その7-1 いい加減にしてっ!

同時刻。

コルネット古城西側、二階通路―


「……地震?」


 古城全体が微かに揺れたことに気づき、日笠さんは天井を見上げて呟いた。

 勘違いでも気のせいでもなさそうだ。確かに揺れた。

 はたしてパラパラと舞い落ちてきた埃を訝し気に眺め、少女は表情を曇らせる。


「ちょっと違うわ、これはどこかが崩れたってカンジ?」


 と、同じく様子を伺っていたエリコが日笠さんを振り返って答えた。

 地震にしては揺れが浅い。それに揺れを追うようにして通路の奥から仄かに聞こえた瓦解音。

 それが何を意味しているかを悟り、二人は同時に端正な眉を顰めていた。

 

「もしかしてカッシー達かな?」

「……かもしれない」


 無論根拠はない。

 クマ少年程ではないが、なんとなく虫の知らせが働いた程度だ。

 だが今は藁にも縋りたい事態。行ってみる価値はある。

 エリコは通路の奥を支配する闇を目を細めて見つめる。


「東の方みたい。行ってみましょう」

「わかりました」


 少女はコクンと頷いた。こーへいとかのーも異論はないようだ。

 四人は進路を東へと変え進みだした。


「しっかしまあ、怪しい所だなー?」


 物見塔から拝借してきたカンテラを前方へ掲げながら、先頭を歩くクマ少年はぼそりと呟く。

 通路は何処までも続いていそうな錯覚を起こすほどに真っ直ぐだった。

 小さくても流石は『城』といったところだろうか。それなりの横幅があるその一本道は中々に壮大で、それでいて不気味であった。

 光源は頼りなく揺らめくカンテラの灯りと、時折外で迸る稲光のみだ。

 その心細い光が照らす通路に自分達の足音だけが響く。それがまた心中に抱く闇に対する恐怖を増幅させるのだ。


 と――

 

 やにわにこーへいは足を止める。

 そして目を細め、彼は咥えていた生乾きの煙草をプラプラとさせた。


「こーへい?」


 歩みを止めたクマ少年の名を呼んで、日笠さんはなんだろう?――と、不思議そうに同じく通路の先に目を凝らした。

 刹那。外で稲光いなびかりが走り、通路の様子をさらに鮮明にする。

 みるみるうちに少女の表情は剣呑なものへと変わっていった。


 突如として通路に姿を現したそれは、幾つもの鎧の群――

 錆びて朽ちかけたその黒い鎧の群れは、大きさもポーズも一体一体異なっていた。

 中には手がないものや、頭がないものもある。

 各々手に持つ武器も様々で、剣は勿論、斧、槍、果てはボウガンなど中々にレパートリーに富んでいた。

 

「何よこれ……」


 通路の両端に鎮座するその鎧群を眺め、日笠さんは青ざめながら呟く。

 陽の光の下ならばそれなりに勇壮なオブジェに見えなくもない。

 だが闇の中カンテラの心細い灯りに照らされ姿を露にしたそれら鎧の群れは、心胆を寒からしめる以外何物でもなかった

 

「悪趣味ね、今にも動き出しそうなカンジ」

「ちょっ、ちょっとエリコ王女! やめてくださいそういうこと言うの!」


 ただでさえオバケ関係が大の苦手なのだ。この古城に足を踏み入れてから少女の心拍数は常時の五割増し状態なのだ。

 もうこれ以上は勘弁してほしい――思わず鳥肌が立ってきて、日笠さんは肘を抱くようにして両腕を押さえる。


「んじゃ、いくか」

「そうね」

「えっ? えっ? ここ通るんですか?!」

 

 と、再び歩き出したこーへいと同意したエリコに対し、日笠さんは目をぱちくりさせながら縋るように声を振り絞った。

 

「当然でしょ?」

「ここ通らないと向こうにはいけねーだろ?」

「デ、デスヨネー……」


 声を同じくしてそう答えた二人に向かって日笠さんは大きな溜息を吐くと渋々ながら後に続く。

 

「てかこーへいよく平気だよね。怖くないの?」

「んー、別にー? だってただの鎧だろ?」


 ぴったりとくっつくようにして後をついてくる少女をちらりと振り返り、こーへいは相変わらずののほほん口調で答えた。

 というか日笠さんが怖がり過ぎなんだよ――などとは思っても口にしないのがこのクマ少年である。

 と、再度外が激しく閃光に包まれた。

 一瞬の間を置いて轟雷が、通路全体を揺らすように響き渡る。

 

「ひっ!」

「おーい、平気か?」

「大丈夫、ただの雷でしょ?」


 本当に心底こういうのが苦手な子なんだわこの子。まあ人間得手不得手はあるから仕方ない事だが――

 普段の『しっかり者』な少女は何処へ行ったのか。エリコは、喉の奥で可愛い悲鳴をあげながら身を震わせた日笠さんを見て苦笑する。

 だがそんなエリコに向けて、日笠さんはぎゅっと閉じていた目を開け、慌てて首を振りながら詰め寄った。

 

「ち、違うんですエリコ王女!」

「違うって何が?」

「あ、あの……今、動いたように見えて。その……鎧が――」


 確かに見えたのだ。

 雷光が通路を照らした一瞬、居並ぶ鎧のうちの一体が、ぎょろりとこちらを向き直ったのが。

 すっかり狼狽した様子で、しかし大真面目にそう答え、日笠さんはエリコを見つめていた。

 聞こえてきた少女のその訴えに、こーへいも呆れたように振り返る。

 今のところ彼の勘は警鐘を鳴らしていない。流石にちょっとビビり過ぎじゃね?――と。


「おーい、マジで言ってんのか日笠さん?」

「マジよ! 大マジ! 本当に見えたんだもん!」


 まるで子供のように両手を握りしめ日笠さんはムキになって反論する。

 こーへいはやれやれと片眉を吊り上げてみせた。そして踵を返し、すぐ傍らの鎧へと歩み寄る。

 彼が確認するようにカンテラを翳したその鎧は、両手に持つ剣を振り上げて、今にも襲いかかりそうな様子で佇んでいた。

 咥え煙草をプラプラさせながらこーへいはその鎧の頭部をコンコンとノックする。

 当たり前だがその黒き鎧がノックに反応して返事をすることはなく、勿論動き出す気配もなかった。


「やっぱただの鎧だぜ?」


 日笠さんを振り返り、こーへいはにんまりと猫口に笑みを浮かべる。

 しかし彼のその言葉を聞いてなお、まとめ役の少女は疑いの眼差しを鎧に向けたまま口をにょもにょとさせていた。


「見間違えじゃない?」

「ほ、ほんとなんですって、確かに見えたんですよ!」

「ま、用心に越した事はないけどね。さ、いきましょ」


 ここで時間を浪費するわけにはいかない。

 小さく肩を竦めて日笠さんにそう言うと、エリコは再び歩き出した。

 不満そうに口を尖らせながら、日笠さんはその後についていく。

 見間違えじゃないもん! 本当に本当に見えたのだ。あの稲光の一瞬に。

 骸骨だって動いていたんだ。鎧だって動いてもおかしくないはず――


 と――

 

 そんな少女の肩をちょんちょんと誰かがつついた。

 途端に日笠さんは背筋をピンと伸ばし、喉の奥で小さな悲鳴をあげながら硬直する。

 やけに硬くて、ひんやりした指先だった。

 なんだろう、この何とも嫌な予感は――

 一気に高鳴り始めた胸をぎゅっと抑え、日笠さんは恐る恐る振り返る。

 


「っ!? いやぁぁぁぁーっ!!」

「どうしたー!?」

「マユミちゃん!?」


 やにわに通路に木霊した少女の大絶叫に、こーへいとエリコは慌てて踵を返した。

 クマ少年が翳したカンテラの光が、後ろ手に身体を支えながら廊下にへたり込む日笠さんの姿と、そしてその前に仁王立ちする謎の男の姿を照らし出す。

 

「いやぁ! ここここないでっ!」


 黒い兜と小手ガントレットを纏ったその男を見上げ、日笠さんは後ろへ這うようにして逃げながら叫んだ。

 そんな少女の悲痛な懇願を無視して、男は無言で彼女の顔を覗き込む。


「まったくもう次から次へと!」


 眉を顰め、エリコは慌てて腰に下げていた鞭に手をかけた。

 だがそんな彼女に対し、傍らにいたクマ少年は制するようにのっそりと手を差し出す。

 何故止めるの?――そう言いたげに顔をあげたエリコの目に映ったのは、呆れたように眉尻を下げるこーへいの顔だった。


「たくよー、流石にそりゃふざけ過ぎだろ、かのー?」

「……え?」


 と、徐に彼が放った言葉を聞いて、目をぐるぐる回しながら必死に逃げていた日笠さんは動きを止める。

 そして慌てて振り返ると、彼女は観察するようにその男をまじまじと眺めた。

 はたして、兜を纏ったその男の服装は、よくよく見れば自分達の良く知る少年のものと一緒だった。

 即ち、皆がいい加減その服目立つから着替えろ!――

 と、口を酸っぱくして言ってもまったく聞かずに着続けている、かなり汚れてきた黒のサマーパーカーとハーフパンツ。

 おまけに足元を見れば履いているのも汚いストラップサンダル。


 ちょっと待って、じゃあもしかしてこいつは!?――


 そう思いつつ、日笠さんが涙で一杯になった目をぱちくりさせた時であった。

 ぱっかりと兜の前部が開き、中からバカ少年の顔が現れる。

 

「ムフ、ひよっちビビッター? ねえビビッタ?」


 と、人の神経を逆なでするケタケタ笑いをあげながらかのーは日笠さんの前に屈みこんだ。

 やれやれ人騒がせな、笑えない冗談だわ――とエリコは鞭から手を放し脱力する。

 

「おーい、そんな事やってる場合じゃねーだろー?」

「だって退屈ダッタからサー」


 ぽいっと兜を脱ぎ捨ててかのーは呆れ顔のクマ少年を向き直った。

 ドッキリだーいせーいこー♪――再びかのーの笑い声が通路に響く。

 だが。

 その場に俯き、肩をわなわなと震わせていた少女は、ゆっくりと顔をあげる。

 額に二つほど青筋を浮かべ、光の抜け落ちた汚物を見るような冷徹な瞳をバカ少年へと向けながら――

 

「この……バカぁぁーー!」


 刹那。

 かのーの胸倉をむんずと掴んで引き寄せると、日笠さんは怒涛の往復ビンタをお見舞いしたのであった。


「ドゥッフ!? ちょ、マッテひよっち! ジョークディスって!」

「全っ然笑えないっ! 時と場合を選びなさいっ! このバカノーっ! 大バカノーっ!」

「ケプッ!」


 おーこえーこえー。ま、自業自得だけどな?――

 日笠さんのマジ切れを久々に垣間見て、こーへいは顔に縦線を描きながら肩を竦めていた。

 とどめとばかりに振りかぶった少女の手が思いっきり頬を叩き貫き、バカ少年はもんどりうって床に倒れる。

 

「まったくもう! 今度やったら『1812年イッパチ』ぶち込んでやるからね!」


 そう言って日笠さんは立ち上がると、顔をパンパンに腫らして地に伏したかのーをギロリと睨みつけた。

 そしてうっすら紅潮した首筋の汗を拭いつつ、一度髪を掻き上げると、彼女は踵を返し歩き出す。

 

 だがしかし。

 

 またもやちょんちょんと少女の肩はつつかれた。

 やはり、やけに硬くて、ひんやりした指先で。

 日笠さんは歩みを止め、眉間を押さえると、深く、そして長いながーい溜息を吐いた。

 中々振り返らない少女の肩をさらに指がつつく。


「いい加減にしてっ!」


 端正な眉を吊り上げ、白い肌を再び紅潮させて少女は勢いよく振り返った。

 そして案の定目の前に立っていたその『大鎧』を睨みつける。

 なによ? ご丁寧に全身鎧着こんじゃって、おまけにさっきより大きなのを選んだの?

 わーすごーい! 頑張ったねー♪ でもお生憎様! 

 何の捻りもなく同じ手を繰り返してそれで私がまた驚くとでも思った?――

 

「しつこいよかのーっ! 本当に魔曲をお見舞いされたいの?」


 と、物怖じせずに指を突き付け日笠さんは大鎧を問い詰めた。

 少女のその威勢のよさに大鎧は身を仰け反らせる。


「あのね、今がどういう状況かわかってる? さっさとカッシー達と合流して、なつき達も捜さないといけないの! 大体あなたはいっつもそう! TPOを弁えなさすぎ! ふざけている場合じゃないでしょっ! 時と場合を考えなさい!」


 ずい! ずずい!――と。

 指を突き出して矢継ぎ早に捲し立てる少女に対し、大鎧は一言も言葉を発さず困惑するように立ち尽くしていた。

 その様子を見て、日笠さんはもう一度大きな溜息を吐くと、腰に手を当て大鎧を覗き込む。

 

「ちょっと、ちゃんと聞いてる? なんか言ったらどうなの?」

「……」

「いい加減それ脱ぎなさい! それ全っ然面白くないよ? 笑えないよ?」

「……」


 と、大鎧はコクンと頷き。

 少女に言われるがまま兜に両手をかけた。


 本当にもうこのバカは! こうなったら説教だ! 正座させて説教だ!――

 意気込むようにして腕を組み、うんうんと頷くと日笠さんは大鎧を再び見上げた。

 そして彼女は、ここを訪れてから溜まりに溜まった鬱憤をぶつけようと大きく口を開く。

 だがしかし。

 見上げた先の兜の中に、彼女が想定していたバカ少年の顔はなかった。

 いや、かのーどころか誰の顔もない。まったく何もない空洞。

 今度は日笠さんが沈黙する番だった。


「ドゥッフ、ひよっちそいつ俺じゃネーディスヨ?」

「……へ?」


 開きっぱなしの口をそのままに、少女は聞こえてきた声の主へと視線を移す。

 未だ床に突っ伏したバカ少年がヤバイヨヤバイヨー――と、顔に縦線を描きつつブンブンと首を振っているのが見えて、彼女は思わず目をぱちくりさせた。


 えっと、あの、ちょっと待って?

 それじゃこの大鎧は――

 

「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 途端に青ざめながら日笠さんは再び大鎧を見上げ、おそるおそるそう尋ねた。

 刹那。

 雷光が大鎧を照らし、雷鳴が通路を駆け抜けると、鎧の小脇に抱えられていた兜の前面がパカリと開く。

 見えたのは『闇』。やはりそこに人の頭部はなく――

 その闇が支配する兜の中で紅い二つの眼光が禍々しい光を放っていた。



「ほ、本物っ!?」



 悲鳴に近い裏返った声を日笠さんがあげると同時に。

 大鎧は少女の身長ほどもある武骨な大剣を天高く振り上げたのであった。

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