第4話 私は衣良羅義 京介。天才だ
「ああん!? なんじゃごるぁ!」
怒声が響く。僕は思わずその方向に目を向ける。
え? と驚くような大男だ。明らかに2メートルは軽く超えている。大きな顔に小さな丸いサングラスをかけた風貌は昔流行ったいわゆる一つの昔の映画で流行った怪しい中国人を彷彿させる。赤いストライプと虎の模様が入ったTシャツはいわゆる一つのどっかの野球球団を応援するやくざを思わせる。巨体のわりに短い半ズボンがいっそう短足を際立たせていて、悲しい哀愁をどことなく感じさせた。
「ここは喫煙禁止区域だ! 君は喫煙免許をもっているのかね?」
相手をしているのは長身でヒョロッとした男性だ。上下ともに真黒な学生服。とんがったメガネが全身でまじめな男であることを主張している。堂々とよくあのような大柄の男に声をかけられたものだ。
「ああん!? なんじゃごるぁ!」
同じ言葉を繰り返し相手を威圧しようとしているのか、それともボキャブラリーが極端に少ないのか、そもそも持ってないのか同じ言葉を繰り返し続けている。煙草を地面にポイ捨てして、学生服の男の襟をつかんで下品に顔を近づけて睨みつけている。
「え? 東雲君?」
赤色さんが僕に声をかける。それを無視して僕は大柄な男に近づいて行った。
「やめなよ」
静かに僕は言い放つ。
「ああん!? なんじゃごるぁ!」
大柄な男は振り返り僕を一目見て、すぐに無視して学生服の男をにらみつける。
「やめなよ」
もう一度僕は声をかける。
ゆっくりと大柄な男が振り返る。
「お前あほか?」
顔をゆがめて大柄な男は腕を振り回した。両手でブロックはしたものの体重の軽い僕は簡単に吹っ飛ばされた。地面を転がってあっちこっちを擦りむく。天継さん達に選んでもらった服は大丈夫かな? 僕はどこか明後日の方向の疑問をいだきながらもう一度立ち上がる。
ざわめいた空気を感じる。大柄な男や僕を中心に人が集まりはじめる。なんだ? どうした? という声が周りから聞こえ始めた。
さらにもう一度……僕は大柄な男に近づいていく。
「やめなよ」
大柄な男は学生服の男から手を離した。こちらに完全に振り向き、僕に相対する。顔面をゆがめて僕を威圧する。すぐにでもぶん殴ってきそうだ。
「そこまでかしら~」
場にそぐわない綺麗でどことなくとぼけた声が聞こえてきた。天継さんだ。
「なんや? ねえちゃん。すっこんどけや」
大柄な男は天継さんを一瞥したと思ったら。じーっと見つめ始めて、顔が緩む。
「なんや? えらいべっぴんさんやないけ。姉ちゃんが相手して……」
大柄な男が言葉を詰まらせる。しばらくじっと見ていたと思ったら、明らかに落胆した顔を見せ……
「なんや ババアやないけ」
雰囲気が変わる。明らかに周りの空気が、色が、温度が、味が、匂いが変わったような錯覚を感じた。ざわついていたギャラリーは誰一人、物音ひとつ出さなくなる。
天継さんは笑っていた。ニコニコと笑っていた。その笑みを見て僕は凍り付く。間違いない。これは……相手に殺意を抱いた時の天継さんの微笑みだった。
「SIMブースト」
天継さんは一言そう呟いた。
鈍い何かがぶつかる音が響く。
天継さんの拳が大柄な男のどてっぱらを深くえぐる。大柄な男がよろめく。そのまま倒れそうになるところを天継さんが顔面を蹴り飛ばし強引に立て起こす。
えっ!?
天継さんは軽々と片手で大柄な男の襟元を握り、片手で首を締め上げはじめた。僕は呆気にとられる。天継さんの細い体と大柄な男のからは想像もできないギャップの生じた光景が僕の目に飛び込んでくる。
「やれやれ……天継君に対してババア発言とは……頭の悪い奴は何を考えているかわからないね」
いつの間にか学生服の男が自分の身だしなみを整えながら僕の隣に立っていた。
「……あの、これはいったい?」
「ん? これは失礼。私は衣良羅義京介。ただの天才だ」
自己紹介で自分を天才という人を僕は漫画以外で初めて見た。
「おそらく最近この地区にやってきた人間だろう。常識外れな行為をしていたから注意をしたらとんだとばっちりを受けてしまった」
「いや、あの、この状態は一体」
学生服の男はじろじろと僕を見始めた。
「ふむ、君が例の。ではこの状況は理解できないだろうね。身体ブースト系の免許を天継君ほど多岐にわたって所持している女性なんてそう日本にいない。SIMカードにより体内のアドレナリン、テストステロン、シナプスその他もろもろの身体的能力をコントロールする化学物質を瞬時に増幅させ、効果はごらんのとおりさ。最強の荒ぶる自称女子校生の出来上がりというわけだ」
堪忍やー! 堪忍やー! 大柄な男の悲鳴が聞こえる。天継さんはにっこりわらって。
「だめかしら~」
誰もあまり聞きたくはないであろう大柄な男の悲痛な叫び声が校舎を響かせる。
あ、関節技を使い始めた。
「やれやれ無駄な時間を過ごしてしまったな」
コンクリート製の校舎の一階。僕らは学食に来ていた。あの騒動で一時間目に間に合わなかったのだ。周りを見ているとまばらに人がいて、食事を作るおばちゃんが愛想よく働いていた。
「改めて自己紹介をしよう。私は
テーブルに付く。どうやら三人は面識があるらしく、手慣れた様子で接していた。
「ひとまず乾杯と行くか。東雲君との出会いと、あの粗暴な男の死に」
「あはは、殺してないかしら~」
「うそうそ! あれは半分死んでたって! 相変わらず絶妙な半殺し加減ねー! 身動き一つできないけど、明日にはけろっと治っているんだから!」
「あはは、SIMシステムに感謝かしら~」
各々が飲み物を手に取る。天継さんは日本酒を入れたコップを、赤色さんはビールの缶を、衣良羅義さんはワイングラスを……!?
「乾杯」
各々が飲み物をきのせいか誇らしげに掲げる。誤解のないようにはっきりさせておこう。僕は少年らしく、ただのオレンジジュースだ。
「それにしても君たちは進歩がないな。いまだに麦の搾りかすと、米の搾りかすなんて飲んでいるとはな」
「えー! 何よそれ! 京介もあいかわらずワインじゃん!」
「あはは、ワインも葡萄の搾りかすじゃないかしら。昔は裸足で踏みつけて作成していたかしら。低俗にもほどがあるかしら」
「ふっ 何を言う。ワインはあの西暦の基準にもなったイエス・キリストも愛飲していたという高貴な飲み物だ。積み重なる歴史が違うというものだよ」
「あらー それを言うなら日本酒も神事には欠かせなかったかしら~ ヤマタノオロチをぶっ殺せたのも日本酒のお酒かしら~」
「そうよ! ドイツ人に謝りなさいよ!」
この時間帯に学食でしかも二人は学生服を着て飲酒する姿は、僕の知ってる常識とはかけ離れており、まだ状況に慣れなかった。何故か昨日の夜、天継さんと赤色さんが交わした酒談義が今目の前でも行われている。
わいわいと騒ぎながら、よくわからない討論を続けていた中、ふと衣良羅義さんが哀愁を込めた表情を浮かべながらぽつりと言葉を漏らす。
「しかし……いつかは飲んでみたいものだな。本当の酒というものを」
「それには同感かしら~」
「ほんとねー」
急に三人はしおらしくなる。本当の酒?
「本当の酒ってどういう意味ですか?」
「うん? なに、このワインも、そこの日本酒もビールも一日……いや数分で大量生産されたまがい物というわけだよ」
「過去の世界大戦のおかげで、お酒を作る場所も人も狙ったように無くなってしまったかしら~ コストも時間もかかるしあまり重視されてないかしら~」
「あーん! 一度でいいから本当のビール飲んでみたいー!」
僕はしばらく考える。
「あ、僕、飲んだことあるかもしれませんビール」
がたっと音を立てて三人が立ち上がる。
「なんだと!? 東雲君! 君は十四歳だ! 君の時代では二十歳未満の飲酒はできなかったはず! それとも君は真面目そうなふりをして、それなりのやんちゃな小僧だったというわけか!?」
僕は慌てて首を振る。
「あ、いえ、喉を詰まらせて、近くに水がなかったもので、母があわててビールを差し出してくれたんです」
「なるほど……それで?」
衣良羅義さんが真剣な目をして僕を見てくる。いや、衣良羅義さんだけではない。天継さんや赤色さんが食い入るような目つきで僕を見てくる。
「え、それでって?」
「決まっている! 味だ! どれほど美味しかったのかね? 香しかったのかね? 舌触りは? 鼻腔をくすぐる快感は? 食道を通った感触は? どれほどの快楽を得たのかね!? 神さえも酔わせるという本当の酒の味を知りたいのだよ!」
「……すいません、苦かったような覚えしかないです」
あからさまに落胆した様子を隠さず衣良羅義さんは座りなおす。
「むう しかし、まさか、こんなところに本当の酒を飲んだ男がいるとは。二百年前ということは聞いていたが、年齢からありえないと思っていた」
手慣れた手つきでワイングラスを口に運び喉ににワインを流し込む。片足を組んで考え込む様子はなぜか様になっていたが、どうしても学生服との違和感が隠せない。
「びっくりしたー! もーなにそれ! すごいじゃん東雲君! サイン頂戴よサイン!」
「まさに時代の生き証人かしら~」
衣良羅義さんは再度ワイングラスを傾けながらしばらく考えるそぶりを見せた。
「ふむ、SIMシステムを利用して飲酒した時の記憶の復元、味覚の共有は不可能ではないか……いや、しかし脳に対する負荷を高めるためには……」
何かぶつぶつと物騒なことを言っている。
ふと視線を感じた。天継さんが僕を見ている。
「東雲君。記憶を思い出したのかしら?」
あ。
僕はもう一度思い出そうとする。が、どうしてもだめだ。また頭の中に靄のようなものがかかって、霧散していく。
「……いえ、さっきのシーンだけ切り出したように思い浮かんで他は」
「うーん。 残念かしら~」
ぷはー! という音が隣から聞こえる。赤色さんがビールを飲み終えたらしい。オーバーなリアクションで飲み終えた缶を持ち上げる。
「それにしても東雲君って勇気あるよねー すたすたとあの大柄な男に向かって歩いて行ったときはどうしようとおもったよー!」
「私もびっくりしたかしら~」
「うむ、だが無謀といわざる得ない。この世界それなりに傷害は重罪だが、あのような男にリスクが高すぎる行為だ」
そういえばなぜだろう? 怖いという思いは感じなかった。いや、おそらく感じていたのだろうか? だが、それよりも、あの状況に怒りのようなものを感じてそれが恐怖を塗りつぶし僕を突き動かした気がする。
「僕もよくわかりません……自然に体が動いたようなそんな感じでした」
衣良羅義さんは空になったワイングラスをテーブルの上に置く。
「ふむ まあ、結果よければすべて良し。何かあっても私が何とかしていたよ」
衣良羅義さんは次のワインをつぎ始める。
「何しろ私は天才だからな」
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