その4-2 三羽の黒鴉


 この世界は妹が考えた絵本の中の物語の延長上にある。

 マーヤ女王は、妹の友達がモデルらしく、そしてその父親は彼等の通う高校の教師がモデルだった。

 エリコもカナコもきっとモデルがいるのだろう――

 かつてその話をヴァイオリンの酒場でカッシーから聞いた日笠さんは、冗談交じりにこう言っていた。


 もしかして、私達がモデルになった人もこの世界にはいたりしてね?――と。


 その時少女は、まさかね――とすぐに言い直して自嘲気味に首を振っていたのだ。

 まあ、そう言い放った直後、とある部員浪川がモデルとなった人物がヴァイオリン前王だったりして、彼等はきな臭い王家のクーデター騒ぎに巻き込まれる羽目になっていたのだが。

 

 そしてたった今エリコの口から飛び出した『氷使いのキシ』という人物。

 石橋の上で対峙した際に感じた、どこかで見た事があるような既視感はやはり間違いではなかったらしい。


 岸智一きしともかず打楽器パーカッションパートに所属する二年生の男の子。

 金髪、長身、細身、そして猫のような吊り目をした少年である。

 年はもう少し上のようだし、髪の色も金ではなく銀であったが、名前も容姿も一致する。

 あの男は岸君の『ドッペルさん』だ――日笠さんは確信したように一人頷いていた。

 

 と、話を聞いていたクマ少年もその事に気づいたようだ。

 何とも面倒くさそうな、そしてややこしそうな表情を浮かべ、彼は逆向きに椅子に座り直すと頬杖をついた。

 珍しく否定的な感情を表に浮かべたこーへいを覗き込むように前のめりになり、エリコは首を傾げる。

 

「何よコーヘイその顔は? アンタどうしたの?」

「んーにゃ、なんでもねー。んでさ、三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズって?」

「魔女に付き従ってた三人の精霊使いの呼び名よ。十年前マーヤ達と乗り込んだ相手の本拠地で、戦ったことがあるんだけど」

「……なるほどなー?」

「またその顔? なんか言いたいことあるならはっきり言いなさいよ」


 と、さらに困ったように眉尻を下げたクマ少年に気づき、エリコは苛立つようにむっとしながら彼に言い放った。

 こーへいはさてどうしたものか――と咥え煙草をプラプラ遊ばせていたが、ややもってエリコの言葉に従うようにして疑問を投げかける。

 

「三人ってことはよー、あと二人いるんだろ?」

「そうだけど……」

「そいつらさー、『大内』と『関根』ってやつじゃね?」


 違うか?――そう言いたげににんまりと笑いながら回答を求めたこーへいをまじまじと見つめ、エリコは狐につままれたような表情を浮かべていた。

 だがしばしの間の後、彼女は釈然としない様子ながらもクマ少年の放ったその問いかけに頷いてみせる。

 

「……その通りよ、『風使いのオオウチ』と『炎使いのセキネ』そしてさっきの『氷使いのキシ』の三人組……ねえ、アンタ何故知ってるの?」

「んー、そりゃ勘かな?」

「適当いうのは辞めなさい。そんな勘あってたまるかっての!」


 揶揄うようにあっさり答えたこーへいを睨みつけ、エリコは不満そうに問い詰める。

 だがクマ少年はにんまりと笑ったのみで、その追究に答えようとはしなかった。

 とはいえ、勘――もとい予想は見事的中だったようだ。

 できれば当たって欲しくない予想ではあったが。

 

 実は先刻名前の出てきた岸には、いつもつるんでいる親友がいる。

 ファゴットパート二年生の『大内裕貴おおうちゆうき」と、同じくホルンパート二年生の『関根総一朗せきねそういちろう』という少年達だ。

 彼等は中学時代、他校にも名の知れためっぽう喧嘩の強い三人組だった。

 そんな彼等についた呼び名が『音中三羽烏さんばがらす』。

 ちなみに当の本人達はこの呼び名のことを、誰がつけたのかわからないがダサくて古いセンス最悪の呼び名だ――と、酷く嫌っていたが。

 

 そしてついさっきエリコの口から飛び出てきた『三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズ』という三人組の呼称。

 和訳すればニュアンスはどちらも同じ『三羽のカラス』だ。

 おまけに一人は岸のドッペルさんに間違いないときてる。

 ここまで酷似する点があれば、流石に想像するのは容易だった。

 残りの二人もきっと、あの後輩二人――大内と関根のドッペルさんだろうと。

 

 そしてだからこそ、クマ少年は何とも渋い顔を浮かべてしまっていたわけである。

 あの三人は喧嘩慣れしててめっぽう強い。中学時代は負けなしだったらしいし、唯一敗北を喫したのは他でもない音高無双の風紀委員長だけである。

 もし舞がその事を知っていて、そしてそれを物語に盛り込んでいたらどうなるだろう。

 できればそうであって欲しくないが、さっき出会った岸のドッペルさんは、その淡い期待を見事に裏切る程のとんでもなく桁違いな強さだった。

 当然、残りの二人も同レベルと考えていいはずだ。

 なんせ『英雄』と称されるエリコやマーヤ達が五人がかりで何とか辛勝したほどらしいし。

 

 おーい、やばくね? てかそんな奴等だってわかってれば、橋上であの時投げたりなんかしなかったぜ?

 今思えば相手さん、油断してたかそれか俺の運がよかったかのどっちかだなこりゃ。

 てかよー、そんな奴等に勝てんのか?――

 逆さに座った椅子の背もたれに頬杖をつき、こーへいはのほほんと喉奥で唸り声をあげる。


 そしてもう一つの疑問。

 先刻のエリコの話を聞いて抱いた疑問がまだある。

 それは――

 

「あの……でも倒したんですよね? さっきの『氷使いのキシ』って男を」


 と、クマ少年を代弁するように、布で作られた仕切りの向こう側から少女の声が飛んできた。

 十年前私が倒した相手だ――エリコはそう言っていたのだ。

 だとしたら辻褄が合わない。倒した相手が何故今になってこの城に?

 日笠さんとこーへいはその疑問の答えを求めるようにエリコの返答を待っていた。

 

「さっきも言ったけど確かに倒したわ。間違いなく私がトドメを刺した」


 はたして断言するようにそう答えたエリコは、腑に落ちないと言いたげに口を尖らせる。

 今でも鮮明に覚えている。あいつキシは目の前で炎に包まれ、溶けるように消滅したのだ。

 それは違えようのない事実だ。


「じゃあさっきのあの男は――」

「わからない。でも、確かにあいつはキシだった」

「んー、似ているだけの別人とかいうオチは?」

「あんな化け物じみた強さの奴がそうそう何人もいるなんて考えたくないわね」


 繰り出す氷の技も十年前と一緒――いや、技のキレは以前にも増して上がっていた。

 別人――例えばあいつの息子? 双子の片割れ? だがそう考える方がむしろ不自然じゃないだろうか。

 やはりあいつは別人でもなんでもなく、『氷のキシ』張本人だ。

 剣交わした者としての直感がそう囁き、エリコはこーへいの問いかけに対して首を振る。

 

「まあでも、確かに雰囲気は違ってたけど」

「雰囲気?」

「うーん、なんといえばいいか……十年前のあいつはもっと人間ぽかったっていうか――」


 どことなく抜けているようなところもあったし、短気で感情豊かな奴だった気がする。

 だが先刻対峙したあいつはまるで違った。クマ少年の言う通り、別人だった。

 無表情で、寡黙――例えるなら『感情が抜け落ちた』ような、エリコにはそんな雰囲気が感じ取れたのだ。

 と、そこまで考えてから彼女は再びもってとある考えに至り、しかしその考えを必死に振り払おうと頭を軽く振る。

 だが振り払えない。拭い切れない。彼女の口は自嘲気味にその考えを話し始める。


「案外、村長が言ってた通り噂の死霊使いネクロマンサーの仕業かもね――」


 あり得ないし、信じたくない。伝承なんてばかばかしい。

 たとえ魔法を使えたとしても、死んだ者は決して生き返らない――それが彼女の持論だ。

 けれど出現した骸骨兵スケルトンの大群に、死んだはずの三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズの再来。

 もしあいつキシが生き返ったわけではなく、はたまた生きていたわけでもなく。

 『死んだまま』使役されていると考えたら?

 現状証拠だけ見れば信じざるを得ない。伝承にある死霊使いネクロマンサーの復活をだ。

 カリカリと眉間を二、三度掻くと、エリコは悔しそうに舌打ちする。


 と、布でできた仕切りをめくり上げ、中から身体を拭き終えた日笠さんが姿を現す。

 未だ濡れていたセミロングの髪はポニーテールにまとめあげられ、生乾きの長衣の裾は縛って膝丈までたくし上げられている。

 こんな状況でなきゃ校内で人気を二部する美少女の、それこそ風呂上がりを連想させるような生足セクシーショットだ。

 これは眼福――とクマ少年は思わず合掌していたが、すぐにその笑みはひっこめられた。

 彼女のその表情は隠すことなく仲間の安否を気遣う感情で満たされていたからだ。

 

「マユミちゃん?」

「そんな化け物があと二人もいて、みんな無事だといいのだけれど……」


 逸れてしまったカッシー達は大丈夫だろうか。なにより、先に向かっていたなつき達が心配だ。

 既に彼女達がこの城に向かって四日。

 入って早々に受けた盛大で手荒い『歓迎』のことを考えても、この化け物だらけの古城で四日間も無事でいられるだろうか。

 悪い癖だと分かっていても、彼女は頭の中に浮かんできてしまう最悪の事態を拭いきれず、元々白い顔をさらに真っ白にしていた。

 そんな彼女の様子に気づいて、エリコは安心させるように強気な笑みを一つ浮かべてみせる。

 

「大丈夫、心配しない。先に向かった子達は討伐隊と一緒だし、カッシー達にはチョクが付いてるでしょ?」

「エリコ王女……」

「ああ見えてチョクはやる時はやる奴だし、鷹の軍は勇猛果敢なんだから」


 そう言って、エリコは徐にぬるま湯に付けていた右足を上げベッドの上に置く。

 乳白色に腫れていた右足は、今は血行が戻り仄かに赤みを帯びていた。

 よし、大丈夫だ。腫れはまだ引かないが感覚は戻って来た。

 これなら動ける――

 そして、なおも不安そうに自分をじっと見下ろす日笠さんに対しパチリとウインクをすると、彼女は言葉を続けた。

 

「少しは私の部下を信じてもらえると嬉しいんですけどー?」

「いえ、あの……そういうつもりじゃ――」

「それに、アンタ達だって簡単にやられるような子達じゃないでしょう?」

「え……?」

「『神器の使い手』は諦めが悪い――違う?」


 彼等を見ていると思うのだ。

 普段はまったくもって緊張感のない連中なくせに、いざ窮地に陥ってもこの子達は決して諦めない。

 目の奥の輝きを失わない。泥臭く足掻いて食らいつく。

 パーカスでの一大作戦を共にして、エリコは『神器の使い手』――そう呼ばれる少年少女達の本質を肌で感じ取っていた。

 エリコのその言葉を受け、きょとんとしていた日笠さんはやがて苦笑する。

 諦めが悪い……はたしてその言葉を私『は』肯定してよいのだろうか――という葛藤と共に。

 だがお騒がせ王女は少女のその想いまでは気づかなかったようだ。

 彼女は日笠さんの苦笑に頷くと、やにわにシーツの端を掴み器用にそれを裂いてそれを右足に包帯代わりに巻いていく。

 

「よしお待たせ! ありがとうマユミちゃん。おかげで何とか動けそう」

「あくまで応急処置ですから、後でなっちゃんに治してもらうまではあまり無茶しないで下さいね」

「わかってる。それじゃまずはカッシー達と合流しましょうか」


 ヒールを履き直し、軽く足首を動かして痛みの様子を確かめた後に、エリコは日笠さんを向き直って礼を述べた。

 休憩はここまでだ。濡れた衣服が気持ち悪いが、乾くのを待っている余裕はない。

 にんまりと笑い、こーへいは机の上に置いてあった投げ斧トマホークを手に取ると立ち上がる。


「フンヌリャーー!」


 と、同時に気合の入ったバカ少年の掛け声と、ポン――と弾けるような音が塔の中に響き渡った。

 聞き覚えのある掛け声に一同が向き直ったその先では、案の定気合によりツンツン髪を復活させたかのーがケタケタとご機嫌で笑い声をあげていた。

 本当ふざけた体質だわ――やれやれと日笠さんは眉間を押さえる。


「準備はいい? 行きましょう」


 行動再開!――お騒がせ王女はベッドから立ち上がると皆を一瞥する。

 四人はお互いを見合って頷くと、塔を登っていった。



♪♪♪♪



コルネット古城、王の間―



「見つけた……」


 闇の中でその人物は呟いた。

 なんとも悍ましい、しかし背筋が凍るほど妖艶な透き通った声で。

 つい先刻、自らが使役する骸骨兵スケルトンの視覚を共感して発見した少女の姿。

 その時は自分の術式を疑った。この共感した視覚ビジョンは幻視ではないかと。

 だが間違いなかった。

 灰色の共感視覚の先に見えたその少女こそ、六百年という長きに渡り探し求めていた『物』――


「見つけた……『器』だ。レナの『器』だ……」


 くぐもった笑い声がその人物の喉の奥から絞り出されるようにして飛び出す。

 やがてその笑い声は徐々に大きさを増し、甲高く狂気に満ち満ちながら王の間全体に響き渡った。

 

「嗚呼、見事な器だ。多少年は若いが間違いない。あの長い髪、あの白い肌、意志の強そうなあの瞳。寸分違わない!」


 わが夢ついに成就せり。これでまた逢えるのだ。愛しの女性ひとに――

 金色に光る獣の如き三日月の瞳で天を仰ぎ、諸手を挙げてその人物は歓喜の叫びをあげる。

 と、着ていた焦茶のローブをはためかせながらその人物は踵を返し、王の間の中央を見据えた。


「オオウチ、いるか?」


 虚空に向けて放たれたその言葉に反応して、王の間に風が起こる。

 やにわに蜃気楼のように空間が歪み、王の間の中央に人影が現れたかと思うと徐に跪いた。

 刹那、轟いた雷の光によってその人影の姿が鮮明になる。

 整った顔立ちの美青年だった。

 黒い髪、黒い瞳、浅黒い肌、黒い服、黒の胸当てブレストメイルに黒刃の三日月刀ファルシオン――

 床に敷かれた紅の絨毯をも闇に包むほどの『鴉の濡れ羽色』の剣士の姿がいつの間にかそこにはあった。


「お呼びで?」


 僅かに顔をあげ、剣士は主へ尋ねる。

 その表情は、まるで人形のように一切の感情が窺えない。

 と、目深に被ったフードの奥の金色の瞳を剣士に向け、その人物は歓喜のあまり浮かべ続ける笑みと共にこう言った。

 

「器を見つけた。ここに連れてくるのだ」


 ――と。

 珍しく高揚している主の様子と、放たれたその命に、剣士は僅かに形の良い眉を動かして反応する。


「承りました。して場所は?」

「北東の角だ、セキネが相手をしている。あいつと視覚は共有リンクしているな?」

「……あの侵入者の中に器が?」

「そうだ、髪の長い少女だ。無傷で連れて来い。指一本、いや髪の毛一本傷つけてはならん。よいな?」


 途端に口調に狂気が入り混じりだした。

 殺気だった主のその命に顔色一つ変えず、剣士は無言で頷き立ち上がる。

 刹那、剣士の姿は巻き起こった旋風と共にその場から消えていった。



「六百年……長かった。でもようやく君と逢える……もう少し、もう少しだよレナ――」


 その人物は――いや、そのどす黒い『闇』の権化は静かに呟くと――

 雷鳴轟く王の間に、蟲の羽音のように甲高い笑い声を再びあげた。

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