第2話


「箸にも棒にもかからなかった」

 そう声に出してみた。

 どうにもしっくり来なくてもう一度言ってみる。

「箸にも棒にもかからなかった。うん、箸にも棒にも……」

 そこで泣きそうになり、声を詰まらせた。

 私は近所の公園のベンチに座り缶ビールを飲んでいる。

 時刻は午後三時ちょっと過ぎで、近所の小学生がぞろぞろと列をなして向こうの通り歩いていた。下校時刻なのだ。見た感じ低学年なのだろうか。たまに何人かベンチに座る私を見て少し笑ったり、逆に怖がって目を背けたりしていた。可愛らしかった。憎らしいくらいに。

 一本松文学賞の選考発表から一週間。私は未だ闇の中にいた。

 箸にも棒にもかからなかった。

 再度心の中で言ってみる。しかし何度呟いてみてもその理由が分からなかった。

 何故箸にも棒にもかからなかったのだろう?

 それが分からない。「Gerbera」は良い小説だった。素晴らしく良い小説だった。それは間違いない筈なのだ。では何故? 一体何故? 分からない。何故良い小説が選ばれないのだ。

 少しだけ冷たい風が吹いた。

 暦のうえでは今くらいの風を春風と呼ぶ。でもその時吹いた風は春風なんて暖かみのある可愛いものでなく「冷気」そのものの、冬の名残りのような冷たい風だった。私のシャツの襟元がそれに揺れた。ブランコの先に見える桜も揺れた。桜色。それはもう嘘みたいに満開だった。何だか物凄く功名な人が描いた絵画みたいだった。

 その時何かが私の胸を打った。

 私は、もしかして間違いを犯していたのではないか。

 先程までの私の葛藤は全て、私の書いた「Gerbera」は素晴らしく良い小説、という前提条件があってのもので、その前提条件を一度外してしまうとこれは非常に簡単な話になって、単純に「Gerbera」は其れ程良くなかったから一本松文学賞に落選した、というシンプルな結論に行き着く。私は頭を捻った。

 そうなのか? あの「Gerbera」は駄目だったのか? 駄だったのか?

 闇が心の深いところにまで影を落とした。何もかもを蝕んでしまいそうな闇。よく見るとその中であの営業部長が笑っていた。猫のように目を光らせて言う。

「おい、誰がこんな小説書いたんや?」

 私は慌てて飛び上がり公園にある水栓の蛇口を一杯に捻って、思いっきり顔を洗った。はぁはぁと肩で息をする。それで幾らか悪いイメージは消えた。

 いけない、いけない。危ないところだった。慌てるな。応募している賞はまだ二つある。このどちらかが受賞すれば何も問題はないのだ。単純に私の作風と一本松文学賞が合わなかった。それだけの話だ。そう思うと少し気が楽になった。

「気を取り直して」

 声に出してみる。するとタイミングが悪く公園の入り口に二、三人の小学生がおり、私のツイートを聞かれてしまった。彼らは私を見つめ、怯えているのか軽蔑しているのか判断の付きにくい表情を浮かべ走り去って行った。

 何とも言えない気持ちになった。なので更に勢いよく顔を洗ってみたのだが、こんな日に限って私はハンカチを自宅に忘れていた。仕方がないのでシャツの袖で顔を拭く。灰色のシャツの袖に意味不明な染みができた。

 今日はパートタイムがない日なので、終日配偶者が自宅にいるためまだ帰れない。仕方がないので私は自動販売機でレモンの缶チューハイを買い足し、それを飲みながら近所の野良犬と散歩をした。

 明らかに悪い流れだった。でもその時はそれに気付けなかった。



 次に発表のある賞、滝川文学賞の発表は今から二週間先。私は居ても立っても居られなかった。本当に。

 滝川文学賞。これは正直、私が応募した賞の中で一番難易度の高い賞だった。歴代の受賞者を見ても早々たる顔ぶれ。技巧的な作品が選出される傾向にあるこの賞は新人泣かせとまで言われ、相当なレベルでなければ受賞は不可能。年によっては受賞無しの時もあるくらいであった。しかしその分、受賞となると一気に箔がつくのだ。

 私はこの滝川文学賞に「桃と電気と墜落の夜」という小説を応募した。

 この「桃と電気と墜落の夜」は所謂青春もので、かと言って普通ではない少し癖のある青春ものであった。

 主人公は男子大学生。大学にもあまり通わず麻雀ばかりして堕落した生活を送っている二十一歳だ。過去に恋人だった女の子、みっこちゃんを諦め切れず彼女に新しい恋人が出来た今でも消せない恋の炎を燃やしている。

 そしてこの主人公、フトしたきっかけから離婚調停中の人妻、カエデさんと同棲しているのだ。同棲と言っても恋愛関係はない。ただ、一緒に暮らしているだけ。カエデさんは金髪で酒飲み。それもほぼアルコール中毒と言っていいくらいの。

 主人公とカエデさんはそれぞれ問題を抱えながらも生きていく。「桃と電気と墜落の夜」はそんな奇妙な青春を描いた小説だった。

 まぁ技巧的、と言われると正直疑問が残る。

 でもいい小説だった。自分としては気に入っている。自信作だ。てか改めて考えると技巧的な小説って何なんだ? 村上春樹とか星新一とかそういうのなのか? 分かんねぇ。

 兎に角、今は黙って発表を待つしかなかった。本当に落ち着かない毎日だった。朝からコップの牛乳を誤ってひっくり返してしまったり、ラーメンなのにスープ割りを注文してしまったり。

 そんな毎日だった。


 日曜日。配偶者と車で琵琶湖まで出掛けた。

 簡易式のテントを張り、二人で広大な湖を眺めた。

 風は強くも弱くもなく、さらさらと水面を撫でている。流石に季節がまだ早いので、泳いでいる人は誰もいなかった。湖畔は鼻をつく春の匂いで溢れていた。

「足をつけても構いませんよ」

 水際にしゃがみ込み片手だけを水に浸していた私に配偶者が言った。

「うん」

「そんなこともあろうかとハンドタオルを余分に何枚か持ってきていますから」

「そうか」

 私は履物を脱いで素足を水につけた。手を浸していた感覚よりもずっと冷たかった。

「冷たい」

「そりゃそうですよ。まだ春なんですから」

「君も入ってみなよ。冷たいけど気持ちいいよ」

「私は結構ですわ」

「なんで?」

「だって冷たいんでしょ」

「うん、冷たいよ。けっこう」

「じゃ嫌ですわ」

「そうか」

 しばらく水際をうろうろした後、テントに戻ってバーベキューの火を起こした。

 私は下手くそなので中々思うように火がつかない。チャッカマンをカチカチやる。

 着火剤の付着している部分はばっと燃えるのだが、肝心の炭達は頑なに燃えないことを選んだかのようにウンともスンとも言わない。

 なおも私はチャッカマンをカチカチやる。

 それにしてもチャッカマンとはなんてふざけた名前だ。着火マン。突き出した頭の先から火をぽっと灯したヒーロー野郎を想像した。何故か服は赤と黄色。ひらひらとマントも付けていて一応それっぽい。

 配偶者が横に腰を下ろし、黙って団扇で炭を仰ぎ出す。それを見て私は「こいつにはこれからもまだまだ苦労を掛けるんだろうなぁ」なんて思った。他人事のように。

 やがて無事火が起こり、順番に肉、野菜を置いていく。しかし火力が弱くやたらと焼けるのが遅い。私は根気強くそれらを何度も裏返した。

「トマト、食べますか?」

 配偶者がタッパーいっぱいに入ったトマトを私に差し出し言った。

「ありがとう。あ、これ、もしかして庭で採れたやつかい?」

「そうですわ。良い色になったでしょ?」

「うん。本当に」

 私はそう言って摘み上げたトマトを遠くに浮かぶ太陽に翳した。なんだかそれは皆既日食みたいで。トマトの赤を深みあるダークレッドにしていた。ははは。やっとお前を手に入れたぞ。私はしばらく大事にそれを眺めた。

「そろそろ良いんじゃないですか?」

「あ、うん。食べるよ」

「いえ、トマトじゃなくてお肉」

 見ると網の上の肉は良い感じに焼けていた。その後、買ってきた肉と野菜を二人で全部食べた。波音を聞きながら少し昼寝をした。



 中畑がうちに来たのはその翌週だった。

 平日の昼過ぎ十四時くらい。営業の途中、ついでに、という感じだった。

「上がれよ。ちょうど今一人だから」

「おう」

 タイミングよく配偶者は外出中だった。居間へ通して缶ビールを一本勧める。

「おい、よせよ。仕事中だよ」

「別に一杯くらいいいだろ」

「そうもいかんよ」

「なんだ。忙しいのか?」

「うん、まぁ。ぼちぼちだよ」

 仕方がないので私一人でビールをやる。中畑にはお茶を出した。ムーミンのマグカップで。

「で、どうなんだ? 小説家の方は?」

「まぁ。ぼちぼちだよ」

「お前に言われて一応文学関係のニュースを見てるけど一向に名前を見ないが」

 痛いところを突いてくる。

「あぁ、うん、まぁ、もうすぐなんだよ。うん」

「ふーん。仕事辞めたことちゃんと奥さんに言ったのか?」

「いや、まだ」

「金はどうしてるんだよ? 流石に給料がゼロじゃ奥さんも気付くだろ」

「とりあえず今月は結婚式の時の祝儀をピンハネした金からそれっぽい金額を出したよ」

「お前は本当に屑ヤローだな。そのやり方、いつまでもつんだよ?」

「いや、今回だけだよ。もう数千円しか残って無い」

「呆れたもんだなぁ。お前な、計画性がなさ過ぎるよ」

 そう言って煙草に火を点けるから、私は机の端から灰皿を取ってやった。

「ふん。小説が軌道に乗れば今に金が入ってくるよ。使い切れないくらいにな」

「知らんけどさ。で、仕事辞めてからは毎日小説書いてるのか?」

「や、書いてない」

「なんじゃそりゃ。じゃ何してんだよ」

「何もしてない。強いていうならビール飲んでる。あと漫画。週刊誌を読んでる」

 私は正直に答えた。

「意味が分からん」

「うん、私もだ」

 確かに、言われて初めて気が付いた。そう言えば私は仕事を辞めてから一度も小説を書いてない。小説家なのに。これは明らかにおかしい。

 確認だが、今私は三つの文学賞に応募している。

 で、一つは駄目で、あと二つの結果を待っているような状態だ。そしてよく考えたら今、その三作以外に小説のストックは一つもなかった。これは非常に良くない状況で、残る二つのどちらかで受賞した暁には当然受賞後二作目、三作目という話になる。そう考えると、ストックを持っていた方が先方さんとしても都合がよく、私の印象も良くなるはずなのだ。

 そもそも私は毎日小説を書くために会社を辞めたのだ。いったい一月近くも何をしていたのだ。馬鹿馬鹿、私。まぁ、何をってさっき言った通りビールと漫画をひたすらやっていたのだけど、世間では最近、そういう働きもせず怠惰な生活を送る人種をニートと呼ぶらしい。あ、でも待てよ、ニートてのはまったく部屋から出ない奴のことを言うのか。となると私はまだ部屋から出てコンビニまで歩いたり公園に行ったりしているのでニートではないことになる。となると私は何なのだ? と自問したところ、一つぴったりな言葉を思いついた。プータロー。あぁ、そうだな。プータロー。なんだか懐かしい響き。ここ一月の私は間違いなくそれだった。プータロー。なんてネーミングセンスだ。センスが冴え渡っていやがる。チャッカマンのそれに匹敵するくらいに。

「お前さ、本当にちゃんと考えろよ」

「分かってるよ」

 中畑は少し疲れたような顔をしてお茶を飲んでいた。よく見ると何だか白髪も増えたみたいだ。

「そろそろ行くよ」

「なんだもう行くのか? もっとゆっくりしていけばいいのに」

「そうもいかないんだよ。あ、俺さ、春から課長代理になったんだ」

「課長代理? お前昇格したのか?」

「うん」

「すごいじゃないか」

「ありがとう」

 あの会社でこの歳で課長代理になるということはそれなりの出世だった。私は素直にすごいなぁ、と感心した。

「おめでとう」

「よせよ、照れ臭い」

 そう言って中畑は帰って行った。私は最寄りのバス停まで彼を見送り、バス停の端に近所に住む義父が勝手に植えたチューリップに水をやり帰った。

 書斎に入りPCの電源を点ける。およそ二カ月ぶりだった。小説を書こうと思った。短編でも長編でもいいから小説を。



 散った。

 完全に散った。

 何がって? え、桜? あぁ、うん、まぁ、桜も散った。あれはあれで。早かったなぁ。何か、あっという間に散った。ついこの間まで満開だったのに。で、私も散った。滝川文学賞。駄目だった。またしても。箸にも棒にもかからなかった。

 私は走っていた。

 雑念を振り払うために。家の近辺を。それも普通のランナーさん達が纏っているようなランニングウェア的な奴でなく、だぼだぼの部屋着のスウェットを着て。何とも恥ずかしい格好だ。そんな事、自分でだって分かってる。

 しかしどうしても走らざるを得なかったのだ。自宅にてアマゾンで注文した「季刊滝川」を読み、いよいよ発表された滝川文学賞の受賞作品に自分ではない誰かの書いた小説のタイトルと自分ではない誰かの名前を確認したら、もうまともな精神状態ではいられなかった。走らなければ何をしてしまうか分からなかった。だから着の身着のまま家を飛び出したのだ。

 どれくらい走っただろうか。如何にまともな精神状態ではないと言えどもスタミナには限界がある。次第にバテてきて、私は見知らぬ小学校の前で立ち止まった。はぁ、はぁ言って。汗が滝のようで、灰のアスファルトをぽたぽたと色濃くしていった。

 見知らぬ小学校は今、ちょうど休み時間のようで、幼子達が校庭でゴムボールを追いかけ回し、天使のような声で互いを呼び合っていた。今はその純粋無垢な声が耳に痛かった。時に笑顔は、凶器にもなるんだね。勉強。一つ勉強。

 てか、やっべぇ。マジやべぇ。

 私は心からそう思った。完全に計算が狂っている。どうしよう。ほんまに。マジで。真剣に。

 駄目だった。滝川文学賞。確かに厳しい壁ではあった。しかしイザ落選を突きつけられると辛い。まずいなぁ。本当。これでいよいよ後がない。後一つ。これが駄目だったら本当にアウトだ。どうしよう。

 しかも悪いのはそれだけでない。実はこんなタイミングでスランプで、新しい小説のアイデアがまるで浮かばないのだ。

 つい先日、中畑が家に来た日、私は久しぶりに新しい小説の執筆に取り掛かった。しかし電源オンしたPCの前、数時間フリーズ。何も浮かばなかった。

 これは私としては珍しいことであった。私は意外とアイデアマンで、書こうと思えばだいたい何かしら書けた。

 それがなんだ、何もこんなタイミングでこんなことにならなくてもいいじゃないか。酷いよ。神。ネ申。ねぇ。ねぇ。まったくもって綺麗にアイデアの一つも浮かんでこない。取っ掛かりが掴めない。一生節も書けない。

 帰り道は歩いて帰った。

 道端に咲く草花は元気そうで、春の日光を浴びて青々としていた。対する俺はげっそりして、少しずつクレバーになってきた頭でリアルなことを考えた。

 現実的に次で受賞してデビューしないと金銭的にも非常にマズい。

 なにせ、私は既に仕事を辞めており、無職。実質、現時点で収入はゼロ。一方の配偶者も、パートタイムで働いているとはいえ、夫婦二人が食べていけるほどの収入は無い。かと言って貯蓄も無い。

 それに家のローンだってある。どうしよ。いっそ、走って逃げようか。いや無駄だ。走ったってそれは影のように俺に付いてくるだろう。正式な手続きを経て借りた金。そんな簡単には消えてくれやしない。

 もやもやしたまま家へ帰ると配偶者が帰宅していた。何故だか分からないが、妙に機嫌が良かった。何故だか分からないから、何故機嫌が良いの? と聞くと、

「駅前のスーパーで偶然前から探してたクッキーを見つけたんですよ。これ、輸入品でとても珍しいんです。美味しいってネットでも評判で、どこへ行っても売り切れだったんですよ」

 そう言って赤のバックにほくほくのクッキーの写真、PREMIUMと金箔文字で印刷を施したパッケージを見せてくる。私は、あぁ、良かったね、ほな、さっそくちょっと食べてみようか、なんて言ってコーヒーを淹れた。

 テーブルに向き合ってPREMIUMを食べ、コーヒーを飲んだ。ティータイム的な。クッキーは確かに美味かった。何より配偶者が嬉しそうで良かった。小さな幸せ。それでも待ち受ける大きな不幸。現実。闇。



 深夜、配偶者も寝静まった後、一人PCに向かう。

 これは別に小説のアイデアが浮かんだから執筆に取りかかった、という訳では無い。私は小説投稿サイトというやつを閲覧していたのだ。

 小説投稿サイト。

 若き名も無き作家達が蠢く闇鍋のような場所。彼等は夜な夜なここに自らが書いた小説を投稿し、互いに批評し合い切磋琢磨しているのだ。時に励まし合い、時に傷つけ合い。顔の見えない同志の言葉に一喜一憂したりする。そう考えると不思議な場所である。

 私は一週間前、ここに一本松文学賞に落選した「Gerbera」を投稿した。

 誰かに読んで欲しかったのだ。あのまま落選ということで片付けてしまったのでは、どうにも「Gerbera」が可愛そうだ。私は私の書いた小説を愛憎入り混じりながらも好きだった。それに率直な感想も聞いてみたかった。

 一週間ぶりに入る私のサイト内マイページ。見ると四件のコメントが「Gerbera」に寄せられていた。アクセス数は三百八十件。私はこういったサイトに小説を投稿するのは初めてで、この数値が良いのか悪いのかよく分からなかった。

 コメントを見てみる。


「空気感を大事にしているのは分かるのですが、何だか長い。会話の書き方は上手いけど心に残るものがない」

「淡い出来事の淡い情感ですから読者に訴える力は弱いものです。そこをいかに読んでよかったと思う領域に仕上げるかが力量の見せどころです。もうちょっと頑張ってほしかったな、と感じています」

「ある程度書きなれてるんで手癖で書いてるんじゃないかなぁ、と思いました」

「作家には人生の諸問題に直に切り込んで行き、しっかりと認識し、できるだけ平明にそれを表現する使命が与えらえているのではないかと感じています。野心的な、発見に満ちた、力強いものが読みたいと感じました」


 冷蔵庫からビール取ってきてプシュッとあける。一口で半分くらい飲みきり再度画面を見る。そこにあるのは、やはり、さっきと同じコメント達だった。

 くわっ。ちくしょう。涙が出そう。否定的意見ばっかりじゃん。やはり駄目だったのか。「Gerbera」は。途方もなく悲しかった。

 何が悲しかったって、伝わらなかったということが一番が悲しかった。コメントで言われている「空気感」「淡い情感」、これは自分が「Gerbera」で描きたかったことのほぼ全てだと思う。その魅力が全然伝わっていない。伝える力が足りなかったのか。現実。愕然とした。自分が素晴らしいと思ったこと、伝えたいと思ったことが伝わらない絶望感。私は二本目ビールを冷蔵庫から取り出してあけた。プシュッと。

 これは、もう駄目かもしれない。

 心からそう思った。向いていないのかもしれない。小説家なんて。ほぼ一気飲みで二本目のビールをカラにする。で、また三本目をあける。プシュッ。だんだんと頭がスパークしてきた。スパークっていうと凄く冴えている感じに聞こえるかもしれないけどそうじゃなくて、落雷に打たれて真っ黒になって煙出してるような。両目、×になっているみたいな。頭、アフロみたいな。もう駄目駄目な。そんな感じ。

 もう、いっそ仕事探そうかなぁ、何か堅気の仕事を。

 小説投稿サイトを閉じ、求人サイトを開いてみる。こうなったらもうなんでもいいわ。夫婦二人、食えていければそれでいい。仕事、辞めなかったら良かったのかなぁ。そういえば中畑は春から課長代理になったって言ってたなぁ。権力使って俺のこと戻せんかなぁ。て、駄目駄目。会社に戻ってまたあの部長と働くのか? むざむざ戻ったりしたら何を言われるか分かったもんじゃない。散り散りにされるよ。きっと。流石にそれは嫌だ。それだったら別の仕事を探した方が良い。

 でも、何だろなぁ。仕事。どうするかなぁ。てか、私がやりたい仕事って何? そんなこと言って、選べる立場ではないのだが。求人サイトをぱらぱらと見てみたが、一向にピンと来ない。営業、システム、製造、経理、総務、エトセトラ。どうにもなぁ。

 やりたくもない仕事をして、誰かに頭を下げて、ヘコヘコして、そうまでしないと生きていけない人間なのだろうか? 私は。

 否。そんなことはないはずだ。と、思う。多分。おそらく。

 けっきょく、文学にしか興味を持てないのだから、それを仕事にしない限りは楽しいとは言い切れないよなぁ。やはり小説家になりたいなぁ。

 本当に少し、涙が出た。


 深夜、とっくに寝静まった配偶者に迫ってみる。酔っ払って、性欲丸出しで。

 横付けで並べられた二つの布団のうち一つ。配偶者は静かに寝息をたてており、その小さな身体が呼吸に合わせて上下に振れていた。俺は横に回り込み少し乳を揉む。それだけでは起きる気配はなく、少し大胆に抱き寄せ接吻を迫ると異変を感じた配偶者が目を覚ました。

「あなた……なんですの?」

「ね、やらせて。一回だけ」

「何を言っているんですか。こんな時間に」

 配偶者は眠そうに目をこすった。

「や、だから、一回だけ」

「馬鹿も休み休み言ってください」

 そう言うと配偶者はするりと身をかわして反対側を向いてしまった。

 駄目だった。

「あ、うん。まぁ、そだね。俺ももう休むよ」

 私が残念そうにそんなこと言っているうちに、配偶者はまた直ぐに寝息を立て始めた。

 馬鹿も休み休み言ってください、だってさ。ははは、本当その通りだよ。でも分かってない。休めるなら休みたいんだよ。馬鹿って奴を。

 私だってさ。

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