その9-4 ようこそ我が城へ

 慣れてきた視界一杯に広がった神秘的な光景に少年は足を止める。

 扉を潜った彼の目の前に現れたのは吹き抜けの空間だった。

 遥か上まで続くその空間を、備え付けられた大小無数の燭台が幻想的に照らしている。

 その空間の周囲を、燭台の灯火によって色艶やかに光を放つステンドグラスと、黒地に白のト音記号が刺繍されたタペストリが囲っていた。


「何びびってんのよ? もう平気だって」

「こっちだよカッシー、ついてきて」


 数歩先からなつきと柿原の声が聞こえ、感嘆の溜息をつきながら周囲を眺めていたカッシーは正面へと目を向ける。

 二人は少年の丁度目の前、中央に敷かれた紅い絨毯の上に立ちこちらを振り返っていた。

 その絨毯を挟むようにして両脇には四、五人が座れそうな長椅子が左右シンメトリに奥へ向かって並んでいる。

 そして最奥にて少年を出迎える様に『鎮座』していたのは、幾つもの気筒パイプをまるで城のように天高く聳え立たせるとある楽器であった。

 入る前から聞こえて来ていた音色からこの楽器がある事は何となく予想はしていた。しかしこれ程の大きさのものとは思っていなかった――

 抜群の音響を備え持つこの幻想的な空間へ元いた世界の名曲トッカータとフーガを響き渡らせているその楽器をまさしく『見上げ』、カッシーは口をへの字に曲げる。

 その楽器とは、即ち――


「あれって、パイプオルガン?」


 教会、礼拝堂――

 そんな単語を頭に思い浮かべながら、彼と同じく部屋の中を見渡していた東山さんが呟くように楽器の名前を口にした。

 はたして、二人が見つめるその楽器は、彼等が元いた世界の鍵盤楽器にそっくりの楽器だった。

 いや訂正しよう。そっくりではなく、形も音色もパイプオルガンそのものである。


 そういえば初めてかもしれない。自分達の持ち物以外で、この世界で楽器を見るのは。

 チェロ村でペペ爺やヨーヘイは言っていた。

 この大陸において楽器は、何かの合図に用いるための道具である――と。

 つまり楽器を用いて『曲を奏でる』いう概念が存在しないのだ。

 そのため単純な軍用ラッパか太鼓程度しかないとも彼等は言っていた。

 しかし、今少年の目の前に聳え立つ立派なパイプオルガンは、明らかに自らが生み出すその音色によって『曲を奏でて』いる。

 

「やっぱりこの大陸にも楽器ってあったんだな」


 主題部分に入ったトッカータとフーガの旋律にカタルシスを感じながら、カッシーは呟いた。

 が、しかし――

 

「いえ、あんな楽器初めて見るッス……カッシーの世界の物ではないんスか?」


 あのような楽器はトランペットでも見た事がない――

 少年の放った言葉に即答し、チョクは好奇と懐疑二つの感情を目に灯しながらパイプオルガンを見上げていた。

 眼鏡の青年の意外な反応にカッシーと東山さんはきょとんとする。だが彼等はすぐに首を振ってみせた。

 

「いや、あれはうちらの楽器じゃない」

「ですが先程、あの楽器の名前を知っているようでしたが」

「うちらの世界にも似たような楽器があるんだ。だから思わず口にしちゃったけど、あれはうちらの楽器じゃない」


 そもそも、あの大きさの楽器を持ち運びするのは無理だろ?――

 そう付け加えてカッシーはチョクの言葉を否定する。

 眼鏡の青年は頻りに頷いていたが、しかしその表情は不可解と言いたげに曇ったままだった。

 前言撤回。あの楽器はこの世界の物ではないのだろうか。

 となると、あのパイプオルガンらしき楽器は一体どこの誰が造ったものなのだろう――

 訳が分からなくなってきてカッシーはポリポリと頭の後ろを掻きながら首を捻る。

 

 と――

 

 礼拝堂に厳粛な余韻フェルマータを残し、パイプオルガンの音色が止んだ。

 トッカータとフーガの演奏が終わったのだ。

 三人は礼拝堂の正面奥を向き直る。はたしてパイプオルガンの奏者席で、たった今最後の一音を奏で終えたその人物が、余韻に浸るように両手をゆっくりと降ろしたのが見えた。

 誰だあいつ? あれがなつきの言っていた『先住者』なる人物なのだろうか――カッシーは訝しげに眉根を寄せる。

 黒く艶やかな外套に身を包んだ、銀髪の男だった。しかし、ここからでは後ろ姿しか見えないのでそれしかわからない。

 だが男の隣に立っている小柄な少女と、背の高い少年には見覚えがあった。柿原亜衣と阿部雅彦――二人ともオケの部員だ。

 その二人が、前方を歩くなつきと柿原が振った手に反応してこちらを向くのが見えた。

 

「柏木君……」

「行こう委員長、会って確かめるのが早い。チョクさんもそれでいいよな?」

「わかったッス」


 彼は『敵』じゃない、少なくとも今は私達の『協力者』――

 なつきはそう言っていたが『敵』ではないとはどういう意味なのだろうか。

 我儘少年は意を決すると、紅い絨毯の上を歩きはじめた。



♪♪♪♪



「悠木先輩っ! お兄ちゃん!」


 中央をこちらに向かって歩いてくる二人の姿に気づくと、奏者席の傍らにいた少女――柿原亜衣は、あどけない笑顔を顔に浮かべ駆けだした。

 そしてなつきと柿原の前までやってくると、彼等の身体をしげしげと眺め、特に目立った外傷がないことを確認してからようやくもって安堵の吐息を漏らす。


「ただいま亜衣ちゃん」

「無事でよかった。帰りが遅かったから心配してたんです」

「大袈裟ね、平気よ様子を見に行っただけなんだから」

「そうは言っても不死者アンデッドだらけの城を二人で歩き回るのはやっぱり――」

「亜衣~、僕のこと心配してくれてたの?! お兄ちゃん超嬉しい!」

「っ!? ちょ、ちょっとお兄ちゃん苦しい! やめてよ抱き着かないで!」


 と、懸念の色を浮かべなつきを諌める亜衣を抱きかかえると柿原はまるで小動物を愛でるように彼女に抱きしめた。

 途端亜衣は過保護な兄の顔を慌てて引き離しながら、悲鳴をあげる。


「お帰り二人とも、どうだった?」


 そんな兄妹の微笑ましいやり取りを眺めながら、亜衣の後を追って同じくやってきた長身の少年――阿部雅彦が首尾を尋ねた。

 部で一番背の低い亜衣の横に部で一番背の高い彼が並ぶと、その身長差は目に見えて顕著になる。

 まるで幼女とその保護者―もとい彼等もなつきと同じく、シスター服と修道服を身に纏っているので幼女シスターと牧師だろうか。

 その凸凹なコンビを一瞥した後、なつきは小さく首を振ってみせた。

 

「ヒロシさん達じゃなかった」

「そうか……残念だったね」

「でも援軍に来てくれた騎士ナイト様と会えたよ」

「援軍?」


 と、落ち着いた素振りで、しかし落胆するように肩を落とした阿部は、直後に少女が続けた言葉を聞いて首を傾げる。

 そんな長身の少年に対し、なつきは無言で頷くと礼拝堂の入口を振り返った。


 刹那。

 なつきの視線を追うようにして顔を上げると彼は紅い絨毯をこちらに向かって歩いてくる三つの人影に気づき、血色の悪い顔を興奮気味に紅潮させる。

 

「カッシーじゃないか! 委員長も!」

「えっ!?」


 兄の執拗なハグ攻撃を精一杯拒んでいた亜衣が、阿部のその発言を聞いて柿原の影から入口を覗きこんだ。

 そして視界に映った音高無双の少女の姿に気づくと、途端に柿原の身体を跳ね除け一直線に駆けていく。

 

「恵美先輩っ!」


 後ろで聞こえた兄の悲鳴を余所に、亜衣は東山さんの胸に飛び込んだ。

 童顔で小柄な少女をしっかりと受け止め、東山さんはまるで姉のように亜衣の頭を撫でる。


「久しぶり亜衣ちゃん」

「本当に恵美先輩ですよね? オバケじゃないですよね?」


 涙を一杯に浮かべた瞳で東山さんを見上げ、亜衣は震える声で尋ねる。

 音高無双の少女は、彼女らしい強気な笑みを浮かべてその問いかけに頷いた。

 過酷な環境の中、それまで耐えてきた感情が堰を切る。途端に顔をしわくちゃにしながら亜衣は声を殺して泣き始めた。


「亜衣ちゃん……」 

「ごめんなさい。もう二度と会えないと思ってたから……また会えて本当に……嬉しくて――」

「私もよ。なつきから話は聞いたわ。頑張ったね亜衣ちゃん……あなたが無事で本当によかった」


 数少ないヴィオラパート同士の久々の再会。

 東山さんは静かに目を閉じぎゅっと亜衣の背中を抱きしめた。

 涙もろい眼鏡の青年の鼻を啜らせる音が後ろから聞こえてくる。


「亜衣~、お兄ちゃんより委員長の方が大事なの?!」

「黙ってなさいよ、野暮なこと言わない」


 地べたに押し倒され、絶望の表情を顔に浮かべながら呟いた柿原を呆れ顔で見下ろしながら、なつきはやれやれと肩を竦めた。

 と、二人の再会を一頻り満足そうに眺めていたカッシーは、やにわに阿部に歩み寄るとにへらと笑ってみせる。

 

「よっ、阿部っち久しぶり。相変わらず顔色悪いじゃん?」

「あっはは、そりゃここにいたらねえ。でも驚いた、まさかこんな所で君達と会うなんて」


 何たる偶然――

 そう言いたげに顔を綻ばせた阿部を見上げ、我儘少年は首を振る。

 

「ちがう、お前達を追いかけてここまで来たんだ」

「僕達を? よくもまあこんな所まで……相変わらず君は無鉄砲だなあ」

「ほっとけっつの、まあおかげでえらい目に遭ったけどさ。日笠さん達とも逸れちゃったし」

「えっ、部長達もここに来てるの?」

「ああ、こーへいにかのーに……それと――」


 そこまで言ってから、忽然と姿を消した微笑みの少女の事を思い出し、カッシーは険しい表情を浮かべる。

 あの娘の気配はもうない――あの時、時任は言っていたが一体どこへ行ったのか。

 

 と――


「ナツキ君、歓談中のところ悪いがそちらの方は客人かね?」


 低く渋い男性の声が聞こえて来て、我儘少年の思案は一度そこで打ち切られる。

 落ち着いた優しい口調だった。しかしその声の奥に、聞く者へ無意識のうちに畏れを抱かせるような威圧を感じ、カッシーはピクリと眉を吊り上げる。

 先刻見事なトッカータとフーガの演奏を終えたその声の主は、未だ奏者席を動かずじっと俯いていた。

 なつきは呆れたように頭の後ろを掻きながらその男を向き直る。


「そっ、私の友達。北東のホールで襲われてたのを助けたの」

「ほう……すると彼等も君達と同じ『神器の使い手』ということかね?」

「ええ、そう。てか、なにしてんの?」

「余韻に浸っていた」

「余韻?」

「異世界の美しい曲の余韻にだ――」


 そこでようやく男は天を仰ぐようにして顔を上げると、自分を抱きしめるように両腕を掴む。

 なんだこいつ? 曲弾き終えてから結構経ってるはずだが――陶酔するかのように天窓を見上げる男の後ろ姿を見据え、カッシーは思わず口をへの字に曲げた。

 一方でなつきはもう慣れた――と言わんばかりに小さな溜息を吐きながら構わず話を続ける。


「彼等をここに置いてもらってもいい?」

「構わんさ……君の友達というのであればね」 

「さっすが、話わかるじゃんシンちゃん」

「シ、シンちゃん?!」

「ナツキ君、その呼び方は皆の前ではやめてもらおうか」


 なんだシンちゃんて?――と、カッシーが尋ねる間もなく、途端に礼拝堂に響き渡るパイプオルガンのCメジャー。

 突然の大きな音に思わず身を竦ませた彼等の視界で男が立ち上がる。

 刹那、大きくはためいた漆黒の外套はさながら宵闇を舞う蝙蝠の羽のようだった。


 カッシーはぎょっと目を見開く。少年の目には男の姿が消えたかに見えたからだ。

 だがそれも一瞬だった。一同が宙を覆うように広がった外套に目を取られたその僅かの刻で、たった今の今まで椅子に座っていた男は、瞬時にしてカッシー達の目の前まで移動していた。

 予備動作も何もない。まさに手品のような瞬間移動。

 今のは魔法か、それとも驚異的な身体能力か?

 思わず身を仰け反らせる少年の背後で、東山さんは亜衣を庇うように後方へ退け、チョクが腰の細剣レイピアに手をかける。

 しかし男は彼等のその反応に構わず、黒の礼装に包まれた片手を仰々しく胸の前へ差し出しながら一礼した。

 

「ようこそ我が城へ、歓迎しよう客人達よ」


 ややもって男は顔を上げる

 銀色の髪と細い輪郭に包まれた薄い唇に高い鼻、そして大きな目が露になった。

 病的なまでに白い肌をしたその壮年の男はオケ一背の高い阿部よりもさらに大きい。

 特筆すべきはその瞳だ。

 その瞳が放つ輝きは『獣』の輝き。

 男の瞳は燭台の照らす灯火の下金色に輝き、三日月の形をした瞳孔で少年達を見下ろしていた。

 見覚えのある瞳だった。先刻戦った氷使いに炎使い、そのいずれも眼前の男と同じ瞳をしていたのだ。

 それは即ち『人外たる証』――


「我が名はジョージ=シンドーリ=フィス=コルネット――この城の主を務めている者だ。以後お見知りおきを」


 謳うように名乗りをあげて壮年の男――シンドーリは不敵な笑みを口元に浮かべる。

 だがしかし。

 たった今聞こえてきた耳を疑うその内容にカッシーは八重歯を覗かせ、喉奥で唸りをあげていた。

 ちょっと待て、こいつ今なんつった?――と。


「城の主? ボケッ、じゃあこいつが噂の死霊使いネクロマンサーってことじゃねーか!」


 刹那、仰け反らせていた身を勇気と怒りと共に前傾させると――

 カッシーは涼しい音色を礼拝堂へと響かせながら時任を抜き放った。

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