が起きているのだ?」
―……アンデッドが―
「アンデッド?」
―死んだ仲間が蘇って襲って来るんです。カッシー達とも逸れてしまったし、それに斑目をモデルにした
「落ち着け日笠君、君らしくないコノヤロー」
まったく話が見えてこない支離滅裂な内容だった。
彼女がこれだけ取り乱すのも珍しい――捲し立てるように話し始めた日笠さんに対し、ササキは穏やかな口調で諭す。
途端、携帯の向こう側から彼女の息を呑むような喉の音が聞こえてきた。
―……ごめんなさい―
「いやいい。それよりアンデッドといったな? 君達はもしやコルネット古城にいるのかね?」
―……どうしてそれを?―
「ペペ爺さんの書斎にあった本で読んだ。確か伝承の
驚きを隠さずそう尋ねてきた日笠さんに対し、ササキは記憶を手繰りながら答える。
しかしまあ『逸れた』に『斑目』に『
ササキは窓辺に腰かけると掌の携帯をじっと見つめた。
「急がないでいい。ゆっくりでいい。まず経緯を報告してくれないか?」
―……わかりました―
深呼吸するような息遣いが聞こえて来るとやにわに日笠さんはこれまでの経緯を報告しはじめた。
幾分落ち着いた彼女の口から放たれた、ホルン村に到着してからこれまでに起こった『過去最高のトラブル』。
話を聞くにつれササキの顔は険しくなり、そして日笠さんの報告する声のトーンは沈痛なものとなっていった。
―……以上です。なつき達にはまだ会えていません。カッシー達とも逸れたまま―――
「なるほど、委細はわかった」
聞けば聞く程、まだあるのかと思わずにはいられない危機的状況のてんこ盛り。
まったく君達はどれだけトラブルに愛されているのだ?――
咽喉まで出かかったその言葉を、しかし状況が状況のため飲み込んで、ササキは唸り声をあげるに留める。
だがしかし。
危機的状況もさることながら、先刻から一つ気になっていることがある。
そちらを先に何とかしなければならないだろう。
機微を読むことに長けるこの生徒会長は、携帯の向こう側の少女に向けて語り始めた。
「日笠君」
―はい―
「あまり悪い方向に考え過ぎるなよ?」
―……―
「君の悪い癖だ。最悪の展開を想定して行動することはいい。だがそれに囚われるな」
生徒会で三年間一緒にやってきたから彼女の性格はよく知っている。
人一倍責任感の強い常識人で、しっかり者のまとめ役。
その性格故に、準備万端最悪の結果までも想定して行動しようとする。
だが時々、その結果を避けようと固執してしまう時があるのだ。
もしこうなったらどうしよう。もしああなってしまったらどうしよう――と。
そして今携帯の向こう側から聞こえてくる少女の声色からは、まさしくその『憂い』と『迷い』が感じ取れた。
だからこそ、彼女は自ら電話をかけてきたのだ。ササキはそこまで読んでいた。
しかし彼のその忠告に、少女から返事はなかった。
仕方なくササキは話を続ける。
「もし既にその考えを抱いているなら、一度考えるのをやめたまえ。今は柏木君達と合流する事だけを考えるんだコノヤロー」
―……できるわけ……ないじゃないですか―
ややもって、少女の声が返って来た。
散々に思い悩んだ末の、悲観的な口調だった。
♪♪♪♪
コルネット古城一階書斎―
「会長、この世界は一体どうなっているんですか?」
そこは瓶、フラスコといった器具が入った棚が並ぶ部屋の一画だった。
寝静まった一同を起こさないように離れて隅まで移動していた彼女は、実験資材らしき器具が乱雑に放置されたテーブルにそっと手を乗せ、言葉を紡ぐ。
―どうなっている――とは?―
しばしの間を置いて、携帯から返答があった。
質問の意図が分からず尋ね返すような口調となったササキの言葉に対し、日笠さんはさらに質問を続ける。
「舞ちゃんの描いた物語と酷似していて、自分達の知っている人達とそっくりな人物がいる。確かに異世界なのかもしれない。でもそう呼ぶには元いた世界と中途半端に繋がっている――こんな世界あり得ないとは思いませんか?」
―それについては私も調べているが、詳しいことはまだ判明していない―
「どうしてこんな世界に私達は――」
やり切れない想いと、未だ割り切れない感情からくる葛藤が胸を締め付けてくる。
服の胸元を右手で握りしめ日笠さんは俯いた。
「――こんなあり得ない世界で私達は何度となく命を落としかけて、そして今もまた……もしかするともうなつき達は――」
―その考えをやめろと言っている―
「みんなを心配するのが、そんなにいけないことですか?」
溜息混じりに聞こえてきたササキの声に、日笠さんは被せるようにして即答する。
苛立つような、怯えるようなそんな口調。居直りとも取れる少女のその言葉に、今度はササキは言葉を詰まらせる番だった。
ひたすらに押し殺し、堪えてきた負の感情。その嫌な感情が沸騰するように胸を支配していくのがわかる。
それでも少女は話を続けた。
「岸君そっくりの化け物まで出て来て、カッシー達とバラバラになって、おまけに最低最悪のストーカーだった
―それは結果論に過ぎないだろう。では飛ばされた世界が元の世界と全く関係のない世界だったなら、君は割り切れたのかね? 私にはそうは思えないが―
「そんな事を言っているんじゃないんです」
僅かに声を荒げ、日笠さんは言い返す。
彼女は歯を食いしばり、目を閉じ、小さく息を吸って、冷静であろうとした。
手が震える。どうしようもない程にやり場のない感情が込み上げてくる。
「私達が……何をしたっていうの?!」
震える声と共に飛び出した溜まりに溜まった負の感情は、ますますもって少女の自己嫌悪を増幅させた。
それでも一度沸騰し始めた感情を止めることはできなかった。
携帯を壊れる程に握りしめ、辛うじて残った理性が必死に止めろと訴える中、しかし少女の口は勝手に言葉を紡いでいく。
「私は……帰りたい。日本に戻りたい。こんな世界に来たくなんてなかった――」
飛ばされてはや一月半。家族だってきっと心配しているはずだ。
母さんに逢いたい、父さんに逢いたい。優しくて大好きな兄に逢いたい。
口にすれば皆郷愁の念に駆られる。だから言葉にしなかった。
きっとカッシー達もそう思っていることはわかっていたから――
「どうして……私達がこんな目に合わなきゃいけないんですか?!」
その少女の問いかけに対し。
ササキは何も言わない。何も返答しない。
いや、どう返答するべきか聡明な彼は頭の中で考えているようだった。
それが少女の焦燥を増幅させる。
喉奥で必死に抑え込もうとしていた理性という名の『堤』を決壊させ、彼女の『後悔』と『怒り』という負の感情は噴き出した。
「会長が……あんなものを持ってこなければ!……あなたのせいで私達は――」
刹那。
聞こえてきた自分の声に。
日笠さんは閉じていた目を見開いた。
今自分は今何と
「……ごめんなさい」
口元を押さえ、少女は込み上げてくる嗚咽を必死に堪える。
途端に涙が溢れ出てくる。手が震えだす。
全身が寒い。気持ち悪い。吐き気がしてくる。
やっとの事で言えたのは陳腐な謝罪の言葉のみだった。
―……すまなかったと思っている―
「違うんです! 違うの!……こんなこと言うつもりじゃ――」
今更だ。こんなの都合の良い言い訳過ぎる――そうわかっていても、携帯の向こうから聞こえてきたササキの言葉に、日笠さんは首を振りながら答えるしかなかった。
なんて自分勝手な感情だろう。
なんて自分は最低な人間だろう。
自らの責任を棚に上げて、私は会長に全てを擦り付けたのだ――
そして感情が突き動かすままに放った言葉は自己嫌悪へと変わり、ますますもって少女の胸を締め付けた。
「ごめんなさい。ごめんなさい――」
―気にするな。君達に私を責める権利は十分過ぎる程にあるのだからな―
「違うの、わかってるんです……会長だけの責任じゃないってことは」
―……―
「ごめんなさい……ごめん……なさい――」
声を押し殺して啜り泣き、日笠さんはうわ言のように謝り続ける。
そう、わかっていたのだ。
どんなに後悔したって、誰かのせいにしたって現実は変わらないということなど。
だからあの時、少年は言っていた。あれは事故だと。誰のせいでもないと。
そして後悔の念に駆られる自分を励ますように、にへらと笑ってくれたのだ。
この世界に飛ばされたことを後悔するよりも、皆で帰ることを目指そうと。
みつけてみせる――彼はそうも言ってくれた。
そして言葉だけでなく、常に身を張って私達を護ってくれた。
だから覚悟を決めてこの世界に挑もうと思ったのだ。
けれど――
「――私……見てしまったんです」
―何をだね?―
「死んだ管国の兵達がゾンビとなって仲間を襲うのを」
見るな――厳しい口調でそう言ったクマ少年の言葉に反し、彼女は見ていたのである。
ほんの僅かであるが、生気のない動く屍と化したかつての仲間がヒロシへ襲い掛かる光景を。
恐ろしくなって彼女はすぐにこーへいの背中に顔を埋めていた。
だが遅かった。彼女は考えてしまった。考え始めてしまった。
もし仲間がもう帰らぬ人となって、
そう考えたら怖くなって、何も考えられなくなって。
途端彼女の思考は後悔に包まれた。心が折れてしまった――
嗚咽交じりに、途切れ途切れに、深き憂いと思いの丈を紡いだ少女に対し、携帯の向こう側から深い溜息が漏れる。
♪♪♪♪
チェロ村、ペペ爺の家―
―それを……会長のせいにして楽になりたかっただけなんです。私は……最低の人間です―
「すまなかった日笠君。君がそこまで悩んでいることに私は気づけなかった」
現場にいる者にしか感じ得ないものがある。彼にはどうやっても感じることができない、五感を通じての体験だ。
自分なりに覚悟も決めていた。知識さえあれば、この場を動かずして彼等をサポートできると思っていた。
だが自惚れが過ぎたようだ。結果として彼女を追い詰めてしまった。彼女を傷つけてしまった――
徹底的な
と――
―会長……―
「なんだ?」
幾分落ち着いた口調となった日笠さんの呼びかけがスピーカーから聞こえて来て、ササキは携帯を見下ろす。
しばしの間の後、彼女は意を決したように言葉を放った。
―……私達のこの旅は無駄ではないですよね?」
「……」
―きっとみんな……無事ですよね?―
この城で強烈に感じた『死』という恐怖。だかまそれはこの城だけに限った話ではない。きっとこれからの旅の間ずっと付きまとうものだ。
死んだ者は決して生き返らない――エリコはそう言っていた。
この世界に飛ばされて早一月半以上。これまでに出会った仲間達は幸いにも皆逞しく生き抜いていた。けれど未だ見つかっていない仲間達が無事とも限らない。
そう、奇跡はいつまでも続かないから。
もしこの旅を続けたその果てに、力及ばず間に合わずに誰かが命を落としたら。そして今この瞬間も、私達のようにどこかで誰かが窮地に陥っていたら。
我々は、誰か一人でも脱落したらそれまでの運命共同体。
私達のこの旅ははたして意味あるものなのだろうか――
携帯越しに彼女の想いが伝わって来てササキは一瞬言葉を詰まらせた。
だがしかし。
年長者たる彼は、少女のその問いに確固たる意志を示す。
「そのために君達は旅をしている。そうさせないために君達は旅をしている――」
そう、我々はこの村で覚悟を決めた。
必ず皆を捜し出して、みんなで元の世界に帰ると――
「奇跡であろうと偶然であろうと、君達はしぶとく足掻いて運命を勝ち取って来たのだ。少しは自信を持て」
「会長――」
「それにうちの部員は存外タフだ。君だってそれは知っているはずだろう、なあ『元』部長?」
もっとも、まったく指揮通りに動かず好き勝手にやる連中ではあるが。
だが生きようと、だが死ぬものかと――
我々が泥臭くても足掻いて決して諦めないように、皆もどこかで足掻いているはずだ。
そして、だからこそ。
「日笠君、今は『生きる』事を考えろ――」
―生きる……こと?―
「そうだ、君は死の恐怖を知ったのだろう? ならばそれを強みに変えろ、その経験を活かせ。そして仲間をそうさせないために考えろ」
後悔も反省もいつでもできる。だがそれは生きてこそだ。
どうすれば柏木君達と合流できるか。どうすれば悠木君達を助けだせるか。
どうすればそこを脱出できるか――今はそれを考えるべきだ。
「そこを抜け出せたら、さっきのように好きなだけ私を恨んでいい。好きなだけ私に罵声を浴びせていい。なんなら引っぱたいてもいいぞ? 君のような美人なら大歓迎だコノヤロー……だからな日笠君。今は『生き抜く』ことだけを考えるのだ」
そう言って、ササキは立ち上がる。
そして部屋の中を歩き回りながら少女の返答を待った。
決して催促をせず、ただひたすらにゆっくりと部屋を歩きながら。
と――
―会長……―
彼が二往復程部屋の中を歩き終えた後、少女はようやく言葉を発する。
逸る気持ちを抑えてササキは携帯を見下ろした。
「聞こえている」
―……スケベなだけじゃなくて、マゾだったんですね―
「……クックック」
鼻を啜らせながらもクスリと笑う日笠さんの声が聞こえて来て、ササキは思わず含み笑いを浮かべた。
「よし、いい子だコノヤロー。私もできる限りバックアップするつもりだ」
―……わかりました―
まだ涙声だった。鼻を啜る音が依然として聞こえてくる。
けれども、少女の決意を感じさせるその返答は先刻よりも落ち着いていた。
―会長、ありがとうございます―
「礼はその城を無事脱けてからでいい。君ならできる、健闘を祈るぞ」
―はい、おやすみなさい―
「ああ」
ササキはじっと携帯を見下ろし、日笠さんが通信を終了するのを見届けてからそれを胸ポケットへとしまう。
そして大きな溜息を一つ吐くと窓の外の月を見上げた。
寝静まった村を見守るように、
「さてと、よくもやってくれたな斑目……この
私の後輩を一人ならず二人も泣かせるとは。
覚悟はいいか変態ストーカー?――
オケが誇る天才生徒会長は静かに呟くと、テーブルの上にあったZIMA=Ωのスイッチを徐に入れたのだった。
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