第4話


「言っとくけどなぁ、なぁにがあるがままの自分だ。あんたのは唯の怠惰じゃねぇか。それとも何か? あんたの本質は怠惰かよ」

「じゃああんたの本質なんて胡散臭さの塊じゃないのよ!」

 醜すぎる。

 楊老さん早く帰ってきて。あなたの師匠とは違った意味での空気の読まなさでこの場を浄化してください。

 僕? 僕にはちょっと難しい。早々に二人の語彙力のない喧嘩の解説にも飽きてきたところだし。

 肩で息をしている二人は一時休戦。先に体力が無くなったのは師匠。

「……言っとくけど、俺はちょっとばかし普通の人間よりは妖の対応に詳しいだけの、ただの人間だ。生身の人間の屋敷からものを取ってくることに関してはド素人に決まっている」

「でも、他の人間よりは私の事情を汲み取ってくれるでしょう」

 縋るような目を向けられた師匠はため息をついて頭をかいた。

「とりあえず、お代の話をしましょうか」

 



 さてそれが数刻前の出来事だ。

 僕と師匠は鄭さんちの扉を叩いていた。まさかの正攻法だけど、確かになぁ。盗み出すのはいささか現実的ではない。鄭さんの家は慌ただしかった。昨日話したお爺ちゃんが、鄭さんちは今忙しいと言った意味が分かった。なんだか慌ただしい雰囲気が包み込んでいる。使用人は小走りで動き回り、お医者さんなのか使用人の偉い人なのかが指示を出す声がする。

「旅の者ですけれども」

「今このお屋敷は忙しいので、旅の方はちょっと……」

「若様のことをお伺いしました。私は旅の道士です。それでお力になれるのではないかと思って足を運んだ次第です」

 使用人の人達はきょとんと顔を見合わせて、奥へ走っていった。暫くしないうちに、師匠と僕は奥へと案内された。入口から見えた風景と違って、奥に行く毎に静かな空気が流れてくる。

 人影が無くて、清々しいというよりも、なんだか少し怖い様に感じてしまう。今から案内される部屋の主、鄭重さんが狂ってしまわれたと聞いているからかな。

 通された部屋には痩せこけた男が寝台に上半身だけを起こして横になっていた。

 見た目は病人のそれだが、所作は正常に見えた。

「あなたが鄭重さんですか?」

「そうだが、お前は」

「私は旅の道士です。天女の羽衣を手に入れられてから体調を崩されたと聞いて、心配で足を運んだ次第です」

「なんだと?」

「天女を思い出すと胸が苦しくはありませんか」

「それは……」

「食事が喉を通らない」

「ええ……」

「それは呪いです。あなたは湖に寄ってきた下級の鬼に呪いをかけられたのです」

「呪い?」

「鬼は多くの人間が成長すれば誰もが持つであろう欲、色欲を利用して、あなたに羽衣を見せた。あなたが手に取るように仕向けたのです。天女は羽衣がないと天上に帰れません。なのに何故不用心に目を離すでしょうか。天女はそこまで痴れ者でしょうか。いいえ違います。醜い鬼の甘やかな罠だったのです」

 師匠ってやっぱり花妹さんのことそこまで良く思ってないよね。大真面目なはったりをかます師匠に、鄭重さんは覚えがあるような顔をして、真顔で目を見開いていた。

 いや違うよ。あんたは天女に懸想して羽衣を盗んだコソ泥だよ。何をそうか私は被害者だったのかって雰囲気出してるんだよ。口に出すことが出来ない僕は心の中で悪態をつくしかない。

「鬼は羽衣を通じて鄭家に侵入し、あなたの身体を蝕んでいる。このままではいずれあなたの身体は鬼に乗っ取られることでしょう。そして、翠水一名家である鄭家を乗っ取るつもりだったのです」

「では、私が見た美しい天女は」

「幻です」

 きっぱりと言い切った。

 師匠の嘘八百を信じ込んだ鄭重さんは、言われるがままに羽衣を持ってこさせた。それは薄い絹の布のようだったが、不思議ときらきら光っていた。布の表面じゃなくて、その周り一体が光の膜でも貼られているようだった。

 裔、と師匠が僕の名前を呼ぶ。僕は抱えてきた瓢箪の蓋を開けて、とくとくと水を師匠の右手に流しかけた。

「この神々しさはまがいものです。まがを覆い隠す作り物。その証拠を今ご覧に入れましょう」

 師匠が手をかざすと、それを中心に辺りに黒い風が吹きあがり昼間だというのに影が差し込んだ。

 羽衣の光によって僕たちの人影が部屋に出来たが、それ以上に多くの影が浮かび上がる。獣、人、何より怖いのが、人のようでいて、人ではないであろう人影。

 恐怖の為に、鄭重さんが叫びだして頭を抱えた。

「目を背けるな!」

 手を掲げている師匠が怒鳴る。

「鄭重さん、あなたは鬼に半分取りつかれてるんだ。ご自分で見届けなければ、鬼はいつだってあなたの心の隙間に入り込む。最後まで目に焼き付けるが良い」

 上から下から悲鳴や鳴き声が聞こえてきたかと思えば、合わせて地の底から聞こえてくるような何かを口ずさむ音。お経のようにも聞こえるし、歌のようにも聞こえる。いずれにしても聞いたことも無い国の言葉だ。

 光り輝く羽衣に手をかざしていた師匠の手が黒ずんでくる。

 鄭重さんが右手に注目しているのを見ていた師匠は、さっと手を上に掲げ、円を描くように回した。

 部屋の中を支配していた影が少しずつ枯れていく。どくん、どくんと師匠の手の脈打つ音が頭の中に響いてきた。魔を取り込んだのだ。

 そう見えた。

 鄭重さんの部屋は元通り静かな部屋に戻り、昼間の光が差し込む。唯一変化しているのは、羽衣がただの麻布に変わっていたことだった。

 僕は鄭重さんの視線を右手に注目させている間に、師匠が左手で器用に羽衣を入れ替えたことを知っているので、なんだか感心してしまった。人の視界って案外狭いんだなぁ。

「これが、あなたが後生大事にしていた羽衣の正体です」

「そんな……」

「鬼は卑怯にも、あなたの美しい恋心を利用したのです」

 ぼろり、と鄭重さんは大粒の涙を流した。やせ細った頬に伝う一筋の涙は、鄭重さんの体内を枯らしてしまうのではないかしらと思った。鄭重さんは膝を曲げて、頭を伏せた。

「あの日、羽衣を隠し終わった時には、もうあの女性はどこにもいなかった。愛しいあの人にもう一度会いたかった。大事に持っていたら、いつかきっと会えるだろうと信じて。それなのに……。あの女性は幻だったのですね」

「幻です」

 師匠は再びきっぱりと言い放った。花妹さん、消された。




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