その5-2 憂うな! 惑うな! 怯むな!
なんという固い皮膚だろう。
というかこいつ、こんな屈強な肉体だったか?
十年前も確かに脳筋で、オイオイうるさい陽気な奴ではあったがここまでのパワーとタフネスさはなかったはずだ。
的確な技で急所目がけて放つ
手を休めれば反撃が来る。しかし自分の武器とはどうも相性が悪い。
こいつに傷をつけられるとすれば、分厚い刃を持つ大剣かもしくは圧倒的な破壊力を持つ槌だろう。
しかしいずれの武器もここにはなく、かつその使い手もここにはいない。
さてどう攻める――英雄一の頭脳を持つ眼鏡の青年は華麗な突きを連続で放ち、巧みに牽制しながら策を練る。
しかし、その思案は一旦中断せざるを得なかった。
「オオオオィィィー!」
まただ。数に物を言わせた物量攻撃、芸がないし単調だ。
だがシンプル故に強力なその攻撃は避けるしか術がない。
響き渡る雄たけびと共にまたもやセキネの手に生み出され始めた炎の弾に気づき、彼は悔しそうに歯噛みをしながら距離をとった。
だがしかし。
炎の
ニコニコと笑いを浮かべつぶらな瞳をしぱしぱさせながら、やにわにセキネは背後を向き直ったのだ。
淡い光を放つ刃を構え、こちらへと突進してくる少年に気づいて。
「カ、カッシー!?」
あの光る刀は一体――
輝きを帯びた時任に気づきチョクは眼鏡の奥の瞳を見開き、少年の名前を呼んでいた。
―いいか小僧よく聞け!―
覚悟を決めて突撃を開始した我儘少年に妖刀は語る。
「なんだよ?」
―約束通り和音は使わねえ。だが生身の身体で
「力を?」
―そうだ、攻撃の刹那に合わせて俺もお前の身体に宿る。いいか? 上手く呼吸を合わせろよ?―
使い手に自らの意思を宿し、その身体を意のままに操る――それ故にこの刀は『妖刀』と忌避されてきた。
聞こえてきたその声に、パーカスでの大乱闘を思い出しカッシーは口をへの字に曲げる
「よくわかんないけど、お前また勝手に俺の身体操る気か?!」
―今回は主感覚はお前に預けてやるよ。まあ『習うより慣れろ』だ。やってみりゃわかる―
まさに命を懸けた実戦修行。まあ、どうしてもやばくなったら無理にでも少年の身体を奪って戦う気だが、勿論意地の悪いこの妖刀はその事は口にしない。
さあ鍛錬の開始といこうか――時任は嬉しそうにケケケ、と笑う。
「ボケッ、気楽に言いやがって!」
―ほれ来るぞ、準備はいいか?―
「オイイイィィィーー!」
時任のその声と、炎の野人が再度雄たけびをあげてカッシー目がけて諸手を振り下ろしたのは同時だった。
放たれたのは散弾化せず、少年の身の丈ほどはあろうかというほどの『特大』のままの火炎弾。
動物的直感、いや本能だろうか。
少年の手にした淡い光を放つ刀に気づいたセキネは、瞬時に
まずい。
でかい。
しかも早い!
先刻通り無数の散弾化した炎の弾が飛んで来ることを想定し、避けに徹しようとしていた我儘少年は思わず息を呑む。
だがしかし――
―怯むな小僧! 突っ切る覚悟でぶった切れ!―
耳朶を打った妖刀の声が少年を我に返した。
刹那。
瞬時にして自分の中に妖刀の意思が流れ込み、踏み込んだ少年の足と腕に拍車をかけた。
これがナマクラの言ってたことか?――
まるで自分の手足が加速するような、そんな奇妙な感覚を覚えながらもカッシーは構わず真っ直ぐに火炎弾を見据える。
「てええやあああーっ!」
腹の底から放った声は自分を奮い立たせるため。
周囲に陽炎を発生させ、さながら小さな恒星の如く身を滾らせて迫ったその特大火炎弾目掛けて、気合一閃カッシーは時任を振り下ろした。
達人の如き反応速度で放たれた淡い光を帯びし時任のその刀身は、迫る火炎弾に吸い込まれるように侵入する。
と、妖刀はまるで水を斬るかの如く、何の抵抗もなしにその恒星を真っ二つに縦断した。
半球と化した火炎弾は我儘少年の両脇を通過し、数秒の間の後に壁に激突すると大炎上を起こす。
「よし、いけたっ!」
―ケケケ、当たり前だ。我に切れぬ
「くそっ、偉そうに!」
―いいか小僧、心機が乱れれば俺の力は逆に足かせになる。憂うな! 惑うな! 怯むな! それが人が
二人で一つの身体を操る。それは
時任は念を押すようにカッシーへ言い放った。
わかってる! やってやる!――
走る速度を緩めず特攻する我儘少年はセキネを見据える。
自らの渾身の一撃を真っ向から断ち切られ、蓬髪の野人はニコニコ顔に珍しく狼狽の色を浮かべていた。
「行くぞこのオイオイ野郎っ!」
間合いに入った――
時任の力が再び身体に入ってくる感触を覚えつつ、その力に上乗せするようにしてカッシーは柄を握る両手に力を籠めた。
♪♪♪♪
不覚。
東山さんは脇腹を押さえて地に伏せる。
火炎の散弾を上手く躱し反撃に転じたまではよかった。
だが勢いをつけて彼女が放ったヌンチャクの一撃は、合わせるようにして放たれていたセキネの剛腕によって見事に相殺され、結果彼女は大きな隙を生み出してしまったのだ。
動きを止められ、眉間にシワを寄せた東山さんが見たものは、唸りをあげて振り上げられたセキネのもう片方の剛腕だった。
チョクがカバーに入る余裕もなく、無情にも炎を纏った野人の右拳は少女の胴を貫かんとする勢いで迫る。
不覚。回避は不可能、ならば――
彼女の天性の運動神経が、いや生への執着が反射的に右肘を繰り出していた。
咄嗟に放たれた少女の右肘は、セキネの右拳を打ち下ろし軌道を逸らす。
だが神がかり的な咄嗟の回避もそこまでだった。
鳩尾目掛けて放たれた野人の一撃は、軌道は逸れたものの少女の右脇腹を抉るようにしてめり込んだ。
刹那。衝撃が東山さんを襲い、少女の小柄な身体は宙を舞う。
受け身を取ることもできず背中から床に落下した彼女はくぐもった悲鳴をあげた。
「委員長!?」
「恵美っ!」
仲間の呼び声が聞こえ、飛びかけた彼女の意識を寸での所で引き戻す。
だが返事ができない、いや息ができない。激痛で視界が霞む。
背後からトドメと言わんばかりのセキネの雄たけびと、果敢にもそれを阻止せんとするチョクの声が聞こえてくる。
歯を食いしばり、足に力が入らない彼女はそれでも離脱を試みていた。
だが何とか助かったようだ。
あれは彼の実力か、それとも手にした妖刀の力なのか――
聞こえてきた少年の気合いに顔を上げ、そして縦断された特大火炎弾に東山さんは目を見張る。
床を這うようにしてセキネから離れていた少女は、そこでようやく大きく息を吐き動きを止めた。
途端に脇腹を焦がすようにして激痛が走り抜け、彼女は呻き声をあげる。
と――
「恵美、動かないで」
頭上から良く知る声が聞こえてきて、ぼやける視界を必死に凝らしながら東山さんは顔を上げた。
見えたのは険しい表情で自分を見つめる微笑みの少女の姿だ。
「なっちゃん……」
「今治すから」
虚ろな視線で名を呼んだ東山さんに早口でそう答え、なっちゃんは担いでいたチェロケースを置くと演奏の準備を始める。
チューニングは先刻馬車の中で演奏した際済ましてある。
ケースの上に腰かけ、足の間にチェロを挟むと彼女は迷うことなく弦に弓を当てた。
そしてもう一度親友の怪我の具合を見る。
彼女の右脇腹は服が燃え落ち、露出した肌が赤黒く変色して焼け爛れていた。素人目に見ても酷い火傷なのは一目見てわかる。
意を決したようになっちゃんは、演奏を開始した。
もちろん曲目は『無伴奏チェロ組曲第1番』――
何度となく演奏してきた曲だ。
効果発動も、
と、ホールに響き始めた壮言かつ穏やかなチェロのその旋律と共に、楽器が淡い光を灯し始める。
やにわに横たわる東山さんの右脇腹も青白く優しい光に包まれてった。
暖かい。傷が癒えていくのが分かる――
脇腹の痛みが消えていくのを感じながら東山さんは目を閉じた。
数十秒の演奏の後、なっちゃんは
そして額の汗を拭って一息つくと、目の前に横たわる音高無双の少女の様子を窺った。
右脇腹を覆うようにして赤黒く広がっていた火傷は消え去り、代わりに健康美溢れる白い肌と可愛いおへそが見える。
流石に燃えてしまった服までは戻せなかったが、どうやら魔曲の効果で無事癒すことができたようだ。
ぱちりと目を開けた東山さんは、やがてゆっくりと身体を起こすといつも通りの強気な笑みをなっちゃんへと浮かべてみせた。
「気分はどうかしら風紀委員長様?」
「ありがとうなっちゃん。助かったわ」
「どういたしまして」
ぴょんと身を跳ね起こし、パンパンとキュロットスカートの裾を払うと、東山さんはホールの中央を向き直る。
そして自分に代わり参戦したカッシーとチョクが善戦している様子を眺め眉間にシワを寄せた。
今までも何度か窮地はあった。
けれどこれまでとは違う、ひしひしと肌を刺激する程の『死』の気配。
身体は覚えてしまった。迫った死への恐怖を覚えてしまった。
だがしかし。
それでも越えなければならない。
立ちはだかるあいつを倒さなくてはならない。
皆を護る。
それが私の役目だからだ――
パンパン、と両頬を叩き音高無双の少女は眉間にシワを寄せる。
「恵美」
と、気合を入れた彼女は、背中に投げ掛けられた親友の声になんだろう――と、振り返った。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず――今回はあなたの言う通りだと思う。だから止めない。あいつを倒すにはそれくらいの覚悟がいるって、わかってるから――」
「なっちゃん……」
「だから約束して」
振り返った東山さんに向けてなっちゃんは微笑みを一つ浮かべ、そして穏やかな口調で話を続ける。
「危なくなったらここまで引いて。私はここにいるから。傷なら治せるの、怪我なら治せるの……意識が飛ぶまで弾き続けてみんなを治すから――」
覚悟と無謀は違う。だから死ぬような無茶はしないで――
口に出したら現実になりそうな気がして、なっちゃんはそこで言葉を止める。
憂いの表情を必死に隠して、いつも通りの微笑を浮かべ続ける親友を真っ直ぐに見つめ、東山さんは力強く頷いてみせた。
「わかったわ、約束する」
「ありがとう」
礼を言うのはこっちの方だ。おかげで迷いが吹っ切れた。
竦む身体を勇気で奮い立たせ踏み出そうとしていた足が、今ならすんなり前へ出せそうだから――
親友の言葉に背中を押され、東山さんは腕を鳴らして再びセキネを振り返る。
「さて、さっきのお礼に行ってくるわ」
「派手にかましていいわよ、あいつに言葉は通じなそうだし^^」
「そうね……それじゃ――」
いざリベンジ――
刹那、紅いコンバースの底が迷いなく床を踏み鳴らし、音高無双の少女は突撃を開始した。
離れ行く東山さんの背中をじっと見つめ、微笑みの少女はよしと気合を入れる。
そして大きく一回深呼吸をすると、彼女は目を閉じ再びチェロの弦へ弓をあてた。
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