落ちつかないスチームサウナ

 とある温泉でスチームサウナに入ろうとしたら注意書きがあった。

 『体を触られる被害がありました』

 ここは男子風呂……触られるのは男で、触られるのも男……アッー! どうしよう……やめとくか……でもせっかくのリラックスタイムをこんなことで台無しにされるなんて悔しい……。


 僕はスチームサウナの扉を開けた。うわっ! ほんとに何にも見えない! 見事に真っ白なスチームに覆われて足元も危ないくらいだし、どれくらい人が入っているのかも分からない。

 やっと座る場所を見つけて、ドキドキしながら座った――決して、期待のドキドキでは無い。


 トラウマが蘇る――。

 高校生の頃、クラスにいたMがホモっぽかった。髪型は角刈り風で、いわゆるオタクっぽい眼鏡を掛けていて、背は大きくて少しぽっちゃりしていた。

 ある日、教室に行くと「麻也くん髪切った?」と言って、うなじの方から髪の毛をサワ~っとされた。僕は一瞬、ヒャウっとなりながらも「う、うん」と答えたのを覚えている。とてもザワ~っとした気分だった。

 それとは別の日、僕はMと他数人で休み時間に教室で立ち話をしていた。その時に女子三人程のグループが近づいてきて「ねえねえ」と声を掛けられた。おっ、なんだなんだ!? と僕は何かしらを期待して次の言葉を待った。

「Mくんってさぁ……麻也くんのことが好きなんでしょ?」とリーダーっぽい女子が言い放った。Mはその問いに「うふふ♡」と恥ずかしそうに笑って、小走りに教室から出て行った。

 Mには何か激しい行為をされた記憶はない。なんとなくボディタッチは多かったかな? うなじを触られた時の鳥肌が立つ感じは未だに覚えているけど……といった程度で、僕がMのことで覚えているのはその二件くらいだ。

 僕はあの女子の問いかけの答えを未だに知らない……知らなくていいけど。


 高校時代はそれよりも、友達と歩いていて彼女に間違われたのがトラウマだ。

 ある冬、野球部でガタイの良い坊主頭の友達Iとマッシュルームカットみたいにして小柄でほっそりした僕が商店街を歩いていた。そこへ、若い男がアンケートにご協力をということで近づいてきた。

 Iがアンケート男につかまった。僕は面倒くせぇなぁとちょっと離れて顔を伏せてIがアンケート男をあしらうのを待っていた。

「そちらの彼女さんは――」とアンケート男がこちらへ振り返る。Iが「いや、友達ですよ」と笑って、それをきっかけにアンケート男を振り切って立ち去った。それで僕がIの彼女ではないという誤解は解けたはずだ。が、あのアンケート男に僕の性別の誤解が解けたかどうかは解らない……解らなくていいけど。その日に着ていたコートがちょっと女性物ぽかったのも敗因の一つだな……。


 その以前から、細くて小さかったせいか僕は年齢より幼く見られたり女の子に見られる時があった。

 中学の1年生になったばかりの頃、クラスのマセた女子に「肌白い~」とか、手首を掴まれて「私より細い~折っちゃいそ~」などと言われたのが屈辱で筋トレをした。でもその後、中学の何年だったか忘れたけど、家族で健康ランドに行ったときに受付で女児用の館内着を渡されて、また屈辱を味わった。


 高校も卒業して、僕は新聞奨学生というのをやっていた。学費を出してもらう代わりに奴隷のように住み込みで働いていた。一階が新聞販売所になっていて二階が寮という名の奴隷部屋だった。

 その当時、誰かに「お仕事は何をされてるんですか?」と聞かれたら「マスコミ関係です」と即座に答える準備があった。

 新聞販売所では、新規顧客開拓の為に定期的に新聞勧誘団というイカツイおじさん達を販売所の配達区域に大量投入する。

 ある日、僕が夕刊の配達から戻ってくると、販売所は勧誘団のイカツイおじさん達でひしめき合っていた。そして、一人のおじさんに「良いケツしてるねえ」と言われて尻を撫でられた僕は、頬を赤らめ(怒りの為に)て、二階の自分の部屋へ駆け込んだ。他のおじさんから「可愛いなぁ」などという声が聞こえてきたのもあって、やられる! と思って急いでその場を脱したのだった。


 新聞奨学生時代はもう一件、やられる!と思ったことがあった。

 僕がいた新聞販売所では新聞奨学生は配達だけではなく、集金や営業活動もしなければならなかった。

 営業活動で簡単なのは、集金のついでに契約期間が切れそうなお客さんに継続して契約してもらうことだ。

 あるアパートに、ピッチリとした七三分けに眼鏡を掛けた小暮(仮名)という独身の小さいおじさんがいた。僕が集金に行くと毎回、「君が配ってるから契約してるんだよ」とか何かしら話しかけられた。僕はいつも「次も急ぐんで」みたいに言って、すぐにその部屋から立ち去っていた。

 そうして小暮の契約が最終月となった。その月の集金時、小暮から部屋に入ってお茶して行くように勧められたので当然のごとく断ったが「今度、近所の喫茶店で話をしよう」などとのたまう始末。

そして、小暮が「セイガクが好きなんだよね~」と言い放ったのを聞いた僕は、急いでその部屋から立ち去った。「セイガク」と聞いてすぐに僕の頭の中では「学生」と変換されたからだ。

 その当時の僕は寺山修司や山下洋輔の本を読んでいてズージャ語に慣れ親しんでいたからか、「セイガク」と聞いてすぐに僕は「学生」のことだと思った。だけど、小暮はそのまま「声楽が好き」と言ったのかもしれない……その前から小暮は、学校で生徒に音楽を教えているとか、クラシックがどうのとか言っていたからだ。まあ、だから「セイガク」が好きって言われて、おいおいストレートに来るなぁ! と思って逃げ出したんだけど。



 そんな出来事を体験していたから「体を触られる被害」があったこのスチームサウナで、座ってからもどこからか手が伸びて来るのでは無いかと僕はドキドキしていた――決して期待のドキドキでは無い。


 今はもう老いてそんな可愛らしい姿形では無いし、こういうとこの人達はこんなヒョロガリより、ガチムチとかぽっちゃり系が好きなんだろうと思う。

 ほぼ満員だったスチームサウナで僕は何事もなく過ごした。

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