第二章 災厄の鴉

その3-1 準備はいい?


 疾走する馬車の真横で閃光が垂直に迸り、枯れ木が真っ二つに裂けた。

 瞬間的に発火したその木の真上から耳を劈く程の爆音と空気の震えが馬車を震わせる。

 間近への落雷。馬車の中から少女達の悲鳴が聞こえた。しかし馬は怯まず泥濘を跳ね上げ駆け抜ける。

 いい子だ、そのまま進め――チョクは励ますように駿馬に掛け声を投げかけ、再び手綱を振り上げた。


 と、疾走する馬車によって生み出された轍の跡から次々と白骨化した手が現れる。

 逃すか生ある者――まるでそう言わんが如く亡者達は土から這い出ると馬車を追い始めた。

 一体どれだけの死体がこの丘には埋まっているというのだろう。

 追ってくる骸骨兵スケルトン達を馬車後部の窓から眺め、カッシーは息を呑む。

 

「チョク、まだなの!?」

「もう少しッス!」


 エリコの切羽詰まった問いかけに御者席から前方を見上げ、眼鏡の青年は叫んだ。

 彼の言う通り、目標ゴールはもう間近に迫っていた。

 雨風により朽ちかけ、城門と呼ぶよりは城壁に穿たれた『穴』と呼ぶ方が相応しい入口が馬車を迎えようとしている。

 やにわに小さな縦揺れを一つ伴って馬車の車輪が立てる振動音がくぐもったものに変わった。外堀に掛けられた跳ね橋に進入したようだ。

 かなり年代物のその跳ね橋は、乗ってきた馬車の重みに対し悲鳴をあげるように嫌な軋みを生み始めた。

 御者席から眼下に見える外堀は豪雨によって濁流と化している。どうか途中で折れたりせぬよう――チョクは祈るように馬の背へ手綱を打ち付けた。


 と――

 そんな青年の祈りを嘲笑うかのように、鎖が巻き取られる金属音が周囲に響き渡る。

 気のせいだろうか。なんとなく床が傾きだしたような――自らの平衡感覚に違和感を覚え、なっちゃんは眉根を寄せた

 彼女の傍らにいた音高無双の少女もやはりその違和感に気付いたようだ。濡れた髪からぽたぽたと雫を滴らせながらも、東山さんは静止したまま目だけで馬車の様子を窺う。

 はたして。それは気のせいでも錯覚でもなんでもなく――


「ドゥッフ!? 橋が上がってキテルヨー!」


 屋根の上からかのーの声が聞こえて来て二人は確信したようにお互いの顔を見合った。

 途端、ずるずると滑り始めた愛用のチェロに気づき、なっちゃんは慌ててそれを掴むと、もう片方の手で近くの馬車のドアノブにしがみ付く。


「えっ? えっ!?」


 泥だらけになった顔をタオルで拭いて一息ついていた日笠さんは、傾きだした床を凝視して目をぱちくりとさせた。

 対応がワンテンポ遅れた彼女は体勢を崩し床に倒れる。強かに臀部を打って呻き声をあげた少女の身体はたちまちズルズルと前方に向かって滑り始めた。だが咄嗟に彼女のその手を掴みカッシーが引き上げる。

 刹那。馬の嘶きと共に大きく一回その身を縦に揺らしたかと思うと、車輪のもたらす振動と音の質が変わり、馬車の床は元通りの平行へと戻った。

 

「もう大丈夫っス!」


 どうやら跳ね橋を渡り終えたようだ。御者席から聞こえてきたチョクの声に、少年少女はやれやれと安堵の表情を浮かべる。

 と、同時に背後から大きな音が聞こえてきて ほっとしたのもつかの間、カッシーは飛びつくようにして馬車の窓から様子を窺った。

 見えたのは城門を塞ぐようにして上がりきった跳ね橋の姿。剣呑な表情を顔に浮かべカッシーはぐぬぬ、と唸る。

 

「帰すつもりはないみたいね」


 退路を断たれた――

 同じく、途方に暮れたように上がりきった跳ね橋を見つめていた日笠さんの背後で、エリコは苛立たしげにそう呟いた。

 ほどなくして馬車は速度を緩め、眼鏡の青年の掛け声で歩みを止めた馬と共に停止する。

 よくやった――と、荒い鼻息を吹きだす馬の鬣を優しく撫であげ、チョクは御者席から飛び降りると、曇った眼鏡を軽く袖でふき取り、油断なく細剣レイピアに手をかけた。

 背後で聞こえた音には彼も気づいていた。即ち、誰かが跳ね橋を巻き上げたのだ。

 敵か味方か――恐らく十中八九前者であろう。

 だがしかし。

 

「チョク、どう?」

「……誰もいないッス」


 降り頻る雨の中、目を凝らして様子を窺いながらチョクは主に向かって答える。

 城壁の内側は所謂中庭となっていて見晴らしもよく、隠れられるような障害物もない。

 にも拘らず誰もいないのだ。人の気配が感じられない。

 もしや劣化していたせいで自然に作動したのだろうか?――

 だが、城門の脇にあった『壊れた』レバー式のストッパーと、鎖を巻き上げるための大きな滑車を見据え、チョクは頭の中で考えていた仮説をすぐに引っ込めた。


 否。この仕掛けでは何かのはずみで跳ね橋が『降りる』のならともかく、『上がる』のは無理だ。

 彼は壊れたレバーをじっと見つめた。

 根本からぽっきりと折れたそのレバーの痕はまだ新しい。ついぞさっき、誰かがへし折ったように。

 勝手に上がる訳がない。やはり誰かが跳ね橋を操作したのだ。

 ならば一体誰が?――

 険しい表情のまま踵を返し、チョクは馬車の窓から顔を覗かせていたエリコを向き直る。

 

「どうしますか姫?」

「進むしかないでしょ、誰だか知らないけどお待ちかねってカンジだし?」

 

 いずれにせよ、これでは跳ね橋を降ろすのは無理だろう。

 仮に外に出れたとしても待ち構えているのは骸骨兵スケルトンの大群。あれを突破するのは一苦労だ。

 それに先に向かった討伐隊の行方も気になる。

 城門内に入ったにも拘わらず、依然として二百名もの兵の姿が見えないのは異常な事態だ。

 どうも誰かの掌で踊らされている――そんな気がして、エリコは不機嫌そうに眉を顰める。

 やにわに彼女は窓から顔を引っ込めると、入口へ歩み寄り周囲を一瞥した。


「エ、エリコ王女。あの、どこへ?」

「ここから先は徒歩よ」


 未だ姿は見えないがここは既に敵の手中、馬車の中ではいざという時身動きが取れない――

 不安そうに行先を尋ねた日笠さんにそう答え、エリコは豪雨の続く外へと身を躍らせる。

 と、迷うように呆然とその場に立ち尽くす少女の傍らにいた我儘少年が、意を決したようにエリコの後に続き外へと飛び出した。

 次いで東山さんとこーへい、チェロケースに水が入らないようしっかりと布をかぶせ終えたなっちゃんも入口の階段を降りて外へと出る。

 ぴょんとかのーが屋根から飛び降りる音も聞こえてきた。

 最後まで迷うようにその様子を眺めていた日笠さんは、それでもなお目をぱちくりとさせながら躊躇っていたが、やがて諦めたように彼等を追って馬車を出て行った。

 

 外は相変わらずの土砂降りだった。

 一歩馬車から出るなり、大粒の雨が少女の頭に降りかかる。

 既に先刻の骸骨兵スケルトンとの戦いでずぶ濡れだった日笠さんは、構うことなく雨中を歩み仲間の後を追う。

 先に馬車を出ていた少年少女達は、そう遠くない場所でエリコと共に佇み、一様にじっと前方を見つめていた。

 一体何を見ているのだろう。追いついた日笠さんは、彼等が見つめる一点を視線を辿って向き直る。


 刹那、何度目かもわからない雷光が迸り、少女が見上げた眼前に建物のシルエットを浮かび上がらせた。

 それこそがホルン村の伝承に出てくる呪われた城。

 内堀に囲まれ、禍々しい豪槍の如く中央に聳えたつ塔を包括したその古城は、まるで自分達を歓迎するかのように門を開け広げ、不気味に佇んでいた。

 

「これが……コルネット古城……」


 あの中になつき達はいるのだろうか――

 憂慮の表情と共に呟いた日笠さんの傍らで、同じく古城を見据えながらカッシーは剣の柄に手をかける。

  

「準備はいい?」


 カッシー達を振り返り、極力気負わせないように笑顔を浮かべながらエリコが尋ねた。

 彼等は我に返ったように古城から彼女へ目を向けると、ややもって各々頷いてみせる。

 どちらにしろもう退けない。行くしかないのだ――と。

 


♪♪♪♪



 雷雨はいつ止むか見当もつかない程、その雨足は衰えを見せない。厚い雲が陽光を遮る空は夜のように暗くそして黒かった。

 雷光と共に轟雷が耳朶を打つ度、思わず身を竦ませながら、しかし足を止めることなく彼等は眼前の古城を目指す。

 やがて外壁と城の間を繋ぐ猫の額ほどの中庭を通過し、一行は内堀に掛けられた石橋の上へと足を踏み入れた。

 外壁同様やはり風化が著しいその石橋の下には、外堀程ではないが急流と化した内堀が見える。

 手摺から恐る恐る身を乗り出し、内堀を眺めた日笠さんは思わず表情を強張らせた。

 

 と――

 

 橋の半ば程まで到達した時だった。先頭を歩いていたチョクの足がはたと止まる。

 彼の背後を続けて歩いていたカッシーと東山さんが訝し気に見つめる中、眼鏡の青年は膝を曲げ足元の石畳をじっと見つめた。

 

「チョクさん?」

「……疵が新しいッス」

「え?」


 背中に投げかけれた疑問の声にそう答え、チョクは石畳にできていた疵をそっと撫でる。

 疵のでき方や欠けた石の表面の色は、他の風化でできた損疵と比べ、できてから新しいものだった。

 よく見るとそこだけではないことがわかる。橋の中央、目に見える範囲の床や手摺に広がる無数の疵、それは――

 

「どうやら最近ここで戦闘が行われたようッスね」

「それじゃ、討伐隊が?」

「恐らくは――」


 槍や剣などの刃物によって刻まれたものの他に、鏃によって穿たれたらしき小さな窪みまである。

 討伐隊が戦った痕跡と見て良いだろう。彼の背後から覗き込むようにして尋ねたカッシーに対し、チョクは頷いてみせる。

 だが一つ、よくわからない痕があった。すぐ傍に見えた、石橋の端から端まで厚さおよそ数十センチに渡って一直線に付けられた疵――

 一刀両断。そんな表現がぴったりくる疵痕だった。

 これは何によってつけられた疵だろうか――剣、いや大剣でもここまでの長くて大きな疵は無理だろう。

 化け物のような大きさの剣であれば可能だが、そんな得物を振るえる物などもはや人ではなく巨人の類だ。

 となると斬撃? 恐らく現ヴァイオリン王を務めるあの親友であれば可能かもしれないが。

 いずれにせよ討伐隊の兵士では生み出すことはできない疵だ。

 そんな『化け物』が敵にいるなどとはできれば考えたくはない。


「姫、急いだほうが良さそうっス」


 剣呑な表情を浮かべ、チョクは殿しんがりを歩いていたエリコを振り返り呼びかける。


 

 だがしかし――

 

 

 彼のその言葉を遮るようにして不意に轟始めた音に気づき、一同はほぼ同時に前方を向き直っていた。

 

「扉が……閉まる?!」

「おーい、やばくね?」


 勘弁してくれ――視界に飛び込んできたその光景にこーへいは辟易したように呟く。

 はたして、つい先程まで歓迎するかのように開いていた入口が閉じはじめていたのだ。

 先刻同様、またしても人影は見えない。一体誰の仕業だろうか。

 だが犯人を捜している時間はあまりなさそうだ。

 まったく、俺達を逃がしたくないのか、それとも来てほしくないのかどっちなんだよ?!――

 

「走れっ!」


 そう言うが早いがカッシーは駆け出した。

 屈んで橋の様子を探っていたチョクも少年のその声に従うようにして、立ち上がる。


 雷鳴と電光が彼等の挙動を拒むように轟いた。だが怯んでいる時間はない。

 外開きの門が迫る中、カッシーはその間に身を滑り込ませるようにして飛び込んだ。

 次いでチョクと東山さんがほぼ同時に入ってくる。


 と、そんな二人を振り返ったカッシーの腰から、何とも軽い笑い声が聞こえてきた。

 途端に眉を顰め、少年は自らの腰でその笑い声をあげた妖刀を見下ろす。

 

「なんだよナマクラ?」

―小僧、仲間を急がせろ―

「……え?」

―敵だ。上から来てるぞ―

「う、上から? おい、どういうことだっつの?」


 時任が放ったその言葉に対し、嫌な予感を覚えつつ少年が尋ね返した時だった。

 門の外で硝子が砕けるような音が鳴り響き、カッシーは何事かと振り返る。

 途端、吹きつけてきた身震いするほどの冷気に思わず顔を覆いながら、彼はそれでも目凝らし様子を窺った。


 だが懸命に状況を把握しようとした少年の思考は、眼前に広がる想像を超えた光景により停止する。

 そこに出現していたのは、氷山の如く聳えたつ『氷の壁』だった。

 なんだこりゃ――つい数瞬前には存在しえなかった、あり得ない障害を見上げカッシーは絶句する。


「まゆみっ! 大丈夫?!」


 ギリギリで滑り込むように門をくぐっていたなっちゃんが息を切らしながら叫んだ。

 彼女のその言葉でカッシーは我に返ると、透き通る氷壁の先へと視線を向ける。

 煌びやかに彩る氷の先に見えたのは、尻餅をつくようにして倒れていた日笠さんと、彼女を庇うようにして立つエリコの姿だった。

 その後ろには、氷壁を見上げ驚愕の表情を浮かべるこーへいとかのーの姿も見える。

 

「日笠さんっ!」


 カッシーは慌てて彼等を助けようと来た道を引き返すようにして足を踏み出した。


 だがしかし。


 僅か数歩で、少年の足を止まる。いや止めざるを得なかった。

 氷の向こう側にふわりと着地した、とある人物に気づいて――


 最も間近でその光景を眺めていた東山さんは思わず目を疑った。

 その人物は見えた通りに表現すれば『空から舞い降りて』きていたのだ。

 無造作に伸びた銀色の髪を後ろで束ねた長身痩躯のその男は、薄い氷のように鋭利な刃の剣を右手に構え、氷壁と日笠さん達の間に着地したのである。

 途端、その人物を見据えたエリコの表情が驚愕のあまり引き攣っていくのがわかった。


「そんな……バカな」


 傍らから聞こえてきた眼鏡の青年の震える声に気づき、カッシーは横を向き直った。

 案の定エリコ同様に血相を変えて固まっていたチョクを見て、カッシーは口をへの字に曲げる。

 なんだよ二人して。なんだその顔は?――と。


 しかし躊躇している時間はない。何とかしなければ

 扉はあと少しで完全に閉じる。

 このままでは分断される――


「ボケッ! お前かこの氷を作ったのは?! さっさとどけろっ!」


 佇む銀髪の男の背中に向かって、カッシーは怒鳴った。

 と、少年のその気勢に反応し、男が振り返る。


 今度は少年が表情を強張らせる番だった。

 ちらりと見えた男のその顔は、少年の記憶に既視感を投げかけたのだ。

 どこかで見た顔だ――と。

 だが記憶を手繰る余裕はなかった。


 刹那――


「チョクッ! 聞こえる?」


 覚悟を決めた気品と威厳ある王女の声が、氷壁の向こう側から聞こえてくる。


「こいつがいるってことは残りの二人も必ずいるはずよ。わかってるわよね? その子達を絶対護ること……いいわね? こっちは私が何とかするから!」

「なっ、無茶ッス姫! どうかお逃げ下さい! そいつはまやかしッス、あの時倒したはずじゃないですか!」

「いいから目の前のことに集中しなさい! じゃ、後で合流しましょう。そっちは任せたからね!」

「姫、待ってください! 姫ッ――」


 それ以上の会話は許されなかった。

 強気に笑ってウインクしたお騒がせ王女の姿は、佇む銀髪の男もろとも重厚な城門に遮られ見えなくなり――

 我に返った我儘少年が慌てて駆け寄るも空しく、門は城内に音を響かせ完全に閉じられる。

 

「……くそっ!」


 力任せに門を叩き、カッシーは叫んだ。

 呆然と佇む東山さんとなっちゃん。

 そして拳を握りしめ、歯を食いしばるチョク。


 

 伝承の古城を舞台とした惨劇が今始まろうとしていた。

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