ほんとのところ

@hitsuji

第1話


 また桜が咲く。

 もうすぐ。

 今朝も見てたが、ほんともうすぐだと思う。うん、もうちょい。

 桜色の彩。そうなるとそれはまた人生という長い旅路の一つの分岐の目印となり、人々は皆、そこからまた新しい季節へと別れて、それぞれ流れていくことになる。春ってそういう季節です。

 学生ならば卒業、進級。大好きだったあの娘と別々のクラスになってしまったり。そう言われると桜色というのはどことなく恋の色にも似ているなぁ。悲恋。ちっと、オーバーやね。何ともまぁ、美しいことだなぁ。いつかそんな小説も書いてみたいなぁ。そう思う。しみじみと。

 まぁ、でもさ、一般的に「社会人」と呼ばれる所謂、資本主義の豚ちゃん達にはそんな淡い分岐は存在しないよね。豚ちゃん達に用意された分岐は退職、転勤、部署異動、昇格、そしてシーソーの逆側に座る降格、などという、もっと生々しいものだけなのだ。たまらんねぇ。どうにも。

 で、退職。

 うん、退職。

 一言に退職と言ってもいろいろなパターンがあるもんで、例えば定年退職なんかだと、これはまぁ、有終の美ということで、最終日の退社時にはみんなが一斉に立ち上がって拍手なんかして、いわゆるスタンディングオベーションとか言うやつで、見送られたりする。

 運が良ければそこに、まだまだ入社二、三年目の可愛い若手女子社員が近所の花屋でお昼過ぎ、眠くなるくらいの時間に経費で買ってきた花束なんかを持って来てくれたりして。で、当人は冴えない禿げ頭を撫でて、あぁー、俺、今日まで頑張ってきて良かったなぁ、ほんと、良かったなぁ、なんて思うのだ。うん。

 そう言えば一昨年前、製造部門のお偉いさんが勇退された時なんてすごかったなぁ。いろいろな人からメッセージが届いたり、送別会では自身の弟子が挨拶の最中、男泣きしたりして。

 ま、でもそんなんは言ってもレアなケースなわけで、それ以外の退職、それ以外と言うとだいたい自己都合になるのだけれど、こういったケースに対して会社というものは非常に冷たい。

 自己都合。

 つまり自分の都合で会社を辞めるということ。もちろんその中にもいろいろな理由があることも分かる。しかし大半の場合、会社にとってそれはただの裏切り行為である。もちろん可愛い花束なんて出て来ない。それも春。分岐。新しい明日。


 私は今日、まさにその「自己都合」で会社を辞めた。男一匹、大学を出てからちょうど十年働いた会社を。



「長い間お世話になりました」

 入社以来ずっと上司だった営業部長のデスクの前に立ち頭を下げる。

「あぁ、まぁ、頑張れよ」

 営業部長はそう言って薄い笑顔を見せる。実に営業マンらしいぺらぺらな笑顔だった。

 内心ではどうせ「辞めてどうする気だこの馬鹿」とか、そんなことを考えているのだろう。よく見ると少し吊り上がった目尻からその感じがじわじわと伝わってくる。

 ふん。私だってほんとはあんたになんて頭を下げたくない。まったく十年も人のことを馬車馬のように働かせやがって。

 そう、あれは確か五年前、あんたが試算を間違えた見積で落札してしまった入札の尻拭いを私がやった。

 けっきょく拭いきれず大赤字でいろいろな部署から散々嫌味を言われた。無駄に困難な仕様だったし、手間もかかり最悪だった。あれは本当に。今思い出してもゾッとする。

 しかしまぁ、それだけならまだ許せた。私はそこまで短気な性格じゃないし。サラリーマンてそんなもんだろ、という割り切りもあった。

 でも、駆けずり回る私を見てあんたが「おい、誰がこんな価格で落札したんや?」なんてふざけたことを抜かした時、温和な私も流石に腹が立った。

 おい、私は今でもちゃんと覚えているぞ。あんたは忘れたかもしれないが、私はちゃんと覚えているぞ。

 なんて内心でやりあって。どうせもう二度と会うこともないだろうし、よっぽど何か言ってやろうかと思ったが、そんなことはしなかった。

 立つ鳥は跡を濁してはいけないのだ。そんなのは醜い。愚だ。


「寂しくなるねぇ」

 総務課長が白髪をボールペンの先で掻きながら言う。この人は社内で一番優しい人だった。

「ほんとにお世話になりました」

「いやいや、なんの。こちらこそ楽しかったよ。また近くまで寄ることがあったら声をかけてくれ」

「はい。是非」

「退職記念だ。会社の備品、なんでも一個好きなものを持って帰っていいぞ」

「ほんとですか?」

「あぁ、特別に俺が許す」

「ありがとうございます。じゃ、ずっと使ってたデスクの椅子をください」

「椅子? そんなもん何に使うんだ?」

「座るんですよ」

「ま、そりゃそうだろうけど。おかしなもんを欲しがるなぁ。特別に良いものでもないのに」

「慣れてる椅子の方が良いんですよ」

「ふーん」

 そうして私は会社を辞めた。

 総務課長からもらった椅子に仕事用鞄を乗せて通りを歩く。

 見慣れた市内のビジネス街を通り抜け駅へと。豚ちゃん達の雑踏。往来。私は間違いなくもうここへはもう戻らないだろう。いや、頼まれたって戻らへん。営業部長の顔が浮かぶ。いい気味だ。ははは、誰が私を呼んでも無駄。私はもう戻らない。

「おい! おいってば」

 誰かが呼ぶ声に振り向くとそこには同期の中畑がいた。

「おう、中畑」

「おう、じゃないよ。お前会社辞めたってマジか?」

「うん。完全に辞めたよ。ついさっき」

「そんな急に。相談くらいしろよ。てか何考えてんだよ」

「悪い。一言くらい言えば良かった。お前にはほんと世話になった。感謝してるよ。思えば長い付き合いになったなぁ」

「そりゃもう入社して十年だからな」

「飲み代を出す、出さないで、飲み屋のレジ前で取っ組み合いの喧嘩をやらかしたあの頃が懐かしい」

「あれは完全にお前が悪い。て、そんなこと今はどうでもいいんだよ。本当に辞めたのか?」

「もちろん。てかもう辞めたんだよ。既に。明日からあの会社に俺の席はない。椅子はもらったけどな」

 そう言って私は総務課長からもらった椅子をぽんぽんと叩く。

「呑気なこと言いやがって。辞めてこれからどうする気なんだ。お前」

「これからのことはもう決まってる」

「何? 何すんの? お前みたいな資格も技術も持っていない奴が」

「よく聞いてくれた。明日から私は小説家になるんだ」

「は?」

「いや、だから小説家」

「小説家ってあの本を書く人? 夏目漱石とか芥川龍之介みたいな?」

「随分と偉人の名前を挙げるんだなぁ。ま、そうだな。そこと同じ括りだよ」

「お前、大丈夫か?」

「え? 何が?」

「小説で飯を食えるやつなんて選ばれし一握りの人間だろ」

「うん、まぁ、そりゃそうだけど。だから私はその一握りになるんだよ」

「マジで言ってんの?」

「別にそんなに驚かなくてもいいだろ」

「いや、だって……」

「とにかく、私は明日から小説家になる。大丈夫、私もお前が思ってるほど馬鹿じゃない。ちゃんと考えてるよ」

「奥さんはなんて言ってんの?」

「いや、まだ何も言ってない」

「はぁ?」

「まぁ気にするな。二、三ヶ月以内には再び会うことになると思うよ。文学関係のニュースを気にして見といてくれ」

 そう言って私はぽんぽんと中畑の肩を叩き駅への道を再び歩き出した。

 風が気持ちよく、麗らかな春の夕だった。



「おーい。帰ったぞぉ」

 玄関から声を掛けるも、返事はない。

「おーい」

 再度声を掛けるがやはり返事はない。

 誰もいないのかと思い静まり返った居間まで行くと、テーブルの上にはムーミンの柄のマグカップに半分くらい牛乳が入って置いてあった。ぽつんと。手に取りそれを飲む。温い牛乳だった。

 温いなぁ、なんてありのままの感想を抱いていると、頭上、微かな足音が二階から聞こえた。

 足音を探り二階へ上がると配偶者があくせくと畳んだ洗濯物を棚に片付けているところだった。

 私は総務課長からもらった椅子を大事に抱えたまま、しばらくの間階段の中腹に隠れてそれを見ていた。

 やがて彼女も私の視線に気付いた。

「あら、おかえりなさい」

「ただいま。何度呼んでも返事がないからてっきりパートタイムに出ているのかと思ったよ」

「ごめんなさい。ばたばたしていたから聞こえませんでしたわ」

「そうか」

「今日はまた随分と早いお帰りで」

「うん。まぁね」

「何ですの、その椅子?」

 配偶者が不思議そうな目で私が大事そうに抱えた椅子を見つめる。ま、無理もない。こんなもの、今まで持ち帰ったことなど無いのだから。

「もらったんだよ」

「はぁ、椅子を。また何でですの?」

「ま、いろいろとあってね」

「そうですか」

 椅子についての話はそこで終わり。幸いなことに配偶者はアレコレと聞いてこない性格なのだ。詮索なんてしない、推理小説なんて読まない女。口数も少ない。古き良き日本の女。最近の女はどうにも話し過ぎる。これは良くない。非常に良くない。

 私は会社を辞めたことをしばらく配偶者には話さないつもりだった。

「じゃ私、御飯の用意をして参りますわ」

「うん」

 配偶者は空っぽになった洗濯物の籠を胸の前に抱え、足早に階段を降りて行った。

 私は抱えていた椅子を二階に上げて転がし、書斎に元々あった椅子と入れ替えた。

「ふむ」

 そっと座ってみる。座り慣れた、懐かしくも何ともない感触。眼前には私のノートPC。その向こうには小窓があり、咲くのか咲かないのか未だにはっきりとしない桜が見えた。蕾、ぽつぽつと枝に。

「ふむ」

 悪くない気分だった。と、言うより清々しかった。凄く。

 珊瑚をすり抜け青海を泳ぐ熱帯魚のように、木々の合間を駆け巡る風のように、私は自由だった。絶対的に。

 この瞬間、私は自分がついに小説家という存在になったことを実感した。

 職業、小説家。うん、悪くない。てか最高。最高の気分。

 仕事を辞めた。これで毎日思う存分小説が書ける。もう二度と会社へも行かない。最終電車を気にして酒を飲んだりしない。ふふふ。自然と笑みが零れた。

 壁に掛けられたカレンダーに目をやる。

 今月末、私が応募した文学賞の最初の発表がある。受賞すれば私は満を辞してデビューすることになる。小説家としての私の存在が世間に対してオープンになるのだ。

 私は今、三つの文学賞にそれぞれ別の小説で応募している。今回の三作には今までに無い強い手ごたえを感じていた。言うまでもなく。間違いなくどれかは受賞するだろう。そしてデビューする。

 おそらく忙しくなるだろう。

 デビューしたら次は二作目を書かなくてはならない。そして三作目。あれよあれよと四作目。あぁ、忙しい。どう考えても仕事をする暇なんて残っていない。だから先に会社を辞めておいたのだ。

 窓を開けて外の空気を吸う。新芽の匂いをいっぱい吸い込み、ぱぁっと吐く。丁度その時、階下から配偶者の呼ぶ声が聞こえた。夕食の用意ができたようだった。

 私はそれに応え、年甲斐もないスキップで階段を降りて行った。



 それから数日、ぶらぶらと過ごした。

 私は朝になると顔を洗い、パリッとアイロンのあたったシャツを着て、桜の進捗を確認したり、近所のコンビニで週刊誌を立ち読みしたり、公園のベンチに腰掛けて弁当を食べたり、洗濯物を畳んだりして過ごした。

 幸いなことに配偶者は連日パートタイムに出ており、私の堕落には気付いていないようだった。おそらく今でも私が毎日すし詰通勤地下鉄を乗り継ぎ、陽当たりが良すぎてまだ春なのにもはや暑いあのオフィスであくせくと働いていると思っているのだろう。些細なことではあるがそれは幸せの根本のようにも思える。

 ある日、私は朝から桜を一瞥した後、バスで駅前まで出て紀伊国屋書店へ足を運んだ。

 文芸コーナーを覗いてみるも、件の文学賞が発表される文芸誌は置いていなかった。それもそのはず。発売日はまだ二週間も先なのだ。

 分かってはいるものの、積まれた雑誌の間を覗いてみたり、店員さんに在庫状況を訪ねてみたり、無駄に音楽誌コーナーまでも一通りチェックしてみたりした。明らかに浮き足立っていた。

 最初に発表のある賞は一本松文学賞という文学賞で、三十年強の歴史のある非常に高貴な賞だった。

 一本松文学賞はその堅そうな名前とは裏腹に近年はカジュアルでポップな作品が受賞している傾向がある。私はこの賞に「Gerbera」という小説を応募した。半年ほど前のことだ。

 この「Gerbera」という小説は一昨年の秋から昨年の夏頃まで、約十ヶ月の歳月をかけて書いたものだ。恋愛小説で、所謂不倫ものというやつ。しかし近年ドラマやらワイドショーやらでやっている家系ラーメンのようにドロドロとしたやつではない。むしろそれはアイスボックスに注いだ百パーセント•グレープフルーツジュースのように爽やかな、気持ちの良い物語だった。

 主人公のキクはよく煙草を吸うライター、その彼、ヒールは大学の後輩で既婚、一児の父。

 これだけ聞くと「あぁ、なんだよくあるやつじゃん」なんて仰る方も多いかもしれない。待って。ちょっと違う。いや、全然違う。

 二人の恋は実に爽やかで、それはまるで一度だけ夏休み中にデートをしたクラスメイトとの関係みたいな、新学期になってみんなにバレないように目線だけ合わして笑い合うような、そんな恋なのだ。だけどもちろんそんな中にも毒がある。不倫なのだ。当然である。その毒と爽やかさ、澄み切った水面に真っ赤な絵の具を垂らしていくようなアンバランスな感覚をこの小説では非常に上手く書けたと自負している。

 まさにこの国道を行く大型トラックの騒音のように煤けたご時世に一石を投じるような小説だった。ラストシーンは海辺で、これがまた良い。自分で書いたものにも関わらず何度も何度も読み返した。気乗りしない配偶者を連れ、実際に海へも出掛けた。

 私は何も成果を得られない紀伊国屋書店を後にしてマクドナルドに入り、てりやきマックバーガーをセットで注文し、見晴らしの良い二階席の窓際に腰掛けた。

 眼下の道を人々が歩くのがよく見える。サラリーマンに子連れの主婦。皆、戦々恐々と、何か大事なものを背負い切れないくらい抱えて生きているようだった。

 私はそれを見て優越感を覚えた。何故なら私はもうそこにはいない。努力や根性で何とか騙し騙しやっていけるあの世界にはもういない。ははは。才能。そんな言葉を使うと背中が痒くなってしまうが仕方なし。それはもはや美しい一つの事実なのだ。私はもう二度とせかせかと急いだりしない。走ったりしない。私の歩くペースに周りを合わせるのだ。ははは。なんて笑い出したい気持ちを抑えて、てりやきマックバーガーを食べた。反対側からマヨネーズとソースが漏れ出ないようにゆっくりと。

 マクドナルドを出てもまだ正午過ぎで、特にやることもなかったので少しの軍資金を握りしめパチンコに興じ、見事にそれを店舗に置いて帰る。所要時間は二十分ほどで、再度外に出てもあまり街並みは変わらず、人々は相変わらず怖い顔をして歩いていた。

 やり切れない気持ちになった私は煙草を喫った後、コンビニで缶ビールを一パック買い、これを飲みながら歩いて家まで帰った。

 駅前から自宅までの道のりはバスに乗れば二十分弱で着くのだが、歩いたらけっこう遠い。しかも悪いことに見事な登り坂なのだ。私は春にもかかわらずだらだらと汗を流して歩いた。その分ビールは進んだ。自宅に着いた頃には六本あったビールはあと二本にまで減っていた。

 玄関を開けた時の感じで配偶者がまだ帰っていないことを悟る。直感というやつだ。私は意気揚々と誰もいない居間を通り抜け、開け放した縁側に横になって缶ビールの続きを飲み、同じくコンビニで購入したスペリオールを開いた。

 しばらくそうしていたが些か歩き過ぎたせいか、缶ビールの影響もあってか、私は段々と眠くなってきた。

 スペリオールを横に置き、ぼんやりした目で開け放した庭を見る。縁側の真正面には家庭菜園があり、これは全て配偶者が育てたもので、いつの間にか植物達は春らしくそれぞれ実をならせたり花を咲かせたりしていた。

 何よりもトマトの赤が目に付いた。見事な赤。美しい赤。それは情熱のような、手懐けることのできない恋慕のような、そんな赤だった。

 私はそれを食べたいと強く思った。しかし赤に向け手を伸ばすも、それはまったく現実的に届くような距離にはなく、くっきりとした私の手の遥か向こうでぼんやりと群れていた。

「だーめだこりゃ」

 そう呟いて私は目を閉じた。

 直ぐに眠りに付いたが、それは決して快眠と呼べる代物ではなかった。

 暫くして、

「あなた、起きてくださいよ」

 誰かが私を呼んでる。

 私の身体が前後してる。

 シェイクシェイクしてる。

 声の主が揺さぶっているのだ。非常に不快な気分であった。

「なんだよ」

 そう言って私は身体を起こすと、そこには少し怒り顔の配偶者がいた。

「こんなところで眠ってしまって。ほら、早く戸を閉めてくださいな」

「戸?」

 そう言った時、私は私の顔が、服がびしょびしょに濡れていることに気づいた。濡れているというのも現在進行形の話で、今もまさに私を何かが濡らし続けていた。それは大粒の雨だった。私は慌てて戸を閉める。配偶者は実に冷めた目でそんな私を見ていた。

「なんだ? なんだ? 雨か?」

「雨かって。雨ですよ。嫌ですわ。いったいいつからここで寝ていらしたの?」

「いつって……」

 そう言って外を見るともう暗かった。トマトの赤は暗闇でも映えた。俺のことを見て笑っていた。

「お酒飲んでこんなとこで寝るなんて。早く帰ってくるなら先に言っておいてくださいよ。そしたら御飯を用意して出掛けますから」

「あ、うん」

「そこ、ちゃんと拭いておいてくださいね」

 配偶者はそれだけ言うと居間の方へ入っていった。

 雨に濡れた腕時計を見ると時刻はもう二十一時。おそらく配偶者は私が夕刻十八時頃に仕事から帰り一杯ひっかけた後、積もり積もる業務の疲労により縁側で眠ってしまったとでも思ったのだろう。本当は昼から飲んでるのに。

 濡れ縁側にスペリオール、打ち捨てられて。雨で見事にぐしょぐしょ。私はそれを拾い上げ、ページを開こうとしてみたが駄目だった。ふやけた紙の塊は、残骸は、私が触れたところからもろもろと砕けていった。


 二週間後、桜が咲いた。

 心待ちにしていた分、それは例年よりも美しく感じた。丁度同じ頃、同じく心待ちにしていた件の文芸誌がやっと発売された。

 一本松文学賞の厳選な選考の結果、私の書いた小説は一次選考も通過していなかった。

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