水円 岳

 袁城えんじょうから数里離れただけで、全ての緑が剥ぎ取られた。主従と驢馬ろば一頭は、赤茶けた荒野を土埃を巻き上げながら黙々と歩いていた。


 容赦なく照りつける陽光。それをうんざり顔で見上げていた従者ずさ小虎子しょうこしは、相も変わらず飄々ひょうひょうと歩き続ける楊周ようしゅうに疑問を投げつけた。


「ご主人さまあ。袁はすごく豊かなところなのに、どうしてここは荒れ放題なんですかあ?」

「元々ひどく少雨の土地じゃからのう。湧き水の周囲にしか畑を打てぬ。袁城は太い地下水脈の真上にあるが、ここは……な」

「そっかあ」


 驢馬の手綱を引いていた小虎子が、ふと足を止めた。


「じゃあ、この先にはもう村すらないように思うんですけど。行き先はどちらですかあ?」

「今日中には着くじゃろう。至洞じゃ」

「しどう?」

「そうじゃ。そのほらに、先程言うた地下水脈の源流がある」


 小虎子はぴんと来た。袁城城主の孫佑そんゆう殿が、ご主人さまに何か頼み事をしたのだろう。


「危険……ですか?」

「行ってみねば分からぬ」


 楊周の予想通り、一行は夕刻に大きな洞に辿り着いた。楊周は、小虎子の松明たいまつの支度を待たず、真っ暗な洞の中にずかずか踏み込んで行く。まだ火勢の弱い松明を手にした小虎子が、慌ててその後を追った。百間ひゃっけんほど踏み入ったところで足を止めた楊周が、薄暗い洞内どうないをぐるりと見回した。


「ふむ」

「何かいるんですか?」


 小虎子が、怖々楊周の顔色をうかがう。


「いや、魔の気配はないな。懸念した呪符などもなさそうじゃ」

「ふううっ……」


 それを聞いて、小虎子が胸を撫で下ろした。


「だが、その方がずっと厄介じゃ」

「えっ?」


 手にしていた杖を地面にどんと叩き付けた楊周が、足元を見つめて呻吟しんぎんを繰り返している。


「なんで厄介なんですかー?」

「袁に湧き出る水が、近年ひどく細っておるそうじゃ。佑どのはそれを、徒為あだなすものの仕業しわざだと思うておるようじゃが。違うのう」

「違う……って?」

「袁の水は限られておる。ゆえに、人が増えれば水が減る。人を減らさねば水が涸れる。そういうことじゃ」

「ああっ!」


 慌てて小虎子が聞き返す。


「どうにもならないんですかっ?」

「ならぬ。雨乞いで一時いっとき水を増やしたところで、その分だけ人の数も増えてしまう。されば、後々もっと渇きが酷くなるだけじゃ」


 松明の光が届かぬ洞の奥をじっと見つめていた楊周は、くるりときびすを返した。


「佑どのに、そう奏上することにしよう。わしは、魔を滅することは出来ても水は作れぬ。所詮一介の人に過ぎぬからの」



【 了 】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水円 岳 @mizomer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ