第5話

 庭の木から枝をぽきっと折った師匠はこれは やなぎ、と言った。どう見ても柳ではなかったけど、師匠がそう言ったのならそれは柳なのだった。

 先ほどの怒鳴りはどこへやら、所在なくきょろきょろしている趙旗さんに柳の木を手渡して、これはお守りだと言った。

「これで、お前を愛していた。迎えに行く前に亡くなってすまなかったとでも言ってやってください」

「なんだそれは」

「多分、ご先祖様はこの女を利用するだけ利用した後に捨てたんでしょうけど、まぁそういう設定の方がこの女は救われると思うので」

「設定と言われても」

「あなた、さっさとして下さい」

「父上、頑張ってください」

 無責任な応援が飛び交う。どうやら趙旗さんの家庭内での地位の下落の瞬間を目撃してしまったようだった。

 女は趙旗さんを見ると顔を上げた。

「あなた、来てくださいましたの?」

 女は今まで耐えていた糸が切れたのか、大粒の涙を流した。

 こうしてみると、恋に生きた健気な女性に見えなくも、見え、う、ううん。やっぱり怖いんだけど。

 趙旗さんは腹をくくったらしい。昔の遊び人の顔を出して女に微笑みかけた。

「遅れてしまってすまなかったね。すぐに迎えに行くつもりだったんだ」

「そうよ、わたくしずっとずっと待っていたの。裏切者と責めを負って、目玉を繰りぬかれて舌を抜かれて、あなたをもう二度と見ることもあなたの名前を呼ぶことも出来なくなってしまって、それがとても恐かった。早く迎えに来てって、ずっとそればかり考えていたのよ」

 サラッと怖いこと言ったぞ。

 趙旗さんも顔がひくついてる。頑張れよ、情けねぇ男だな! あの方(仮)としてお前の話をしてるんだぞ。どん引いて良い立場じゃないだろ!

「あなた」

「父上」

 無責任な応援が再度飛び交った。

「——私も早く迎えに行きたかった。二人で新しい人生を見つけたかったけれど」

 けれど、と趙旗さんの声が震えていた。

 恐怖からの震えだったが、それが悔恨のようにも見えなくはなかった。

 全くこの一族の男って女を騙すことが上手いな。最低。

「あなたを迎えに行く前に殺されてしまった。今からでも間に合うだろうか」

「ええ、ええ、あなた」

 女は趙旗さんの手を取った。趙旗さんはもう片方の手に持っていた柳の葉っぱで女の頭を撫でるようにさらりと撫でた。

 不思議な光景だった。

 この時ばかりは元の高貴な巫女に戻ったようで、女は眉の飾りを鳴らして顔を上げた。

 にこり、と微笑みながら笑うと出てきた時とは反対に、徐々に透明になって消えていった。

「さて、これで大元が絶てた。女達の思念は祓っておきますので、後は明日にでも門を修繕すれば大丈夫でしょう」

 趙家親子三人がほっとしたように息を吐いた。ただし、と念を押すように師匠は続けた。

「ただし、これ以後恨みを買ってそれが蓄積して、ということはあるかもしれません。ですが恨みを買わなければ良いだけですので」

 まっとうなご意見。

 趙旗さんと趙勝さん親子は二人してがっくりと肩を落とした。これに懲りて誠実に生きて欲しい。





 ■■■





 趙勝さんからお礼をたんまり貰った師匠は、気を良くしたようで足取りが軽かった。

 街を物珍しそうに見ている僕に何なら別行動するか、と持ち掛ける師匠。

「えっお小遣いを下さるんですか。ありがとうございます!」

「えっ」

 駄目か。まぁ言ってみただけだし、そこまで期待していたわけではない。この街だったら歩いていただけでも楽しいし。

 なんてことを考えていると、師匠は僕の手にちゃりんと小銭を渡した。

「まぁ、金でもなけりゃ時間もたねぇしな」

「ええええええ」

 自分で言い出したこととはいえ、僕は驚いて素っ頓狂な声を上げた。吝嗇の師匠が!?

 なんだ何が起こったんだ口止め料なのか? なんの? いやその発想から離れるべきか。

「失礼な奴だな。口止め料じゃねぇよ」

 僕口に出してましたっけ!?

「要らんのなら返せ」

「まさか!?」

 僕の裏返る声。自分で言っておいてなんだけど、僕はほくほくしながらありがたくそれを受け取った。




 裔の後姿を見送った呂明は、踵を返した。

 趙家の女使用人が立っていた。

「上手く行きましたね! ありがとうございます!」

「まぁ、依頼ですから」

 呂明は情緒無く手を出した。早く代金を寄越せというのだろう。

 女は目を細め、さっと袋を出した。

 腹を愛おしそうにさする様子から、この女が妊婦だと言うことが分かる。

「趙勝様は私に対して責任を取ってくださるのですって」

「へぇ。良かったじゃないですか」

 呂明は演技でもなく、女を祝福した。

 女は師弟が屋敷を散策している最中に呂明に声をかけてきた。曰く、若旦那である趙勝が女性の霊に悩まされていると言うのなら、それを利用してこの女に対して責任を取るように話を持っていけないかという。

「まぁ、趙勝殿の軽薄さが原因の一つでもあるようなので、そういう話に持っていけなくはないですが、いきなり口裏を合わせろと言われてもですね」

 呂明は頭をかいた。暫く考えた後、呂明は言った。

「確約は出来かねますから、お代は完遂したらで結構です。まぁ努力はしてみます」

「それで良いわ! ねぇ、私はこのお屋敷にずっといるのよ。何故か人が居つかないこのお屋敷に。自分で分かるのよ。生き力が強いって」

「まぁそうですね」

「でしょ? だから若様には私が必要なの。お似合いな夫婦になると思わない?」

「はぁ」

 やり取りを思い出しながら、呂明はどうしてあの一家はこういう女を引き寄せるんだろうと考えたが、すぐにその考えを打ち消した。

 多分、相手にする女の母数が大きすぎるのだろう。その中にこういう女がいただけのこと。それでも、この女の言う通りこの位強かな女の方が趙勝のような男には合っているのかもしれなかった。

 精々尻に引かれれば良い。

 呂明は少し息を吐いて、裔を探すために踵を返した。

 年齢よりも大人びたところがある幼い弟子は、今頃は年相応に目を輝かせて市場を覗いていることだろう。








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