新しいテニス

 火曜の昼下がり。一限しか授業がなくお金もない僕は、こうして喫茶店で一杯の珈琲を頼みノートPCと向き合い続ける。この喫茶店は珈琲だけで長時間粘り続ける僕にも無料でPCを充電させてくれる心優しい店なのだ。賞を取って賞金が入ったら僕はこのお店に還元しようと心に決めて、一年が経った。結果は芳しくなく、僕は申し訳ない気持ちになりながらもその気まずさのおかげで顔も上げることなく熱心にキーボードを叩き続ける。はじめは僕一人だったが、いつのまにか美紗が向かいの席を占領し、ただスマホでゲームしていたりネットサーフィンをしていたり自由気ままに過ごすようになった。今日も二限目の授業を終えた美紗が向かいの席に座り、軽食を注文していた。


「そういえば、遥はさ、サークル何もやらないの?」


 僕はキーボードから手を離し、一口だけ珈琲を飲む。


「やらない。やらなきゃダメか?」


「ダメではないけどさ、楽しいよ。サークル活動」


 僕は彼女の言葉を信用しない、と心に決めている。彼女とは中高それに大学と長い付き合いになるが、彼女と僕の価値感はまるで違う。


「テニス、来る?楽しいよ?」


「遠慮する。ラケットが重い」


「すぐ慣れるって。あと野球よりも軽いよ?」


 彼女は僕の忘れたい過去を引っ張り出してくる。僕はただ首を振る。美紗は楽しいんだけどなぁ、と嘆いてみせる。


「テニスは、改善すべき競技だと思う」


「そんなことはないと思うけれど?」


「コートが広いから、場所を確保しなければならない」


「それはゴルフに言ってよ。一番、土地を奪い取っているのはあのスポーツでしょ?」


「まぁ、テニスもそうでしょ」


「それを言うなら、野球なんかもっとそうでしょ。野球場作って、外野に芝生ひいて、よっぽどテニスより場所使ってメンド―でしょ、形も長方形じゃないし」


 そこまで批判されれば、僕はぐうの音も出ない。ひとまずコート確保問題で対抗するのはやめて、別の点でテニスを敬遠する方法を模索する。


「いや、もっと身近にすべきなんじゃないかなって思うんだ」


「テニスのなにをどうしろ、と?」


「まず、テニスを室内でできるスポーツにする」


「スカッシュとか、すでにあるけれど」


「いや、壁打ちじゃなくて、テニス要素をもっと残したまま、室内に持ち込む」


「テニススクールとか、すでに大抵のところが室内だけど」


「わざわざ、その施設を作らないといけないでしょ?そういうことではなく、そもそも室内のスポーツにするの」


「まぁ、そうできたら便利かもしれないけれどね。で、どうするの?」


「そもそもコートが広いから、もっと狭い範囲にする。そうすることで場所も今まで以上に確保しやすくなるし、もっと身近なスポーツになると思うんだ」


「まぁ、うん。はい」


「それから、ラケットもボールもあれは室外用で危ないから、もっとどちらも小さくて軽いものがいいと思う。例えば、ピンポン玉とか」


「なに、私はここで卓球ができる過程を見せられているの?」


「ラケットも、片手で簡単に扱えるものがいいな。両手で振り回さねばならないものは、室内には合わない」


「硬式じゃなかったら、ある程度片手で打つんだけど」


「あんなに大きなものを振り回すのは危ない。そうだ、コート範囲を台の上にしないか? そうしたら、室内でも気軽に場所を確保しやすいし、わざわざ広いコートを確保しなければいけない手間が省ける」


「そうね、これで、卓球は完成したね」


「どう? これが、僕の考える新しいテニスなんだけど」


「そうね、卓球の起源を知らない馬鹿な女の子なら、それで騙せるかもしれないけれど。結構なペテン師ね」


「いや、ペテン師なんかじゃないよ。僕は現代版シェイクスピアさ」


 僕はさながら舞台俳優のように両腕を広げてみせる。周りにいた客が僕の方に視線を向けたのを感じ、僕は少しだけ頬を赤らめ腕を戻す。


「シェイクスピアは、もっとすごい人だと思うから。ストラットフォード行ってきたんじゃないの?」


「……行ったね。今、美紗が覚えていなければ誤魔化そうと思ったのだけれど」


「新しいテニスの案は却下。理由は、すでに似た競技があるから」


 美紗はそう言うとヘッドフォンで耳を覆い、スマホで顔を隠した。僕は少しだけ首を傾げた後にまたPCの画面に向き合い、自分の書きあげた小説を推敲し始める。


 次に書く小説にはテニスを入れてみようか。スマホの画面を操作しながらわずかに身体を音楽に合わせて揺らしている美紗を見て、僕はそう考えてみる。

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