その9-3 先住者

 直径五メートルほどの円筒の中を壁に沿うようにして螺旋階段が続く。

 等間隔に壁を照らす燭台の灯りを頼りに、カッシー達はその階段を上っていった。

 幅は狭いがしっかりとした造りだ。何の目的で造られたものだろう。


「しかしおまえら、よくこんな場所見つけたな」


 壁のスイッチなんてぱっと見まったくわからなかった。

 何にもないただの通路の途中に特に何も目印なく存在していたのだ。

 一体どんな方法を使ったのか――

 カッシーは感心しながらなつきと柿原へ賛辞の言葉を投げかける。


「当然よ、この程度の仕掛けなんて私にかかれば余裕余裕」

「へー」

「本当は不死者アンデッドから逃げて、休憩してる最中になつきが手をついたら、たまたまスイッチ押しただけなんだけどね」

「……へえー」

「このお喋りっ! 余計なこと話すんじゃない!」


 と、先頭を歩いていたなつきがちらりとカッシーを振り返りドヤ顔を浮かべたが、途端に柿原にネタばらしされ一瞬にしてそのドヤ顔を激怒の形相へと変化させていた。

 そんな事だろうと思っていたカッシーは、冷ややかな視線を少女へと送る。

 カッシーのその視線に気づき、なつきは誤魔化すように咳払いしながらそっぽを向いた。

 

「わ、私が見つけたおかげでみんな助かったんだから。結果オーライでしょっ!」

「はいはい、そうだな」

「ちょっとカッシー何よその言い方? 悪意を感じるんだけど」

「でも本当に無事でよかったわ」


 と、二人の会話に割って入るようにして東山さんが口を開く。

 三日遅れで追いかけてやってきてみれば、到着早々不死者アンデッドの襲撃が休みなしに続く状況に、彼女は懸念していたのだ。

 既に三日も経過している。この城で三日も……はたして彼等は無事だろうか――と。

 だがそれが杞憂に終わり、こうして無事再会を果たすことができたことに対し、東山さんは偽りのない心からの笑顔を浮かべていた。

 

「ずっとここに隠れてたのか?」

「違う、ここを発見したのは今日の朝よ。それまではヒロシさん達と一緒に行動してたの」

「ヒロシさん?」

「管国から来た討伐隊の指揮官さんだよ。僕達その人の部隊に混ぜてもらってここまで来たんだ」

「カキハラ殿、『ヒロシさん』って、もしかしてヒロシ=ヤスモト殿ッスか? 大柄でがっしりとした寡黙な感じの男性では?」


 なつきの回答に続けて、補足するように柿原が言葉を続ける。

 と、話を聞いていたチョクが身を乗り出すようにして会話に加わった。

 はたしてチョクのその問いかけに対し、柿原は即座に頷くと嬉しそうに表情を明るくする。


「ヒロシさんを知ってるんですか?」

「昔色々世話になったんッス。ということは、ここに来た討伐隊はカデンツァってことッスね」

「カデンツァ?」

「管国の精鋭部隊の通称ッス。ヒロシ殿はカデンツァの部隊長を務めている方なので」


 また音楽用語か?――と、首を傾げたカッシーと東山さんに向かってチョクは手短に説明した。

 そして神妙な顔つきを浮かべると、口の中で小さく唸る。

 管国が誇る精鋭部隊が派遣されたということは、この古城想像していたより相当にやばい城なのではないだろうか――


「チョクさん?」


 と、表情を曇らせた眼鏡の青年の様子に気づき、カッシーは不思議そうに彼を呼ぶ。


「失礼、なんでもないッス。それでヒロシ殿と討伐隊は今何処に?」


 チョクはすぐに元の表情に戻ると、何でもないと言いたげに首を振って彼等の居場所を尋ねた。

 だがしかし。

 チョクのその問いかけを受けて、なつきはやにわに足を止める。途端に表情を暗くし彼女は悔しそうに俯いていた。

 その様子からどことなく自分の問いに対する返答を悟りつつも、チョクは脳裏に浮かんだその答えを否定するため答えを促す。


「ナツキさん?」


 チョクの呼びかけに対し、やがて顔を上げた。その表情は怒りとも悲観とも取れる険しい表情だった。意を決したように上所は答えを口にする。


「……討伐隊は全滅したわ」

「……え?」

「私達と何名かを残してみんな死んだ。ヒロシさん達とも逸れた」


 息を呑み眼鏡の奥の目を見開いたチョクに対し、なつきは肯定するかのように頷いてみせる。そしてこれまでの『壮絶な三日間』を皆に向かって話し始めた。

 数分後。

 その筆舌し難い惨劇を聞いて、二の句が継げず、呆然と立ち尽くすカッシー達を、なつき瞬き一つせずにじっと見つめ、強く拳を握りしめる。爪が掌に食い込み血が滲む程に握られたその両拳は微かに震えていた。


「そんなまさか、あのカデンツァが全滅とは――」

「もちろんこのまま終わらせるつもりはない」

「なつき……」

「絶対仇を取るって決めた。この城のアンデッドを根絶やしにしてやる。骨も鎧の欠片も残らない程に全て。それが私達の仇討ち――」

「たった四人で? 無茶よ……」

「無茶でもやるの。みんなで決めたんだ……それを終えるまで私達ここを去るつもりはないから」


 強き意志。そしてそれを覆うようにして暗く淀んだ負の感情を瞳に浮かべ、なつきは静かに宣言すると、再び階段を上り始める。

 あんな顔をする娘だっただろうか――なつきの背中を見つめ、東山さんは眉間にシワを作り出していた。


「この城に来てから管国の兵隊さん達、ずっと僕たちを護ってくれていたんだ」


 と、東山さんと同じくじっとなつきの後ろ姿を見ていた柿原が徐に口を開く。


「でも人ってさ……本当に簡単に死ぬんだね。結構堪えたよ。僕たち頑張ったけどダメだった。何とか助けようとしたけどダメだった」

「柿原……」


 この城に来てから何度となく人の死を見送った。

 目の前で次々と火だるまになって死んでいく兵がいた。

 自分達を庇って氷漬けになり死ぬ兵がいた。

 自分達を逃がすために死んだ兵が幾人もいた。


 初日はその光景が瞼に焼き付いて眠れなかった。

 二日目は散り際の彼等の声が耳にこびりついて眠れなかった。

 そして今朝、感覚が麻痺したのかとうとう何にも感じなくなった。

 だがしかし。

 それ以上彼等の目の前で『死ぬ者』はもう現れなくなった。

 カデンツァ全滅という残酷な事実と共に。

 

 よく心が折れなかったと思う。

 よく気が狂わなかったと思う。

 つい一月半ほど前までは、死とは無縁の世界で生活していた『ただの高校生』達がだ。

 それは彼等が生きようとする意志を捨てなかったからだけではなく。

 共に戦った者の命を奪った不死者達への『復讐』という執念が彼等の身体と精神をギリギリのところで支えたからだったのだ。


「僕も気持ちはなつきと一緒なんだ。悔しいんだよ……一矢報いたい」


 元の世界にいたら決して体験することがなかったであろう、様々な『死の瞬間』を嫌という程見てしまった――

 いつも口喧しく、底抜けに明るい少年が初めてみせる恐怖と悔恨の入り混じった複雑な表情。それを見てしまったカッシーは、かける言葉もなくただただ柿原を見つめる。


三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズ……どうやらまやかしでもなんでもなく本当に蘇ったようッスね」


 と、少年少女達のやり取りを静かに見守っていたチョクは、やがて確信したように呟いた。

 

「トリニティ・レイヴンズ? ねえ、眼鏡のオッサン、それがあいつらの名前?」


 根拠はない。だが炎・氷・風を使役していた三人の男達の姿が直感的に頭に浮かびなつきは尋ねる。

 チョクは眼鏡を押し上げコクリと頷いた。


「そうッス。十年前にマーヤ達と一緒に倒した三人組ッス。さっき戦った炎使いのセキネ、そして城門で会った氷使いのキシ――」

「あとは『オオウチ』だろ?」


 と、被せる様に口を開いた我儘少年を向き直り、チョクは驚きの表情を顔に浮かべる。

 やっぱりか。セキネと遭遇した時、どこかで見た事があるという既視感は間違いじゃなかったのだ。

 そして我儘少年は額を押さえがっくりと肩を落とした。

 可愛い可愛い妹よ。ほんっっっっとに厄介なことしてくれたな。

 よりによって三羽烏かよ――と。

 

「知ってるんスか?」

「あーその、まあ名前だけだけど」

「『さっき』って、ことはカッシー達もあいつらと会ったの?」

「お前も見ただろ? あのネズミだっつの」

「へ?」

「あれがセキネだよ」

 

 と、真顔でそう答えたカッシーの顔をまじまじと見つめながら、柿原は鳩が豆鉄砲を食ったような表情でぽかんとする。

 まあわからないこともない。自分もあのネズミを初めて見た時は同じ心境だったからな――

 カッシーは念を押すように彼に向かって一度頷いていた。

 

「あの炎使いが大ネズミになったってこと? 一体どうなってんの?」

「私達だって知りたいわ。気が付いたらああなってたんだもの」


 カッシーに続いて東山さんも不可解そうにそう言い放つと眉間にシワを寄せる。


「てか関根に岸に大内って、どういう偶然よ? ねえカッシーあんたなんか知ってんじゃないの?」

「それについては後で話す」


 流石に舞の描いた絵本の話はチョクの前ではしづらい。

 問い詰める様に声を荒げたなつきに対し、口をへの字に曲げながら答えるとカッシーはチョクを向き直った。

 

「それより今『倒した』って言ったよなチョクさん?」

「間違いないッス、あいつ等は確かにマーヤやサクライ達と五人で倒したハズッス」

「じゃあ、あいつ等は一体――」

「別人とは考えづらいッス、何かタネがありそうッスね」


 ついでに言えば、十年前の戦いではあんな大鼠に変身などしなかった。

 どうにも何かが臭う――チョクは顎に手を当て唸り声をあげる。


 と――

 そこでカッシー達は周囲の変化に気づき、前方へと視線を向けた。

 視界に見えたのは平坦な床と、やや低めの天井だ。

 階段は残り数段を残してその姿を視界から消そうとしていた。

 どうやら螺旋階段はここで終わりらしい。

 

 そしてもう一つ。変化はそれだけではない。

 微かに聞こえてくる、覚えのある楽器の音色と、覚えのある旋律――

 それはどちらも元の世界の物だった。

 誰かが演奏をしている?――カッシーは小さく鼻を鳴らす。

 

「到着よ」


 先頭を歩いていたなつきが階段を上り終えカッシー達を振り返った。

 後に続いて階段を上り切ると、我儘少年は現れたその空間を一瞥する。

 そこは窓も何もない小さな部屋だった。

 石造りのブロックで覆われた、五、六人が集えば一杯になるほどの部屋だ。

 その部屋の前方に年代物の胡桃でできた両開きの扉が見えた。

 と、先刻より鮮明に聞こえてくるようになった旋律へカッシーは耳を澄ます。

 この重厚かつ格調高いこの旋律は、やはり間違いなく自分達の世界の曲だ。


 即ち、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲 『トッカータとフーガ ニ短調』――


 どうやら目の前の扉の向こうから聞こえて来ているようだが――

 一方でなつきと柿原は、憮然とした表情で扉を眺めつつ小さな吐息を漏らしていた。

 

「呆れた。なんか上手くなってない?」

「ほんとだー、やるじゃん伯爵」

「伯爵? これ亜衣ちゃんが弾いてるんじゃないのか?」


 というかさっきも柿原は言ってた気がする。確か、伯爵が『誰かが禍々しき紅き炎と戦っている』とかいうから――と。

 伯爵って一体誰だ?

 自分達の世界のトッカータとフーガこの曲をここまで見事に奏でるこの弾き手は一体何者なんだろう――

 カッシーだけでなく、同じ疑問を抱いていたであろう東山さんも、同時になつきと柿原を向き直っていた。

 

 二人の問いかけるような視線を受け、柿原は苦笑する。

 

「あー、なんて言ったらいいか……この隠し部屋の『先住者』かな」

「先住者?」

「先に言っておくね二人とも。彼は『敵』じゃない、少なくとも今は私達の『協力者』だから」

「どういうことだ?」


 話が見えてこない――

 なつきと柿原のその言葉を受けて、カッシーはますます訝しそうに口をへの字に曲げた。

 

「会えばわかるよ。さ、ついてきて♪」


 そう言って柿原は扉の前に歩み寄るとそれに手をかける。

 軋みをあげて扉が開かれると、途端に『トッカータとフーガ』の信仰心を煽るような壮言な調べが鮮明になって少年の耳朶を打った。

 同時に中から差し込んできた光が、階段の薄暗さに慣れていた彼の網膜を刺激する。

 思わず両目を細め、それでもカッシーは腕で顔を覆いながら中へと足を進めた。


 刹那

 

 扉を潜った少年は、そこに広がる光景を眺め思わず溜息を吐いたのだった。

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