第27話 ……馬鹿、逃げるのです東雲

 赤いランドセルと風もなくたなびかせる黒いドレスが彼女の存在の恐ろしさをより彩っている。彼女は何と言ったのだろう? 僕はもう一度確認する。 確かに……殺すといったのだ。


「うん? いきなり何を言うのかねランド君。ふむ、もしかしてこの前の東雲君の初めてのお酒をカクテルにするところをこの私が邪魔したのを根に持っているのかね? ははは! あの時はどのみち天継君にやられてしまったので勘弁してもらいたいものだ」


 陽気に衣良羅義さんはおどけて見せる。対してランドちゃんの様子は全く変わった様子はない。乱れぬ呼吸。落ち着いた佇まい。ただ、その雰囲気は最近少しは感じ取ることができるようになった彼女の中のユニークさを完全に打ち消していた。


「衣良羅義京介……お前は危険すぎるのです」


 僕が反応できたのは、短いながらもランドちゃんと付き合いがあったからだ。

 初動を感じさせない踏み込み!

 僕はなんとか彼女の足首をぎりぎりつかむことができた。


「ぐぎゃ!」


 足首を捕まれたランドちゃんの顔面がそのまま地面に打ち付けられる。クールなランドちゃんからは普段聞けそうもないものすごく面白い悲鳴が響く。


「こ、こら! どこ触っているのですか! こ、こんなところで! 場所を考えるのです! こ、こんなことをしている場合ではないのです!」


 なんとか背後から抱きかかえることに成功した僕は必死でランドちゃんの動きを止めようとする。


「ふむ。君たち? いちゃつくならせめてここを出てからにしてくれないか」


 もっともです衣良羅義さん。でも今そんな事を言わないでください


「殺す!」


 僕の下でもがき続けるランドちゃんから、ものすごい殺気が背後からでも伝わってくる。本当なら僕がランドちゃんを足止めできるわけがない。体重を乗せながら衣類を引っ張っているので強引に脱出しようとすればお気に入りのランドちゃんの服が破れるからだ。


「すまないね東雲くん! とりあえず僕はひとまず退散することにするよ! 後は任せた!」


 衣良羅義さんはワイングラスを胸元にしまうと闇に消えるように姿を消してしまった。同時にランドちゃんの力が抜けるのがわかる。


「……いつまで乗っているのですか?」


 慌てて僕は身を離した。ランドちゃんは立ち上がり衣装の乱れを正す。隠すまでもなく表情はほっぺを膨らまし不機嫌だ。


「いいのです。東雲がいる前でこんなことをした私の判断が間違っていました」

「ランドちゃん……本気で衣良羅義さんを?」


 その言葉の続きは怖くて言い出せなかった。またランドちゃんからの返事も帰ってこない。衣良羅義さんのワイングラスから照射されていた明かりが無くなり、後には点在する小さなライトだけの薄暗い空間と静寂が残るだけだ。

 ランドちゃん左右に首を振った後、歩き始めた。


「何をしているのです? 赤色を助けにいくのですよ」


 僕は後に続いて歩き始めた。

 電球色のライトがまばらに設置されてゴツゴツとした岩肌を赤く照らす。前を歩くランドちゃんの影は岩肌に沿ってでこぼこに投影されて、ドレスの揺らぎがそれに重なる。女の子と二人っきりだが、ロマンチックというよりホーラーチックな雰囲気だ。視界も悪くそれがさらに不安を誘う。

 ランドちゃんがこちらを振り返り、口に人差し指を当てた。音を立てるなという合図だろう。

 見るとトンネルの本筋の横に、人為的に作られた縦穴が見える。高さはあまりなく、ランドちゃんはそのまま。僕は少し頭を下げて入っていく。

 道の先から少しずつ喧噪が聞こえ始めた。残り火教の連中だろう。歩みを続けるにつけ喧噪は徐々に徐々に大きくなっていく。そのとき一際大きい声が響き渡る。


「……だーかーら! あたしは神様じゃないっつーの!」


 赤色さんの声だ!

 目の前に通路の終わりがあり、そこから大部屋に繋がっている。僕たちはそっと顔だけをのぞかせて室内を見渡す。

 ざっと見た感じ百人ほどだろうか? 老若男女様々な格好をした人が正座し頭を下げている。その先はもちろん赤色さんだ。

 壁面の一段高くなった高さの豪華そうな椅子に座りふてくされた表情をしていた。どうやら元気のようだ。僕は大きく息を吐き出す。自分で思っていたより遙かに心配をしていたようだ。

 今度は小さな女の子が赤色さんの横に来て頭を垂れる。


「顔上げなさい! よく見えないじゃないの。あーあー 顎の筋肉がめちゃくちゃね。そりゃご飯も食べられないわよ。とりあえず首から背中にかけての筋肉の硬直を解くわ」


 赤色さんは近くのティッシュを取り出し口に含む。それをその少女の口に入れた。


「……ありがとうございます」


 少女は涙ぐんでいた。


「今のは対処療法よ? 大本の筋肉の緊張が複合的要因であるからもう一度SIMシステムで解析してもらうのよ? 遺伝子レベルでいじる必要は無いからね? はい! 次の人!」


 頭を垂れていた残り火教の人間たちから喧噪があがる。端から見る分には大スター扱いだ。

 よくよく見ると、ビッフェの時あったGさん、喫茶店の時の甲冑の男、学園をライフルで襲った女性までいる!?


「なんなのこれランドちゃん……」

「赤色も人がいいのです。真面目に治療するからますます神様としてあがめられているのですよ。こういった手腕だけは本当に超一流なのです。本当はSIMシステムが赤色の治療方法を学習しなければならないのですが」


 ランドちゃんは軽く頭を横に振る。いろいろな不満を振り払うがごとく。

 息が詰まる。

 誰かが背後にいる!

 ランドちゃんの視線が僕の後方に向けられる。


「萌月さん。それに東雲さんでしたね。ようこそいらっしゃいました」


 木森きもり 源水げんすい

 二年前の【第四次世界大戦の残り火】を制圧したメンバーの一員がそこにいた。


 黄色を基調とした行司装束に烏帽子。端整な顔立ちに不思議な一体感があった。車椅子に座り僕らの方を静かに見つめている。


「場所を変えてもかまいませんでしょうか? 彼らは非戦闘員なので」


 狭い通路で器用に一回転する。僕らを背に来た通路を戻り始めた。背後があまりに無防備だがランドちゃんは全く手を出そうとしない。ランドちゃんもその後をついて行き始めた。僕もその後を続く。

 通路に戻りさらに防空壕の奥の方へと進む。僕らの影が不気味にゴツゴツとした岩肌に落ち、足音だけが響く。地獄への深部へと入り込んでいくような気分になる。通路を抜け。かなり大きな広場に出た。木森はその部屋の中央でこれまた音もなくきれいに一回転してこちらを振り返る。


「こんな集まりを作って何が目的です? 木森」


 ランドちゃんは冷ややかな視線を木森に送る。


「意味がよくわからないのですよ。二年前残り火を壊滅させた立役者が、このような集団を作ることが解らないのです」

「ご謙遜を。壊滅させたのは萌月さんの活躍ですよ。私はお手伝いをしただけです」


 木森は軍配を上に掲げる。それを合図にカチャリカチャリと明らかに人工的な金属がこすれ合いぶつかり合う音が、少しずつ大きくなっていく。ランドちゃんは手を僕の方に向け払う。後ろに下がれといっているのだ。音は少しずつ大きく増え続けそれは薄暗い広場の奥からようやく姿を現した。

 鎧をまとった人間だ。その出で立ちはファンタジーでよく見かけるヨーロッパの中世の鎧から日本の侍が着る甲冑まで様々だ。SIMシステムが反応する。目の前の人間が全員本物であること、そしてめまぐるしい警告のメッセージが告げられた。全員が何らかの形で肉体を強化しているのだ。警告を切ることにした。どのみち逃げることはできそうにない。


「降伏する気は無いみたいですね」


 ランドちゃんは軽く見渡した後、恐れたそぶりすら見せない。

 木森は軍配をこちらに向けた。それを合図に男たちは襲いかかってきた。

 僕はランドちゃんに後方に突き飛ばされる。ランドちゃんがいた場所に冗談から剣の斬撃が全方向、上段から叩きつけられた。その衝撃でもう一度僕は地面を転がされる。視線はすぐにランドちゃんを探すが、見当たらない。


「ランドちゃん!?」


 周囲を囲む男の一陣が突然、真下から間欠温泉のように吹き上がる。中心からランドちゃんが飛び上がり広場の天井に逆さまで一瞬張り付いたかと思うと、天井を足場に地面に向かって一瞬で飛び降りた。上空から男達の群れに飛び込んだ。同時に先ほどと同じようなことが起こる。一瞬で男達が吹き飛ばされた。超重量の鎧を着込んだ人間が暴風にさらわれる蚊とんぼのように飛び散っていく。男達は剣を振るうどころか、剣を向ける方向を定める時間すら与えられない。


「萌月さん。相変わらずですね」


 男達が次々と倒されていく様を見ても木森は微塵も動揺を見せない。。


「先の大戦で飛び道具は無効化されることが増え。近接的手段に頼らざるを得なくなりましたが、それですとあなたには勝てません」


 え?

 広場を自由に飛び回っていたランドちゃんが、突然、翼をもがれた鳥のように落下したのだ。あまりの不自然なその動きはランドちゃんの意思でないことは明らかだ。


「……毒ですか」


 地面に這いつくばったまま微動だにしないランドちゃんは言葉だけでも振り絞る。


「兵士たちの鎧に付着させておきました。幼稚な手ですがこれぐらいしか思いつかなかったのですよ。あなたを相手にするには」


 鎧を着た男たちがランドちゃんをゆっくりと取り囲む。剣を振り上げそれをたたき下ろす寸前……


「SIMブースト!」


 僕は全力でランドちゃんの元に突進する。鎧の男たちの間を強引に自分の肉体を差し込みこじ開ける。皮膚が鎧を擦れさける。そこからあふれ出る血ですら潤滑油にして滑りぬけようとする。


「があああ!」


 僕は咆哮をあげる。斬撃がこちらに向けられる。動体視力をSIMブーストで極限状態にする。軌道を見切り、ルートを最短に、肉体を弾丸へと変える。体から血しぶきをあげて僕はランドちゃんのもとに駆け寄っていた。


「……馬鹿、逃げるのです東雲」


 ランドちゃんを両手で抱え仰向けにする。第一声がそれだった。瞳孔すらも開き体の自由が全く効かない状態でランドちゃんは僕に逃げろと言う。

 逃げられるはずがない。


「東雲さん。どいていただけると助かります」


 木森は優しげに僕に語り掛ける。

 逃げられるはずがない。


「無関係の人を巻き込むのは軍師としてできれば避けたいのです」


 無関係じゃない。

 僕は一呼吸入れた後。

 思いっきりランドちゃんに口づけをしていた。

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