第31話 体は壊れたマネキンのように
衣良羅義さんはけのびしながら大あくびした。それから顎に手をやり何か独り言を言っている。僕はただ茫然とそれを見ている。目の前でとてつもない事が行われたという事は何となくだが理解できる。だが、まったく臆することなく平然とする衣良羅義さんを見ておそらく恐怖していたのだろう。
「うん、よし、あれやってみるか」
衣良羅義さんは一人頷き
「……何をしたんですか」
そう言うのがやっとだった。返事は帰ってこない。何かをじっと待っているようだった。
……?
何か音が聞こえる。
「……よ」
「……えよ」
ゆっくりとゆっくりとその声は大きくなっていく。一人ではなく大勢の声が重なり合っている。
「……たえよ」
その声は地響きのように鳴り響き、何重にも重ねられて旧校舎を揺るがし反響する。
やがてその言葉を理解し、僕は愕然とした。
「……讃えよ!」
「……を讃えよ!」
「……介神を讃えよ!」
「衣良羅義京介神を讃えよ!」
「衣良羅義京介神を讃えよ!」
「衣良羅義京介神を讃えよ!」
学園中の声は一つに集まり咆哮の奔流となって学園中を包み込む。静寂と喧騒を交互に繰り返し、その異様な雰囲気は現実かどうか怪しまれるほどだった……
「声帯を含む発声に使う筋肉をコントロールしたんだが、うーむ、これは」
衣良羅義さんは首を捻る。
「時の権力者は自分の名前を連呼させていたと聞くが、正直、あまり気持ちのいい物ではないな。と言うか趣味が悪い」
「だが、どうだろう?」
衣良羅義さんは僕の方を見て問いかける。
「東雲君。神様がいた時代の君に聞きたいのだが。どうかな? 今の私は少しは神様らしく見えているのだろうか?」
衣良羅義さんは頭を掻いて、照れ笑いを見せた。僕はぞっとした。悪意のかけらもないその微笑みはあまりにも怖かった。
やがて、衣良羅義さんを連呼する声は止み、あたりからせき込むような声とざわめきが聞こえ始めた。
「なんだ、なんだよ今の……」
「またかよ……何やったんだよあいつは」
学園のみんなの混乱が伝わってくる。
「これはまずいな。学園中の人間がこの場所に駆けつけてきそうな勢いだ」
言葉に反し衣良羅義さんは全く困ったようなそぶりを見せない
「わああああああああああああああああ!」
「きゃあああああああああああああああ!」
突然、学園中から悲鳴が怒号のごとく轟く。
屋上からでは全容を見渡すことができないが、周囲を震わすその悲鳴は、僕を心の芯まで恐怖で震わせた。
「……何をしたんですか」
声が震えてうまく出ない。何とかふり絞りそれだけを口にする。
「ああ。目の視神経の機能を一時的に麻痺させただけだ」
……それって、全員、何も見えない状態にしたっていう事ですか?
学園中パニックにするには十分だろう。
僕は全力で声を振り絞る。
「やめてください! 衣良羅義さん! 何が目的なんですか? 何がしたいんですか!」
「ん~ いや、男なら一度は世界征服や最強の男を夢見るものだろう? 他にやりたい事も無くなってきてね。そろそろ神様にでもなってやろうかという、まあそんな理由だろう。実は私にもあまり良く解っていないんだ」
僕は理解した。衣良羅義さんはただやってみたい事をやってみただけなのだ。それが常人と比べてあまりにもスケールがでかすぎただけで、悪気も何もなく……
いったいこんな人をどうやって止めればいいんだ?
頭をフル回転させて、何とか言葉を探す。
「やりたい事ならあるじゃないですか! スズキのバイクはどうするんですか? ワインは? 百目鬼さんは本当の焼酎を作っていましたよ? 衣良羅義さんは本当のワインを作っていませんよね!? 負けたままでいいんですか!?」
衣良羅義さんは初めてあっけにとられた顔をした。
「なんと!? 百目鬼君は焼酎を蘇らせていたのか! それはすごい!」
ようやく衣良羅義さんの興味を引く事ができた。僕は更に言葉を探す。継ぎはぎだらけの記憶を掘り起こし言葉をかき集める。
「後、確かハッキングの痕跡って消せるんですよね? 衣良羅義さんなら可能ですよね? 今なら全部なかったことにできるんじゃないですか!?」
僕はこの半年間のみんなとの思い出を次々と思い出していた。怒った事、悲しんだ事、全員でご飯を食べに行ったり、ゲームをしたり、思い返すと全部全部、宝物のような思い出だばかりだ。それが今、全て終わってしまいそうなのだ。いつの間にか眼尻が涙で滲む。
だが、衣良羅義さんは残念そうな表情をする。
「それは駄目なんだよ東雲君。確かにこの衣良羅義京介、全世界のログを抽出して消去し辻褄を合わせるよう改ざんする事も可能だ。だがね、僕の外にもなかなか頭が切れる奴というのは存在する。一度この状態にしてしまったら、どうあがいても僕にたどり着いてしまうのさ。世界を数分足らずで掌握できる男がこの世にいたらどうする? すべての自由を取り上げられ一生、特別な監獄部屋で閉じ込められるのが関の山さ。世界の総意がそうさせるだろう」
僕は膝から崩れ落ちた。もはや何をすればいいのか、そもそも何を考えればいいのかすら思いつかなかった。
そんな時……
「いやああああああああああああああああああ! 暗いいいいいいいいいいいい! 怖いよおおおおおおおおおおお!」
聞きなれた赤色さんの声が響き渡る。
「赤色君か。そういえば彼女は暗所恐怖症だったな。これは悪いことをしてしまった」
衣良羅義さんは
「いや、まてよ。神様というものは平等でなければいけないのではないか? 赤色君だけ贔屓するというのは。うむ、しかし……」
僕は全力で衣良羅義さんに向かって突進する!
SIMブーストで限界まで強化された僕の脚力は、木造の床をバシン! バシン!と踏み抜きかねない勢いで踏み蹴り僕自身を限界まで加速させた。
「衣良羅義さん!」
僕は衣良羅義さんを止めようと飛びついていた。両手で衣良羅義さんを取り押さえようとする。
「おっと」
いとも簡単に両手を握り返され組み合う形で止められてしまった。万力のような力で両手の指が締め上げられる。SIMブーストで強化された僕が完全に力負けしていた。
「身体強化系の免許は取っていなかったんじゃないんですか?」
「ああ、だから無免許運転だよ東雲君」
滅茶苦茶だこの人。本当に何でもありだ。
そのまま僕は押し切られ膝を床についた。衣良羅義さんは平然とした表情をしている。
「がっ!」
衣良羅義さんの頭にものすごい速度で何かがぶつかった、首が吹っ飛ばんばかりの勢いで。衣良羅義さんの体が床をそのまま錐もみ状態で転がっていく。
天継さん愛用のカバンだ!
僕はすぐに視線を周囲に向け探す。
居た!
対面する新校舎の屋上のフェンス上に、セーラー服を着た女子高生。
天継さんだった。
天継さんはひょいとフェンスから飛び降りる。
新校舎の垂直上の壁を蹴り飛ばし一気にこちらに向かって跳躍する。
あっという間に旧校舎の上空にたどり着いた彼女は上空で一回転して華麗に僕らのいる屋上に着地した。
「いたた、ひどいな天継君。SIMブーストを使用していなかったら首がふっ飛んでいたところだ」
「酷いのはどちらかしら? あれほど趣味の悪いことをやらされたのは初めてかしら」
「ああ、さっきの大合唱か。あれは、確かにすまなかった」
高校生の学生服を着た衣良羅義さんとセーラー服を来た天継さんが対峙する。
夕焼けは先ほどより地平線に沈み、二人の影をより長く屋上に描き下ろしていた。
「ふむ。そうか君は目にセンサーを埋め込んでいたね。処理をそちらに移せば確かに視覚は奪われない」
「何時かこんなことをやらかすと思っていたかしら?」
「ははは! 流石、僕の最大の理解者、天継君だ!」
天継さんの眼光が鋭くなる。夕暮れの風のせいか体内から発せられる熱のせいか天継さんのセーラー服が不自然なほどに瞬き揺れる。離れていてもSIMブーストをいきなり全開状態にしている事が一目でわかる。天継さんのSIMブーストは僕とは比較にならないレベルの熟練度だ。そんな天継さんが、一瞬で衣良羅義さんに向かって跳躍していた!
「
天継さんが衣良羅義さんにたどりつく直前、
「第三次世界大戦は電気」
先ほどとは逆に屋上を転がりながら飛ばされる天継さん!
「第四次世界大戦は光」
「これが近年飛び道具の類が無効化される原因になった技術だよ東雲君。昔の刀剣類や鎧を近年よく目にするのはこの技術によってミサイルなどの類が無効化されるようになったんだ」
天継さんは突進したエネルギーをそのまま自分に返され苦悶の表情をチラリと見せたが、すぐ表情を元に戻し立ち上がる。
「だが、天継君。やはり君は危険すぎる。今のもちょっと肝を冷やしたよ。
天継さんがふらついたかと思うと、地面に落ちるように倒れた。
「天継さん!?」
目は焦点を失い、体は壊れたマネキンのように地面に転がり這いつくばりもがいている。必死で立ち上がろうとしているが、そのたびに地面に倒れ込んでいた。
「目のセンサーを切らせてもらった。後、三半規管の機能も奪わせてもらったよ。バランスが取れないだろう? 流石の天継君もこうなると……」
焦点が合わない目で天継さんの顔が衣良羅義さん方を向く。表情はあまりにも冷たい無表情だ。顔立ちのいい天継さんだからこそ逆に迫力が際立つ。そして、手を足を体すべて使い地面を這いつくばりながら衣良羅義さんへ突進した。
「なんと!?」
あまりに意表を突かれた衣良羅義さんは
「そうか、音だけで私の位置を……」
天継さんは衣良羅義さんの上にまたがりマウントポジションを取った。目の焦点も合わずバランスもとれない状態で、渾身の力を込め、衣良羅義さんに拳を叩きつけた!
何度も何度も衣良羅義さんに拳を叩きつける。血しぶきが飛ぶ。鈍い音が響き渡る。鬼気迫るというより鬼その者だ。永久機関のように終わらない拳が何度も何度も衣良羅義さんに叩きつけられ。
バシッ!
まばゆい閃光が走る。
天継さんは飛ばされ屋上のフェンスに張り付くように叩きつけられていた。
「今のは参った。本当に死ぬかと思ったよ天継君」
地面に仰向けになったままの衣良羅義さん。自分の物とも天継さんの物とも判別がつかない血しぶきが顔に付着している。右手には
「意識が飛ぶ前に何とかシールドを展開できた。いやはや、凄まじい」
ミシリ
何かがきしむ音が聞こえる。
僕は大口を開けて間抜けな顔をしていた。
天継さんがもたれかかっているフェンスが傾き外に向かって倒れ始める。
天継さんは視覚も三半規管も奪われている。スローモーションのようにゆっくりと。改変できない収録が終わった映画のように。なすすべもなくフェンスとともに校舎から落下していった。
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