第3話

 竹細工職人だという楊老さんは竹を取りに行ってしまった。花妹さんの機織りの音を聞きながら、僕らはとりあえず花妹さんの話を聞いた。

 花妹さんが言うには、事故だったそうだ。

 二か月前、姉妹たちと一緒に天上から水浴びをしに降り立ったの場所が翠水だ。他の天女たちが羽衣を羽織って次々に空へと飛び立つ。それに次ごうとした花妹さんは、己の羽衣が無いことに気が付いた。花妹さんは焦った。

 それがないと天に帰ることが出来ないからだ。

 その日、翠水は丁度お祭りの日だった。いつもは人が入ってこないところ。だけど、その日ばかりは境界が曖昧になる。

 花妹さんは確かに湖のほとりに羽衣を置いた。それなのに無い。つまり誰かが移動させたということだ。

 仕方がないので、泣く泣く湖から出て服を着た。

――重い。

 花妹さんはまずそう感じたそうだ。地面の感触でもなく、肌にあたる風の冷たさでもなく。痩せた身体でも、羽衣を身に纏わなければ当然多かれ少なかれ重さは感じる。

 その当時、花妹さんは自分で言うのもなんだけど、痩せていて美しい女性だったと自分で言う。へー。自己申告って当てにならないけれど、天女様っていうのなら信じてしまう。だって天女様だし。

 ん? ということは花妹さんは二か月でこんなだらしのない体型になってしまったの? 

 花妹さんが大食いだったのか、楊老さんが太らせる名人なのか。僕、後者もありうる気がするんだよね。楊老さんってあんなだけど、他人のことはとことん許容して甘やかしそうな気がする。うーん。なかなか怖い。 

 で、まず自分の身体の重さを感じ取った花妹さんは大変なことになってしまったと、ようやく自覚した。

 天上にいた時は己の体重など感じなかった。常に宙に浮いていた。それが、自分の足で立って歩いている。それを自覚した花妹さんは怖くなって泣き出してしまった。

 そこに通りかかったのが楊老さんだった。祭りの日にどうして泣いている人がいるんだろうと泣き声に誘われてやって来た。

 自分が羽衣を無くした直後に現れた男。一番疑わしき男だ。

 事情を尋ねる楊老さんに、花妹さんは己のことを覚えていないと言ってごまかした。それに同情した楊老さんは、花妹さんをとりあえず家に連れて帰ることにした。

 花妹さんは初めは楊老さんを信用していなかった。何かされそうになったら、舌を切って死ぬしかあるまい。地上にいる人間など汚らしく、何より気持ち悪い。

「生理的に嫌な男の家に図々しく居候したってわけか」

 師匠は割と本気で冷たく言い放った。花妹さんはがくりと首を垂れた。楊老さんのことだからなのか、師匠の攻撃が利いている。

「そう。その通りよ。楊老は親切で、わたくしはそんな楊老に冷たく当たった。なんでわたくしがこんな汚い場所にって思うと、腹が立って仕方がなかった。だから楊老に当たり散らした。だって楊老が羽衣を隠していると思ってたんだもの」

 でも。

 花妹さんは楊老さんと暮らしていくうちに、あまりの居心地の良さに離れがたくなってしまった。

 今まで下を向いて訥々と話していた花妹さんは、がばりを顔を上げた。目に熱がこもっていた。

「楊老はわたくしが何をしても幻滅しないの。だらしのない恰好をしていても、食べ過ぎて太っても、姿勢がだらしなくても、平気で同じように接してくれるの」

 先ほど、寝起きの花妹さんを見て、だらしのないと思ってしまった僕はぎくりとした。うう、すみません。僕もだらしがなかったくせに、失礼致しました。

「わたくしは楊老の前であるがままでいられた。楊老は甘やかすのがとっても上手なの。猫とか犬とか、なんだって世話する。わたくしもそれと同じで楊老に拾われたの」

 羽衣を隠した男だとしても、楊老さんの傍は楽で気持ちが良い。楊老さんが求めているのなら、もうこのままでも良いかもしれない、なんて花妹さんがぐらりと考え出した時のこと。

 羽衣の場所が分かった。

 地主の鄭家の若様が、天女様に狂ってしまわれたらしいと楊老さんが花妹さんに噂話を漏らした。

 ははぁ。そこに話が繋がるわけか。

「天女様の羽衣を持っているんだって。だから天女様は絶対に自分の元に来てくれるはずだって。凄いねぇ。天女様と恋人なのかしら」

 なんて楊老さんがのんびりというものだから、花妹さんは衝撃を受けた。今まで、花妹さんは楊老さんは自分に惚れているのだろうと思っていた。羽衣を隠して自分に負い目がある楊老さんに対して寛大な気持ちで受け入れてあげるつもりだった。

 だが実際はどうだろう。楊老さんは親切心。花妹さんはただの勘違いをしていた図々しい娘。

 この事実はとても花妹さんを傷つけた。

 何故かって? それはもう、その時は花妹さんは楊老さんを好きになっていたからだ。てっきり両思いだと思っていたのに、そうではなかった。

 羽衣が見つかった花妹さんに、楊老さんは平気で言うだろう。

――良かったね! これで帰れるね!

 僕でも想像できる。言いそう。悪気なく送り出すぞあの人は。花妹さんの声が段々涙声になってくる。

 可哀想。鈍い人に振り回されるつらさはよくわかります。丁度昨日、話を全く聞かない花妹さんに僕が誘拐された時の迷惑っぷりに匹敵すると思います。

「だから呂明。あなたに依頼したいの。羽衣を鄭重の家から取り返して。もうこんな中途半端な状況は嫌なの」

「天上へ帰るのかい?」

「それは……」

「花妹さん」

 師匠は同情的な目を向けて、可哀想ですけれどね、と花妹さんに言葉をかけた。

「花妹さん、残念だけど天上に帰った方があんたの為だよ。あんただって本当は分かってるんじゃないですか?」

 やっぱり、天女と人間は一緒になれるものじゃないのかな。部外者の僕も同情して切なくなった。

 師匠は尚も続けていった。

「はっきり言って楊老はあんたに性的な興味が一切ない。そりゃ態度も変わらんだろう。あの種の人間は根本的に他人に無関心なんだよ。優しいのは他人に何も期待していないから、の典型的な奴じゃないか。望み薄。」

 次の瞬間には恋する乙女の全力の平手が飛んできて、師匠は文字通り宙に浮いた。

 うっわぁ……。 

 あんた、時と場所と場合ってもんがあるだろうよ。僕は師匠のことを心配しながら、さもありなんと心の中で呟いた。いや、口に出してたかも。




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