第5話

 羽衣を渡された花妹さんは、感慨深く羽衣を抱きしめた。

「ああ、わたくしの羽衣。わたくしの天女である最後の砦」

「んなことはないだろ。あんたは、天女そのものだ」

「いいえ、わたくしはもはや天女とは言い難いわ。だって、地上で生きることを望んでいるのだから、もう人間よ」

 折しも、ただいま~と気の抜けた楊老さんの声。

 それを聞いた花妹さんは羽衣を握る手を強めた。何かを決意した花妹さんの顔はなんだか凛々しくてかっこよかった。

「おかえりなさい」

「お邪魔してます」

「ただいま花妹さん。呂明さんと裔君も。ねぇ、聞いてください。鄭重さんのご病気、回復に向かっているんですって。天女だと思われていたのは実は鬼で、子連れの旅の道士様が退治してくれたそうです。それって呂明さんと裔君のことではありませんか?」

 僕と師匠は曖昧に顔を見合わせた。

「楊老」

 花妹さんはすっくと立ちあがった。はい、と楊老さんは反射的に返事をする。花妹さんは楊老さんに羽衣を差し出した。

 もう夕方だけど、羽衣の光のおかげで部屋全体がお昼間みたいに明るかった。

「わたくし、自分が何者か思い出したの」

「え」

 きょとん、とした楊老さん。

「わたくしはね、この羽衣の持ち主なの」

「羽衣? ねぇ、もしかして鄭重さんの見た天女様って花妹さんのこと?」

 まるで裁きを待つ罪人のように、花妹さんはこくりと頷いた。

「花妹さんが鬼……」

 あちゃーそう勘違いしちゃったか。そうだよね、するよね。だけどごめん、楊老さんめんどくさい!

 楊老さんははっと目を見開いて、師匠から庇うように花妹さんの前に立った。

「あの、退治するんですか?」

「しません」

 きっぱりと師匠。あ、そうなんですね、と納得する楊老さん。軽いなぁ。

「わたくしは、鬼ではなく本当に天女なの」

「天女? じゃあ、本当に天女様の羽衣なの?」

「そう」

「呂明さんと裔君も天女?」

「なんでだよ」

「もう僕たちのことは無視してくださって結構ですから」

 最初から僕らのことなど、気にも留めてなかった花妹さんは唇を震わせながら、わたくし、わたくしと言葉を震わせた。

「おめでとうと言われたくない」

「ええ?」

「楊老が、わたくしが羽衣を見つけたことを残念に思ってくれたら良いなって思うの」

 ようやくその言葉を口に出した花妹さんは、おんおんと泣き出してしまった。

 おろおろとした楊老さんだけど、花妹さんは二か月も一緒にいて楊老さんをなめ過ぎではないだろうか。

 そんな遠回しな表現で伝わるか!

 当たって砕けろ! あ、駄目だ。どうも師匠といると師匠に影響されて良くない。

 僕の心の中の応援が届いたのか、つまりどういうこと? と顔に書いて困惑している楊老さんに花妹さんは告白した。

「わたくし、あなたを好きになってしまったから、このままずっと一緒にいたい」 

「えええええ?」

 楊老さんは顔を真っ赤にさせた。うわー凄い。楊老さんもこんな風に狼狽えることがあるんだ。感動してしまった。

 わーわー僕もつられて真っ赤になりそうだ。

「ももも勿論花妹さんが望むのだったら、ずっといてくれて良いんだよ」

「あなた意味が分かってないわ! わたくしをあなたのお嫁さんにしてって言ってるの! その為には羽衣を燃やしたってかまわない!」

「分かってるよ!」

 真っ赤になった楊老さんは声を上げた。

「分かってるから驚いていて心臓がバクバクしてるんだよ。だって、僕はずっと花妹さんにとって、そういう対象じゃないって思ってたんだから」

「なんでそんなことを思うの!?」

「なんでって、花妹さん自分で言ってたじゃないか! 勘違いするなって。ここには束の間いるだけだって。幾ら二人でいるからって、僕とどうにかなる気はないって。だからそっかーって思ってたんだよ」

「そんなこと言った……かし……ら……?」

 花妹さんの目が泳いでる。言ったな。絶対に言ったんだろうな。それにしてもそんなこと言われて「そっかー」で流して、尚も花妹さんを置いて甘やかしてたのかこの人は。

 この人こそ天人なんじゃないのか? 徳が高すぎて羽衣よりも眩しい。

「花妹さんが来てくれて楽しかった。だから記憶が戻らずに、ずっとここにいてくれたら良いなぁって思ってしまう時もあって、でもそう思うの良くないんだろうなーって」

 段々声が尻つぼみになる楊老さんに、花妹さんはごめんなさいと言いながら、涙も鼻水もずびずび出しながら抱き着いた。

 楊老さんはわーってなって更に真っ赤になってるものだから、僕もつられてわーって気分になってしまった。

 これは無視してくださいとは言ったけれど、恥ずかしい。他人が夫婦になる瞬間を目撃してしまった。わーって気持ちになってしまった僕は、師匠は一体どういう反応をしているんだろうってちらりと見上げた。

 僕の師匠は親でも殺されたのかって顔をして忌々し気に舌打ちをしていた。

 師匠……。




 結局、羽衣は隠されなかったし、ましてや燃やされたり裂かれたりすることはなかった。

 花妹さんはわたくしの覚悟だからと言って、羽衣を燃やそうとしたけれど、楊老さんが止めた。

「花妹さんの実家には羽衣がないと帰れないんでしょう? じゃあ燃やしたら大変なんじゃないの?」

「だって、わたくしはここで生きるって決めたから……」

「どうしてここで僕と生きるから羽衣を燃やさないといけないの? 帰りたくなった時に困らない?」

 改めてそう尋ねられて、花妹さんは混乱した。僕も若干混乱した。

 あれ? 燃やす必要あるのか?

「帰りたくなる時なんて」

「そんなの分かんないし、勿体ないよ。そんなぼんやりとした理由なら、燃やすべきじゃないと思うなぁ」

 楊老さんからぼんやりなんて言われてしまった花妹さんはがぁん、と顔を蒼白にさせた。分かる分かる。衝撃だよね。

「そうかしら」

「そうだよ」

「ね、そんなに難しく考える必要ないよ。いつも通りの花妹さんで行こう?」

「そうかしら、そうね……! そうよね!」

 イチャコラしている夫婦を横目に、師匠は心を無にしているようだった。

 これにて今回の依頼は一見落着したらしい。皆が収まるべきところに収まって本当に良かった。鄭重さんも幻なんか追いかけずに生身の人間にまっとうな恋をしてほしい。村にいるお爺ちゃんの親戚なんかを紹介してもらうのはどうだろうか。

 花妹さんから謝礼を貰った僕たちは二、三日のんびりして次の街へ旅立つことにした。

「呂明さん、今回は本当にありがとう」

「別に良いですよ。慰謝料も上乗せした額を頂きましたし」

「慰謝料?」

「初日! あんたの巨体に潰された!!」

 師匠は自分の身体のあちこちを叩いて訴えた。

「そんなこともあったわねぇ。ねぇ、呂明さん。わたくし、あなたのことを初めて聞いた時、同情しましたのよ。何が悲しくて地上で生きなければならないんだって」

 よく分からないことを言う花妹さん。

 そっと目を伏せる仕草は、いつだったか感じた通りとても上品だった。

「でも、わたくし気づいたわ。わたくしは世間知らずで、経験不足だったのよね。多くを知っている方が、何が幸福で何が不幸せか判断することが出来る」

 師匠は何も返答しなかった。

 次の街へと足を運ぶ僕たちに、後ろから花妹さんの声が聞こえた。またね、と言って手を振っている。僕も振り返って、またいつか、と声を張り上げて手を振った。

 幸せいっぱいの花妹さんはとても綺麗だった。








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旅遊異聞 田中 @mithurumd

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