第28話 信徒の怨恨の涙と慟哭をその刀身に背負え

 周囲が静まり返る。それはそうだろう。木森ですらあっけにとられた顔をしていた。お構いなしに僕はランドちゃんの口に舌をねじりこむ。ランドちゃんはわずかに身じろぐがそれ以上のことはできない。焦点が定まらない目を見開いたままだ。


「……殺しなさい」


 木森が軍配をこちらに向ける。気づいたようだ。

 間に合え!


「でかしたのです。東雲」


 ランドちゃんの目に光が戻る。僕の腕の中から一瞬で姿が消える。衝撃から発せられる爆発音とともに周囲の男たち全員が四方八方に飛び散っていった……

 ランドちゃんは鬱憤とともに髪を払いあげる。ドレスの埃をぱんぱんと音を立てて払い落とし木森のほうを睨みつけていた。


「国際条例を思いっきり無視した毒物を使ってくるとは相変わらず手段を選ばないですね木森」


 木森は顔を少しゆがませていた。悔しさをかみしめるように装束を強く握りしわを作る。


「物理的に倒すことはほとんど不可能なあなたにはこれしかなかったのですよ」

「東雲もよく薬を隠し持っていたのです」


 そう、僕は口の中にいくつかの薬の類を仕込んでいた。いや仕込まされていた。


「赤色さんが万が一の時のために埋め込んでくれていたんだ」

「赤色は相変わらず東雲に対して過保護なのです」


 車椅子の上で木森はかぶりを振る。これ以上何かをするようなそぶりは見せていない。ランドちゃんは無言で木森を睨み続ける。


「私ではもうお手上げですよ。ご案内しましょう」


 ご案内? どういう意味だろう。

 木森は車椅子を回転させ僕たちに真後ろを無防備に見せながら車椅子をゆっくりと動かせ始める。ランドちゃんはその後ろに続く。僕もあわててそれに続きだす。


「どういう意味?」

「この男は主導者になるような自己顕示欲は持っていないのです。欲しいのは過程と結果。あの衣良羅義と似ています」


 衣良羅義さんの名前が出て僕は一瞬ドキッとした。先ほどの衣良羅義さんを殺す発言がずっと引っかかっているのだ。


「赤色もただの偶像扱い。主導者が別にいるのですよ」


 歩きながらランドちゃんは小さなかわいらしい両手をぽきぱきと音を鳴らす。かわいらしい容姿とのギャップがまたすごい。全身から殺意のオーラが隠すことなくダダ漏れだ。先ほどのことがよほど頭にきているのだろう。

 通路は広がっていく。半円状に横幅は五メートル、六メートルと徐々に広がっていく。壁の色は柔らかい暖色から気のせいか溶岩のような赤々しいおどろおどろしさを演出している。地獄へと続いているような錯覚すら覚えた。木森は先頭を車椅子でゴツゴツとした緩い下り坂になっている斜面を器用に進み、その後をランドちゃんが悠然とついて行く。僕も続いて歩く。


 カシッ……カシッ……


 何だろう? 何かと何かがぶつかり合う音が聞こえ始めた。


 カシッ……カシッ……


 進むたびに音は大きくなっていく、


「…………」


 指を顎に当て、ランドちゃんが少し考えるようなそぶりを見せた。歩みは止めていない。


カシッ……カシッ……


 金属と金属がぶつかり合う音と聞き分けができはじめた頃、通路が終わる。

 そこは巨大なドーム状の空間になっていた。壁面はゴツゴツとした岩肌。真下にはものすごい数の鉄くずが散乱している。部屋の中央が金属の山で盛り上がり、その上に人影が見える。

 音もその人影の方から聞こえた。片手にハンマーを持ち、もう片手に挟み。炉から熱された金属を金床に置きハンマーで叩く。赤く熱された金属から火花が散る。まるでこの部屋の地獄を作り出しているような赤々しい光を周囲に散らばせながら……

 火花がその人物の顔を照らす。

 僕はどこかでそれに気づいていたのかもしれない。

 ランドちゃんはとっくに気づいていたのだろう。


「百目鬼さん?」


 確認と否定。両方の意味を僕は込めて僕は無意識に口に出していた。


「ご紹介いたします。残り火教の我が主、百目鬼様にございます」


 木森はこちらを振り返り、車椅子に座ったまま深々と頭を下げた。


 カシッ……カシッ……


 百目鬼さんはこちらを見向きもせずに金属を槌で叩き続ける。不気味にホールのような室内に音が響く。着物を来たまま槌で金属を叩き、赤く散る火花に照らされる様子は美しさと不気味さを禍々しくも両立していた。


 ジュウウウウウウウウ……


 金属を水に入れた。気化する水が音を立てる。何故か僕にはそれが悲鳴のような音に聞こええた。

 百目鬼さんが立ち上がり、こちらを見る。右目に眼帯。黒く美しいセミロングの髪。かわいらしい顔立ち。すべてが百目鬼さんであることを証明している。


「ようこそいらっしゃいました。萌月様、東雲様」


 百目鬼さんも深々と頭を下げた。僕らを客人として迎えるがごとく。


「どういうことですか? 百目鬼」


 百目鬼さんはにっこりと笑う。右手に酒瓶を持ちながらそれを口に持っていき、そのままグビッと直飲みする。唇からしたたり落ちる滴が着物を湿らす。


「痛いのです」


 こちらをじっと見つめて百目鬼さんはそう言った。


「痛いのです」


 左手で右手の眼帯をむしり取る。僕はぎょっとした。右目は閉じられていたが、違和感を感じ取ったのだ。妙にへこんでいるのだ。そうまるで……


「生まれついたときから右目がありませんでした」


 そう……へこみは眼球が欠損しているから……


「でも、不思議な事に無いはずの右目が痛いのです。痛いのです。痛いのです」


 百目鬼さんはもう一度酒瓶を口にして、ほぅっとため息をついた


「そんな時でした……神様から信託を受けたのは」


 僕は心臓が跳ね上がるのを感じた。神様だ……また神様だ。


「神を祭れと」


 百目鬼さんは一点の曇りもない笑みを見せた。安堵と感謝が入り交じった笑顔だ。


「痛みが初めて和らいだのです。解りますでしょうか? 生まれて始めて和らいだのです。この右目の痛みが和らいだのです。私はもうそれだけで十分だったのです。本当にそれだけでよかったのです。生まれてずっと手にしたかった瞬間でした……」

「結果、死人が出始めているのですがそれでもよいのですか? 百目鬼」


 百目鬼さんは冷ややかな目をランドちゃんに向ける。


「かまいませんわ」


 一点の迷いがない返答だ。


「周囲の人間は、痛いね、辛いね、大変だねと声をかけてきますが。自分の優しさに溺れた者達ばかりで嫌気がさしましたわ。医者に至っては気のせいとまで言われました。SIMシステムに異常が見られないから当然ですわね。理解してくれとは言いませんが、せめて信じてほしかった……でも、もうそんなことはいいのです」


 百目鬼さんは右手を自分の足場になっている積み上げられた金属片の集まりに手を差し入れる。引き上げられた右手には柄が握られていた。持ち上げてその武器の全容が明らかになった。薙刀だ。驚くのはその長さ。百目鬼さんの身長を遙かに超えて十尺近くはあるだろう。本来は両手で持つその武器を軽々と右手だけで持ち上げる。刀身が炉の炎に赤く照らされて艶やかに輝いている。


「ここにいるもの達すべて、神様の神託を受けたもの達。聖域を汚すものを排除させていただきます」


 百目鬼さんはこちらに体を向ける。僕らを悠然と見下ろした。


「いきますよ、我が愛刀、姫鶴ひめづる神技しんぎ。信徒の怨恨の涙と慟哭をその刀身に背負え」

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