その8-2 まだ早い、泣くには早い

 三日前。

 不死者アンデッドの襲撃に悩まされるホルン村を救うためトランペットから訪れた紅き鷹の軍二百名は、ヨシタケの案内の下、暗雲立ち込める呪いの古城へと到着した。

 行程は順調、士気も問題なく兵糧も十分。

 到着早々、城の麓に広がる墓場より這い上がってきた骸骨兵スケルトンの集団をもろともせず、不死者アンデッドの群れ等何するものぞ――と、彼等は板金鎧プレートメイルに身を包む重装歩兵を先頭に、突撃を開始したのである。


 だが死人の軍団の手痛い歓迎は唐突だった。

 次々と襲い来る骸骨兵スケルトンを鬨の声と共に薙ぎ払い、意気揚々と朽ちた外壁の中へと突入した彼等が、古城に続く石橋に差し掛かった時だった。

 

 突如として落下した巨大な氷塊が、城内に突入しようとした重装歩兵達を押し潰したのである。

 彼等の先頭を切って吶喊していた、勇猛果敢で知られる第一師団の師団長はその一撃であっけなく絶命した。

 一瞬にして柘榴の如き紅い肉塊と化した十数名の仲間を見据え、兵達は思わず足を止める。

 その彼等の前に音もなく着地したのは、獣のような三日月の瞳を持った銀髪の男だった。

 何だこの氷塊は? そして何だこの男は? いったいどこから現れた?

 理解の範疇を越えたその事象を見据え、途端に兵達の間に動揺が走る。

 だがそんな兵達を一瞥しチロリと長い舌で唇を舐めると、氷使いのキシは冷酷に襲い掛かった。

 氷の刃によって次々と舞う鮮血が、彼等の悲鳴と共に石橋を染めていく。


 怯むな、敵は一人だ! 足を止めるな、かかれ!――

 勢いが止まりかけた彼等に向けて、落命した師団長に代わり副長が号令をかけた。

 流石は勇猛で知られる紅き鷹の第一師団だった。彼等は副長のその叱咤を受けて削ぎ落ちかけた戦意を再び滾らせたのである。


 だが副長は判断を誤ったといえよう。

 強敵といえど敵が『一人』と侮ったといえよう。

  

 刹那。

 氷使いを蹴散らさんと殺到する重装歩兵達に向かって、今度は巨大な火の弾が雨のように降り注いだ。

 先頭集団の丁度中央に狙い澄ましたかのように落下したその火炎の群れは、あっという間に彼等を火だるまにしていった。

 火炎弾の直撃により、分厚い装甲諸共穿たれて絶命する者。迸った火の柱に包まれ、縋るような悲鳴をあげて焼け尽きる者。熱された板金鎧プレートメイルに身を焼かれ地を転がる者。水を求め内堀に身を落とし溺死する者――

 やにわに、地獄の火炎に焼かれる兵達の中央に着地した蓬髪の野人が諸手をあげて雄たけびをあげると、恐慌状態に陥った兵達はとうとう後退を始める。

 

 もちろんこれで終わりではない。死者の軍の攻撃は続く。

 新たな犠牲者は、果敢に兵達を鼓舞し立て直そうと奮起していた副長であった。

 副長は決して怯まず、冷静に兵達を宥めよく通る声で矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。

 

落ち着け立て直すのだ! 陣を組めっ! 後続と入替えシフトだ!――


 だがそれが彼の最期の言葉となった。

 橋上を通り過ぎた旋風により、副長の首が一瞬のうちに跳ねられて石畳に落ちる。

 まさに音もなく、たった一撫でしたような獰猛な風の靡きによって。


 と――


 思考を停止し、あまりに唐突に起こったその出来事により石のように固まる兵達の首が副長の後を追うようにして次々と宙を舞った。

 こいつらは一体何者だ――首だけとなった副長は薄れゆく意識の中、一陣の風と共に橋の中央へ姿を現した黒ずくめの剣士を見つめていた。

 小康的に静まりかけていた兵達の恐慌はもはや止めようがなくなり、はたして橋上は後退しようとする兵と後続の兵が衝突を起こし大混乱に陥る。

 こうして、師団長に続き、副長までもを立て続けに欠いた管国重装歩兵第一師団はたちまちのうちに瓦解したのである。

  

♪♪♪♪

 

三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズ――」


 これまでの経緯を語るヒロシの言葉に耳を傾けていたエリコは、頭の中に鮮明に浮かんだ三人の男達の姿に、思わず吐き捨てるように呟く。

 

「ご存じなので?」

「前に一度戦ったことがあるの。ついさっきも氷使いとね――」

「なんと……よくぞご無事で」

 

 無念の表情を浮かべ俯いていたヒロシは彼女を見下ろし、意外そうに目を見開いた。


「もちろん全力で逃げたわよ、あと全然無事じゃないっての」


 キシだけだったから何とか逃げられたが、三人同時に相手をすることになっていたら、自分も第一師団の兵達と同じ運命を辿っていただろう。

 エリコは悔しそうに口を尖らせ包帯代わりに布を巻いた右足をちらりと見下ろす。

 閑話休題。

 彼女は気を取り直すとヒロシに話の先を促した。

 

「それで、その後どうなったの?」


 彼女の問いかけにヒロシは続きを話し始める。


♪♪♪♪


 恐慌して逃げ惑う兵士達は黒鴉の恰好の獲物となり、邪かつ冷酷な氷・炎・風により次々と狩られていく。

 後詰であるカデンツァ第二小隊が、橋へと到達したのは丁度その時だった。

 朱に染まり酸鼻を極める地獄絵図と化した橋上を眺めにヒロシは息を呑み、しかし彼は考えを巡らせる。

 即ち、如何にしてこれ以上の犠牲を出すことなく不死者の掃討女王の命を遂行するかを――


 敵はたった三名。だがあの三名に先鋒の第一師団は壊滅させられたのだ。

 決して侮ってはいけない――状況分析に加えて武人の勘がそう彼に告げていた。

 戦力は自分達のみ。一度撤退するのもありだが……だがそれは無理そうだ――

 ちらりと背後を窺った後、ヒロシはその案を却下する。

 城門に雪崩れ込んでくる骸骨兵スケルトンの軍勢に気づいたからだ。

 

 このままでは挟撃される。迷っている暇はない。

 即決するやヒロシは、部下に号令を下す。

 

 煙幕用意! 全員中央突破だ。俺が殿しんがりを引き受ける。敵は捨て置き城の中へ走れっ!――

 

 ヒロシの号令とほぼ同時に数本の煙幕弾が投擲される。

 視界を覆う黒煙の中、カデンツァ第二小隊は城目掛けて決死の中央突破を開始した。

 

♪♪♪♪


「――武人としては恥ずべき行動でしたが、結果として誰も脱落することなく三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズの追撃から逃れることができました」

「やるじゃない。武一辺倒だったアンタがね――」


 見事な判断と采配だと思う――十年前の彼を知るエリコは感心しながら頷いていた。国境を警備していた頃のヒロシは、ツェンファ発祥の武道を極める事に生涯を捧げていたストイックな武人だった。きっとあの頃の彼であれば部下を顧みず、武人としての誇りを優先して三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズと対峙していただろう。

 

「ですが奴等を撒いて城に逃げ込んだまでは良かったものの、敵の襲撃の手は止まなかったのです」


 エリコの賛辞に慢心せず、慇懃に一礼をするとヒロシはさらに話を続ける。

 三つの凶刃から逃れたカデンツァ第二小隊は、態勢を立て直すとすぐに今後についてを話し合った。

 討伐は失敗だ。無念ではあるがここは撤退するべきだ。先程の戦闘でわかった。相手をただの不死者アンデッドと侮ってはいけない。

 二百では足りなかった。この不死の古城を落とすには少なくとも『千』はいる――と。

 無論千とは戦力のことだ。選りすぐりの精鋭である彼等は自分達の力量を過信せず、極めて客観的に状況を分析しヒロシへ提案していた。

 そしてヒロシも部下の意見をよく聞き、その提案を受け入れたのである。


 だがしかし。

 

 亡者の巣窟であるこの城は、迷い込んだ生ある者達を決して逃そうとはしなかったのだ。

 その日から彼等の死闘が始まった。

 外の墓地に無数に潜む骸骨兵スケルトン達の監視の目は決して緩まず、彼等を見つけるや途端に土から這い出て追い廻し。

 そして城の中では昼夜を問わず徘徊するゾンビと動く鎧の群れが彼等を襲撃し。

 運が悪ければ三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズと鉢合わせとなりたちまちのうちに死闘が繰り広げられることになった。

 寝る暇も食事をとる隙も全くない極限の緊張状態が続き、精鋭である彼等にも次第に疲労の色が見え始めた。

 そして二日目の夜。三回目の決死の脱出を試みたヒロシ達に襲い掛かったセキネの火炎弾により、とうとう犠牲者が出る。

 それからはまさに『なし崩し』だった。不死者アンデッドの執拗な攻撃により精根尽きた者から一人、また一人と彼の部下は倒れていった。

 それでも死闘は続く。決して疲労の色を表に出さずヒロシは部下を叱咤激励し、獅子奮迅自ら陣頭に立ち一人でも多くの部下を助けようと剛腕を振い続けた。

 そして三日目――即ち今日の明け方。

 食料は底を尽きかけていた。士気ももはや限界に近い。

 後がなくなった彼等は決死の覚悟で四度目の脱出作戦を展開したのだ。

 だがその作戦をまるで見透かしたように南西の角で待ち構えていた漆黒の剣士――風使いのオオウチの手によって、彼等は完膚なきまでに蹂躙され全滅の危機に陥ったのである。

 生き残ったのは僅か三名。非戦闘員であるサイコと、そして村から同行してきた案内役の青年のみ。這う這うの体で撤退した彼等は息を殺してこの部屋に潜み、再起を図った。

 そして今に至るというわけだ。


♪♪♪♪

 

「……無念です」


 死に場を逃した――

 そんな言葉がありありと見て取れる表情を顔に浮かべ、全てを話し終えたヒロシは項垂れた。

 彼にはサイコやヨシタケを護る義務があった。だから彼は己の心中を突き動かす武人としての誇りを必死に抑え、彼等を護って逃げることを選択した。

 もし彼等がいなければこの生粋の武人は、間違いなく部下と共に心中覚悟でオオウチに挑んでいただろう。

 話を聞き終えたエリコは、この三日の間に繰り広げられていた壮絶な事実を知り、二の句が継げずに立ち尽くしていた。

 と――

 

「ちょっと待ってください」


 悲痛と不安が入り混じった少女の声がヒロシに投げかけられる。

 徐に立ち上がった日笠さんはヒロシに対し、強張った表情のまま縋るようにして話を続けた。

 

「私達の仲間は……なつきや柿原君達はどうなったんですか?」

「彼等は我々カデンツァと共に行動していました」

「それじゃ何故姿が見えないんですか?! 一緒にいたんですよね?」

「……」

「お願いです、答えて下さい! 彼女達は今何処にいるんですか?」


 溜まりかねて噴き出した感情により、言葉の最後は震えていた。

 話の途中でまさかとは思った。それでも最後まで聞けばきっと安心できるかもと思い直しじっと堪えていた。

 けれどその結末は、彼等がここにはいない理由をより鮮明に少女の脳裏に浮かび上がらせただけだった。

 嗚呼ダメだ。浮かんでくるのは最悪な結果ばかりだ。

 嫌な方に嫌な方に、どうして私の頭はネガティブな想像をしてしまうんだろう――

 日笠さんは唇を噛み締め、それでも一縷の望みをかけるようにヒロシを見つめる。

 はたして、消すことのできぬ悔恨の表情をそのままに、巨漢の武人は少女の問い対して返答すべく口を開いた。

 

「申し訳ない。今朝オオウチの襲撃から逃げる際に途中で逸れました」

「……そんな」


 血の気が引いていく。足から力も抜けていく。

 茫然自失に少女はその場にへたり込んだ。

 こーへいとかのーは何かを思案するようにじっと床を見つめている。

 

「オオウチの追撃は振り切ったんだけど、その後ゾンビの群れに囲まれてよ……逸れちまった」

「ナツキ様のご一行は私達を助けるため、神器を奏でておりました。そのため行動が一瞬遅れたのでございます」


 あの時の光景を思い浮かべ、サイコとヨシタケは交互に語っていく。

 一難去ってまた一難。

 通路を駆ける彼等の前に現れたゾンビの群れを食い止めるため、少年少女達は噂の神器の演奏を始めたのだ。

 ぼさっとしてないでサッサと逃げんのよ! いいからいけっ!――

 そうきつい口調で言い放ったなつきの声に押されるようにして。

 途端まるで何かに操られるようにして動きを鈍くしたゾンビ達を掻い潜り、彼等は何とか逃げ切ることができていたのだ。


「本当に面目ない。俺の責任です」

「……」

「マユミちゃんだっけか? ヒロシさんを責めないでくれよ。今朝の出来事までナツキちゃん達を懸命に護ってくれてたんだぜ?」


 橋上で三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズから逃げる際も。そしてその後続いた度重なる不死者アンデッドの襲撃からも、ヒロシは身を粉にして神器の使い手達を護衛していたのである。

 たとえそのために自らの部下が犠牲になっても。

 だが二人の話を聞いてそれでもなお、少女は込み上げてくる感情を抑えきれず、呆ける様にしてぽろぽろと涙を流していた。

 認めたくない。分かっているのだ。泣いてしまっては認めたことになる、そうわかっているのだ。

 けれど止まらない。

 今日一日で何度となく起こった命を懸けたやり取りも相まって、少女の脳裏には生々しく仲間の末路が浮かび上がってしまうのだ。


 やっぱり私のせいだ。

 私があの時会長を止めていれば――

 嗚咽を堪え少女は俯く。



 ぽん――と。

 

 少女の両肩に手が乗せられた。

 仄かな温もりをその掌から感じ、日笠さんは目をぱちくりさせながらいつの間にか眼前に屈みこんでいたお騒がせ王女を見つめる。

 濡れる少女の瞳に映る彼女は、いつも通りの強気な笑みを浮かべていた。

 

「まだ早い、泣くには早い……諦めていいのは本当に本当にどうしようもなくなった時だけ――」

「エリコ王女……」

「さっきも言ったけれど、『神器の使い手』は諦めが悪い――そうでしょ?」


 違った?――そう言ってエリコは小さく首を傾げてみせる。


「ムフ、オレサマ自分の目で見てないモンは信じないのディース。ひよっち最近泣き過ぎダヨ。大体あのコギャルが死ぬワケないデショー?」

「んだなー、なんせあのコンミスなつきだぜー? そう簡単にゃくたばんねーだろ?」


 確かに泣くにはまだ早い――

 こーへいはにんまりと、かのーはケタケタと少女を励ますように各々笑ってみせた。三人の言葉を受け、日笠さんは心の整理を付ける様にしばしの間天井を見てていたが、やがてぐしぐし鼻を鳴らしながら頷く。


「よし! じゃあ早速行動あるのみ!」


 少女のその反応を見て満面の笑みを浮かべると、お騒がせ王女は立ち上がった。

 そして途端に真剣な顔つきになると、サイコ達を振り返る。


「討伐隊は全滅。ここは無念だけど撤退しかないわ、血路を切り開くわよ」

「王女……」

「けれどその前にやることがある。ヒロシ命令よ、今を持って私の指揮下に入りなさい。サイコ、それにヨシタケもよ。手を貸して」

「何をする気だ王女さんよ?」

「決まってんじゃない――」


 カツンと一際大きいヒールの音が木霊して、一同は思わず改まる。


「ナツキちゃん達を捜すわよ。そのためにもまずはチョクとカッシー達に合流しなきゃ。マユミちゃん達も協力して」


 これ以上誰一人として死なせない――彼等を見るエリコのその顔つきは、威厳と気品溢れる紅き鷹の王族の顔つきだった。

 高らかに号令を下し、強気に微笑んだお騒がせ王女を見て、サイコは人知れず満足げに頷く。


 だが刹那――


 派手な音を立てて、蝶番ちょうつがいもろとも扉が内側に吹き飛んだ。

 何事かと振り返った一同は、そこに見えた死を彷彿させる黒き集団を瞳に捉えて息を呑む。


 軋みをあげる金属音、そして兜の隙間から覗く紅く禍々しい光。

 それは言わずもがな先刻までエリコ達を追っていた不死者アンデッド達。


 見つかった――

 と、舌打ちをしながら、生ある者達が各々武器を構える最中。

 鈍く光る武器を掲げ、動く鎧の集団は室内へと突撃を開始したのだった。

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