その2-3 そんなに雨が珍しい?
というわけでして。
『ホルン村の救世主』こと、我が音オケの
私達は彼女達を追いかけてアンデッドの巣窟と化した伝承の古城『コルネット』に向かうことになったのでした。
古城まではホルン村から馬車で東へ丸一日。途中野宿で一泊しましたが道中は特に問題も起きず、私達は順調に古城の聳える丘の麓まで到着したのです。
それが何故、あんな
それはようやく見えてきた、いかにも何かが出てきそうな古城のシルエットに私達が感嘆の声をあげた時でした。
♪♪♪♪
「……雨?」
軽いノックのような音を立てて馬車の窓が断続的に鳴り出したことに気づき、日笠さんは目をぱちくりさせながら呟いた。
はたして、そのノックの間隔は徐々に短くなり、ついには窓だけでなく馬車の屋根までも、まるで『トレモロ』のように激しく打ち付け始める。
「ドゥッフ、なんかスゴイ降ってキタディスヨ!」
小雨どころではない。たちまちのうちに豪雨と化したその雨模様に、間もなくして屋根にいたかのーが堪らず中に飛び込んでくると、僅かの間にびしょ濡れになってしまった身体をブルブルと震わせて飛沫を飛ばした。
お前は犬か――飛んでくる水に顔を顰めつつカッシーは心の中でツッコミを入れていたが。
しかしこの世界に来てはや一月と半分、少年少女達にとって初めての『雨』だった。
当たり前といえば当たり前の自然現象ではあるが、感慨もひとしおであった彼等は、思わず窓に張り付いて各々珍しそうに雨煙る世界を眺め、溜息を吐く。
ただ一人、その場を動かずに読んでいた本をぱたりと閉じて複雑な表情を浮かべた微笑みの少女を除いてだ。
屋根を叩く雨音が聞こえて来て、あの夢が再び脳裏をよぎり彼女は憂鬱に吐息を漏らしていた。
「そんなに雨が珍しい?」
と、まるで子供のように窓辺に集まったカッシー達を可笑しそうに眺めながらエリコが尋ねる。
顔だけ彼女を向き直り、彼等は一斉に頷いた。
「この世界に来てから降ったの見たことなかったので――」
「雨、やっぱり降るんですね」
「そりゃ降るわよ。雨期に入ると結構降るから、そんなに大したものでもないわ」
「へぇ……」
「でも乾季にこれだけ盛大に降るのは確かに珍しいんだけどね」
通り雨だとよいのだが――足を組みその上に肘を乗せて頬杖をつきながらエリコは自分の傍らにあった窓から外をちらりと覗き込んだ。
だがそんな彼女の想いも空しく、刹那空を覆う曇天の間から眩い閃光が走ったかと思うと、間髪入れずに大気が震えるほどの轟音を奏で始める。
マジか――思わず身を竦ませた後、カッシーは口をへの字に曲げた。
「おーい、本格的に降ってきたんじゃね?」
再度の稲妻、そして雷鳴――こーへいは眉尻を僅かに下げて、咥えていた火の付いていない煙草をプラプラとさせる。
やにわにガクンと何かにぶつかったかのようにして馬車の動きが止まった。
急な停止に身を前のめりにさせながら、少年少女達は何事かと不審げに前方を向き直る。
エリコは不機嫌そうに眉を顰めた後、手を伸ばして御者席に続く窓をノックした。
「チョク、どうしたの?」
「すいません、
土砂降りの雨の中、厚めの外套とフードを目深に被ったチョクが御者席の窓を開けて中へと言い放った。
外套に身を包んで雨を凌いでいるとはいえ、眼鏡の青年は既にずぶ濡れのようだ。掛けていた丸眼鏡が曇ってちょっと間抜けである。
「カッシー達、すいませんが後ろから押してほしいッス」
「わかった」
「あいあーい」
雨の音に負けじと大声でそう言ったチョクに対し、我儘少年は頷きながら答えた。
そして馬車の壁に掛けておいた蒼い騎士の外套を羽織ると、馬車の入口に歩み寄る。
徐にクマ少年も立ち上がりにんまりと笑ってみせた。彼も準備はよいようだ。
「ちょっと行ってくる」
「ありがとう、気を付けてね」
「ムフ、ガンバッテネー」
「アホッ! お前もやるんだっつの!」
と、我関せずを決め込もうとしたバカ少年の首を掴んで強引に引っ張りながら、カッシーは馬車の入口を開ける。
途端に土砂降りの雨音が鮮明に聞こえて来て、豪雨の凄まじさを肌で感じながら少年は剣呑な表情を浮かべた。
だが意を決したように外へ飛び出すと、痛い程に顔に降り注ぐ豪雨を避けるように手を翳し、足早に馬車後部へと向かう。
しかしそこでふと視界に見えた周囲の光景に異様さに気づき、彼は思わず動きを止めていた。
そこかしこに乱暴なまでに建てられた石、木、岩できた無数の墓標。
そしてそれらを従えるようにして前方の丘に聳え立つ風化しかけた古城の姿。
暗雲立ち込め、稲光の中シルエットを晒すその城は、まさしく『不気味』という他なかった。
「おーい、いかにもって感じだなー?」
「オバケとか出てきそうディスネ」
「お前らさ、その口調なんとかならないか?」
片やのほほん、片やケタケタ――言葉の中身と口調が全然合っていないのだ。
彼を追ってやってきていたクマ少年とバカ少年を呆れたようにちらりと眺めた後、カッシーは言った。
しかしさっき窓から眺めた時は気づかなかったが、もしかして墓地か何かか? 明らかに何かが出てきそうな匂いがプンプンする。
ここは城に早く向かった方がよさそうだ――
背筋に寒気を覚えつつ、我儘少年は早々に済ませてしまおうと腰を落とし、馬車の後部に体を当てる。
こーへいとかのーもその隣に並び、各々スタンバイOKのようだ。
こーへいは肩を馬車に当て、四股を踏むようにどっしりと。かのーは後ろ向きに背中を当てて寄り掛かるようにガッシリと。
「チョクさんいいか?」
「お願いするッス」
「いくぞ! せーの!――」
♪♪♪♪
「ほんと……凄い雨だね」
少年達の掛け声と馬の嘶きが交互に外から聞こえてくる中、日笠さんは振り続ける豪雨の中佇む古城を眺め、端正な眉を不安そうに寄せる。
もう四日が経っている。順当に討伐隊が到着していたとしても既に三日。
あそこになつき達がいるとして、はたして無事でいてくれるといいのだが。
「もしかして、この不自然な雨も復活した
「ちょっ!? そういうこと言うのやめてよなっちゃん!」
「ふふふ、冗談」
途端に表情を強張らせた日笠さんを見て、なっちゃんはクスリと笑う。
そんな二人を余所にお騒がせ王女は頬杖をつきながら思案を巡らせていた。
キクコ村長の話では、到着した討伐隊は管国の精鋭およそ二百人程とのこと。アンデッド相手とはいえ片田舎の小さな古城を攻めるには十分過ぎる兵力だ。
にしては様子がおかしくないだろうか?――彼女はふと思った。
二百人もの兵があの城を訪れているのなら、もっとこうどこかに人の痕跡があってもよいはずなのだ。
それがまるでない。やけに静かすぎるのだ。
もしや既にアンデッドを鎮圧し、古城の占拠を完了したとしたのだろうか。
もしくは噂自体がデマで、この地に最初からアンデッドなどいなかった。
そこまで考えてから、彼女はその仮定を慌てて否定した。
ならば尚更この静けさは不自然すぎる、と。
考えたくはないがしかし、最悪の事態も想定しておいた方がよさそうだ――口には出さず密かに決意を固め、エリコは薄い唇をそっと噛み締めた。
と――
その場を動けず往生していた馬車がやにわに大きく揺れたかと思うと前方に進みだした。
どうやら泥濘を抜け出すことができたようだ。
ふと顔を上げ、エリコは窓の外を見る。景色が後ろへと流れていくのを眺め、彼女はよしと頷いていた。
だがしかし――
「なっちゃん、あなたがさっき言ったこと、あながち冗談とも言えなくなったみたい……」
微笑みの少女に向けて放たれたその声は、既に戦闘モードに突入した際の凛とした気合を漂わせていた。
未だじゃれ合うように日笠さんを揶揄っていたなっちゃんは、その声の主である音高無双の少女を向き直る。
東山さんは窓の外の一点をじっと睨むようにして見据え、微動だにしていない。
不思議に思い、なっちゃんは首を傾げる。
「恵美?」
「ど、どうしたの?」
と、その表情にのっぴきならない空気を感じ取った日笠さんも彼女に歩み寄り、何事かと尋ねた。
東山さんはようやく持って傍らにやって来た苦労人の少女を向き直り、そして無言で窓の外を指差す。
「どうやら、おでましみたいよ?」
――そう付け加えながら。
おでまし?――と、彼女の言葉を繰り返しながら日笠さんは彼女が指差した先を目を凝らして見定めた。
やにわにその声を聞いたエリコもピクリと眉を動かし、立ち上がって少女と同じく窓辺に歩み寄る。
外は相変わらずの大雨だ。その勢いは弱まるどころかますます強まり、もはや地から跳ね返る飛沫も相まって、霧がかる程に視界を遮っていた。
だが音高無双の少女が指差す一点の違和感には二人とも辛うじて気づくことができた。
東山さんが指差す墓標。その根元の土がもぞもぞと動いたかと思うと、刹那、白い手が土を掻き分け姿を現したのである。
そのどう見てもあり得ない違和感の正体に気づいた時、日笠さんは思わずぽかんと口を開けたまま固まった。
対してエリコは不機嫌そうに舌打ちしながら、すぐさま踵を返し御者席に続く窓をノックする。
「チョク、スケルトンよ」
「へっ?! えっ!? ス、ススケルトン!?」
「ええ、今見えたッス。そこかしこから出てきてますね」
「ええっ!? そこかしこ?」
固まっていた日笠さんは、聞こえてきた二人の会話に跳ね上がるようにして吃驚しながら振り返った。
チョクは頷いて少女のその問いに答えると、すっかり曇った眼鏡を指で直す。
「突破できそう?」
「すいません、難しそうッス。既に囲まれつつあるようで……」
雨による視界の悪さが仇となった。悔しそうに唸る眼鏡青年の声が御者席から聞こえてきた。
やるしかなさそうだ――エリコは面倒くさそうに眉間をカリカリと掻くと、壁に掛けてあった愛用の外套を手に取る。
と、窓の外を眺めていた東山さんは意を決したようにフードを目深に被り、馬車の入口へと足早に駆け寄った。
「え、恵美どこに行く気?」
「決まってるでしょ、囲まれる前に倒さないと。柏木君達も外にいるしね」
言うが早いが音高無双の少女は入口を開けて外に飛び出す。
「ま、待って私も行く!」
「まゆみ、平気なの?」
あなたオバケ苦手なんでしょ?――
そう言って日笠さんを止めようとなっちゃんが伸ばしたその手は、しかし半ばで勢いを止めて力なく下げられた。
周りを心配するあまり大苦手な物が外に出没しだしている事も忘れ、やはり飛び出していった苦労人の少女に気づいてだ。
やれやれと肩を竦め、微笑みの少女は立ち上がると、傍らに立てかけてあったチェロケースを手に取り、そして蓋を開ける。
刹那、目が眩むほどの稲光が外で起きたかと思うと、間髪入れずに空気を震わせ雷鳴が轟いた。
「おーい、近くね今の?」
「ムフン、オヘソ取られちゃうヨー」
「ボケッ、そんな事いってる場合かっつの」
外からクマ少年とバカ少年の緊張感のない声と、それにツッコむ切羽詰まった我儘少年の声が聞こえてくる中、なっちゃんは手慣れた手つきでチェロのチューニングを開始する。
そしてその数十秒後。
冒頭の通り、
♪♪♪♪
瀧のように降り注ぐ豪雨のせいで既にフードなど役に立たない程、全身はずぶ濡れだった。
視界は最悪、足場はもっと最悪。
それでも馬車は守る、必ず突破口を切り開く――
幾筋もの水が額を伝い、鼻の頭で分かれて流れ落ちていく中、東山さんは油断なく眼前に迫る
刹那、カラカラと顎を開閉させて手に持つ槍を繰り出してきた
そしてそのまま脇に挟むようにして左手で槍の柄を掴み勢いを殺すと、右手に握りしめていたヌンチャクを勢いよく横薙ぎに放ち、
少女の攻めの手は止まらない。
「てええええええぇぇいっ!」
膝をついて崩れ落ちたその骨の残骸から槍を奪い取ると、彼女は徐にそれを大きく振りかぶり、さらに前方から迫ってきていた
気合一閃、唸りをあげて放たれたその大薙ぎ払いは、一気に六体もの
もちろんこれで終わりじゃないことなど重々承知だ。
先刻馬車の反対側から聞こえてきた、お騒がせ王女の言葉が事実ならすぐに復活して襲い掛かってくるはず。
だが僅かではあったが、時間を稼ぐことはできた。
それでいい。時間が稼げればそれでいい――
背中で護る馬車の中から聞こえて来ていたチェロの調べに気づいていた東山さんは、強気な笑みを浮かべて槍を構え直す。
このチェロの旋律は聞き覚えがあった。
でも本来なら確か主旋律はヴァイオリンのはず、となると彼女のアレンジだろうか。
アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ作曲 『四季』より『冬』第1楽章――
もしこの副題が指し示す通りの効果が起こるとしたら――
はたして、音高無双の少女は、やにわに起こり始めた楽器の効果を肌で感じ、眉間にシワを寄せる。
そしてみるみるうちに霜が張り出した泥濘に気づき、彼女は思わず一歩馬車へと後退った。
東山さんの吐き出す息が白く曇った。周囲の気温は明らかに下がり始めている。
馬車を護るようにして、その周りにだけかなり早い『冬』が訪れていた。
降り注ぐ雨は雪と化し、泥濘に溜まった水は氷と化し、そして次々と這いだそうとしていた
やがて寒さで凍えるかの如く顎をカチカチを鳴らしながら、それでも馬車に向かって迫り狂っていた
と――
「――我らに勝利を! 響け自由の鐘よ!」
やにわにそのチェロの調べに乗って歌うように呪文が聞こえてきたかと思うと、空気を震わせる発射音と共に馬車の前方に向かって光の砲弾が放たれた。
それを放った主が誰であるかはもうわかっている。馬車の反対側をちらりと見上げ、東山さんは強気な笑みを浮かべた。
刹那、前方で爆発音が轟く。
およそ数十メートル先で爆発を起こしたその光の砲弾は、前方を遮って凍っていた
路が開けた。
魔曲が生み出した、氷と炎の舞うような攻撃によって――
もちろんその隙を英雄と呼ばれた二人の人物は見逃さない。
「チョク!」
「わかってるッス、みんな馬車に戻って! 脱出ッスよ!」
魔曲使用の反動で、膝に手をつき荒い呼吸を繰り返していた日笠さんの手を強引に引っ張りながら、エリコは眼鏡青年の名を呼んだ。
もちろんチョクは彼女に呼ばれるより早く、御者席に飛び乗り手綱を握りしめていた。
入口に駆け込むエリコと日笠さんを振り返り、カッシーとこーへいも馬車へと駆け出す。
ぴょんぴょんと跳ねるようにして馬車の壁を駆けのぼり、かのーは既に屋根へと駆けあがる最中だった。
「ハイヤッ!」
徐に馬の背に手綱を打ち付け、チョクは掛け声をあげる。
四頭の白馬は各々嘶きをあげると泥濘を蹴り上げ、勢いよく駆け出した。
「掴まれ委員長!」
駆けだした馬車の窓を乱暴に開けて、こーへいとカッシーが身を乗り出しながら反対側にいた音高無双の少女へと手を差し伸べる。
ぬかるむ地を全力で駆け抜け、前方に見えた凍った
少女のその手をがっしりと掴んだ二人の少年の手が、彼女の身体を窓から中に引き上げると同時に馬車はトップスピードに達する。
氷のオブジェと化した
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