第4話 AI(あい)の交差点
④
あまりにも愚かな行動だった。それは左近も認めている。
一晩冷静になって考えてみると、まるで癇癪を起こした子供じゃないかと自暴自棄になった。とにかくなにもやる気にならない。食事も喉を通らない。
昨日、帰宅してからというもの水一滴さえ口にしてはいなかった。最後に胃に入れたものが彼女と飲んだコーヒーだというのも、なんだか皮肉な話である。
もう昼の近いというのに、左近は布団の中から這出る元気もない。枕元ではさっきから何度もスマホが鳴っている。着信はいずれも同一人物だった。京平である。恐らく彼にはすでに由宇を介して昨日の出来事が伝わっているのだろう。
用件も分かっている。どうせ和泉に謝罪しろとでもいうつもりに違いないのだ。
そう思い、左近は一度たりとも通話に出ることはなかった。
部屋の中ではハッピーがぐるぐると動き回っていた。胴体部分がパカンと真ん中から上下に割れて、その合間から作業用のロボットアームが飛び出している。時折その腕で、床に散らばっている本を掴んだり投げ飛ばしたりを繰り返していた。
どうやら掃除をしているらしいと左近は理解する。
本当にハッピーは変わってしまったなと思う。自分だけで開発をしていた時は、ここまで人間的ではなかったはずなのに。ここまで成長しなければきっとあんなことも言わなかったはずなのに……
過ぎてしまったことを今さらうじうじ考えても仕方がない。左近はようやく起き上がることを決意した。
「――ッ! ハッピー、いまお前……」
布団をたたもうと左近が立ち上がった時だった。その動きに合わせてハッピーが歌ったのだ。いやそれは正確な表現ではない。ハッピーのAIが作り出した電子音が、あるメロディを奏でたのである。ノリのいいポップなダンスナンバーを。
「サコン ノ ハナウタ サンプリング シタ」
「僕が鼻歌だって……?」
「キヅイテ ナイノ カ マイアサ ハナウタ ダゾ」
なんということだ。
変わってしまっていたのはハッピーだけではなかったのだ。
左近もまた、他人との出会いの中で自分を成長させていたのだ。いいか悪いかではなく、可能性を広げること。それがコミュニケーション。
頭では理解していたはずなのに、こんなことで気付かされるとは。
ハッピーの成長はそのまま左近の成長である。同じ時を、同じ人達と過ごした。であるならば、昨日、和泉にハッピーが言ったことは左近の本音なのだろう。
彼女は左近の知らない男と付き合っていた。
ただそれがショックで仕方なくて。情けないとは思いながらも、結局は動揺を隠せなかった。「君の過去なんか気にしてないよ」なんて見えすいた嘘さえつけなかった。
どうしようもなく彼女のすべてが欲しかったのに、もう誰かの手で穢されているなんて子供じみたエゴが真っ先に頭に浮かんだ。
最低だ。そんなエゴで彼女を傷つけて。そして自分も傷ついて――
なにも救わない答えの堂々巡り。
左近の思考は完全にストップした。
「キョウ ハ イズミ イナイ ノ カッ」
「……今日は日曜だ。学校は休みだろ」
「アイニ イカナイ ノ カッ」
「いけるわけないだろう……」
ハッピーの電子合成音がこんなにも不快に感じたこともなかった。左近は次第にイライラを募らせていく。目の前を行き交うバスケットボールのお化けは、それでも暢気にこんなことを聞いてきた。
「ナンデッ」
左近はキレた。
――お前のせいだ!
罵声と共に投げつけられた枕がハッピーの白いボディに直撃する。その後も掛け布団、敷布団の順に、ハッピーは左近の理不尽な攻撃を受け続ける。最後に手にしたのがハードカバーのぶ厚い本でなければ、きっとハッピーはその場に居続けただろう。しかし、ハッピーに内蔵されていた危機回避装置がそれを許すことはなかった。もしくは左近の体力が、システムの処理能力を凌駕していれば結果もまた違ったかもしれない。
だがその場はハッピーの退場という形で収拾がついた。
左近の投げたぶ厚い本は、閉じられた部屋のドアに命中した後、重力に引かれてベシャリと床へ落下した。
閉ざされたドアの向こう側。自身の創造主たる左近の顔も見えない。
この時のハッピーのAIに去来するものが一体なにものであったのか、それを解明するにはまだ人類の叡智は未熟すぎた。
またそれを感情であるとか、魂と呼べるかどうかも分からない。
ただ、誰も居ない廊下の隅で、
「サコン ボク ノ セイ デ イズミ ト アエナイ」
そう呟きながら階段をギクシャクと下りていったことだけは事実である。
***
コミュットは人の笑顔のために生まれた――それは決して過言ではない。
たとえば一人暮らしのお年寄りの話相手に、あるいは精神を患ってしまった者たちの治療のために。
コミュニケーションという唯一無二の方法で人間の暮らしを幸福にする。
そう願い、またそうあろうとプログラムされた。
それを意志と呼ぶか、それともただの情報の算出結果にすぎないとするかはこれからも多くの疑問を招き、専門家の悪口に拍車をかけることだろう。
だが。
それでもハッピーは全力で走り続けた。
まるでピンポン玉のような移動用のタイヤを高速で駆動する。ごく平凡な街並みを白いバスケットボールのお化けがひとりでに動いている。このなんともシュールな光景に、道行く人々の視線は自然とそちらへ向いた。
ある者はドラマの撮影ではないかとカメラを探しキョロキョロと。またある者は未だ実動するコミュットに懐かしさを覚え、かつての自分を思い出しているようだった。
はしゃぐ子供達。面白い標的を得たと執拗に追い回す。
それに驚いた野良猫は慌てて道を開ける。
次第に遠ざかる喧騒と笑い声に、ハッピーのセンサーは「油断」をした。
あともう少しで彼女に会えると――
交通量もまばらな大通り。そこに面した最後の曲がり角。ここを曲がれば目的地までは一本道だ。左近の心情を生き写しにしたハッピーのAIは、繰り返される電子情報の高速処理の中に此ノ花和泉の笑顔を見た。
ゴゥ。音よりも速く乱気流がハッピーを撫でる。
体長五十センチの家庭用自律型ロボットにとって、そのダメージは想定外のものだった。
止まる事なく回転する運命の輪は巨大なゴムで出来ている。軽さを追求した樹脂製のボディを踏み砕く事など造作もない。
出会い頭だった。「油断」したセンサーが反応する間もなく。
半壊――
陥没したハッピーのボディはすでに球形をとどめていなかった。自慢のカメラアイからは輝きは失われ、割れたレンズの隙間からどうにか画像のピントを合わせようとする駆動音がもれる。
二本残った底部のタイヤ。しかしその動きはぎこちなく、道路にジグザグの軌跡を描く。
止まりそうで。でも絶対に動くのを止めない。
ただ前へ。ただ前へ――
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