その5-3 後の先
「はああああっ!」
炎の弾を縦断し、セキネの間合いに入ったカッシーは肩から振り下ろすようにして時任を袈裟斬りに放つ。
それは効かん――そう言わんばかりに炎の野人は腕を×の字に組んで防御の体勢を取った。
しかし。
ザクリ――と。
そんな音が聞こえてきそうな斬撃がセキネの右腕に食い込み、淡い光を放つ妖刀の刃は鋼の如き赤黒い皮膚を貫いた。
左腕から伝わるその久しい感覚に野人の笑い顔に曇った。
ありえない感覚。屈辱の感覚。即ち痛み、苦痛――腕を伝う紅い血潮に気づき、途端に眉を吊り上げセキネは吠える。
「よしっ!」
刃が通る。これはいけるかも――
英雄のレイピアですら貫けなかった盾のようなその腕にざっくりと侵入した時任を見て、カッシーは思わず声を漏らした。
―何がよしだっ! 踏み込みが甘い!―
だがしたり顔で声をあげた少年を即座に妖刀が窘める。
確かに鉄壁の肉体に傷をつけることはできた。されど僅か一寸、退魔の刃をもってしても斬り崩すには程遠いこの結果。
まったく呆れるほどに頑丈な身体だ。これは想定外――妖刀は唸る。
―間合いを取れ小僧! 反撃が来るぞ!―
「はっ!?」
そう。
断骨の覚悟で放った刃は動きを止められた。刃は肉に掴まれた。
この状況はまさに、肉を切らせて骨を断つ――故事通り。
時任のその示唆により、ようやくその事に気付いた我儘少年が刀を抜き取ろうと両腕に力を籠めるも、収縮しだしたセキネの筋肉はがっちりと刃を押さえて離さない。
と、抜けない刃に焦りつつ、視界に影を落とした何かに気づき少年は顔を上げる。
そして彼は青ざめながら口をへの字に曲げた。
先刻、音高無双の少女の脇腹を穿った煉獄の右拳。
ニコニコ顔に怒りの青筋を浮かべ、その右拳を振りかぶった蓬髪の野人の姿に気づいて。
「マジかっ!?」
大マジだった。
悲鳴に近い声をあげたカッシー目掛けて大身を捻りフック気味に放たれたその右拳は、唸りをあげてカッシーの真横から迫る。
まずい。これはまずい。離脱しようにも一歩遅い――
がらりと空いた脇腹へ火炎の塊のような拳が飛び込んでくる様を視界の端に捉えながら、少年はこの状況を打破しようと思考を巡らせる。
だが間に合わない。直撃を回避する術が思いつかない。
―ちっ、手のかかる!―
真っ白になりかけたカッシーの思考を時任の声が押し動かす。
身体に妖刀の力が伝わって来た。途端に自分の意思を離れ、時任の柄を握っていた左手がブロードソードを掴む。
逆手に握ったブロードソードを鞘から半分抜き、時任操る少年の身体は床を蹴って右側へ飛んだ。
刹那、唸りをあげて迫ったセキネの拳は割って入った
衝撃でセキネの左腕から時任の刃が抜けた。
だが拳と同方向に跳躍していたカッシーの身体は衝撃を最小限に抑え、同時に蓬髪の野人からも間合いを取ることに成功する。
やってくれるじゃねえか野人――
戦慣れした時任操る少年の身体は床を滑りながら着地すると、再び突撃を開始した。
手応えがあまりなかった右拳を不思議そうに眺めていた蓬髪の野人は、突きの構えで懐に潜り込もうとしてきた『しつこい敵』に気づき両拳を握り締める。
先刻と異なり、『戦の玄人』が乗り移る少年は身を捻り上段からの片手突きを野人の眉間目掛けて放った。
セキネは今度は受け止めない。
あれは何かが違う。あれは嫌な刃だ――
先刻本能で感じ取った彼は、身を屈めるとその突きの間合いから素早く床を蹴り真横へと躱す。
警戒するように間合いを取ったセキネを見て、時任はそこでようやく少年の身体を解放した。
「悪いナマクラ……助かった」
―ケケケ、礼はあいつを倒してからだ。それより相手は人じゃねえ、残心を忘れるな―
こいつが咄嗟に身体を操らなかったらどうなっていたか。
ごくりと生唾を呑み込み悔しそうに奥歯を噛んだカッシーに対しケケケ、と妖刀は皮肉を込めて笑い声をあげる。
ただの筋肉達磨かと思いきや、意外と頭が回りやがる。
もう奴はこの身に触れようとしないだろう。さて、どうしとめるか――と。
「カッシー、平気ッスか?」
「なんとか」
と、瞬時の攻防を終えて仕切り直しに入った少年の傍らへチョクが駆け寄ってきてその身を案じた。
カッシーはセキネを油断なく見据えながら、彼の言葉に頷いてみせる。
「何か様子がおかしいッス。あいつ十年前より強くなってる気が――」
「十年前って……それじゃあやっぱりあいつのこと知ってるのか?」
「知ってるも何も倒したはずなんスけど」
「は?」
ちょっと待て、今なんつった?
訳が分からず少年が間抜けな声をあげて思わずチョクを振り返った時だった。
刹那、セキネが吠える。
天高く諸手を挙げて高々と吠える。
そして、その咆哮に慌てて向き直り構えた少年の視界から、蓬髪の野人は残像を残して消えた。
「来るッス!」
―目で追うなっ! 気配を追えっ!―
「無茶言うなっ!」
できるかそんな達人みたいな真似――
慌てるカッシーは時任の助言に即座に言い返していた。
残像を目で追う。左で何かが跳ねるのが見えた。
だがそれで精一杯だ。視界の中央に捉えるにはあと一歩反応できない。
どこだ? どこにいる?!
―右だ! 足を踏ん張って構えろ!―
「っ!?」
その声に従い、カッシーは小さく息を吐くと腹に力を籠め、右に向かって妖刀を構える。
寸前に迫った野人の姿を捉えた途端に衝撃が両手を襲った。
ブーツの底が床を擦る。
まさに『かろうじて』。
時任で受け止めたセキネの拳を全力で押し返し、カッシーは歯を食いしばった。
隣からチョクの唸り声が聞こえてくる。
ちらりと見えた視界の端で彼も同じくセキネの左拳を受け止め、必死の形相でそれを押し返していた。
てかなんていう馬鹿力だ。こっちは二人がかりだぞ?!――
両手で精一杯の鍔迫り合いに持ち込んでいるカッシーとチョクに対して、蓬髪の野人はそれぞれ片手ずつ。
にも拘らず、セキネは二人を組み伏せんが勢いで真上から覆いかかるようにして両手を繰り出していた。
「オオオオイィー!」
「オイオイうるせえなこの野人っ!」
まったく変わらないニコニコ顔が逆に不気味だ。
だが気持ちで負けるかと、妖刀を挟んで迫る野人を睨みつけ少年は怒鳴る。
と――
パカリと蓬髪の野人のその口が、まるで何かを生み出すが如く大きく開かれた。
なんだこいつ!?
真剣勝負な力比べの最中には、不釣り合いな何とも奇妙なその行動を見据え、カッシーは口をへの字に曲げる。
だがその動作の意味を少年が理解した時、彼は同時に込み上げてくる悪寒に目を剥いていた。
大きく開いたセキネのその口腔は杏色に光っていた。
奥で渦巻くマグマのような炎がまるで蛇の舌のようにチロチロと吹き出し始めている。
「コイツはまずいっスね……」
わかってるチョクさん。言われなくてもこれ見りゃ十分わかる――
聞こえてきた眼鏡の青年の切羽詰まったその声を聴きながら、カッシーは悔しそうに唸り声をあげた。
―ケケケ、こりゃ大した奥の手だ。小僧避けろ!―
「ボケッ! どうやってだ!」
重しのように圧し掛かる野人の剛腕によって、今にも膝が付く程に押し負けしているのだ。
身動きが取れないこの状況でどうやって避けろっつの!――
目の前の妖刀を睨みつけ、全力でセキネの腕を押し返しながらカッシーは叫ぶ。
それ以上の会話の余裕はもうなかった。
チリチリと焦がすように前髪に熱が伝わってくる。
杏色の光が視界を照らす。
灼熱の火炎弾が卵のように野人の口から生まれ、今にも放たれようとしていた。
と――
セキネの顔が不自然に傾げられた。
それでも足掻こうと精一杯剛腕を押し返していた少年の目にはそう見えた。
まるで何かを疑問に感じた子供のように首を捻ったかに見えたのだ。
だがそれが傾げたのではなく。
『傾げさせられた』――そうカッシーが理解した時、蓬髪の野人の身体は勢いよく真横に吹っ飛んでいった後だった。
彼の背後から放たれた音高無双の少女による、渾身の回し蹴りによって――
「オ゛ッ!?」
クリーンヒット。
フィギュアスケートの選手が如く、高い跳躍と共に回転を加えて放たれた東山さんの蹴りは、セキネのこめかみを見事に蹴りぬいていた。
詰まった雄たけびをあげながら、野人の身体は地をもんどりうって転がり、そしてホールの壁へ激突する。
放たれる寸前に照準を外した火炎弾は、カッシーとチョクの顔と顔の間を掠めるようにして通過し、そのままホールの壁に直撃して巨大な炎の柱を生み出した。
「二人とも平気?」
華麗に着地を決めた東山さんは、残心を怠らず大の字で倒れるセキネを油断なく見据えながら尋ねた。
「助かったぜ委員長」
「エミちゃん、怪我は大丈夫ッスか?」
「ご心配かけました。なっちゃんに治してもらったのでもう平気です」
なるほど――と、向き直った先でにこりと微笑んだなっちゃんを見てチョクは眼鏡を押し上げる。
だが彼の表情は途端に険しくなった。
視界の端でゆらりと立ち上がった赤黒い野人の姿に気づいて――
「オオオィィー!」
ゴキゴキと首を鳴らし、セキネは怒気を含んだ雄たけびをあげる。
何てタフな奴だ。委員長の渾身の一撃を食らってまだ立ち上がるとか反則だろ――
同じくセキネに気づいたカッシーは辟易したように口をへの字に曲げる。
「マジかよ……」
「結構全力だったのだけど、自信なくすわね」
各々武器を構えてカッシーと東山さんは呟いた。
圧倒的なパワーとスピード、おまけにタフときたものだ。
まともに戦ってもこちらの攻撃を当てるのは至難の業。たとえ当てたとしてもガードが固く、あの鋼のような両腕に遮られてしまう。
また遠距離では無差別火炎弾の嵐、よしんばそれを避けて組み合ったとしても力負けは必至だろう。
これはどうしたものか――
―ケケケ、まったく
と、攻めあぐねる三人に向けて軽口を叩きながら時任が会話に加わる。
途端にむっと顔を顰め、カッシーは手元の妖刀を見下ろした。
「他人事みたいに言いやがってこのナマクラ! ちっとはお前も考えろっつの」
―だから最初から言ってるだろ? 俺に身体を貸せって―
「絶対いやだ!」
―死ぬのとどっちがいいんだよ小僧―
「死ぬのもあの地獄も味わいたくない!」
もはやトラウマなのだ。あの
『いっ!』と歯を剥きながら少年は断言する。
―ケケケ、呆れた我儘小僧だ。まあ手段がないわけじゃあねえが―
「本当か?」
―そうだな……俺ならやつの攻撃の瞬間にこちらの攻撃を重ねる―
「重ねる?」
「つまり、カウンター……ってことッスか?」
―そいつは『後の先』ってことか? だとしたらそうだ―
話を聞いていたチョクが尋ねると、妖刀は身を光らせながら肯定する。
ガードも固い、おまけに素早い。だが相手はそれ程気は長くないようだ。
火炎弾の攻撃を避けて機を待てば、焦れて必ず近づいてくるはず。
攻撃に転じるその時は相手もガードが開く、そこに全力で打ち込む――
それが時任の提案だった。
しかしカッシーは狐につままれたような表情で妖刀を見下ろす。
「ちょっと待て、あのスピードで迫る相手にカウンターなんて狙えるのかよ?」
―目で追っているお前達には恐らく無理だな―
「じゃあ――」
―だから俺が教えてやる―
「おまえが?」
―ああ、相手の方向と攻撃の
ケケケと軽く笑い時任は言った。
だが作戦会議はそこまでとなる。
「オイィィィー!」
痺れを切らしたように野人が吼えた。
そして両腕に炎を灯し、大きく身を撓らせる。
また芸のない火炎の散弾を放つつもりだ――三人は一斉に身構えた。
「来るッス!」
―いいか、まずはできる限りあいつの炎を封じろ、そして焦らして誘い込め―
「わかったわ!」
「了解ッス!」
「チョ、チョクさん?!」
「カッシー、ここは時任殿の作戦に乗ってみましょう」
当惑するように自分を見たカッシーに対し、チョクは眼鏡を指で直しながら答えた。
後の先、そんな芸当がはたしてできるだろうか。
だができなければ活路は見出せない。皆は護れない。
まったくもってとんだ綱渡りだ――
時任を正眼に構え、カッシーはセキネを見据える。
―ケケケ、覚悟を決めろよ小僧。さあ来るぜ?―
「……くそっ、わかったよ!」
窮地は依然として変わらない。
だが妖刀の提案した作戦に一縷の望みを賭け、少年少女と英雄は、各々三方向に分かれると迎撃を開始した。
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