結婚
そういえば、と澪は思い出したように口にした。
「りおちゃん結婚するんでしょ?」
「あー、そういえばそうだな」
僕も思い出したような口ぶりで言って見せたが、僕は忘れてなどいなかった。それを隠すように僕は珈琲を一口含む。
「なに、その他人事です、みたいな言い方」
「文字通り、他人事だと思うけれど」
「ふーん。りおちゃんとどれくらい付き合ってたんだっけ?」
僕は答えない。答えずに窓の外の空を優雅に舞う猛禽を目で追う。
「あんたから付き合うことにしたって聞いたのが、あれがもう五年前になる?」
「知らん」
「覚えてるくせに。そういう日付とか記念日みたいなもの、昔から大切にするじゃん?」
澪は、痛いところばかり突いてくる。
「もう、関係ないだろ、向こうも結婚するんだし、過去の男のことなんか、忘れたいって」
「結婚式出るの?」
こちらの言葉は、澪には聞こえていないようだ。
「…招待状は来た」
「誘われてるんじゃん。行ってあげなよ」
「別に、行かないとも言ってないけど」
「へぇ、ノリノリで行くつもりでいたの?」
「どういう考え方をしていたら、ノリノリで行くかもしれないと思ったんだ?」
ため息まじりに僕は澪を睨む。
「そんな怖い顔しないでよ、冗談じゃん」
その冗談を僕は判別できなかった。分からない。これは、僕が悪いのだろうか。分からない。分からないから、珈琲に時間を進めてもらうことにする。
「そういうのって、りおちゃんから付き合う時に報告されたの?」
「どういう別れ方をしたら、そんな報告が元カレに来るんだ?」
「知らない。そもそも、なんで別れたのかも私は知らないし」
無知は、人を傷つける。こんな典型例はあるだろうか。ため息は勝手に大きくなった。
「なんで、別れたんだっけ?」
「ただ単に、喧嘩が絶えなくなって、まぁすれ違ったんだよ。一緒にやっていける相手ではなかったってだけ」
「へぇ」
澪は、さも関心の無いように言った。演技でも、もう少し興味の持ったような返事をしてほしく思う。それをしないのが彼女だけれど。
「りおちゃんとは、どこまでやってたの?」
「…お前、高校生みたいだな」
「いいじゃん、気になる。結構長く付き合ってたでしょ? ね、どこまでやったの?」
当時、僕は彼女を愛していた。彼女とともに死ぬ気でいた。彼女とは何度も死ぬ計画を立てたし、心中したいという僕の望みにも彼女は笑顔で「じゃあ、その時は一緒に死のうね」と言ってくれた。
彼女のことをおざなりにしてしまったのはいつからだろうか。思い出せたところでその事実が何になるのかは分からない。思い出そうとしてみたが、きっかけなどなくただ慣れて日常になってしまったものに変化のきっかけを見つけることはできなかった。
「どこまでやったの?」
「…最後まで」
「じゃあ、りおちゃんの初めての男なんだね」
「わざわざ、言及しなくていい。そう言葉にするな」
「でも、そうなんだ。彼女からセックスしようって?」
「子供、欲しがってたし」
「子供欲しいのに、自殺を受け入れたんだ。りおちゃんて、馬鹿なんだね」
「自殺じゃない。己終だ。あと厳密にいえば、心中だ」
「うん、はい。いつも思うんだけれど、己終って言葉使ってくれる人いるの?」
僕は何も答えない。己終。自殺という言葉の「殺」という文字が強く自殺という行為を否定し意味を悪くするから、という理由で僕が数年前から使っている単語だ。
しかし、澪が言ったことを僕は否定はできない。つまりは、彼女との将来は多少の選択肢が違っても存在しえなかったということだろう。
「ちなみにさ、りおちゃん妊娠したらしいけど、やっぱり何度も抱いていた男からすると悔しいものなの?」
「…どういう質問を公共の場でしているんだ、お前は」
「いいじゃん、どうなのさ」
「特に、なにも」
「強がってない?」
「強がってない」
僕は残っていた珈琲を飲み干す。
「結婚式には出るよね?」
僕は澪の目を見る。真意は、読み取れなかった。
「行くと思うよ。幸せになった一組の男女の門出だ」
僕は、世間一般として当たり障りのない言葉だけを並べてみる。
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