第9話 おやしろ様
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これは僕が実際に体験したことで、夢ではありません。
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母方の実家は九州のすごく山奥にある寒村だ。
寒村と言っても「寒い地方の村」という意味ではない。貧しく寂れた村という意味だ。
この村には娯楽もなければ金もない。
男たちは酒を飲みぐだを巻き、女たちはそんな男たちの悪口を言い合うことで憂さ晴らししているようにも見えた。とにかく、人がギスギスしているように感じる村だ。
その典型的な例が、母方の実家とその隣家による土地争いだった。
うちが所有している土地の境界線はよくわからないけど、裏の山も半分はうち、残り半分は隣家のものらしい。
ある日、母と一緒に帰省した僕は、ものすごく怒っている祖父に恐れをなした。
酒は飲むが、どんなことがあっても怒らない温厚な祖父がこれほど怒っているのを始めて見た。
話からすると、隣家の人が勝手に山の「境界線」を動かしている、と。
隣家とうちで半々持っている山には、ちゃんと境界線があるらしく、それを徐々に動かして自分の土地の面積を増やしているらしい。
それで祖父が文句を言いに行くと「濡れ衣だ」とけんもほろろに追い返されたらしい。
「あいつら、知らんぞ」
祖父はそう言って安い焼酎を煽った。
いつもなら「あんたそんなに飲みなさんな」と窘める祖母は何も言わず、酒飲み男が大嫌いな母に至っては台所に逃げている。
「裏の山は本当は全部うちのものだった。先々代がカネに困って半分売っちまったけどな。その山を隣の奴は売ろうとしてやがるもんで、土地を広く持ちたいんだ。土地代は二束三文だが、あのあたりの木は伐採して売れるからな」
まだそんなに社会常識を持っていなかった自分は「へえ」としか思わなかったが、今考えると土地はどこからどこまでが誰のもので、と、計測されているものではないんだろうか。
それに「境界線」なんて見たことがない。
紐が張ってあるわけでもないし、道標のような物が置いてあるのも見たことがない。
なんせ田舎では暇なので、裏山は僕の庭みたいなものだった。小さな頃から走り回っていたが、そんなものを見た記憶はないのだ。
「ああいうことをする奴は
御社様。
それに裏山にちょこんと建てられた小さな神社みたいなもので、うちの先祖が建てたものらしい。
なにを祀っているのかは代々の家長しか知らないのだが………僕の伯父、つまり先代の家長は家を継ぐことなく亡くなったので、僕が次の家長ということになる。
僕が大人になったらいろいろ教えにゃいかん、と祖父は言っていたが。
うちは金は持っていないくせに古い家柄らしく、日本刀ではなく「太刀」があったり、開かずの間には武者鎧が祀られていたり、年末は裏山の御社様の前で太鼓と笛をかき鳴らしながら、真冬に半裸や全裸で狂ったように踊り、よくわからない生臭い酒を飲み、その場にいる全員がトランス状態になる「神楽舞」というのをやる義務もあった。
僕にとってはすべてが「どうでもいい」古臭くて意味を感じない習わしだった。
隣家との土地争いですら、どうでもいいと思っていた。
その翌年のお盆時期。
母方の実家である田舎にまた行くことになった。
いつもの田舎なのになにか違う雰囲気を感じる。
母方の実家から少し離れた高台にある隣家が、夏だというのに雨戸が閉められて人の気配がない。それが理由だろう。
その時は旅行にでも行ったのかと思っていたし、隣家には自分と同じくらいの子供いなかったので交流や接点もないので、大して気にもしなかった。
しかしその夜、祖父から意外な話を聞いた。
隣家の家長は原因不明の奇病で亡くなったそうだ。
顔が腫れ、全身が火ぶくれのようになり、苦しみの声が昼も夜もこだまするほどだったらしい。
その奇病は家族にも伝染ってしまったことから全員が町の病院に入院しており、家も山も売ってしまったらしい。
どこかの宗教団体が隣家を買ったらしいが、祖父は気にしていなかった。
さらにその翌年のお盆時期。
田舎に帰ると、隣家はまだ雨戸が閉まっている状態だった。
あれから家を買った宗教団体は、一度としてここに住んでいないそうだ。
転売目的の土地転がしだろうと祖父は言っていたが、祖母は「家を見に来た人たちが一目散でうちに来て、ここで何があったのかって聞いてきた」と言った。
もしかしたら隣家は外からではわからない、とんでもない有様になっているのではないだろうか。
そして僕が高校二年生になった年、祖父は裏庭で自殺した。
理由はわからない。
遺書には理由が書いてあったらしいが、その遺書は見せてもらえなかった。
母や叔母、そして祖母が厳重に管理すると言っていたが、祖父がなくなった裏庭で燃やしているのを見た。
燃やしている最中、母や叔母、祖母たちの顔が能面のようだったのが怖い。
こうして、うちの家長が引き継がなければならない事は、僕にまったく引き継がれなかったし、年末の神楽舞もなくなった。
裏山はすべて売りに出され、御社はなくなったらしい。
らしい、というのは僕が裏山に入ることは禁じられたから、わからないのだ。
18歳の頃、昔を懐かしんで裏山に行こうとしたが、叔母が鬼女のような顔で飛んできてビンタ張られて「行くなって言ってるでしょうが!!」と怒鳴られたことがある。
そこまでして山に行かせない理由はなんだと聞いたら「もう人に売った他人の山だから入ったら不法侵入になる」ということだったが、それにしてもビンタするほどのことだろか。
こうして男が僕以外いなくなったうちの家系は、盆暮れ正月に集まったとしても、古い家を自慢するような話とか、代々伝わっている話をすることはなくなった。
もう語られることはないのだろう。
うちが平家の落武者の家系、しかも介錯人の血筋であること。
しかし平安時代(平家の時代)には切腹時の介錯という様式はなく、死刑執行人………つまり斬首刑を行っていた家系であること。
裏山に祀ってある御社は、今までに殺した人々の御霊を鎮めるためのものであること。
年末にやっている神楽舞はみんなが仮面をかぶり、お神酒を飲んで乱交して世継ぎを作るという現代的にはありえない儀式だったこと。
本当は今年から僕もその乱交に参加するはずだったこと。
祖父は頑なに時代遅れのこの儀式や家の風習を守ろうとしていたこと。祖母を含めたうちの女衆、特に僕の母が大反対していたこと。
燃やす際にちらりと見えた祖父の遺書には、文字がなかったように見えたこと。
すべてが謎に包まれたまま、その田舎の家は数年後に起きた近くの川の氾濫で流され、武者鎧が祀ってあった開かずの間ごと、綺麗サッパリなくなってしまった。
僕が20代後半の時、母が末期がんで入院し、余命幾ばくもないとわかった時にいろいろと尋ねたことがあった。
僕の父親は誰なの?
僕が見つけた古い母子手帳、なぜ僕の名前ではない人の名前が書いてあったの? 僕に兄弟はいないよね?
うちの家長が継ぐことってなんだったの?
じいちゃんは────本当に自殺だったの?
「墓まで持っていく」
モルヒネで少々思考が定まっていなかったはずの母が、あれほどはっきりと宣言するとは思わなかったが、その言葉通り、死ぬまで一切語らなかった。
何一つ知るすべがないまま、母は亡くなった。
母の遺品を整理していると、自殺前に祖父から僕あてに送られてきたらしい葉書を見つけた。
もちろん僕は見たこともない葉書だ。
そこには「
御社ではない。親代だ。
おやしろ。
親の代わり。
ずっと祖父が言っていた「おやしろ」はすべて御社のことだと思っていたけど、もしかすると御社と親代と二つの違う言葉があったんじゃないだろうか………。
すべて、すべて、なにもわからないまま、今に至る。
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