その9-1 死神と少女

 頭が重い。思考がうまく回らない。

 ここは何処だろう。何故私はここにいるのだろう。

 意識を取り戻したなっちゃんは考える。

 

 焦点の合わない視界にぼんやりと見えたのは、遥か上まで吹き抜けとなった空間だった。

 天井はステンドグラスで彩られた天窓となっており、しかし生憎の曇り空によりその細工も今は本来の輝きを潜めている。

 相変わらず耳朶を打つのは降り頻る雨の音だった。ただ先刻よりも響いて聞こえる。

 吹き抜けの天井による音響効果だろうか。

 

 とにかく起きよう。身体は動くみたいだ――

 ゆっくりと上半身を起こす。そして額を押さえ、頭にかかったもやを払うように首を振った。

 しっかりしてきた意識と共に、少女は後ろ手に身体を支え周囲の様子を窺う。


 目覚めてすぐに見えた光景吹き抜けと釣り合う程の空間がそこには広がっていた。

 そこは白と黒が支配する壮言な広間。

 床を覆うも大理石黒曜石。部屋を飾るタペストリもカーテンも黒と白。

 その広大な部屋の中央で一際生える『紅』の色――まさしくその紅い布が敷かれた祭壇に横たわり、少女は眠っていたのだ。


 さらに詳しく部屋を眺めてみる。

 左手には壁の代わりに一面ガラス張りにされた大きな窓。眼下に見える麓には荒れた墓地が一望できた。

 そして背後に見えたのは、黒い布に覆われた禍々しい妖気を漂わせる大きな玉座。

 雰囲気は違えど、かつてマーヤと会った際に通されたヴァイオリン城の『謁見の間』と似通っている――

 どことなく見覚えがあったその間取りを眺め、少女はしかし悔しそうに吐息を漏らしていた。

 

 やはり今自分がいる場所は、つい先刻まで蓬髪の野人と戦闘を繰り広げていたホールではないようだ。

 不意に拘束され意識を失ったにも拘わらず。私はこうして生きている。

 最悪だ。つまり私は捕まったらしい――

 聡明な少女は即座に自分の置かれた状況を悟る。

 だが個性あふれる六人の中で最も頭の回転が速い彼女は、悲観するより先にいかにしてこの状況から仲間の元へ帰還するかを考え始めていた。


 チェロもない、ボウガンもない。どうやらどちらも置いて来てしまったらしい。

 まあボウガンがあったとしても、あの後輩そっくりな男に到底敵うわけがないだろう。

 チェロも弾いている間に近づかれて阻止されおしまいだ。

 幸い周囲に人の気配はない。いっそこのままこっそりと逃げてしまおうか――

 顎に指を当てながら微笑みの少女は頭の中で目まぐるしく思案を巡らせる。

 と、そこで視界に映りこんだ『違和感』に気づき、少女ははっとして表情を強張らせた。


「何よこの服……」


 思わず眉根を寄せて、彼女は自分の腕を覆っていた『黒い』袖を翳すようにしてしげしげと眺める。

 そう『黒』なのだ。すぐさまなっちゃんは自分の身体を見回していた。

 はたして彼女の身を包んでいたのは、いつもの白いワンピースと上衣ではなく、黒地に白のコントラストが印象的な修道服であった。

 ホルン村でキクコ村長が着ていたものと同じものだ。胸にはト音記号の形をしたネックレス。もれなく足元もブーツではなく、革のサンダルに履き替えられている。

 流石にベールまでは被らされていなかったが、これは一体誰の趣向だろうか。

 というかこれって誰かに『脱がされた』ってことでしょ? 気を失っている間に変なことされてないだろうか――

 途端に鳥肌が立ってきて、なっちゃんは剣呑な表情を浮かべながら肘を抱いた。


「目が覚めたか?」


 と、前方から覚えのある声が聞こえてきて、少女は浮かべていた剣呑な表情を引っ込める。

 そして代わりに敵意を剥き出しにした憤慨の表情を顔を浮かべ、その声の主である漆黒の剣士を睨み付けた。

 

「この服あなたの趣味? 見かけによらずコスプレ好きの変態だったなんてね」

「主の命令だ。他意はない」


 毒舌少女の皮肉を無表情で淡々と受け答えし、オオウチは広間の中央をゆっくりと祭壇に向けて歩み寄る。

 なっちゃんは祭壇より足を降ろし、腰かける姿勢になると彼を出迎えた。


「私の裸見たでしょ?」

「安心しろ。『人間』のに興味はないんでな」

「人間? 何よそれ?」


 妙に気になる言い回しをしたオオウチを訝しげに見上げ、なっちゃんは尋ね返した。

 だが漆黒の剣士は答えず、やはり先刻と変わらぬ感情のない瞳でじっと少女を見下ろす。


「ねえ、ここはどこ?」

「……」

「さっきあなたが使ったあれってなに? 魔法か何か?」

「……」


 少しでもここから逃げるための情報が欲しい――

 内心の焦りを億尾にも出さず、なっちゃんはオオウチに問いかける。

 だが結果は変わらぬ無言の威圧だった。オオウチは表情一つ変えず、ただただ少女の様子を窺っていた。


 不気味な男だ――彼女は思った。

 元の世界の良く知る後輩そっくりで、整った顔立ちの美青年なのに、その瞳は何の感情も灯さない硝子玉のようだった。

 相手を逆上させ手玉にとって自分のペースにもっていく――それが彼女の十八番だったが、それがこの男にはまったく通用しない。

 思わずその黒い瞳の中に意識を吸い込まれそうになり、なっちゃんは誤魔化すように視線を逸らす。


「私をどうするつもり?」

「それは我が主に直接聞くといい。俺は命に従ったまでだ」

「主?」

「……おいでになった」


 そう言って、やにわにオオウチはその場に跪き臣下の礼を取る。

 唐突に、彼女の全身を寒気が襲った。重く肩に圧し掛かるような、禍々しくてまとわりつくような寒気。

 思わずビクリと身体を震わせ、少女は堪える様に肘を抱え、身体を丸める。


 刹那――

 



「嗚呼……見事な器だ……寸分違わぬレナの器だ――」




 耳元で囁くようにして聴こえてきた、透き通るように綺麗なその声に微笑みの少女は動きを止める。

 いや、止められた。『悍ましく』て『独りよがり』なその声に止められた。

 途端に心臓が早鐘のように鼓動を速める。

 服の上から胸を握りしめ、なっちゃんは真っ青になりながら俯いた。


 嘘だ。

 これは幻聴だ。きっと気のせいだ。

 あいつが。あの男がこの世界にいるわけがない。

 そう、いるはずがない――

 

 思考を埋め尽くす悪夢を振り払うかのように腹に力を籠め、なっちゃんは顔を上げる。

 だが気丈にも瀬戸際で踏みとどまっていた彼女の理性はあっけなく瓦解した。

 音もなく、そして刹那の一瞬で、息遣いが分かるほどの眼前に姿を現した、忘れる事の出来ぬその『悪夢』の姿を見て――


「っ!?」

「やっと見つける事が出来た。長かった……でもこれでレナに会える――」


 何故。

 どうしてこいつがいるの?

 ……ああ、なるほど。わかった。そうだった。

 もう最悪だ。

 ねえ、舞ちゃん、どうしてこいつまで『モデル』にしたの?――


「そんな……」

「もっとよく顔を見せてくれ……六百年ぶりのレナの顔を見せてくれ」


 焦茶のフードの中の乱雑に伸びた黒髪の隙間から覗いた病的なまでに白い唇がそう囁いた。

 目を剥いて固まったなっちゃんに向けて、枯れ木のようにしわがれた手が伸びる。

 途端に彼女の頬を、氷のように冷たい手が撫でた。

 ビクリと身を震わせるなっちゃんに構わず続いて髪、耳、うなじ、首筋――と、その手は確認するように撫でていく。

 されるがままに撫でられつつ、なっちゃんは耐えるように目を閉じた。


「ああ、レナだ! レナの顔だ! レナの目だ! レナの鼻だ! レナの唇だ! レナの髪だ!」


 上から下までねっとりと嬲るように眺めた後、男はフードの隙間から覗かせた獣の如き金色の瞳を歓喜の色で満たす。

 甲高く裏返った狂気の悶え声が部屋に響き渡った。

 その絶叫が響く度に、少女の思考はすり減っていく。

 だめだ。何も考えられない。

 息が苦しい。心臓が握られたように苦しい。

 あの日の記憶だけが。

 あの日の恐怖だけが頭の中で一杯になっていき、身体を縛りつける。


 金色に輝く三日月をした獣の目以外、全てが瓜二つだった。

 白い肌も、濡れたように光る長い髪も、そして透き通るような悍ましい声色も――

 現れたその男の容姿は、霜月の夜に彼女を襲ったとある少年とそっくりだったのだ。

 


 そう、彼の名は――

 

斑目まだらめ……信彦のぶひこ――」


 震える声で呟いたなっちゃんの頬を涙が伝い落ちる。

 刹那、男の狂笑がピタリと止まった。


「レナ……レナなのか!? 器じゃないのか!?」


 口早にそう叫び、男はなっちゃんの両肩を掴むと彼女を引き寄せた。

 雷光が大きな窓の外で迸り、真っ白な光が男の顔を照らす。

 光を失いかけた少女の目に見えたその顔はもはや『人』のそれではなく、死の臭いを咽る程に放つ金色の目をした『死神』の顔であった。


「ひっ――」 

「もう一度呼んでおくれレナ! さあもう一度! もう一度! もう一度! もう一度! もう一度ォォォォ!」


 男の口の端が耳に届く程にぱっくりと裂け、醜悪な笑い顔を浮かべる。

 短い悲鳴をあげた少女のその顔から、毒舌で聡明な『微笑みの少女』の表情が抜け落ちた。

 その表情の下から現れたのは、少女が普段決して見せることのない幼子のような『怯懦きょうだ』の色だった。

 と、その身が引き寄せられ男の胸の中へと収まる。

 途端、カチカチと奥歯を鳴らし、なっちゃんは涙で一杯になった目を閉じた。

 

「嬉しいよレナ! 私のことを覚えていてくれたのだね! クキケ……クキ、クキケケケケケケケケケケ――」


 少女を大事そうに胸の中へ抱きかかえ、男は金色の瞳を爛々と輝かせながら笑い続ける。

 誰か……助けて――

 身体が動かない。何も抵抗できない。

 なす術なくされるがままにその身を委ね、なっちゃんは祈るようにして何度も心の中で繰り返した。

 


 落雷が城の頂きを振るわせる。

 轟く雷鳴と共に迸った雷光が『嗤う骸骨』のシルエットを床に生み出していた。

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