ばかっぷるのくのう

「ねぇ、何食べる?」

 僕の真横で、美姫みらが甘ったるいような声を出す。僕はその言葉に返す言葉に逡巡しながら、懸命に笑顔を作る。

 周りから見れば、知能のない馬鹿なカップルに見えているんだろう。僕は、心のなかでため息をつく。なんで、僕がこんな目にあっているか、そのすべては美姫のせいだと思う。


 彼女の名前は、少し特殊である。美しい姫と書いて、「みら」。なんで「みら」などと読むかというと、美姫のご両親の強い想いによるものである。

 美姫の名前の由来を聞く限り、美姫のご両親は馬鹿なのかもしれないのだが、僕には判断できない。

 誰しもが知っている話で、白雪姫というものがある。その白雪姫の冒頭で、魔女が鏡に訊く場面がある。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」

「白雪姫です」

 そう、美姫のご両親は自分の娘を世界で一番美しいと思い、美しい姫とつづり、鏡の英語読み、ミラーから「みら」と名付けた。


 鏡自体は何も関係がないし、娘に鏡と名付ける意味もセンスも分からない。

 とはいえ、いわゆるキラキラネームであることに違いないから、娘が変な形に育つのも無理はない。実際、美姫の親の職業は詳しくは知らないが、放任主義なのだろう、子供は派手に化粧をして、スカートの裾を極端に短くしてピアスまで開けている。そのうえ僕に向かって常に香水の強いにおいが鼻を貫いている。校則違反という言葉を美姫は理解できないのだ、と僕はいつも考えてしまう。

 店員からの冷たい目は、こういう時は僕にも向く。僕は、何も悪くない、ただの善良な犠牲者だ。そんなことも言い出せずに、僕はレジの前で店員と向かい合う。僕は、やはり店員や他の客に睨まれていた。僕はどういう顔をしていればいいか、分からない。少なからず、開き直ることは違う。だからといって、僕がすまなさそうな顔をするのも、じゃあ僕が何でこんなことをやっているのかということになるから対応としては間違っている気がする。


 美姫は席についてもずっとスマホをいじっていた。僕は話をしようと務めたが美姫は曖昧な返事を繰り返すばかりで、僕の話を聞いているのかさえ定かではなかった。

 僕が彼女と今、こんなところで時間を無為に過ごしている意味も、僕は分からない。ただ、今こうやって美姫に向かって話し続けているだけの時間が僕の人生において何の意味も持たない、ということも僕は重々分かっている。


 子供ができたら、と美姫を見ながら僕は空想に浸る。子供ができたのなら。キラキラネームなど付けない。というか、キラキラネームを付けそうな人間を母親として選ばない。

 真琴だとか、実久だとか。そういった、いかにも普通の、名前を付けよう。

「今、なにしてるの?」

「んー、なんかね、めめあが駅前にいるんだって」

 そうか、と僕は僕の問いと噛み合わない答えに笑ってみせる。子供の性格は、親の性格の鏡なんだろう。彼女は特に、彼女の親の性格をことごとく反映しているのだと思う。まさしく、美しい鏡だ。彼女の名前に隠された秀逸な言葉遊びを僕は嘲笑うように微笑んでみせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る