2.天女の羽衣
第1話
昨晩まで野宿だった僕は久々に寝台で寝れることが嬉しくて、頬が緩んでいた。
数日の徒歩の果てに、僕と師匠はようやく次の村にたどり着こうとしていた。
「お前は分かりやすい奴だなぁ」
「分かってないなぁ師匠、僕は師匠の為に敢えて分かりやすくしてるんですよ」
「ほうお?」
「僕が嬉しい時も嫌な時も同じ態度だったら、師匠は毎回裔ちゃんは今のは楽しかったかな、嫌だったかなって考えないといけないんですよ」
僕は演技がかって講釈を垂れるように人差し指を立てた。それを見た師匠は意地悪く笑って、首を傾けた。
「俺がお前の顔色を伺うとでも」
「師匠って素直じゃないなぁ。人生損しますよ」
「言ってろ」
それから、師匠と一緒にここの名物料理は何かな。いやいや贅沢は禁物だから、質素なもので良いんだよ。偶には良いじゃないですか、なんて芝居じみた言い争いを楽しんでいた。
今考えたら、芝居じみたどころではない。完全に茶番だった。
なぜなら、僕らが訪れた村には宿が存在しなかったのだから。それを知った僕たるや、分かりやすくがっくり肩を落としたと思う?
思わず、「あ、じゃあ宿代が浮きましたね」なんて言っちゃった。僕も素直になる練習をしなければならない。人生を損してしまう。
■ ■ ■
僕と師匠が徒歩の果てにたどり着いたこの村は、前に滞在していた大きな街とは違ってこじんまりしていて少し砂埃が舞っていた。通りが石で補正されているわけではないので、少しばかり歩きづらい。
湖へは年に数回あるお祭りの時を除いて、普段は村民は訪れないことが不文律になっている。
翠水はその名の通り翠色の澄んだ水が広がっている。あんまり綺麗な場所だから、人外のものが降りたつ場所だって信じられている。
人と人外、あの世とこの世、境界が曖昧になるようなお祭りの時は良いだろう。けれども、普段交わることがないものとは基本的に交わらない方が良い。要らぬ不幸を招いてしまうからだ。
そんなことを言われると、僕と師匠も何か要らぬ不幸を招いているのかな、なんて思ったけどそんなことはない。だって、師匠はその要らぬ不幸を取り除くお仕事をしているわけだから。
そういう村のことを通りすがりのお爺ちゃんがつらつらと教えてくれた。宿が無いことを教えてくれたのもこの人。
僕たちは道中と同じように、宿について浮かれた会話していた。それを一部始終聞いていたお爺ちゃんは教えてやらないと気の毒だなって思ったんだって。
そうだね、もっと早くに教えてくれ。
宿代が浮くと言った僕の頭を師匠は、師匠にしては優しくポンポンと撫でる。師匠はそれならばと、お爺ちゃんにこの村の権力者のことを聞いた。
宿が無ければ旅人に宿を提供してくれるのは、その土地の権力者だと相場は決まっている。
けれど、お爺ちゃんの答えは芳しくなかった。
「鄭家だろうね。この村の地主だけど、あそこは今忙しそうだから、宿を頼んでもどうなるかねぇ」
「忙しい?」
「跡取り息子がね、嫁さんを探してるんだと」
「嫁ねぇ。結構じゃないか」
「そういうあんたは? 子どもと二人旅ってことは
「話が飛んだぞ」
「師匠は未婚ですよ」
「じゃあ、あんたは結婚もせんと子持ちなのかい。流石都会から来た人は違うねぇ」
「師匠は農村出身です。ド田舎もんですよ」
「田舎もんなのに未婚の子持ちなのかい」
「だから何だって言うんだよ!田舎と都会が関係あるか!」
遂に師匠は声を荒げた。老人に声を荒げるのは良くないと思う。いつもの最低限の礼儀を守っているご自分を思い出してほしい。
「僕、師匠の子どもじゃないです」
「なんだって! じゃあ何だって言うんだい」
「弟子だ弟子!」
「へーなんの弟子なんだい?」
「なんでも良いから嫁が何だって言うんだよ」
「なんだ嫁がいないことを気にしていたのか。何だったら儂の親戚の子を紹介……」
「もう良い!」
師匠はお爺ちゃんとの話を打ち切ってしまったので、結局鄭さんっておうちの若様がお嫁さんを探しているってこと以外は分からなかった。
ご老人との会話って軌道修正が難しい。根気が必要なのかもしれない。
お爺ちゃんから逃げるようにしてその場を去ったその時だ。突然、師匠の身体が僕の目の前から消えた。
女の人が見えたように思う。
その女の人は師匠に迷うことなく向かってきて、抱き着いたようだった。
恋人同士の抱擁ではなかったけれど、悪意があるわけでもない、なんていうか、えーとその。
……えーと、婉曲的に言った方が双方の為に良いかなって思ったんだけど、やっぱりその後何が起こったかっていうと辻褄が合わないのではっきり言うことにします。
師匠は見知らぬ女の人から突進されて、その人がまぁ大柄だったものだから、ぐえっと蛙みたいな情けない声をあげて潰されてしまった。
中肉中背のこれといった特徴もない体格の師匠。一方、女の人は結構な大柄で肉付きたっぷりで、体積は勿論女の人の方が大きい。女の人の下からぴくぴくとした哀れな師匠の手が見えた。これは可哀想そうだなぁ。
砂埃が舞う中、流石の僕もおろおろと心配しながら師匠の救出を手伝った。
何とか肉塊から脱出した師匠は肩で息をしながら、敵を見るような目つきで彼女を睨みつけた。
「あんた、一体全体何だって言うんですか」
「ごめんなさい。わたくし、あなたの噂を以前耳にしたことがあるの。この村にやって来たって聞いて興奮のあまり」
女の人は少し困ったような顔を見せて、鷹揚に笑った。
この人、僕よりは年上だけど、結構若い。少女って言っても良いかもしれない。
それにしても、噂、噂ねぇ。
師匠と僕なんて根無し草のように、各地を地味に転々としているのに噂なんて流れるのか?
こんな冴えない男が人の口に上がることなんてあるのか?
僕は極めて懐疑的な気持ちで彼女を見たけれど、嘘を言っているようには思えなかった。
いや、でも分からないな。詐欺師って真実を話す人以上に、真実を言っているように見えるし。
そんなことを考えている僕の横で、師匠は憮然としながら吐き出すように言った。
「どんな噂だか」
普段は宣伝なんて大歓迎なのに、師匠は意外な反応だ。先ほどの事故をまだ怒っているのかな。
彼女は師匠の怒りなど気にする様子もなくころころと笑った。
「そりゃあ、鬼とか妖とか、つまり天女なんかの人外の言うことをなんでも聞いてくれる、なんでも屋なんでしょ?」
「違うわ!!」
珍しく師匠が依頼者になりそうな人に怒り交じりの突っ込みを入れていた。
「違うの?」
「伝言の遊戯やってんじゃねぇんだぞ!」
「あらぁ」
珍しく突っ込みが冴えている。凄いな彼女。顔色一つ変えずに笑っている。その様はただの村娘なのにとても優雅に見えた。そうだ。そうだ。違和感の正体。
身なりがそうではないのに、笑い方だけがとても優雅なんだ、この人。
一方でこの女の人の言うことも引っかかる。
人外の言うことをなんでも聞いてくれる、だって。まるでこの人自身が人外みたいな言い方じゃないか。僕は内心こっそりと首を傾げた。
師匠は僕の横で全く、とブツブツと文句を言いながらふてくされていたが、やがてため息を吐いた。
「なんであなたのような方が、こんな辺鄙な村にいるのか知りませんけどね。俺たちは疲れてるんだ。早く宿に」
「この村に宿なんてないわよぉ」
「泊まれるところを」
「だったら、探す前にお茶でも飲んで休憩したら良いんじゃない? あら。ねぇ、あなたいつの間に子どもを作ったの? 凄いわ。人ってそんなに簡単に子どもが作れるのね」
なんでこの村の人は僕と師匠を親子にしたいんだろう。全然顔も似てないし、なんだったら僕の方が断然利発そうだし、師匠の年齢を考えても僕が子どもって……あれ? いけるか。いけるなぁ。
それにしても、これも不思議な言い回しだなぁ。いつの間にってどういうことだろう。
女の人はなおも続けた。
「お茶をお出しするから、我が家に遊びに来て」
師匠は押しに弱い方ではない。弱い方ではないんだけど、女の人が強すぎた。だって、僕が抱えられたらもう身動き取れないよね。
仕方がないから僕らは
「裔――!!」
「師匠――!!!」
って叫びながら
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